合格発表の日
――白いブラウスと黒のロングスカートを着て、上に紺色のローブを羽織る。
胸元に赤色のリボンを結んで髪を一つに縛れば、莉羅の朝の準備は完了だ。
「……」
木製の時計を見ると、ぐにゃぐにゃと曲がりくねった形をした短針は、学校から指定された時間より一時間も前を指していた。
なんとなく早起きした自覚はあったが、まさかこんなにも早かったなんて、と莉羅はちょっとだけ驚く。
洗面所から寝室へ直行すると、窓側のベッドではシャーロットがまだ眠っていた。
彼女は寮に泊まった初日に「朝が苦手だ」と言っていたが、莉羅はこの二日間でそれを痛いほど理解した。簡単に言えば、シャーロットは目覚まし程度では起きられない、ということだ。
昨日までは好きなだけ寝させていたが、さすがに今日はそうするわけにはいかない。彼女を時間通りに起こすことが、莉羅の本日最初のミッションだ。
なぜなら今日は――編入試験の、合格発表の日なのだから。
◆
渋るシャーロットをなんとか準備させ、莉羅は急いで集合場所である大食堂へと向かった。
何度か行ったことがあるそこは冗談かと思うほど広くて、シャンデリアや複雑な装飾が施された椅子など、高級レストランみたいに豪華できらびやかな空間だ。
出てくるのは名前すら知らない料理ばかりで、莉羅がこの二日間でなんとか理解出来たのは、シャーロットの好物であるガレットとデザートのスコーン、あとはミルフィーユくらいだった。
「……ん?」
大食堂がある一階へ下りると、扉の手前になぜか長蛇の列が出来ていた。全員服装がバラバラだったので、並んでいるのはおそらく莉羅と同じ受験生だ。
「なにこれ」
「さあ……あ、あの人たち隣の部屋に行っちゃったよ」
列に並びながらシャーロットの視線を追うと、たしかに数人が大食堂ではなく、その左隣にあった扉へ入っていくのが見えた。薄く扉が開いていたが、中を様子見ることは出来ない。
「なんかあるのかな」
「どうなんだろうね。大食堂の方に行く人もいるし」
なんにせよ、莉羅たちはまだ並んでいる最中だ。真相は順番が回ってきてからまた分かるだろう。
莉羅はふわ、と一つあくびをこぼすと、とりあえず自分たちの番が回ってくるのを待った。
◆
「次、お名前をどうぞ」
ようやく、莉羅とシャーロットの番がやって来た。二人は受付らしい若い女の人に、自分たちの名前を伝える。
女の人は莉羅たちの名前を聞くと、手にしていた杖を一振りして、目の前の机に置かれた冊子を魔法でめくり始めた。
受験生の名簿か何かなのだろう。そこに合否が書いてあるのかな、と、莉羅は少しだけ緊張した。
「……では、お二人は大食堂の方へ移動してください」
女の人が杖を下ろしながらそう言った。数秒後、隣のシャーロットが「はい」と静かにうなずく。
莉羅もなんとか返事をすると、右側にある大きな扉――大食堂へ向かった。
「……受かったってことでいいのかな」
扉を開ける直前、シャーロットが手を添えたままそう尋ねてきた。
「……」
莉羅は無言でシャーロットの横顔を見上げる。表情こそいつも通りだが、声が震えている気がした。
――学校側がどう判断したのかは分からない。
けれど、やれるだけのことはやったのだ。
エテルノとシャーロットは前衛で宝石を集めてくれたし、アレスとカインも二人の援助をたくさんした。
莉羅だって戦闘には参加しなかったが、宝石のルールと攻略法に気がつくことが出来たのだ。
全員で頑張った編入試験。莉羅は自然と、落ちる気がしなかった。
だから――
「大丈夫だと思うよ。わたしたちなら」
莉羅は隣に立つ友人に、そっと笑いかけた。
◆
扉を開いて中に入った途端、どこからか「リラ! シャーロット!」と名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声に周囲を見回すと、奥の方のテーブルで、誰かがこちらに手を振っているのが見えた。アレスだ。
「先に来てたんだ」
シャーロットが近寄りながらそう言えば、アレスは満面の笑みでうなずいた。五人がけのテーブルには、アレスとカイン、そしてエテルノが座っている。
莉羅たちが座った時には、既にほとんどのテーブルが埋まっていた。
「試験のグループごとに座れってさ」
「ああ、なるほど……」
莉羅は再び周囲を見渡した。見覚えのない人たちばかりだが、みんな親しそうに何か話している。
――見覚えのない人たちばかり?
