25話 【私】の物心
「そう……ですね……」
ヘンリーさんの言葉の後、永遠とも思える沈黙の中、
アルベリック様が意を決したように口を開きます。
「まずはヘンリー殿、貴殿が経緯と動機を共有してくれたことに感謝致します。
そのお話を聞いて、長年の胸のつかえがようやく取れた思いです。
やはり貴殿は、理由もなくそのような事をやる方ではなかった。
青年を殺害したのも、主を打倒したいという志も、
サラ殿や、リディア殿の事を思えばこその行動……だったのかもしれません。
〝心中お察し致します〟……などとは私如きが軽々しく言えるはずもありません。
ですが、貴殿は寸でのところで踏ん張れたはずです」
「……なに?」
「たしかにアラン殿や民衆が、貴殿や貴殿の家族に対して行った行為は、
決して許されるべきものではありません。
貴殿がこの国の制度に、民に絶望なさる気持ちもわからないとは言いません。
……けれど、その前に貴殿はスラット領の騎士団長であるはずです。
誰がリディア殿を追い詰めた悪評を流布したのかはわかりませんが、
せめて貴殿がアラン殿を殺害しなければ、そのような事態にはならなかった」
「では、我はそれを看過しろと? サラをその夫に、国に蔑ろにされてもなお、
笑顔を貼り付け、愚民共を、狂った国家を、世界を命の限り護れと貴様は言うのか」
「そうしろと私に言ったのは、師匠でしょう!!」
「しっ!?」
アルベリック様がこれ以上ないほど感情的に言います。
でも、まさかヘンリーさんがアルベリック様の師匠だったなんて――
いえ、今までのアルベリック様の言動を顧みると、当時の事情に詳しかったり、
ところどころでヘンリーさんに妙に肩入れしていたというか、
過度な感情移入があったような気がします。
「……騎士団長はそういうものだと言ったのは師匠ではないですか。
私たちは数ある職業の中でも人々を守り、領に、国に仕える騎士を選び、
その中でも騎士たちを束ね、模範となるべき存在である団長にまでなった。
何度でも言います。
師匠の気持ちは察するに余りある。
例え私が同じ立場にあったとしても、そのような事はしなかった。
……などとは口が裂けても言えません。私もそうしていたかもしれない。
でも! そこで歯を食いしばり、踏ん張るべきなのです! 我々は!」
「我も幾度となくそう在ろうと思った。……だが人は弱い。
いくら高尚な理念や思想を掲げようにも、心は時として脳を置き去りにする」
「その為の罰です。その為に法があるのです。
我々が一時の感情や気の迷いで、他人を私刑にして良い理由にはなり得ません」
「では、その法とは誰が為にある」
「それはもちろん人間の為です」
「否。やはり貴様は何もわかってなどいない。
この法はこの世界の支配者層、ひいては神や天使の為にあるものだ。
彼奴等が我ら人間を管理するために、正しく運用するために設けた愚法だ」
「それはあるかもしれません。けれど、それの何がいけないのです!?
この数百年、我々は知らずに生きていましたが、問題は些細なものでしかなかった」
「些細だと? それは貴様が渦中に――」
おふたりが言い合いをされている最中、
いつの間にかアタルさんが私の目の前まで移動してきました。
「ど……どうしたんですか……、アタルさん……」
私は口に手を添え、アルベリック様に聞こえないよう注意しながら話します。
『ダメだな、こりゃ。ずっと平行線だ』
「それも……そうですね……」
アルベリック様もヘンリーさんも、お互いに譲れないものをぶつけあっています。
アルベリック様は騎士の在り方と矜持を。
ヘンリーさんは人間のより自由な在り方と支配からの解放を。
私としても両者の言い分はわかりますが――
『だからこそ、イヴ。おまえが決めるんだ』
「へ? 私?」
『……いちおう確認しておく。おまえは今のヘンリーの話を聞いてどう思った?』
「どうって……」
『その境遇や考えに、同調や同情をしたか?
ヘンリーや、蠢く明星の巣の連中と敵対したくなくなっちまったか?』
「それは……」
『今、イヴの目の前にはふたつの選択肢がある。
当初の予定通りヘンリーを倒してアルベリック、ヨハンと共にここを出るか、
アルベリックをここで倒して、ヘンリーの言うとおり教団に加入するかだ』
「それは……」
『あり得ない選択肢だって思うか?
