3話 【私】の決意と小さな恩人 ※残酷描写注意
『落ち着いてきたか?』
「……はい」
アタルさんが私を気遣うように、優しく声をかけてくれます。
あの後――
私が一度死んだという事実を突きつけられた後、
呼吸もままならないほどに混乱していた私に、
落ち着くように、宥めすかすように、
今度はアタルさんが、ご自身の身の上について話をしてくれました。
はじめこそ話を聞く余裕なんて微塵もありませんでしたが、
どういうわけかアタルさんの話は私の中にすっと入ってきて、
まるで魔法のように私の緊張や不安を和らげてくれました。
「……つまり、アタルさんはそのイセカイからやってきたと」
イセカイ。
説明するのはすこし難しいですが、
というより、そもそも私自身あまり理解できていないのですが、
そこは私が今いる世界と似ているようで、
そのじつ、全く異なった世界という意味らしいです。
『まあな』
「でも、いまいち実感というか、現実味が……」
『べつに完全に理解しなくてもいいと思うぞ。外国人か何かだと思ってれば』
「そういうわけには……」
せっかくこうして話してくれたことですし。
私としてはきちんと噛み砕いて、理解しておきたいと言いますか――
『俺も死んでから結構経ってるけど、実感わいてきたの最近だし』
「えっと、それは、アタルさんが元いた世界で一度亡くなられてから……?」
『変なおっさんから魔法について教わってる頃だな』
なるべく言葉を選んだつもりですが、
〝亡くなる〟という直接的な表現になってしまいます。
ですが、アタルさんはそんなことは気にも留めないご様子。
私の考えすぎかもとも思いますが、一度お亡くなりになられているというのに、
ここまであっけらかんとしていらっしゃるなんて……。
やはりじつは、アタルさんは、とんでもない大物なのでは……?
「……ちなみに、その変なおっ……おじさんという方は?」
『知らん』
「へ? 外見とかは?」
『わからん』
「で、でもおっさんって……」
『声の感じからそう判断しただけだな。
実際はただの丸い球体で、フワフワしてて、ピカピカ光ってた感じだな』
「ちょうど今のアタルさんみたいな……ですか?」
『どうだろうな。まだ正確に俺は俺の姿を見てないからなんとも言えんが……、
とにかく気が付いたら俺ひとりだけで、何もない空間で魔法の練習してたな』
「それで、気が付くと私の体を使って、こんなすごい魔法を放っていた……と?」
『ああ。お陰でまた俺の現実がフワフワしてきた』
「あ……あはは……」
(おそらく冗談でしょうが)笑えません。
けど、そうですよね。
アタルさんご自身は私と同じくらい――いえ、口にしていないだけで、
本当はもっとツラい境遇にあるかもしれないのに、
こうして私のことを気にかけてくれている。励ましてくれている。
泣いたり、吐いたり、くよくよしてる場合じゃないんですよ。
「……よし!」
私は目をギュッと瞑ると――
パン!
パン!
二度頬を両手で強くたたきます。
「ありがとうございます、アタルさん。もう吹っ切れました」
『え? ああ、うん……いや、早いな。結構な修羅場だったぞ』
「……蒸し返さないでいただけますか?」
『す、すまん』
せっかく決心した心が早速折られかけます。
アタルさんに悪気はないとは思うのですが……。
『ただ、そうやって無理に気持ちを押し込めてるとだな……』
「いえ、そうも言ってられません。こうして私ひとりが生き残ったのは何か意味が――」
ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
低く、下腹の辺りまで響くような咆哮。
この鳴き声はたしか――
『お、おい……なんだありゃ。フクロウ……いや、クマ……なのか?』
私たちの視線の先。
およそ10メートルくらいの距離にそれはいました。
猛禽類の頭に毛むくじゃらの獣の体。
現在は四つの脚を地面についていて、
現時点の体高でも身長1.7メートルの私より少し高いくらいですが、
立ち上がったらもっと大きいでしょう。
「あれは……アウルベアですね」
『魔物……なんだよな』
「はい。たまに村に現れることはあるのですが、でも、なんで今……」
普段は森の奥の奥――
人が入らないような場所で静かに暮らしている魔物。
そのように認識しているのですが、
なぜわざわざこんな、危なそうな場所にいるのでしょうか。
『わかんねえけど、とにかく今は逃げたほうがいいんじゃねえか?』
「逃げる? なぜです?」
『は?』
「え?」
私もアタルさんも、お互いに見つめ合ったまま黙ってしまいます。
私も私で、なぜアタルさんがそのような発言をしたのか、
なぜそのように目を大きく見開いて驚いているのか、その意図がわかりませんでした。
だって、せっかくこうして野生のアウルベアに会えたのですから。
わざわざ逃げるなんてもったいないです。
『いや、だってめちゃくちゃ威嚇してるし、
そもそも相手は魔物で、こっちは丸腰だぜ?』
「はあ……」
もしかして……、あの魔物を脅威に感じている……?
