彼女が死んだ
ここは死んだ人間が宝石になる世界。
宝石になった彼女と旅をする男の話だ。
あの日別れた君のことがずっと忘れられなかった。
忘れる前に二度と会えなくなってしまった。
ニュースで君を観た。
ショッピングモールの屋上駐車場から君が落ちたという内容だった。
最初は自殺と他殺。両方の可能性があると報道されていた。
殺した人間がいるのなら復讐でもしてやろうかと思った。
もしその相手が俺と別れた後に出来た婚約者なら。
そいつを殺せば。君と別れた日から俺の胸を締め付ける苦しみがほんの少しは晴れるかもしれない。
でも君の死因は自殺だった。
ニュースが君の自殺を消費することに静かな怒りを覚えた。
俺に怒る資格なんてないのに。
あの時、昭和のドラマみたいに君と駆け落ちでもしたら良かったのだろうか。
もし仮に駆け落ちなんかして、俺なんかに君を幸せにできたのだろうか。
幸せにできなくても君は自ら死を選んだりはしなかったんじゃないだろうか。
ねぇ。死ぬ前に会いに来てよ。
そしたら意気地のない俺だって勇気を出してさ……。
『今更なに言ってるの?』
君に嘲笑われた気がした。
君と俺の恋は所謂、身分違いの恋というやつだった。
「私ね。明日お見合いするの」
「…………令和に?」
「そう。令和に。笑っちゃうわよね」
「……いや。笑えないけど」
「……ちゃんと言ったのよ。付き合ってる人がいるって。……ダメだった」
「……そっか」
なにか気の利いたことを言わないと。破局してしまうかもしれない。
だけど俺の頭の中は情け無くなる程真っ白で。
どこかに逃げたくなった。逃げたら俺の全てが終わってしまうのに。
「……………………駆け落ちでもする?令和だけど」
冗談めいた口調で彼女が言った。
「え…………」
本気か?冗談か?
どう答えるのが最適解だ?
どうしたら別れないでいられる。
「……冗談だから。……そんな顔しないでよ」
俺は今どんな顔をしていたのか。知るのが怖くて仕方なかった。
「……私たち別れましょう」
君は一万円札を置き、足早に店を後にした。
「……待って」
引き止めるまでにかかった数秒の間に、君は見えなくなっていた。
足速いもんな。そういえばデートの時に歩くスピードを合わせたりしたことなかったな。
ちょうど同じスピードで、それがすごく心地よかった。
「歩くの早いね」
「そう?もう少しゆっくり歩きましょうか?」
「いや。俺もちょうどこのくらいのスピードで歩きたかった」
「そう。私達運命の相手なのかしら?」
「……大袈裟だな」
「そうかしら。運命ってきっとこういう些細なものよ」
殆どの人間が大袈裟だと笑うだろうけど。
君は俺の運命の相手だと、この瞬間本気で思ったんだ。
……君は冗談でそう言ったのかもしれないけど。
いや。思い出に浸っている場合じゃない。
急いで追いかけないと。
…………追いかけてどうする?
彼女の言ったとおり、駆け落ちでもするのか?
そんなのこのSNS時代、簡単に見つかるだろう。
#拡散希望 をつけて、娘を探していますと写真を投稿されたら終わりだ。
それに運良く逃げ切れてもどうやって生活する?
片や大企業のお嬢様。片や自分の生活もままならない高卒労働者。
……長くは続かないだろう。
現に彼女が置いていってくれた一万円札で、お会計している俺はなんともまぁ情け無い。
いい大学に行って高収入なら、ドラマの主人公のように彼女をさらえたのだろうか。
頭は悪くはなかったんだけどな。実家にもうちょっと金があればな。
……いや無理か。
俺の意気地のなさは病的だ。
高学歴の高収入だったとしても、駆け落ちする覚悟なんてきっと持てない。
彼女は少し気難しいところがあるけれど、とても優しく良い子だ。
金銭的価値観の合う相手なら、誰とだって幸せになれるだろう。
俺じゃなくたって。なんなら俺じゃない方が。
俺たちの関係は今日限りで終わりにした方が、きっとお互いの未来のためになる。
なんて思っていた1ヶ月前の自分をぶん殴ってやりたい。
君は俺じゃないと駄目だったんだ。
その事実に喜びを感じる俺は、どうしようもないゴミだ。
君が亡くなったと知ってから、早半年が経った。
正直思いっきり、引きずっている。
忘れたいとも思わないし、なんなら一生囚われていたい。
俺がこんなことを思っていると知ったら君は、気持ち悪く思うだろうか。
喜んでくれたら、ありがたいな。
心の穴は日に日に大きくなる。
けれども表向きは、いつも通りの自分を装った。
元々感情を表に出す方じゃないから、難しいことじゃない。
あれだけ素敵な女性と婚約しておいて、自殺された男が今どれだけ悲惨な日々を送っているのか気になり、男のSNSを調べた。
すると彼女とは似ても似つかない女と結婚式を挙げている写真が投稿されていた。
「…………は?」
理解出来なかった。
彼女が死んでからまだ半年しか経ってないんだぞ?
