第98話 時間切れ
亜弐香が再び動き出し、無数の拳が先程よりも早く繰り出されてくるが、義経は軽々とそれらをあしらっていく。必要最小限の動きで体を動かすか、薙刀の柄を微かにぶつけて軌道を逸らす。傍から見れば、まるで攻撃が勝手に外れているように見えても不思議ではない。不気味なまでに落ち着き払った動きだった。
「図体を太らせる術は学んだろうに、拳打の仕方は分からないんだな」
義経は揶揄うように笑った。亜弐香は更に速度を上げるが、思う壺である。拳を放った事で腕が伸び切り、がら空きになった胴体へ薙刀の柄が襲い掛かる。鋭い突きだった。その威力によって後退した彼女の腹には、ほんの僅かな痣が出来ている。あれほど軽々とした一度の反撃で、自分にこれを食らわせた。
義経は笑ったまま足取りを進める。殺し合いとは言っていたが、間違いない。この男は遊んでいる。いたぶった上で殺したいのだ。次は何をしてくる ? 警戒を始めた彼女の動きを見計らい、義経は龍人とは比べ物にならない速さで近づき、薙刀を振るった。長尺の武器というのは、素早く立ち回るには向いていない。その筈であるが、亜弐香の反撃に一切後れを取る事無く、義経は彼女を斬りつけていく。いや、よく見れば打撃も混ぜている。蹴りや肘打ちを駆使しながら、義経は笑顔を崩さずに彼女と対峙していた。
颯真は立ち尽くしたまま、その光景を眺める事しか出来ていない。介入をするのが恐怖でしかなかった。先程までは龍人だったあの男は、こちらへ敵意か好意のどちらについても向ける仕草を取っていない。グレーゾーンである。だがそれは、裏を返して言えば些細なキッカケでどす黒く染まり、暗黒的な衝動を自分に抱く可能性を秘めている。傍観者として、ただの巻き込まれた被害者として、慄く姿を晒しておくのが正解だと分かっていた。
レイが鼬の最後っ屁としてかました毒のせいか、亜弐香の攻撃にキレが無くなり始めている。 衰弱というわけでもないが、見切って躱すのは先程よりも容易い。薙刀を持ったまま、義経は彼女の攻撃をかわした後、横一線にそれを振り抜く。幽生繋伐流”宏幻斬”が放たれ、辺りの家屋全体に巨大な切れ込みを入れた。しかし亜弐香はそれでも死んでいない。その攻撃を予期し、自らの腕で防御の構えを取っていた。薙刀が直撃した腕には大きな傷が生まれていたが、颯真が驚愕したのはそこではない。彼女が、あの裂田亜弐香が、攻撃を防ごうと構えたのだ。どんな攻撃さえも物怖じしない怪物が、身の危険を感じ取ったという事実が信じられなかった。
「よく防いだ。もっと違う形で会いたかったものだな。今のお前は、万全じゃなさそうだ」
「…ハンデにはちょうどいいかな」
「はん…で…というのが何かは知らんが、まあこちらも一つ面白い物を見せてやろうか」
義経は武器を消失さえ、腰を低く降ろして構えを取る。亜弐香も覚悟を決めた。かくなる上は、あれをやるしかない。ところが、そんな彼女の決意を揺らがせる異変が生じた。
「おや…」
義経が跪いたのだ。指が震え、体の力が抜けていく。全身にジワジワと痛みが走り出した。上手く体を動かせない。
「おいおい、ここでか…鍛え方が足りんというもんじゃないな…少し動いただけでこの壊れ具合」
なけなしの声を振り絞って、義経はまた笑う。
「次の機会としよう…今日はここまで…で…」
地面に這いつくばり、遊びの終わりを宣言して彼は無言になる。息が止まり、一度目を瞑った。直後、瞬きをするような速さで再び目が開き、息を大きく吸い込んで吐き出した。
「ハァ… ! …ハァ…あれ ? 今俺…」
龍人は事態を吞み込めていなかった。壁に叩きつけられ、自分が重傷を負ったと感じた事までは覚えている。だが先程いた地点とは違う場所で、それもまともに動かせなくなった体でうつ伏せになっているのだ。折れていたらしいアバラが、先程以上に激しく怪我の深刻さを伝えて来る。何が起きた ? 辛うじて動かせる首で辺りを見ようとすると、自分の正面に傷を幾らか負っている亜弐香が立っていた。なぜか寂しげにしている。
とどめを刺す気か。そう思った龍人だが、直後に燃え盛る団地の屋上から人が墜落してきた。弥助である。鎧を纏った状態で土煙を巻き上げ、視界がぼやけた亜弐香へ金棒を叩きつけて吹き飛ばす。大して効いていないのか、胸で受け止めた彼女は体勢を立て直して弥助を睨んだ。
「間に合っ…てはないか」
倒れている龍人と礼を見て、弥助は申し訳なさそうに呟いた。
「今日は一段とお客さんが多いね」
思考をしていたところに水を差され、亜弐香が不愉快そうに言った。
「オモテナシなら大歓迎だ…これ以上続けるんなら、喧嘩じゃ済まなくなるぞ」
「そっか。じゃあやめとく。僕も疲れたし満足した。それにたぶん、今の状態だとおじさん相手はしんどいかも。彼らによろしく」
亜弐香は弥助に言い返してから硬質化を解除し、何も躊躇わずに重い足取りで立ち去って行く。到着した時の緊張感は嘘のように拍子抜けし、弥助は不貞腐れたまま戦闘態勢を解く。せっかく助けに来たというのに、もう終わってしまった。このまま拗ねていじけたい所だが、弟分とその友人たちの容態を見るにそうも行かない。
「ひとまず、二人を運ぼう。颯真、医者は知っているか ?」
レイを抱きかかえながら弥助は尋ねる。
「良い所知ってるぜ。ヤブ医者だけど」
龍人に肩を貸しながら颯真も答えた。
作者のコメント:体調の都合から、少々延期させていただく事にしました。申し訳ございません…
※次回の更新は七月七日予定です。