だから逃げろと言っているのでしょうか?
でもアタルさんの魔法にかかれば、あれくらいの魔物なんてわけないのに。
もしかしてあのアウルベアは特殊な個体……なわけないですよね。
いたって普通の、サイズで言えば平均よりすこし大きいくらいですかね。
『〝はあ……〟って、なんでそんな冷静なんだよ。
あんなデカいんだぞ? 爪とかなんかやべえし。
ワンパンでそこらへんの木とかなぎ倒す系だろあれ』
「アウルベアなら……たぶん、簡単になぎ倒せますね」
この目でアウルベアが木を折っているのを見た事はありませんが、
実際、アウルベアの巣の近くには折られた生木が不規則に配置されていて、
自身の縄張りの主張をしていると聞きます。
アウルベアに道具を使うような知能があるようにも思えませんし、
おそらくは素手で折っているのでしょう。
『あ、わかったぞ。
おまえじつは魔法とか使えるんだろ。だからそんなに余裕なんだな』
「いえ、私、魔法のほうは全く……」
『あの……もしかして、吹っ切れたってそういう意味?』
「それ、どういう意味で――」
ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
再び、咆哮。
今度はものすごい勢いでこちらに向かってきました。
『うおっ、速っ!?』
アウルベアは私の真ん前で止まると、今度は立ち上がりました。
もう手を伸ばせば当たるような距離です。
それに思った通り、体長は3メートル以上ありました。
『い、今さらで悪いが、いちおう言っとくぞ。
今の俺に助太刀は期待するなよ』
「え?」
『すまん。言うのが遅くなった。
ただ今はとりあえず逃げ……られないよな。
くそっ、俺はどうすれば……!』
「あの、アタルさ――」
私が返答するよりも先にアウルベアが右腕を振り上げます。
私の胴体と同じくらい太い腕。鋭い鉤爪。
まともに当たれば、人間の皮膚なんて簡単に肉ごと裂かれてしまうでしょう。
アウルベアはそれを遠慮なしに、私めがけ振り下ろしてきました。
私はそれを――
『おいおい……マジ……かよ』
受け流すことなく、両腕を交差して頭の上で受け止めます。
衝撃が腕から肩を抜け、腰を伝わり、足から地面へ。
「うっ……!?」
血が足りていないのでしょうか、
上手く受け流したと思いましたが、一瞬だけ眩暈に襲われてしまいます。
けれど……なんでしょう。
この心の奥底から湧き上がってくる高揚感は……。
体は依然だるいままですが、意識はハッキリとしています。
これなら今までできなかったアレが出来るのでは……?
私は右手の指を鉤爪のように折り曲げ、腰まで下ろすと――
「そお……れっ!」
左手でアウルベアの腕の毛を掴み、そのまま下方向へ払いのけました。
アウルベアはぐらりと体勢を崩し、露わになった胸部を晒します。
「せいやっ!」
一突。
ゴワゴワの体毛に覆われた皮膚を突き破り、
邪魔な肋骨をへし折り、その奥――脈打つ心臓を掴み、一気に引き抜く。
ブチンブチンと太い血管が裂け、胸に突き刺した腕を抜いた途端、
大量の血液がその穴から吹き出します。
ドクン……! ドクン……!
