10話 【俺】とアズモディアスのウソホント
結果から言うと、イヴは拍子抜けするほどあっさりと見つかった。
姿を消していたのも、どうしても村が気になり、様子を見に行こうとしたからだった。
気絶していた俺を放っておくなんて……と薄情に思うかもしれないが、
それほどイヴはアズモディアスの治癒魔法を信頼していたのだろう。
しかし、俺からある程度離れたところで急に進めなくなり、
途方に暮れていたところに俺からの念話が入ってきて戻ってきたというのが経緯。
「キミがイヴちゃんスね。よろしくっス」
あさっての方向へ気さくに挨拶するアズモディアス。
なんとなく予想はしていたが、魔王にも人魂は見えていないらしい。
『こ、こちらこそ、よろしくお願い致します!』
片や、緊張した面持ちで挨拶を返すイヴ。
話によればイヴの村は、このアズモディアスが自治を担当している領なのだとか。
要するにイヴからしてみれば、雲の上の存在と話していることになる。
緊張するのも仕方ないだろう。
「こっちこそよろしくな。……とイヴも言っています」
ちなみに姿が見えていないのだから、もちろん声も届いていない。
ふたりが会話する際はこうして、俺を間に挟んで通訳のようにしなければならない。
「お、イイっスね。誰かさんと違って気さくじゃないっスか」
『きちんと敬語で伝えてください!』
だからこのように、すこしでも意訳するとイヴから猛烈に抗議をくらってしまう。
『あ、あの……それで、アタルさん』
その必要もないのに、イヴはわざわざ耳打ちするように話しかけてくる。
『ああ、わかってる』
あの一団や天使の件もあり、村の様子が気になって仕方がないのだろう。
実際、イヴは俺の無事を確認したあと、
ひとりでどうにか出来ないものかと、あちこち動き回っていたみたいだし、
俺も今すぐ様子を見に行く案には賛成している。
幸い俺の体調もアズモディアスの治療で万全だからな。
「あの、アズモディアスさん」
「なんスか?」
「色々と助けていただいたところ大変恐縮なのですが――」
「許さないっスよ」
「……え?」
今までヘラヘラと半開きだったアズモディアスの口が、キュッと直線に結ばれる。
「ああ、いきなりすまねっス。あたしの勘違いっスかね?」
「か、勘違いって……?」
「いやあ、ひょっとしてイヴちゃんとアタルくんってば、
そんな状態のままどこか行くつもりなんじゃないかって思っちゃって」
アズモディアスの言葉に、俺とイヴの視線が交差する。
わざわざ勘違いのフリまでして、二度にわけてくぎを刺しにきたってわけか。
どうやらこの魔王様は、俺たちにここから動いてほしくないようだ。
とはいえ、イヴの為にもここで素直に引き下がるわけにもいかない。
「……理由を聞かせていただいても?」
なぜそのようなことを――なんて、まどろっこしい駆け引きはしない。
率直に尋ねる。
あえて言い終えるよりも先に潰しに来るくらいだ。
おそらくアズモディアス側は俺に有無を言わせるつもりはないのだろう。
「あたしがちゃんと治すって決めたからっス」
治す?