どうしてこんな女と結婚出来るんだ。
彼女とも見合いの政略結婚だったのだろうから、今回もきっとそうだろう。
そう思い投稿文を読むと
『沢山の障害を乗り越え、小学校からの幼馴染と結婚しました!
これから二人で幸せになります!』
……彼女は幸せになるどころか死んでしまったのに。
こんな奴らだけ幸せになっていいのか?
そんな事が許されるのか?
……駄目に決まっているじゃないか。
許せない。
許せない……けど。
俺に彼らを責める資格はない。
俺は彼女から逃げたんだから。
仕事が終わり家に帰ると。家の前に女性が立っていた。
見たところ、4、50代の女性だろうか。
気品漂う人だ。
「……何かご用ですか?」
「いきなり訪ねて申し訳ありません。渡辺悠真様でしょうか」
「……そうです」
「初めまして。西園寺礼唯の母です。娘が生前大変お世話になりました」
礼唯のお母さんか。確かにどことなく似てるな。
初めてお会いしたから分からなかった。
礼唯の通夜葬儀には行けなかった。
行ったら礼唯の死を現実に感じてしまうと思って。
今でも現実感はない。
現実感なんて湧いたら、俺はきっと狂ってしまう。
「……こちらこそ大変お世話になりました。お通夜にもお葬式にも参列できず、申し訳ありません」
「お気になさらないでください。……お越しになられてたら、主人がなにか失礼をしてしまったかもしれませんし……」
「……ありがとうございます。立ち話もなんですしよろしければ中へどうぞ」
「あ、すみません。失礼します」
二人でリビングに移動した。
「散らかっててすみません。ソファにお掛けください」
「ありがとうございます。とても清潔感のあるお部屋ですね」
「いえ。そんな」
社交辞令の応酬に思わず、苦笑いをこぼす。
もちろん礼唯のお母さんには見えないように。
……どうしよう。お出しできる物がインスタントコーヒーくらいしかない。
まぁなにも無いよりマシか。
……いや。お金持ちがインスタントコーヒー飲めるのか?
礼唯は飲んでたけど。
いっそなにもない方がマシなんじゃ……。
「……すみません。お出しできる物がこんな物しかなくて」
「話が終わりましたらすぐに帰りますのでお気遣いなく。こちらの方こそ事前に連絡もなくお尋ねして申し訳ありません」
「いえ。それは大丈夫なんですけど。その話と言うのは……」
「娘から渡辺さんへ。ある物を渡して欲しいと頼まれまして」
なんだろう。手紙だろうか。
それならどんな内容であれ欲しい。
俺への恋心が書いてあっても嬉しいし、恨み言が書いてあってもいい。
どんな感情でもいいから、俺のことを思っていて欲しかった。
「これなんですが……」
礼唯のお母さんは俺に指輪のケースを手渡した。
「え……」
「開けてみてください」
戸惑いながらも、言われた通り開けてみた。
「綺麗だ……」
中にはダイヤモンドが入っていた。
「……ううっ……ありがとうございます……ありがとう」
礼唯のお母さんに泣きながら、お礼を言われた。
「あ、あの……」
「ご、ごめんなさい!私ったら!この子を綺麗と言ってもらえてすごく嬉しくて……」
ダイヤモンドを綺麗だと思うのは、一般的な価値観じゃないだろうか。
俺は初めて思ったけど。
「……そのダイヤモンドは礼唯なんです」
腑に落ちた。どおりで綺麗な訳だ。
「……ごめんなさいね。いくら娘の最後の願いだからって……。持ってきてしまって」
「いえ。むしろありがとうございます。俺はどんな姿になっても、礼唯のことを愛しているので、すごく嬉しいです」
本心だ。
これで一生、一緒にいられる。
もう二度と離さない。
「……ううっ……ありがとう。ありがとう」
再び泣きながら、お礼を言われた。
「……あまり長居しても申し訳ないので帰ります。娘をどうかよろしくお願いします」
「はい。生涯大切にします」
「ありがとう……。でも貴方はまだ若いですし良い人ができたら、娘にも私にも遠慮せずご結婚なさってくださいね」
「……はい。ありがとうございます」
気を遣わせないために『はい』と答えたものの礼唯以外の誰かを好きになることなんて、一生無い。
