プロローグ アタル
ひとりの男の話をしよう。
彼の名は吉藤亘。
平日は仕事に忙殺され、
貴重な日曜・祝日は上司からの呼び出しに戦々恐々としている26歳会社員。
〝貴重〟とは言いつつも、
彼には大っぴらに喧伝するほどの大層な趣味はない。
大体は1Kの賃貸で、粗雑に畳まれた布団を枕替わりにし、
独りライトノベルを読み耽ったり、
スマホゲームでレベル上げや素材を集めて無為に過ごすだけ。
だが極稀に、
「このままではダメだ」と突然奮起し、
何か生産性のある趣味や、自己の成長に繋がる物事に取り組もうとする。
しかし結局、
日曜夕方に放映されている国民的アニメを見終わる頃には、
「まあ、このままでもいいか」
と有耶無耶にし、月曜を迎える。
それが彼の日常だった。
しかし、今朝はすこし違っていた。
彼はその日、
朝早くから営業している本屋で、
週末に読む予定だった新作のライトノベルを買いそびれ、
毎朝利用しているコンビニで一番安いホットコーヒーを買わず、
毎朝すし詰め状態で乗っている通勤特急には乗らなかった。
要するに、
彼はその日、
寝坊をしたのだ。
結果、
普段乗らない電車に乗り、
普段通らない薄暗い路地裏を通り、
普段聞かないような女性の叫び声を聞いた。
退屈な日々に別れを告げ、英雄として持て囃されたかったのか。
枯れ木が如く細い体の暴漢を、彼は脅威と感じなかったのか。
それとも、ただ単に襲われていた女性が彼のタイプだったのか。
いずれにしろ彼は――
無用で、無謀な正義感を振りかざした者の末路は、
死だった。
腹部に致命的な傷を負わされ、血を失い、
吉藤亘はそのまま帰らぬ人となってしまったのであった。
◆◇◆
以上が彼に与えられた物語であり、
これより彼、または彼女から語られるのは、
そんな彼らの第二の人生についてである。