頭はすっきりしているし、体調もどこも悪くない。
目に見える外傷もきれいさっぱり消えている。
脚に至っては縫合跡どころか、
元々切断なんてされていなかったと思うほど完璧に治療されている。
「治って……ますよね?」
俺が遠慮がちにそう言うと、アズモディアスはわざと肩を竦めてみせた。
「してないっスよ、完治」
「いや、でも……」
たしかに俺は無茶な魔法の使い方をした。
その反動でこの体がどうなっていたっておかしくはない。
じつは俺が気づいていないだけで、体のどこかに異常をきたしている可能性もある。
しかし、現に俺はどうもなっていない。
だからこそ先を急ぎたい。簡単な話だ。
アズモディアスの気遣いはありがたいが、それはただの取り越し苦労で――
「……本当ならね」
そう言ってぽりぽりと頭を掻くアズモディアス。
やがて彼女は、まるで子どもに言って聞かせるような口調で話し始めた。
「本当ならここであたしが鎮痛魔法を解いて、
発狂するほどの痛みにのたうち回るアタルくんに対して、
ね? 完治してないっしょ? ……とか言うのは簡単なんスよ」
「ち、鎮痛魔法……?」
「そ。痛みを和らげる魔法……というよりは、感覚を鈍らせる魔法スね。
さっき結構強めに足触ってたんスけど、くすぐったいだけだったでしょ?」
そういえば脚を動かせないほど強く掴まれたのに、痛みは感じなかった。
その後いろいろと触られたが、ゾクゾクとこそばゆかっただけだ。
「なのであたしとしては、出来るならそういうやり方はしたくないんスよ」
脅しか、ハッタリか、現時点の俺には判断しかねるが、
アズモディアスにはなにか妙な迫力と説得力のようなものがある。
「あたしにそんなこと、させてほしくないなあ?」
……ここで一番致命的なことはアズモディアスと敵対することだ。
もし鎮痛魔法などというものが本当にあるとして、
ここでそれを止められれば、村に帰るどころではなくなってしまう。
ただ、それが嘘だとしてもアズモディアスは俺をここから帰さないだろう。
もちろん力づくは論外。
ならば――
「折衷案を探しませんか?」
「折衷案スか?」
「はい。俺たちは村へ戻りたい。アズモディアスさんは俺をここから動かしたくない。
一見、交わらない意見のように思えますが、俺たちが話すのはさらにその先……」
「というと?」
「お互いの絶対に妥協したくない点と、お互いに妥協してほしい点を言い合うんです」
「ふむ、なるほど。お互いに線を引きあって、その線の中でやれることを探っていくと」
「そうです。……いかがでしょうか?」
「うん、面白そうっスね」
間髪入れずに了承してくれるアズモディアス。
内心、却下されるかどうかドキドキだったし、もしこれも却下されたとなれば、
いよいよどうしようもなかったが、これでひとまずは安心だ。
「じゃあ、まずはあたしからいいっスか」
「もちろんです」
「絶対譲れない条件としてあたしは、ここを動きたくないっス」
なんとなく予想していたが、アズモディアス自身この議論には乗り気なものの、
意見を曲げることも、主張を譲るつもりもないらしい。
まあいいさ。それでもやりようはある。
「無理を承知でお尋ねしたいのですが、それを妥協することは?」
「ないっスね」
「ではなぜ、ここを動きたくないかを話してもらうことは可能でしょうか?」
「アタルくんにここを離れられると、鎮痛魔法が切れてしまうからっス」
「つまりその魔法には有効射程距離……みたいなものがあると」
「そス。てかアタルくんも魔法使うんだから、それくらいは知ってるスよね」
「まぁ……」
どんな魔法にも基本的に有効射程距離というか、効果適用範囲がある。
込める魔力によって距離は増減するものの、それはあくまで術者依存。
つまり限界があるのだ。
さらに今回の鎮痛魔法はその名前から察するに、おそらく治癒魔法の類だろう。
治癒魔法というのは、俺が使った火や水を飛ばす大雑把な魔法とは違い、
繊細な魔力のコントロールと、ある程度体の構造を知っておかなければならない。
要するに、治癒魔法を使う場合、基本的に術者は被術者の傍にいなければならない。
