第94話 おもしれーヤツ
亜弐香は嬉しさで笑っていた。この姿を見せるのは珍しくない。寧ろよく見せる方である。鬼の一族に伝わる特異体質、”摩変鋼”と呼ばれるこの体は、本人の意思によって皮膚を硬質化させる事が出来るという代物であった。しかし、痛覚そのものを完全に消せるわけでは無く、耐久性を練り上げるには想像を絶する精神鍛錬が必要となる。彼女の練度は、その鬼の一族の中でも特に抜きんでていた。
彼女の才能がバレてしまったのは、この世に生を受けた時からであった。権力闘争が絶え間なく繰り広げられる鋼翠連合において直系組長の娘、それも前会長の孫という立場で生まれた以上は、快く思わない勢力がいる事も至極当然であった。寝床を襲われ、母は自分を庇って殺された。本能的に察知した自分を守護してくれる者の不在。それによって泣きわめく赤子であった筈の亜弐香だが、刺客達は誰一人として彼女を殺せなかった。
哀れだとか良心が痛むなどといった、人道に寄り添った生易しい理由ではない。文字通り、歯が立たなかった。泣き喚く彼女の胸元へ突き立てようとした短刀は、幼子の肉体を貫くどころか、ほんの僅かな切り傷を残したのみであった。首を絞め、あわよくば骨を折ってしまえばいいと刺客の一人が閃き、即座に実行を移したがこれもダメだった。小さな温かい手が、抵抗するかのように自身の首を絞める手の甲へ触れると、次の瞬間には皮膚を千切った。たまらず情けない悲鳴と共に赤子をぶん投げるが、地面に落ちても尚苦しむ様子すら見せずに泣き続けるその姿は、刺客達に苛立ちを通り越して恐怖心を植え付けたという。
この騒ぎによって刺客達は駆け付けた構成員によって捕らえられると、拷問の末に殺害される。同時に拷問中における彼等の証言から、襲撃を生き延びた彼女の才能に鋼翠連合全体が息巻いた。天才が現れたのだと。それからというもの、彼女は物心ついた頃から武道と学問の双方において、徹底的な英才教育を仕込まれる事となる。嫌になった時もあったが、その度に語られるのは「母が無力な自分を庇って殺され、こんなガキは殺す価値も無いと刺客達からは蔑まれた上に見逃された」という、事実も織り交ぜ上での偽りの記録であった。それが嘘だというのは、周りの反応から薄々感じ取ってはいたのだが、それに気づいた頃には既に後戻りが出来なくなっていた。
自分の才能を連合の構成員たちは羨望の眼差しで見つめ、視界に入れば敵味方問わず敬意と屈服がもてなしてくれる。自分に媚びへつらって慕ってくれる部下も集まり、その立場は歳を重ねるにつれて強くなっていった。多くの富、人材、時間を費やしてもらってしまった以上、今更になって自分を騙していたのが許せないからと鋼翠連合を裏切るのはあまりにも忍びない。常に重圧と負い目による枷を自らに課すことを彼女は選んでいた。これが自分にとって幸福なのだと言い聞かせる他無かったのだ。
唯一心残りがあるとすれば、交友関係において欠けている物がある気がしていた。対等な立場から、腹を割って喜怒哀楽を共有できる友人と言えるものが無い。常にビジネスライク、上司と部下、敵と味方…そんな具合に、利害や組織的な繋がりの中でしか人と口を聞いた記憶しかない。街角で時折耳にする、好きなポップ・ミュージックは何かという話題や、バイト先でクレーマーに対して心の中で地獄に堕ちてしまえと祈ったといった類の雑談をした事が無い。自分の生業を抜きにした一個人としてのコミュニケーションが無いのだ。
もしかすると自分は連合の看板と暴力が無ければ何もできない。誰からも魅力的に映らないのではないか ? そんなコンプレックスに悶々としながらも、悟られない様に生き続けていた。媚びず、降らず、反骨心を剥き出しに立ち向かって来る彼に会うまでは。
――――不敵な笑みを浮かべる亜弐香だが、龍人は臆する事無くジャンプをしてフットワークを行えるように足元を温め直す。
「たぶん本気出してくる。めっちゃ早いぞアイツ」
「ほなどうするん ?」
「何とかする。数の暴力で」
龍人とレイがそう言った直後、空から聞き慣れた風を切る音が響いた。間もなく彼らの背後に颯真が降り立ち、やがて三人が一列に並んで亜弐香の前に立ちはだかるという構図が完成する。
「遅くなって悪い。いきなりだが、俺の頼んだ救援が来るまで粘れないか ? 秘策がある。生憎、今は弾薬の持ち合わせが無くてな」
颯真がライフルに銃剣を取り付けながら言った。一方で義翼は変形し、二本の腕の様な姿へと変形を遂げる。
「好きにしてくれ。どの道、向こうも少し楽しみたいらしい。見ろよあれ」
龍人の視線の先では、突然の増援に目を丸くしたものの、すぐに気を取り直した亜弐香が指を曲げて挑発を始めた。一人どころじゃない。面白いヤツが三人に増えた。そんな嬉しさが滲み出ている。
「三人寄れば何とやらってな。構えろ」
静かに、それでいてギラついた闘争心を垣間見せながら、龍人は二人へ呼びかけた。




