30話 【俺】とまた一難
突然男が突拍子もないことを言い出す。
だが、相変わらず本心かどうかはわからんが、いつの間にか威圧感というか、
戦う者の出す気概や気迫のようなものを、この男からは感じられなくなっていた。
「じゃあ、さっきの啖呵はなんだったんだ? 俺らを殺すとか息巻いてたろ」
「いやいや、あんなのただの脅しだって。わかってんでしょ? そんなことさあ」
なんなんだ、こいつは。
まったく思考が読めない。
「貴殿をここでむざむざ逃がすと思っているのか」
アルベリックがそう言って、一歩前へ出る。
「逃げるよ。てか、むしろここで逃がしたほうが賢明だと思うんだけど」
「……なに?」
「まぁ勝てるとまでは思ってないけどさ、それなりに善戦すると思うんだよね、俺。
だからこのまま戦えばお互い無事じゃ済まない。それは団長さんもわかってるよね?」
アルベリックは依然男を睨みつけたまま、何も答えない。
「そんな状態で、また何戦もこなすなんて、気が重いでしょ?
だからさ、やめようよ。お互い無駄に痛い思いをする必要なんてないじゃん」
「……じゃあなんだ。つまりおまえは、ここで俺たちがおまえを見逃す見返りとして、
俺たちがここから安全に出られるようにするって言いたいのか?」
「そういうこと。俺らもここでやるべきことは終えたから無駄に命張りたくない。
そちらさんも色々あったけど、ヘンリーさんっていうおっきい戦力を削ることが出来た。
だからここらへんで、痛み分けっつーことで手を打ちましょうよって話」
「おまえは……逃げたいのか、挑発したいのかどっちなんだ」
「いやあ、ごめんごめん。単にこういう話し方なだけだからあんま気にしないで」
こいつの態度がどうであれ、
正直な話、俺からすると願ったり叶ったりの申し出ではある。
当初はアルベリック(偽)もついていたし、
俺もなんとなく撃退出来ていたし、蠢く明星の巣を舐めていた節はあった。
だが、今はもう不安しかない。
ヨハンもまたいつ死ぬかわからないし、アルベリックも明らかに万全な状態ではない。
男も妙に自分を低く見積もってはいるが、
戦いがどう転ぶかなんてのは、実際やってみなけりゃわからない。
だから、戦わないので済むのであれば、それに越したことはない。
だが――
「どう? なかなか破格な条件だと思うけど?」
この男の言葉はとてもじゃないが、どうにも信用できない。
それに――
「貴殿は……この状況でふざけているのか? そのような条件を呑むはずがないだろう」
ヘンリーに対して最後まで騎士の責務について問うていたアルベリックが、
ここで連中を見逃すという選択肢を選ぶとは到底思えない。
なら、俺がここでするべきことは――
「その言葉が嘘じゃないという保証は?」
「イヴ殿?」
驚いたような顔で俺を見るアルベリック。
まぁ、イヴもこんな条件は呑まなかっただろうし、驚くのもわかる。
けどこのチャンスを逃す手はない。
「……アルベリックさん聞いてください」
俺は手を口に当て、男には聞こえない音量で囁くようにしゃべると、
アルベリックはすこし屈んで耳を近づけてきた。
「じつはヨハン……兄は、一日に三度以上死ぬと、
然るべき場所で然るべき処置を行わないと本当に死んでしまうのです」
「え、そ、そうなんですか……!?」
アルベリックが驚いたように目を丸くしている。
まぁ、もちろんこれは早くここから出る為の方便なわけだが、
それを知るのは、この場にいる俺とヨハンしかいないのだ。
つまりバレる心配はない。
「はい。私としても兄であるヨハンをこんなところで死なせたくはありません。
ですので、あの者の言ったとおり、きちんと安全が確保されるのであれば、
私はその条件を呑みたいと考えています」
「……ですが――」
「お願いします。私はまだ兄を失いたくありません……!」
あとひと押しだと思った俺は、指先に魔力を集めて少量の水を生成すると、
会話の中で自然に目元に触れ、あたかも涙を流しているように見せかけた。
「……そうですね。わかりました」