だからアズモディアスがここを動きたくない、動けないというのも納得できる。
「なら俺の……イヴの村までついてきてくれませんか?」
さあ、ここからが本当の交渉だ。
折衷案を提案した時からこういう流れになる事はある程度予測できた。
点滴を体から外せないのなら、そのまま持っていけばいい。
このまま俺の案に乗って、村までついて来てくれるならよし。
もしついて来てくれないのであれば、また追加で交渉材料を提示すればいい。
なに、金を吹っ掛けられても、あとで村にある財源からいくらか拝借すればいいだけだ。
さすがに領主ともあろう者が、
ひとつの村でも賄えないほどの法外な金額を吹っ掛けてくるとは思えない。
村も村で、その一大事を救ってくれた領主相手に金を出し渋りはしないだろう。
「それも……まぁ、無理かなぁ……」
「下世話な話で申し訳ないですが、お金ならなんとかします」
「だから、そういう問題じゃないんスよね」
「……え?」
「そもそも最初からアタルくんに何かをたかるつもりなんてないっスよ。
あたしを見くびらないでほしいっス」
「じゃ、じゃあなんで……?」
「この場所だからいいんス」
アズモディアスが両手を広げ、夜空を見上げる。
「ここって……この穴のことですか……?」
「そス。あいにくあたしってば普段魔法を使うような生活してないんで、
死にかけた人間ひとり助けるにもいろいろと難儀しちゃうんスよね」
「死にかけたって……」
そんなにやばかったのか、俺。
「アタルくんの元いた世界の魔法がどういう原理だったかはわかんないっスけど、
この世界だと魔法を使い過ぎたら、術者の体は消えてなくなるんスよ」
「き、消えて……なくなる!?」
魔力切れとは体内にある魔法を構成する要素が無くなるということ。
つまり魔力が切れて、体も消えるという事は――
「この世界の人間の体は……多少なりとも魔力で構成されている……?」
「そ。さすが理解が速いっスね」
魔力という物質は人体において必要不可欠なものではない。
だから魔力が無くなったからといっても、すこし体がだるくなるだけ。
……とジジイからは聞かされていた。
しかし、その常識はこの世界では通用しない。
「だからこうして、誰かさんが起こした魔力暴走で漏れ出た魔力を使って、
今もなんとか治療してるって感じなんス」
「だから、ここを動くこと自体が出来ない……」
「何度もそう言ってるんスよ」
べつに意地悪で言っているわけでも、見返りを要求しているわけでもなく、
この魔王はただ俺を、イヴを救いたいからここを動けないと言っているのだ。
「でも大丈夫。朝までにはきちんと治すっスから」
アズモディアスはそう言うと、口角をすこしだけ上げて優しく笑ってみせた。
「それと、村のほうも安心していいっスよ」
「安心……って……」
「ふたりが……というか、イヴちゃんが村に帰りたい理由、なんとなく察しはついてるっス。
ヘイフォーク村のことっスよね?」
ヘイフォーク村。
たしかイヴの村の名前がそんなんだったような……。
俺がイヴにちらりと視線を投げると、イヴはゆっくりと頷いて返した。
「あれ? 違ったっスか?」
「い、いえ、ヘイフォーク村であってるみたいです」
「よかった。それでそのヘイフォーク村なんスけど、特に何も問題はなかったっス」
「そ、そうなんですか?」
「ここに来る途中、村の近くを通ったんスけど、べつに様子は普通だったっス」
『そ、そうだったんだあ……よかったあ……』
溜飲が下がったのだろう。
アズモディアスの言葉を聞いたイヴの表情がぱぁっと明るくなる。
「それに、あたしの部下も既に村に向かってるっスよ」
「部下? ここへはアズモディアスさんおひとりで来たのでは?」
俺が何気なくそう言うと、アズモディアスの体が一瞬揺れる。
「……おや? 気絶している間に何が起こったのかって、イヴちゃんから聞いてない?」
「ああ、そういえば……」
たしかにそのことに関しては、誰からも特に何も聞いていなかったな。
『あれ、私もてっきりアズモディアス様から聞いているものだと……』
どうやらふたりに行き違いが起きていたようだ。
……と言いたいが、そもそもの話、俺が話を訊かなかったのが悪い。