玄関に向かう礼唯のお母さんについていった。
「それじゃあ、失礼します」
「はい。お気をつけて」
礼唯のお母さんが見えなくなったところで、扉を閉めた。
リビングに戻ると机の上に置いておいた、礼唯の入った箱が目に入る。
箱をそっと開くと、とても綺麗な礼唯がそこにいた。
「礼唯……綺麗だよ……。ずっと会いたかった」
何度会いに行こうと思ったか。
礼唯みたいな勇気がないから、出来なかったけど。
まさか今世で再び会えるなんて。
はめてみよう。どの指のサイズだろう。
……違うかもしれない。
でも俺は、左手の薬指にどうしてもはめてみたかった。
違ったらサイズを変えてもらってでも。
恐る恐る、左手の薬指に指輪を近づける。
この結果次第で、礼唯の気持ちがわかる気がした。
結果は見事にピッタリだった。
「…………礼唯……」
よかった。礼唯も俺と同じ気持ちだったんだ。
「ずっと一緒だからね。安心してね。愛してるよ……礼唯」
嬉しすぎてしばらく泣いてしまった。
さて。これからどうしよう。
普通に過ごしてても家から仕事の往復で、礼唯も飽き飽きするだろう。
俺たちは新婚みたいなものなんだ。
とりあえず新婚旅行くらいは行かないとな。
礼唯はどこに行きたがっていたっけ。
しばらく考えると思い出した。
近場の温泉街でゆっくりしたいと言っていたんだ。
『新婚旅行で海外じゃなくていいの?』
と聞くと
『温泉がいいのよ』
と言っていた。
当時はお金がない俺を気遣って、そう言ったのかと自分を情けなく思ったが、礼唯の性格的に本音だったのだろう。
「……行くか。温泉」
上司に電話をし、数日間の有給をもらい旅の準備をした。
繁忙期が終わっていてよかった。
急な休みで申し訳ないが、すぐに行かないと仕事に集中できる気がしない。
翌日
最低限の荷物を持ち、礼唯とともに家を出た。
電車の中では窓の外の景色が見えるように、左手を窓に近づけた。
周りから変な目で見られている気もするが、別に構わない。
礼唯は乗り物に乗りながら、景色を見るのが好きだった。
そんな礼唯の横顔を見るのが俺は好きだった。
片道一時間の距離も礼唯に見惚れていると、あっという間だった。
「…………温泉街ってなんかいいよな」
街並みを見るとそう思う。
この独特の風景が俺は好きだ。
きっと礼唯も好きだろう。
俺たちの好みはよく似ていたから。
とりあえず宿に荷物を置きに行こう。
食べ物の良い匂いに耐えながら、宿に向かった。
「いらっしゃいませ。ご予約頂いたお客様のお名前をお伺い出来ますか?」
「渡辺です」
「本日二名様でお伺いしておりますが……。お連れ様は」
「ああ……体調不良で来られなくて」
本当はこの指輪がもう一名です。と言いたいところだが旅館の人を困らせる訳にはいかない。
「かしこまりました。大変申し訳ありませんが、当日キャンセルとなりますので二名様分の料金を頂戴します」
「はい。全然大丈夫です」
むしろその方がいい。礼唯がどんな姿をしていようとこれは二人の新婚旅行なんだから。
料金は二名分支払いたい。
「お食事は何名様分ご用意いたしましょう。二名様分の代金をいただきますし、二名様分ご用意することも可能ですが」
「……あ、じゃあお願いします」
礼唯の分も欲しかった。
……でも食べ切れるかな。
指輪は食事しないし。
まぁ、頑張ろう。
礼唯もたくさん食べる男が好きだと言っていた。
部屋の鍵を受け取り部屋へと向かう。
布団が二つピッタリくっついていたので、なんだかドキドキしてしまった。
……いや。礼唯は指輪だしドキドキする必要もないんだけど。
流石の俺でも指輪に欲情はしない。
そういえば礼唯の家は門限が厳しいから、一度も旅行に行けなかったな。
旅行どころか。俺の家に泊まったりも出来なかったもんな。
……一度くらいしたかったな。
……いやいや。今出来てるんだから良いだろう。姿は変わっても礼唯は礼唯なんだから。
こんなこと思ったら礼唯が悲しむ。
とりあえず外に行くか。
温泉街なら適当に歩くだけでも楽しいだろう。