弱点
「はっきり言って、今の莉羅じゃシェイドには勝てないよ」
特待生選考試験への出場者が決まり、それに向けての特訓を始めてから三日が経った頃、エテルノは莉羅にそう言った。
「……ごもっともです」
シェイドとの力量差を自覚していた莉羅は、エテルノの辛辣な一言にも素直にうなずく。
この三日間、エテルノの厳しい特訓をなんとかこなしてはいたが、それでもシェイドには届かないだろうということは、さすがの莉羅でも分かっていた。
「ちなみにだけど、エテルノならアイツに勝てそうか?」
カンパヌラをブラッシングしていたアレスが、エテルノにそう尋ねる。その隣で水分補給をしていたシャーロットも、「たしかに気になる」とうなずいた。
「俺はシェイドと実際に戦ったことがないから、正確なことは言えないけど……まあ、生きてる年数が違うからね」
魔力量にも多少の差はあるだろうし、とエテルノは淡々と答える。それにカインが「あのシェイドに勝てるなんて」と震え上がっていた。
「ちなみに今は何歳で……」
「それは特訓に関係ないでしょ。また今度ね」
「……はい」
なんかわたしにだけ厳しくないか、と軽く肩を落としつつ、莉羅は大人しく杖を握り直した。こういうときは変に言い返すのではなく、黙って従っておくのが得策である。
エテルノは莉羅に向き直ると、まるで子どもに言い聞かせるような口調で言った。
「話を戻すけど──莉羅は精霊魔法を使い始めてまだ間もないからね。授業で習った攻撃魔法とか基礎魔法とかの方が、きっと上手に使えると思う」
精霊魔法は使用者を選ぶ。だからその分、他の魔法より多くの『慣れ』が必要だ。
一般的な精霊憑きはまだ幼いころに加護の力が発現するため、身体の成長とともに自然に身体が精霊魔法に慣れていく。
けれど、つい半年前まで魔法すら存在しない世界に住んでいた莉羅には、その普通が通用しない。よほどの才覚がない限り、今のシェイドに追いつくことはほぼ不可能だ。
「とは言っても、シェイドはきっと授業態度も優秀だろうから、莉羅にとっては魔王レベルの強敵になるんじゃないかな」
「魔王……」
それはかなり手強いのでは、と莉羅は杖を持ったまま、自分の身体を抱き込むように二の腕を掴んだ。
学年トップの成績を修める優等生なんて、まだ魔法を使って一年と経たない莉羅が戦えるような相手ではない。それこそエテルノやユーリのような魔術師でなければ、勝つことはかなり困難だ。
「普通はレベルを調整して、それから敵と戦うんだろうけど、今回はそうもいかないからね。……こういうとき、莉羅ならどう対策を立てる?」
「え? えーっと……」
自分より強い相手と戦う方法。もしこれがゲームの話だったら、回復薬やらステータス上昇の魔法やらを駆使して賢く戦う、なんて答えただろうが、あいにく莉羅は、まだ大怪我を一瞬で治す回復薬の調合の仕方も、身体強化の魔法も知らない。
だったら──。
「……相手の弱点をつく、とか」
属性の相性や、苦手とする攻撃の型を研究し、相手が嫌がる戦法をとる。それが、今の莉羅に考えられるたった一つの方法だった。
エテルノは莉羅の回答を聞くと、満足そうに微笑んだ。
「うん、そうだね。相手をよく知って、得意なことと苦手なことを事前に把握しておく。それが、圧倒的な力の差に対抗するための秘訣だよ」
無知より恐ろしいものはない。だから対象をよく知って、すべて理解した上で挑む。そうすればきっと、打開策は見つかるはずだ。
「シェイドの弱点かー。あいつ、噂だけでもかなり強いって話だからね」
シャーロットが剣を地面に突き刺し、それにもたれかかりながら言った。カンパヌラのブラッシングを終えたアレスも難しい顔をしている。
エテルノはそんな彼らの方を振り返ると、隅で縮こまっているカインに問いかけた。
「ねえ、カイン。君から見て、シェイドの防御魔法の改善点はなんだと思う?」
「えっ、ぼ、僕!?」
まさか話しかけられるとは思っていなかったらしいカインは、ものすごい速さで姿勢を正し、そして何故か正座でエテルノに向き直った。
「えっと、その……シェイドの防御魔法は、一定以上の強度があって、応用も利くし、速い魔法にも対応できて、隙がないように見えるけど……強いて言えば」
特徴を指折り数えながら、カインはそこで一度言葉を区切った。するとすかさずアレスが「強いて言えば?」と続きを促す。
「し、強いて言えば……広範囲の魔法を防ぐときに、ちょっとだけ粗が見えるんだ」
いわく、シェイドはより広い範囲の攻撃を防ごうとするあまり、防御魔法にわずかな隙間が出来るらしい。
