26話 【私】と死線誘導
「……げぇほっ、げほっ、ごほっ」
突然、咳の音が辺りに響き、それを聞いたヘンリーさんとアルベリック様が、
目を皿のように丸くさせ、私の背後に視線を送りました。
「有り得ぬ」
「そんな……貴殿はたしかに……」
「お兄ちゃん!」
私が振り向くと、お兄ちゃんは口内に溜まっていた血の塊をベッと吐き捨て、
ボロボロになった袖で口周りの血液を拭いました。
「大丈夫なの、お兄ちゃん?」
「すまない。心配をかけたな、イブ。
……おいアタル、どうなっている。なぜ僕らはまだここにいるんだ」
『おまえが早々に殺されたから復活すんのを待ってたんだよ。
あのままイヴとアルベリックで戦ってもよかったが、万が一があると思ってな』
「そうか、なるほど。大体わかった。僕はこの戦いにおける保険というわけか。
では、今の僕の役目は、ここで死なないよう気を付けることだな」
『まぁ、それはそうなんだが……意外と聞き分けがいいな』
「あ?」
『いや、俺はてっきり前線に出たがるもんだと――』
「僕だってそれくらい弁えてる。……もちろん悔しいけどな」
お兄ちゃんはそう言うと、すぐに私たちから距離をとりました。
「我は確実に彼奴の頭を潰したはずだ。だが……あれは何者だ?」
ヘンリーさんがアルベリック様を、
アルベリック様が私を、そして私がお兄ちゃんを見ます。
「おまえに話す義理はない」
お兄ちゃんがヘンリーさんを睨みつけたまま答えます。
「フム、道理だな。……だが、我にも心当たりがなくはない」
「……なんだと?」
「スラット領より遥か北、スロウ領に極秘裏に不死の研究をしていた者たちがいた。
その代表は、たしか名を……〝ウントーター〟と呼ばれていたか」
「ウントー……?」
聞き覚えのない名前に、私は訊き返してしまいます。
「……残念ですが人違いです。お兄ちゃんの姓はブラウンですので」
「成程。だが、そ奴の顔はそうは言っておらぬようだが」
「へ」
私が振り向くと、お兄ちゃんは眉をひそめて口に手を当てていました。
なんでそんなわかりやすい反応してるの。
なんて、思わずツッコんでしまいそうですが……、
でも、お兄ちゃんの名前はたしかにブラウンだし――
「あっ」
そうか。
これはお兄ちゃんなりの、ヘンリーさんを揺さぶるための嘘。
ならここはその嘘に乗っておいたほうがよさそうですね。
「……ふふふ、バレてしまいましたか」
私は腰に手を当て、胸を反らし、顎を引いて、挑発するようにヘンリーさんを見ます。
「なに」
「ヨハン・ブラウンとは世を忍ぶ仮の名前。彼の本当の名前はウントーターなんです」
「ええ!?」
『はあ!?』
お兄ちゃんとアタルさんが突然、びっくりした声を上げます。
お兄ちゃんはわかりますが、なんでアタルさんまで驚いているのでしょう。
「フム、だがアルベリックとイヴを治したのが誰なのかはこれで明らかになった。
……そして、我が先ず仕留めるべき相手もな」
ヘンリーさんが槍の先端をお兄ちゃんに向けます。
薄暗い空間の中、その槍はギラリと妖しい光を放ちました。
あれ、これもしかしてヘンリーさんを揺さぶるどころか、
逆に目的をハッキリさせてしまってませんか、これ。
「あぶない!!」
最初に声を上げたのはアルベリック様でした。
次の瞬間〝ギィン!〟と私のすぐ横で耳をつんざくような音が鳴ります。
急いで目を向けると、真っ二つに割れたヘンリーさんの槍が。
あまりにも速すぎる一撃。
目では追えませんでしたが、今の一瞬で何かしらの応酬があったのでしょう。
ですが、これだと私が視力を強化した意味が――
「ほう、流石だなアルベリックよ。腕は落ちていても、ウデは落ちておらぬと見える」