だがおまえもヘンリーの話を聞いて、性格やその考え方がわかったはずだ。
あいつはおまえを騙して、後で殺してやろうだなんて考えちゃいないだろう。
少なくともここでおまえが教団に加入する意志を見せれば、
あいつの言ったとおり、それなりの待遇で迎え入れてくれるはずだ』
「それは……今、決めなきゃなんですよね?」
『ああ。もうタイムリミットが近い。あと少しでヨハンが復活する』
「え……」
『見るな』
振り向きかけて、アタルさんに止められます。
『意識は戻っちゃいないが、潰されてた頭はほとんど修復できてる。
……相変わらず、どんな原理で治ってるのかわからんがな』
それに関してはまったくの同意見です。
『タイムリミットってのはヨハンが回復するって意味もそうだが、
これ以上モタついてると、例のふたりとかち合うかもしれないって意味でもある』
例のふたり……アタルさんが注意しろって言っていた教団員の方々ですね。
『アルベリックとヘンリーの力関係は今、大体五分だと見ていい。
つまり、イヴとヨハンのついたほうが勝つってことだ』
「で、ですが、おにいちゃんが私につくかは……」
『つく。根拠は言えねえが、あいつは何があろうともおまえの側につく。
それは俺も一緒だ。おまえがどちらを選んでも俺はそれについて何も言わない。
俺はおまえの意見を尊重する。ただ、あまり時間がないことだけは覚えといてくれ』
「私は……」
次第に頭が、意識が冷えていくのがわかります。
今まで対岸の火事……とまでは思ってはいませんでしたが、
話の流れというか、このまま自然にアルベリック様の側につくものだと思っていました。
ですが、それではダメなんです。
いつまでも受動的に物事を判断していては何も生まないし、何も成長しない。
たとえアルベリック様についていく選択肢を選んでも、
自分で選んだ場合と、そうなってしまった場合の結果とでは天と地ほどの差があります。
アタルさんはあえて私に意識させることで、それに気づかせてくれた。
だから、私の目の前にはふたつの……いえ、本当は無数の選択肢がある。
それらを選ぶ権利と、その選択に対して責任を負う義務があるのです。
……私はここで改めて考えます。
たしかにヘンリーさんの身に起こった事に対しては同情してしまいました。
娘さんの死がなかったことにされてしまい、失意の中、
護るべき民に奥さんを、直接的にではないとはいえ殺されてしまった。
だからこそ、その原因をつくったこの世界やルールを、
その根本から変えたいと行動するのは理解できます。
けど、それでも私が焦がれ、必死になって目指したのは〝騎士〟です。
かつて私の命を救ってくれた、あの東雲紫乃さんのような高潔な騎士です。
シノさんは決して、他人を犠牲にして自分の考えを通すような方ではありませんでした。
「私は……ヘンリーさん、私は、イヴ・ウィリアムスは騎士を志す人間です。
ですので、せっかくのお誘いではありますが、謹んでお断りさせていただきます」
私ははっきりと、きっぱりと、ヘンリーさんに向けてそう言いました。
考え方や結論、言動は幼稚だったかもしれませんが、これが私の出した答えです。
そこに恥や後悔は一切ありません。
おふたりはほんのすこし沈黙したのち、ヘンリーさんのほうが口を開きました。
「であろうな」
「え?」
「よい。気にするな。今、この時を以て交渉は決裂したのだ。
したがって、この場において我が貴様ら敵を、
生きてここから帰すわけにはいかなくなった」
ヘンリーさんは立ち上がると、座っていた槍をまっすぐに戻し構えました。
ぴりぴりと肌を焼くような圧力に、私はまともに顔を見ることすらできません。
纏っている雰囲気がさきほどまでとは段違いです。
私は急いで魔力を目と脚と腕に集中させました。
「ヘンリー殿、今からでも遅くはありません。どうかお考え直しを……!」
「考え直して、どうなるというのだ。
記憶を消し、仮初の人格を植え付けられ、傀儡のように生きろと言うのか」
「それは……! 私も共に代案を考えます! だから――」
「……構えよアルベリック。我は無抵抗の人間を貫く趣味はない」
「くっ……! なんでこんなことに……!」
「此度は加減しようなど考えるなよ、アルベリック……!」
「……わかりました。貴殿がそういうのであれば、私も全力でいかせていただきます」
突如、アルベリック様の周囲に無数の黒い剣が出現しました。
これこそが噂に名高いアルベリック様の能力、剣影。
スラット領騎士団長の本領発揮です。