「よ、よろしいのですか……?」
「はい。人命は何よりも優先されるべきもの。気に病まないでください」
「あ、ありがとうございます……!」
まぁ、アルベリックのほうはこんなもんでいいだろ。
「話はまとまったかい?」
「……大体な」
俺がつぎにやるべきこと。
それは口約束のようなあやふやな形ではなく、きちんと男に契約を履行させること。
この世界の法律……とかには期待できなさそうだから、なにか罰のようなものが必要だ。
「……それで、さっき俺が言ってた保証についてだが――」
〝パチン〟
急に男が指を鳴らすと、ローブを着た人間がなだれ込んでくる。
そしてその手には皆一様に剣を手にしていた。
どうやらいつの間にか、この空間ごと教団員に囲まれていたらしい。
不可解な提案も、要はそれまでの時間稼ぎだったということなのだろう。
「……やってくれたな。元からこうするつもりだったってか?」
「いやいや、なに勘違いしてんのさ」
「あ?」
「やれ」
男の合図に、俺とアルベリックは迎撃の姿勢をとるが、
その思惑に反して、教団員たちは突如持っていた剣を自身の首に当て、撫でた。
あちこちから血しぶきが上がり、続々と血だまりへ崩れ落ちていく。
空間が一瞬にして血の臭いで満たされた。
「おまえ……何やってんだ……!」
「何って、保証がほしかったんでしょ?」
「はあ!?」
「いやあ、急にそんなこと言われても思いつかなくてね。だからこうした。
言葉よりも行動で示したほうが早いし、わかってくれると思ってね」
「狂ってるよ……おまえら……」
「まぁ、それはお互い様さ」
「あ?」
「それよりも、どう? 満足した? お望みならまた命令するけど」
男がそう言うと、残っていた教団員たちがまた自身の首元に剣を当てた。
よく見ると、その手元は些かも震えておらず、
恐怖や後悔といった感情が微塵も感じられない。
「……いえ、もう結構です。消えてください」
アルベリックも同じことを思ったのか、
彼女がそう促すと男はそれ以降何も言わず、そのまま教団員を引き連れ姿を消した。
「さて、では我々も引き揚げましょうか」
アルベリックが俺にそう言うと、俺は再び彼女に向き直り、深々と頭を下げた。
「イヴ殿……?」
「すみません、アルベリックさん。兄の話、じつはあれ、嘘なんです」
あのまま有耶無耶にしてもよかったのだが、俺は気が付くと謝っていた。
騎士の矜持をあれほど大切にしている人間に対し、嘘を材料に取引してしまったのだ。
アルベリックの自尊心を、そして彼女自身を辱めたといっても過言ではない。
「咄嗟のこととはいえ、あんなひどい嘘を……」
世が世なら首が飛んでいてもおかしくはない行為。
そうまでして守りたかったイヴを、また危険に晒すような行為。
だが、それでも俺は彼女に謝らなければと思ったのだ。
このまま有耶無耶にしてはいけないと思った。
「……頭を上げてください、イヴ殿」
「アルベリックさん……」
頭をあげると、そこにはまるで、
子どもを優しく諭す母親のような表情をしたアルベリックが俺を見下ろしていた。
「じつは、私も薄々は嘘だと感じていたのです。
……でも、それが真実であれ嘘であれ、私はこれで良かったと思います。
〝人命優先に勝る団則なし〟
これはヘンリー殿が教えてくれたことで、今イヴ殿が思い出させてくれたことです」
アルベリックはちらりとヘンリーを見て、続ける。
「ですので、あまりお気になさらないでください」
「アルベリックさん……」
「さ、さあ……! ほら! 急いで帰りましょう!」
急に顔を真っ赤にして取り繕うアルベリック。
「こんなところにいても、いい事なんてないですからね!」
「そ、そうで――」
〝グルルルルルルルルルルルルルルルルル……!〟
「……へ?」
急に獣の唸り声が聞こえ、その方向を見ると、
頭がふたつある狼が涎を垂らしながら、のしのしとその巨躯を揺らして現れた。
「ご注意ください、イヴ殿」
「あれは……もしかしてケル――」
「双頭狼です」