「……安心してくださいイヴ殿」
アルベリック様がヘンリーさんを睨みつけたまま声をかけてきます。
「今のはヘンリー殿の槍技〝死線誘導〟です」
「み、死線誘導……?」
「戦闘時におけるほんの一瞬の判断ミスや遅れは死に直結します。
死線誘導とはそこを上手く突いてくる技なのです」
「えっと……?」
つまり、どういうことなのでしょうか。
解説されてもなお、よく理解できません。
「アルベリックよ、もう種明かしか。それでは些か不公平ではないか」
口ではそう不満を漏らしてはいますが、
ヘンリーさんは不敵な笑みを浮かべながら、大槍を右へ左へお手玉しています。
「結論から言うと、槍自体が瞬間移動したり、投擲速度が速くなったりはしていません」
「ですが、それならなんで目で追えなかったのでしょう……?」
「意識していないものを目で追うことは不可能です。
視界に入ってはいますが、意識していないという事は見えていないのと同義ですので」
「えー……っと」
「要するにあの瞬間、ヘンリー殿は私たちの意識を槍から逸らしたのです」
「意識を槍から……逸らす……?」
「はい。その間にヘンリー殿は別の槍を投擲してきた」
「で、ですがアルベリック様、私はずっと槍を見ていたはずで……って、べつの?」
そうでした。さきほど槍を投擲したはずなのに、
なぜ未だにヘンリーさんの手元には槍が残っているのでしょう。
「もしかして、ヘンリーさんの持っている槍は、一本だけじゃない……?」
「お察しのとおり、ヘンリー殿は懐にいくつもの槍を忍ばせています」
「で、ですが、あの大きさの槍を何本も持っていたら……」
「はい。なのでヘンリー殿の持っている槍は、その大きさの可変が自在なのです」
「左様。我が槍は特別製でな。……消耗品なのだ」
ヘンリーさんはそう言うと鎧の中に手を入れ、分銅のような物を取り出し、
今度はそれを軽く振ると、見慣れた大きさの槍へと変化させました。
『……あれは魔法の類じゃねえな』
アタルさんが私に聞こえるようにつぶやきます。
アタルさんの目でそう断定したということは、
さきほどの分銅のほうに何かしらの仕掛けがあるということでしょう。
「戦闘や訓練の度に槍を破壊していては経費も馬鹿にならぬのでな。
多少は脆くとも大量の槍を携行できるよう、小型化させたのだ」
「それなら槍をもう少し頑丈にすれば……」
「呵呵呵!!
どれほどの材質を用いようとも我が技に堪える槍は出来なかった。それに――」
「くっ……!」
今度はヘンリーさんが槍を構えた瞬間〝ギィィン!!〟という音と共に、
アルベリック様の目の前で火花が散りました。
「こちらのほうが性に合っているのでな」
今の攻撃も全く視認できませんでした。
情けない話ですが、いつ投げたのかすらわかりません。
「あ、あの、アルベリック様、もしかして今のも……?」
「はい。ヘンリー殿の死線誘導です。
槍を投擲する場合、普通は構えてから投擲するという常識を逆手に取ったものです」
「えっと、それじゃあつまり、槍を構えた頃には既に投擲していた……?
もしかしてヘンリーさんって、正面から強引に突破してくるスタイルではなく、
じつは不意討ちや、騙し討ちを得意とするスタイルだったんですか?」
「呵呵呵! イヴよ、何度も言わせるな。我は不意討ち騙し討ちは好かぬ」
「……戦闘時に余所見をしているほうが悪い。ですか?」
「左様。貴様はよく理解っておるではないか、アルベリック」
「イヴ殿、槍や手元ばかりを見ていると、足元をすくわれます。
ですので、見るべきは点ではなく、全体――
ヘンリー殿は正々堂々、真正面から不意討ち騙し討ちをしてくる方なのです」




