肯定か、否定か
エテルノの提案で男子寮の第二談話室へやって来た莉羅は、大変なことになったな、とため息をついた。
「ここは個室だし防音対策もちゃんとしてるから、他の人に聞かれる危険性はないよ」
「あ、うん」
莉羅は一人がけのソファーに座りながらうなずいた。そこの心配は特にしていなかったが、誰かに聞かれたらまずいのはたしかだ。
エテルノは莉羅の対面にあるソファーに腰かけると、いつも通りのポーカーフェイスで莉羅を見た。
「それで、さっきの答えなんだけど」
「……」
さてどうしよう、と莉羅は必死に頭を回した。もちろん、表情は取り繕っている。
正直、莉羅は本当のことを話してしまってもいいと思っていた。彼はともに編入試験を乗り越えた仲間だし、一度疑われた以上、否定すれば今後も怪しまれ続けてしまうことになるからだ。
しかし、問題は『エテルノが莉羅の話を信じてくれるのか』だった。
魔法界での、異世界人への理解がどのくらいなのか、莉羅はそれを全く知らない。そもそも、異世界という概念がこの世界に存在するかどうかすら曖昧だ。
そう考えると、たとえ試練を一緒に突破したエテルノであっても、真実を口にするのはためらわれる。
けれど、『いつ魔法界へ来たのか』と、明らかに莉羅の素性がバレているような質問を投げかけられた今、とぼけるのも逆効果な気がしていた。
肯定か、否定か。はたまた「なんのこと?」とはぐらかすか。
三つの選択肢に頭を悩ませた結果――莉羅はとりあえず、聞き返してみることにした。
「……ちなみに根拠は?」
「二つあるよ」
即答である。あらかじめそう聞かれるだろう、と予想していたらしい。
エテルノは莉羅から目を逸らさないまま、ゆっくりと話し出した。
「一つ目は、莉羅の纏っている魔力のこと。隠してるつもりなんだろうけど、その魔力って、君のものじゃないよね」
「……まあ」
莉羅はこくり、とぎこちない首肯を返す。エテルノは表情を変えることなく続けた。
「と言うことは、君の魔力量は限りなくゼロに近いってことが分かる。この世界の人たちには、基礎魔法なら余裕で使えるくらいの魔力が等しく与えられているから、莉羅は魔法界で生まれたわけじゃないのかなって思ったんだ」
莉羅が思っていた以上に、エテルノという人物は聡明だったらしい。ほとんど答えとも言える仮説に、莉羅は思わず拍手しそうになった。
そんな莉羅の気持ちも知らず、エテルノは右手の人差し指と中指を立てて、ピースサインをつくった。
「二つ目は、編入試験の時のこと。君は魔物について知らないようだったし、ところどころ不思議そうな……初めて見聞きしたかのような、そんな表情をしていた」
「あー……はい」
見られていたのか、と莉羅は脱力した。上手くごまかしたつもりだったが、長寿のエルフにはお見通しだったようだ。
「どっちもあまり強い理由ではないけど……その質問をしてきたってことは、合ってるって解釈でいい?」
「……」
エテルノは、もう何もかも分かっているのかもしれない。自分で自分の首を絞めたのは莉羅の落ち度だが、どのみちバレるのも時間の問題だろうな、と莉羅自身も予感はしていた。
――なら、もういいんじゃないだろうか。
莉羅は息をつくと、エテルノに一つだけ問いかけた。
「……確信した時、どう思った?」
心臓がどくどく、と激しく脈打つ音が聞こえる。かつてないくらい、莉羅は緊張していた。
結局、莉羅は怖かったのだ。さっきエテルノに本当のことを話そう、と決心したばかりなのに、もう怖じ気づいてしまっている。
真実を伝えた時、もしかしたら幻滅されるかもしれない。頭おかしいんじゃないの、と軽蔑の目を向けられるかもしれない。
――もう、莉羅と話してくれなくなるかもしれない。
そんなことばかりが頭に浮かんで、知らず知らずのうちに、莉羅は唇を強く噛みしめていた。
だが――そんな莉羅の心配をよそに、エテルノは淡々と首を横に振った。
「別になんとも。転移魔法だってあるし、莉羅みたいな人が一人くらいいてもおかしくはないかなって、前から思ってたし」
「あ、そうなんだ……」
無意識に詰めていたらしい息を吐く。エテルノが莉羅に対して嫌悪感を抱いていないことが分かった途端、身体中から力が抜けた。
「よかったー……」
「うん。驚いてはいるけど、幻滅も軽蔑もしないから」
「ありがとうございます……」
エテルノに出会えてよかった、とこの場にいないであろう神に向かって頭を下げる。莉羅は、都合のいい時しか神様を信じないタイプだった。
「でも、一つだけ不思議なことがあるんだよね」
「……不思議なこと?」
顔を上げた莉羅に、エテルノは眉をひそめながらうん、とうなずいた。
「初めて見る事例だけど――何者かによって、『精霊の加護』が譲渡されているみたいなんだ」