「そうだ。朝までまだ時間もあるし、何か聞きたいことがあるなら話すっスよ」
「え? えっと、そうですね……」
改めて急に言われてもすこし困るな。
ラファヤが俺を無害認定したあと、そのまま徒歩で帰ったことは知っている。
そのあとおそらく俺を治療する為にアズモディアスがここに残り、
部下をヘイフォーク村へ向かわせたこともなんとなく想像はつく。
他に気になる事といえば、やはり――
「その、いちおう魔力暴走自体は……起きてたんですよね?」
「うん、すごい爆発だったっスね」
実際、こんなクレーターも出来てるし、
アズモディアスもその時漏れ出た魔力を今もこうして使っている。
それだけに、へこむ。
あそこまで苦労して、考えて、その時出し得る最大火力を叩き込んだのに、
結局は無害認定までされてしまったのだ。
そして、おそらくラファヤは最後の最後まで本気では戦っていなかった。
でもそこまでの力がないと、異世界のチート持ちの勇者なんて殺せるわけないもんな。
今になって思えば、あの炉心溶融でさえも本当に出せたかどうか怪しい。
「ちなみにあたしのほうからも訊きたいことがあるんスけど」
「どうぞ……」
「最後のほうよくわかんなかったんスけど、爆発の決め手になったのって……」
「ラファヤの魔法ですよ」
「そこを詳しく」
なんか、やけに食い下がってくるな。
こっちはもう思い出したくもないってのに。
しかし、命の恩人の願いを無下にするのも忍びない。
これで恩が返せるとは思えんが、ここは気の済むまで付き合ってみるか。
「……あのまま火の玉をぶつけても、爆発なんて起きなかったんです」
「あれ? そうなんスか? じゃあなんで必死になってあんなの作ったんスか」
「あれはあくまでハッタリであり、餌でした。
実際、あんな弱い魔法ぶつけたところで魔力暴走は起こらなかったと思います」
「へえ、大きさからしてそれなりの威力に見えたんスけどね」
「まぁ、あくまで魔力暴走というのはイレギュラーな現象ですから。
本来、ちょっとやそっとの衝撃じゃ暴走しないんですよ。
……それに本命は、その餌で釣れる魔法だったんです」
「あ、じゃあもしかして、その本命ってアホ天使が火を消した時の……?」
「はい。あの火の玉、視覚的には大きかったので、
ラファヤもそれなりの強度で相殺してくると思ってたんです」
「でないと消せないっスもんね」
「あとは水に閉じ込めていた魔力塊をその場所まで移動させ、暴走を引き起こした」
「つまりあのアホは自分が作った爆弾に自分で着火して爆発させたってわけっスね」
愉快そうにラファヤを嗤うアズモディアス。
なんやかんや同じ方向を向いてはいるけど、魔王と天使ってやっぱ今も仲悪いんだな。
「……それにしても、そこまでハッキリと見ていたんですね」
「ま、あたしも気になってたっスからね。炉心溶融の使用者については」
なるほどな。
あの天使はこの世界の秩序の為に来ていたが、
この魔王は野次馬根性丸出しで、面白半分で来ていたというわけか。
まぁ、今回はその好奇心に救われたわけだが。
「……あれは、本当に俺が使ったんでしょうか?」
「実際に見てないからなんとも言えねっスけど、
あのアホは使ってないと思ったから帰ったんじゃないっスか?」
「はぁ……そうですよね……」
盛大に二度へこまされたところで、今度はアズモディアスが大きく伸びをする。
「……眠たいっス。お話はもう終わりにしていいっスか」
「自由だな」
とツッコんでみたものの、俺も知りたいことはほとんど聞いた気がする。
それに――
「ふぁ……」
魔王の眠気が感染ったのか、俺もなんだか眠くなってきた。
「アタルくんも眠かったらもう寝ていいスよ。そのほうが回復も早くなるスからね」
「そうですね。じゃあお言葉に甘えて……」
そう断りをいれたところで俺は改めて横になり、目を閉じた。
だが、あとになって、ここで俺はきちんと考えるべきだったと後悔する。
あんなにも殺意に満ちていた天使がなぜこうもあっさりと引き下がったのかを。
そして、なぜイヴがこの時ずっと黙っていたかを。
そうしていれば少なくとも――
イヴの村は滅んだりなどしなかったかもしれない。