アウルベアは声を発することなくそのまま絶命し、
残された心臓だけが私の手のひらの上で鼓動します。
今まで狩りに行った時はここまで綺麗に出来なかったのに、
やっぱり、頭の調子がいいのと何か関係しているのでしょうか。
「ふぅ、なんとかなりましたね」
『なんとか……しちゃってよかったのか?』
「へ?」
『あ、いや、なんでもない。無事ならそれでいいんだ。
……でもそれ、まだなんか動いてないか?』
アタルさんは私の手のひらを見て言います。
アウルベアを見て驚いていたようですし、あまり狩りの経験はないのでしょうか?
でも、たしかに私も最初の頃は色々と精神的にもクるものがありました。
これが普通の反応なのでしょう。
ならここは経験者として、
アタルさんの緊張をほぐすような一言をかけなければ、ですね。
「これはアウルベアの心臓です。焼くと美味しいですよ」
『ええ……』
ドン引きされました。
◇◆◇
『じゃあ、この世界の人間は素手であの魔物を仕留められるのか?』
食事も終え、ひと息ついた頃にアタルさんが尋ねてきます。
「全員……かどうかはわかりませんが、少なくとも私の村の男性は……」
『まじか! ……まじか』
「アタルさんのいた世界では、こういうことは……?」
『武器を持ってるならともかく、素手でこういうこと出来るやつはいねえな』
私自身、この村で生まれ育ち、この村の外のことはあまり知りませんが、
おそらくアタルさんの世界の方はこういうことが出来ない代わりに、
魔法が発達したのでしょう。
実際、村の騎士団なんて比べ物にならないくらい怖くて、強い人たちを、
アタルさんはその魔法で倒してくれたのですから。
『よし。じゃあそろそろ行くか。急ぐんだろ?』
「え、アタルさん、ついて来てくれるんですか?」
『乗りかかった舟だ。俺に協力できることならなんでもするつもりだ。
それとも、こんな人魂じゃ不服だったか?』
「い、いえ、大変心強くはあるのですが……」
〝この件は私たちの問題なので、
恩人であるアタルさんにこれ以上迷惑はかけられません〟
そう言いたいのですが、私はそこで口を閉ざしてしまいます。
〝これ以上アタルさんに迷惑をかけたくない〟
これは紛れもない、偽らざる私の本音です。
でもそれと同時に、私はアタルさんについて来て欲しいとも思っているのです。
なぜなら、まだ気持ちの整理はついてないから。
今はなんとか誤魔化して平静を装ったり、笑顔で取り繕ったりしてますが、
アタルさんの言う通り、あの出来事は、あの光景は、
おそらく一生忘れることはないでしょう。
それくらい私の中で強烈な印象として残っています。
だから、せめて誰か傍にいてほしい。
だから、ズルい私はその先の言葉を紡げないでいる。
『まあ、イヴが今なにを考えてるかは大体わかる』
「アタルさん……」
『とにかく、俺のことは気にすんな。今はおまえのことだけ気にしてろ』
その言葉に救われます。
一体、この短期間のうちに何度アタルさんに救われたのでしょう。
「……ありがとうございます。このご恩はいずれ――」
パァッと突然、
私の言葉を遮るように、夜空が昼のように明るくなりました。
でもそうかと思えばまた暗くなって――
今度は夜の雲間から一筋の光が私のすぐ前に射してきます。
それはまるで光で出来た透明な筒。
そしてその中をナニカがゆっくりと降りてきます。
ナニカは降りてくるにつれて、次第にその姿を明らかにしていきます。
あれは……人?
背中から翼を生やしていて、白い布をその体に纏っています。
『お、おいイヴ……?』
「へ?」
『おま、なに泣いてんだ……!』
「泣く……? あ、あれ……? 私……なんで……?」
アタルさんに指摘されて気が付きます。
いつの間にか私の目から、とめどなく涙が溢れ出ていました。
じわじわと視界が滲んでいきます。
手の甲で拭ったり、指で掬ったりしますが、止まる気配がありません。
痛くないのに、
悲しくないのに、
怖くもないのに、
涙が止まりません。
これは一体、どういうことなのでしょうか。
『イヴ……おま……!? 何やって……!?』
いつの間にか、
私は両手と両膝を地面について、ナニカに向けて頭を垂れていました。
もちろん私の意志とは全くの無関係です。
なんとか身じろぎしようとしますが、小指一本も動かせません。
そんな私の頭上から、尊き御声が降り注いできます。
「――讃えよ而して畏れよ。
我が名はラファヤ。神の御使いである」