「範囲が広い攻撃魔法は威力が分散しやすいから、多少の隙間があっても防げるんだけど……そこの一点を狙っていけば、もしかしたらシェイドに勝てるかもしれない」
「おお……さすが」
防御魔法に特化したカインだからこそ見抜けたシェイドの弱点に、莉羅は素直に感心した。シャーロットとアレスも「気がつかなかった」とカインに拍手を送っている。
「お見事だね、カイン。ありがとう」
エテルノにも褒められ、カインは照れくさそうに、けれど嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、莉羅。対シェイド用の作戦を練って、その後は実践といこうか」
選考試験まではもう一週間もない。早めに仕上げなければ、莉羅の特待生入りは絶望的だ。
エテルノの言葉に、莉羅は「分かりました」と重々しくうなずいた。
◆
「シェレツィア!」
莉羅が呪文を唱えると、目の前に大きな魔法陣が現れ、そこからまばゆい光がシェイドめがけて放たれた。まるで大砲が撃たれたような轟音が響く。
広範囲の魔法は失格対象だが、莉羅はこれまでの戦いで、失格の基準は案外適当なのだということに気が付いた。だからこの魔法も許容範囲内だ。多分。
「エンファーリア」
シェイドが防御魔法で莉羅の攻撃を受け止める。莉羅の魔法は防御魔法に阻まれ、勢いはそのまま左右の壁に流れていった。
莉羅がよく目を凝らすと、カインの言った通り、シェイドの防御魔法にはかすかに小さな穴が何ヵ所かあった。あれが隙間というものなのだろう。
防御魔法はその名がつくように、攻撃魔法を防ぐことを第一の目的としているため、それが達成できるのなら多少精度が落ちても特に問題はない。
シェイドもおそらくそれを分かっていて、この隙間を見逃しているのだろう。
だからそこを莉羅が突けば、それは確実にシェイドの弱点になる。
莉羅は続けざまに杖を防御魔法の隙間へと向けた。シェイドは莉羅の思惑に気付いていないのか、防御魔法を展開したまま土煙を払っている。
「ウレトス」
莉羅が杖から放ったのは、学校に入学してから最初に習った攻撃魔法だった。
カインによれば、広範囲に張った防御魔法の粗はちょっとした刺激にも弱いようで、軽く叩いただけで防御魔法全体が決壊することもあるらしい。
莉羅の放った初級魔法は、一筋の細い線となってシェイドのところまで伸びていった。
この時点でシェイドが魔法に気付いたが、それが初級魔法だと理解した途端、彼の警戒心が一瞬だけ緩くなった。
莉羅は内心でほくそ笑む。シェイドに警戒されないよう咄嗟に初級魔法を選んだが、この選択は間違っていなかったようだ。
そうして、防御魔法の粗い部分に莉羅の魔法が触れた瞬間──防御魔法全体に亀裂が走り、バキン、とガラス細工のように防御魔法が呆気なく砕け散った。
「……防御魔法が」
シェイドの目が大きく見開かれる。まさか防御魔法の粗探しをされて、しかもそれをまんまと見抜かれるとは予想もしなかったようだ。
「フェリシティア」
呪文を唱える。一瞬にして遮るものがなくなったシェイドに向かって、莉羅の精霊魔法が伸び上がった。
彼はたしかに強い。生まれつき精霊の加護を授かり、魔法の知識や技術も一級品。とても莉羅が敵うような相手ではない。
それでも、この世に完璧なんてものは存在しない。たとえ神様がシェイドに何物を与えても、少しの弱点はあるのだ。
それがたまたまカインに見抜かれて、たまたま莉羅が知ってしまい、たまたま対策を立てられただけ。ただそれだけだ。
それだけで、莉羅はシェイドの防御魔法を突破することができた。警戒を怠らない彼の、たった一瞬の隙を突けたのだ。
──かつてないほどの轟音と爆風が、部屋全体を包み込んだ。
◆
パラパラ、と砂の欠片が頭上から降ってくる。莉羅は杖を持ち直し、風魔法で辺りの煙を吹き飛ばした。
「……派手にやっちゃったかな」
周囲には崩れた柱がいくつか転がっている。あと数本倒していたら、今ごろ天井が抜けて大変なことになっていただろう。
莉羅は危ない危ない、とひとりため息をついた。
「──どうやら、俺は油断しすぎていたらしい」
そのとき、土煙の向こうから凛とした声が聞こえ、莉羅は瞬時に臨戦態勢をとった。
まさかあの一撃で倒せたとは思わないが、返り討ちだけは絶対にごめんだ。
「やるようになったな、リラ」
「……お褒めに預かり光栄です」
姿の見えないシェイドの言葉に、莉羅は警戒しながら返事をする。アレスかエテルノがいれば「褒めてねーよ」と今ごろツッコまれていただろう。
「ウィリトラル」
シェイドが風魔法の呪文を唱え、周囲の土煙が霧散する。莉羅は腕で顔をかばい、砂ぼこりが目に入るのを防いだ。