「譲渡……って、わたしに?」
「そう。普通ではあり得ないことだよ」
その言葉に莉羅は目を丸くしたが、すぐに首を傾げてエテルノに尋ねた。
「あの、『精霊の加護』って結局なんなんでしょうか」
「……ああ。だから図書室に行ったんだっけ」
「そんなところです」
エテルノはゆったりとした動作で足を組み、莉羅にも分かるように説明してくれた。
「簡単に言えば、精霊たちに愛されている証ってこと。『精霊憑き』とか『精霊使い』とも呼ばれるけれど、加護を持つ人間は人並み以上の魔力を手に入れるし、本来なら俺たち精霊族しか使うことを許されていない『精霊魔法』も、行使することが出来るんだ」
魔力量が多ければ、上級魔法も簡単に会得することが可能だ。他にも魔法の持久力が上がるなど、魔力が高いことには色々なメリットがついてくる。
更に限られた者にしか許されない魔法も使えるとなると、魔術師としての価値や希少性も高まるのだ、とエテルノは言った。
「精霊に愛されているということは、すなわち魔法に愛されているということ。『精霊の加護』は、魔術師にとって大きなアドバンテージとなるんだよ」
「なるほど……」
やっぱり莉羅にとってはぶっ飛んだ話だと思うが、魔法に愛されている、というのはかなりありがたい。
「問題は、誰が莉羅に加護を譲渡したのか、だけど……」
エテルノはちら、と莉羅を見上げると、ふと頭上を指さしてきた。
「ねえ。その髪ゴムって、誰かからもらったもの?」
「髪ゴム……あ、これお母さんの形見です」
莉羅は一つに結い上げた母譲りの茶髪を触りながら、そう答えた。
この白い髪ゴムは、幼いころに母がくれた手作りのものだ。もう随分と前のことだから、何度も修繕した跡が残っている。
「そろそろ新しいものにしないとなって思ってて」
「……形見ってことは、もういないの?」
「うん。一か月くらい前に」
エテルノは「そう」と相づちを打つと、少しだけ考えるような素振りを見せた後、莉羅に向かって言った。
「一つ、提案があるんだけど」
「提案?」
「そう。よければだけど……魔法の特訓を、手伝わせてくれないかな」
莉羅は一つまばたきをすると、「特訓?」とエテルノの言葉を反芻した。
「編入試験の時、『基礎魔法は一通り出来るけど、他の魔法は知らないから無理』って言ってたでしょ」
「そんなこともあったような……」
多分、エテルノは自己紹介の時のことを言っているのだろう。一言一句完璧に思い出すことは出来ないが、たしかにそんなことを言ったような気がする。
「来月には合同実習もあるし、莉羅には『精霊の加護』がついてるから、『精霊魔法』の素質もあるし」
「……条件はなんでしょうか」
莉羅は神妙な顔つきでそう尋ねた。エテルノの提案は、いささか莉羅側に得がありすぎると思ったのだ。
エテルノは一瞬虚を衝かれたような表情をすると、うーん、と腕を組んで唸り声をあげた。
「特にはないけど……じゃあ、これからも俺と仲良くしてほしいな。普通の『友達』として」
「……それだけでいいの?」
「それがいいの」
大きくうなずいたエテルノに、莉羅は拍子抜けしつつも「分かった」とうなずいた。とにもかくにも、契約成立である。
ふと、エテルノが扉の方に目を向けた。
「そろそろ戻ろうか。シャーロットは?」
「先に部屋に戻るよう言ったので、多分もう帰ってきてるかと」
「そっか」
エテルノがソファーから立ち上がる。莉羅も彼の後に続いて立ち上がると、談話室から外へ出た。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
お互いに軽く手を振り合い、エテルノに背を向けて歩き出す。結構長く話していたようで、空はすっかりオレンジ色に染め上げられていた。
――もしかしたら、莉羅はエテルノの罠にかかっていたのかもしれない。
エテルノと話しながら、莉羅はなんとなくそう思っていた。
莉羅が一人になる時を待って、核心を突く質問をして、談話室というあからさまな場所に連れてきて。だからあの図書室で遭遇したのも、きっと偶然なんかではないのだろう。
最初から、莉羅の正体は今日暴かれる、と決まっていたのだ。
「……まあいいか」
茜色の空を眺めながら、莉羅はエテルノの言葉を思い出していた。
――別になんとも。転移魔法だってあるし、莉羅みたいな人が一人くらいいてもおかしくはないかなって、前から思ってたし。
この言葉に、嘘は一つも混じっていなかった。エテルノは正真正銘、異世界からやって来た莉羅のことをなんとも思っていないのだ。
それはきっと、エテルノが莉羅を信用しているからなのだろう。
「いい仲間を持ちましたな、わたし」
莉羅は囁くようにそう呟くと、上がる口角を押さえながら、早歩きで女子寮へ向かった。