「……」
莉羅は目を見開いた。何かがおかしいことに、今やっと気がついたのだ。
――編入試験を受けるため、標識が示した場所に集まった時、そこにいた人数は莉羅を含めておよそ百人くらいだった。
だが、大食堂に集まっている人数は明らかに百人を超えている。仮に莉羅たちが落ちていた場合、ここにいるのは残りの七十人になるはずだ。しかし蓋を開けてみれば、莉羅が見た人数より多くの人が集まっている。
いや違う、と莉羅は小さく首を振った。
大食堂の人数だけではない。そもそも、莉羅たちが並んでいたあの大行列もおかしかったのだ。
暗記が得意な莉羅ですら見たことがない人たちが、一人や二人どころではなく大勢いる。これはどう考えても異常事態だ。
そんな微かな異変に気づけなかったのは、きっと莉羅とシャーロットが、試験の合否に囚われすぎたせいだろう。
そこは完全に莉羅の落ち度だが、まだ分からないことが一つだけあった。
――ここにいる人たちは一体何者なのか、だ。
「リラ?」
シャーロットが莉羅の顔を覗き込んだ。莉羅が険しい表情をしていることに気がついたのだろう。
返事をしようと莉羅が顔を上げた時、対角線上に座っていたエテルノと目が合った。
その何もかもを見透かしたような視線に、彼も自分と同じことに気がついたのだ、と莉羅は察する。
「あの……」
莉羅がそう声を出した瞬間――大食堂の最奥が光り輝いて、二人の人物が姿を現した。
若い男の人と女の人だ。どちらも似たような顔立ちに、似たようなデザインのローブを羽織っている。
「――先の編入試験、ご苦労様でした」
男の人がそう言って、軽く頭を下げた。その拍子に、彼の明るい茶髪がさらり、と揺れる。
「ここにいる皆さんは、約五百人の受験生の中から生き残った『選ばれし魔術師の卵』です」
ぐるり、と莉羅たちを見回しながら、今度は女の人が言った。
「選ばれし魔術師の卵……?」
シャーロットが首をかしげる。莉羅もなんだろう、と思いながら、黙って続きを待った。
「そう。この場に集いし百二十人こそ――今年の、栄えある編入試験合格者です」
「えっ?」
誰かが戸惑ったような声をあげた。それを皮切りに、少しずつ大食堂が騒がしくなる。
その困惑はおそらく合格者のことであり、そして、男の人が言った『百二十人』のことだろう。
「百二十人……先生の話とだいぶ違うね」
「ああ。四倍の数だぞ、百二十って」
シャーロットとアレスが顔を見合わせた。カインも「どういうこと!?」と一人で混乱している。
「……」
莉羅がエテルノを見た時、不意に女の人が懐から小ぶりの杖を取り出し、それを一振りした。
すると、テーブルの中央がパッと発光し、一枚の羊皮紙が宙に浮かび上がった状態で現れた。それは静止したままゆっくりと回転していて、テーブルに座る全員が見られるようになっている。
「あ、ここ……」
カインが紙を指さして声をあげた。だが羊皮紙はずっと回転しているため、カインが具体的にどこを指したのかは分からない。
けれど、彼はきっと一番上に書かれていた『合格』の文字を見てほしかったのだろう。
その下には賛辞の言葉と、複雑な形をした緑色の紋章があった。
「クラスだね」
エテルノが静かに呟く。彼の言葉に、シャーロットが「へー」と紋章を見つめながら相づちを打った。
「俺たちは『ヴェルトクラス』だってさ」
アレスが腕を組みながら言った。
「ヴェルト……」
莉羅が好きだった某魔法映画では、クラスの組分けではなく、四つの特殊な寮が登場していた。それぞれに大きな特徴があって、誰がどの寮に入るのか、しゃべる帽子を被って決めるのだ。
帽子が被れないのは残念だな、と莉羅は少しだけ肩を落としながら、回る合格通知書を眺めた。
「――編入試験は、五百人を四つのグループに分けて、それぞれが鉢合わせないよう調整しながら行われていました」
全員が紙を確認し終えたところで、女の人が凛とした声音で話し始めた。
「グループの中で合格するのは三十人……それが四つあるため、今年の合格者は総勢百二十人となるのです」
「……なるほど」
だからか、と莉羅は理解した。ここにいる人たちは莉羅と同じ合格者で、別エリアにて全く同じ試験を受けていたのだ。見覚えのない人たちばかり、というのにも納得がいく。
そしておそらく、同じエリア同士の合格者三十人が一つのクラスとなっているのだろう。テーブルごとに一枚しか配られなかった合格通知書がその証拠だ。
「それでは、説明も全て済みましたので……今から、新入生歓迎会を開催したいと思います」
男の人が笑顔でそう宣言し、隣に立っていた女の人が杖を振った瞬間――テーブルの上を漂っていた羊皮紙が消え、代わりに大量の料理が目の前に現れた。
「ひっ!」
「おー、美味そう!」
カインがびくっと肩を震わせ、同時にアレスが目を輝かせる。
見たことのない料理ばかりだったが、アレスの言う通りなんか美味しそうだな、と莉羅のテンションもちょっとだけ上がった。
「机上の料理は好きなだけお召し上がりください。それでは改めまして――ご入学、おめでとうございます」
二人がそう言って頭を下げた途端、受験生――いや、新入生たちによる盛大な拍手がまき起こった。
「合格できてよかったね」
一緒に手を叩いていたシャーロットが、微笑みながら莉羅に話しかける。
「……」
莉羅は一瞬だけ目を見開くと、うん、とうなずいた。
こうして、莉羅の編入試験は、美味しい料理と頼もしい仲間とともに幕を下ろした。
そして――怒涛の学校生活が、今まさに始まろうとしていた。