しばらくして、地上に降りたシェイドが煙の中から姿を現した。右肩を負傷しているのが分かる。おそらく莉羅の攻撃が命中したのだろう。
それを見た莉羅は、当たって良かったなと安心する気持ちが半分、確実に怒らせたなと焦る気持ちが半分わき起こった。
シェイドの本気など見たくないに決まっているが、多分もう遅い。
「フォンダーク」
シェイドが杖を真上に掲げた。瞬く間に魔法陣が顕現し、そこから無数の光の筋がものすごい勢いで飛び出す。
どん、どん、と次々に壁や床、柱に魔法が激突する音が聞こえてきた。シェイドが歩き出せば、魔法も段々こちらに迫ってくる。
あ、終わったな、と莉羅は早々に死を覚悟した。シェイドは表情こそ変わらないが、心の内では怒り狂っているに違いない。いや、絶対そうだ。
「かくなる上は……」
ぎゅっと杖を握りしめ、莉羅はエテルノに最後の特訓の日に言われたことを思い出した。
──ピンチになったときに使える、最後の切り札だよ。
シェイドにすぐに対応されることを予想して、本当に危なくなったときにしか使うことを許されていない、エテルノ直伝の奥義。
莉羅はもしシェイドに攻撃されたら、絶対にそれを使おうと決意した。そうでもしないとスカーフが奪われてしまうと思ったのだ。
シェイドがゆっくりと近付いてくる。莉羅は壁ぎりぎりまで後ずさった。
横は倒れた柱によって行く手を阻まれ、莉羅の逃げる場所は必然的になくなっていく。
が、その分魔法の範囲が限定されシェイドに当てやすくなるため、かえって都合が良いと莉羅は考えた。
落ち着いて、一つ深呼吸。少しでも変な動きをすれば、計画は台無しだ。莉羅は表情が強張らないよう細心の注意を払った。
あと十歩。九歩、八歩、七歩……。
莉羅が歩数を数えていると、不意にシェイドが杖を持つ方の手を軽く動かした。
「うわっ」
反応するより速く、莉羅の杖が弾き飛ばされる。杖は倒壊した柱にぶつかり、シェイドの足もとまで滑っていった。
──本当に終わった。
杖がなければ魔法が発動できない。魔法が発動できなければ、莉羅の勝率はぐっと下がる。
莉羅は杖を目で追って、それからそっと肩を落とした。
気を付けたつもりだった。シェイドの歩数を把握し、タイミングをよく見計らって、最大限の力で対抗しようと思った。
だが、現実はそう甘くない。莉羅は壁伝いにしゃがみこみながら痛いほど理解した。
やっぱり、シェイドに勝つなど百年、いや千年早かった。
「……ここまでか」
シェイドが莉羅の目の前で立ち止まり、緩慢な動きでしゃがみこむ。杖で身体を支え、もう片方の手を莉羅の方へ伸ばした。
おそらくこの後、莉羅はシェイドの魔法で動けなくされて、文字通り手も足も出なくなった状態でスカーフがとられるのだろう。彼ならやりかねない。
シェイドの手がどんどん伸びてくる。莉羅は力いっぱい目を瞑り、来るであろう衝撃に耐えようとして──。
「…………あれ?」
けれど、予想していた攻撃は一切来なかった。
その代わりなのか、莉羅の頭に何かが乗ったような感覚がする。
なんだろう、と思って目を開くと、すぐそばにシェイドの顔があった。
「……うわ」
莉羅は咄嗟に顔をのけ反らせたが、シェイドに頭をがっしりと掴まれているせいで、上手く身体が動かせない。暴れるな、とでも言われているようだ。
「落ち着け。俺はお前を攻撃するつもりはない」
シェイドは囁くような小声で言うと、素早く周囲に目を走らせた。けれど、莉羅の視界には目の前のシェイドと両端に倒れた柱しか映っておらず、彼が一体何を警戒しているのか全く分からない。
そのとき、一陣の風とともに辺りがわずかに暗くなった。
「いいか、リラ。よく聞け」
「あ、はい」
シェイドに再び話しかけられ、莉羅はぴん、と背筋を伸ばした。シェイドが相変わらず小声だったので、莉羅も声をひそめて返事をする。
「もう気付いているかもしれないが──ジャヴァウォックからの刺客が、この地下のどこかにいる」
「…………ドレスの女?」
「外見は知らん」
莉羅の言葉をあっさりと切り捨て、シェイドは続けて言った。
「だから、俺らでそいつを倒しに行く。候補者に危険が及ぶ前に」
どうやらシェイドは、莉羅より先に侵入者の正体を突き止めていたらしい。さすがは学年トップの優等生だ。
思わぬ展開に莉羅は内心で拍手を送りながら、しかし表面では真剣な顔を作りつつ、シェイドの言葉にゆっくりとうなずいた。
「……了解です」
言いたいことは色々あったが、まずは侵入者を止めなければならない。
莉羅はさっと思考を切り替えると、シェイドの紫紺に煌めく瞳を見つめ返した。