第82話 少しずつ
颯真は焦りをあまり感じてはいなかったが、余計な騒動に巻き込まれていないかという心配を胸に、平時より速度を上げて移動していた。神通力での捜索の甲斐あってか、兼智の姿を確認できるまでに時間はさほど要す事も無く、ほどなくして彼が鮎沼工業の付近にある自販機の近くへと忍び寄っている姿を見つける。
「やめとけ」
颯真はすぐに彼の眼前に降り立ち、割と大きめの体格に似合わないおどおどとした素振りをしている彼を咎めた。何をしようとしているのかは大体見当が付く。
「あ…あんたは確か…」
「覚えててくれて嬉しいよ。それはさておき、禊をするにしてもこの場所はまだ時期が悪い。気付いて無かったろうが、この間のゴミ拾いの時にここで待ち合わせした時も、親御さんお前の事を睨んでたぜ。何より夏奈ちゃんはまだ忘れてない。なのに…わざわざトラウマ抉りに行く気か ?」
「い、一生恨まれるよりマシだろ…ちゃんと謝ればいいんじゃねえのか。こういうのって」
「落ち着け。早まんな」
急ぐように動こうとした兼智だが、颯真は義翼を広げて彼の行こうとした方角を塞ぎ、そのまま自販機に小銭を投入する。間もなく缶コーヒーが音を立てて排出された。「やるよ」と言って唆すと、兼智は反抗する事無くそれを取り出す。
「話を戻すが、やり方とタイミングを考えろって俺は言ってんの。お前は気楽で良かっただろうよ。他人様から金取ろうが骨折ろうが痛くも痒くもねえんだから。正しい事をしたって言い訳みたいに自分に言い聞かせて終わってきただろうな。でもやられた方は一生忘れねえんだ。他人に敵意を向けられた上に危害を加えられた事実ってのは、想像以上に心にダメージを与えるもんなんだぞ。ましてやあの子は、何の関係も無いのに巻き込まれて、下手したら死んだ方がマシな目に遭いかけたんだ。お前のせいでな。志は結構だが、こういうのは少し慎重になるべきだ」
颯真から咎められた兼智は納得がいってないのか開封したコーヒーを持ったまま自販機の近くに座り込んだ。じゃあ他にどうしろというのだ。もはや金も無ければまともな後ろ盾も無い自分の様な存在が、言葉によるなけなしの贖罪すらも出来ないとなれば何も残らない。目の前で腹を切って無様な死に姿を見せつける事で詫びろとでも言う気か。俺は俺なりに必死にやっているのに。通りすがりの冷笑主義者に見つかったら嘲笑われそうな、醜い自己憐憫が心根から顔を出し始めていた。
「あの…」
不意に、全ての雑念を掻き消す一声が近場から放たれた。顔を左に向けると、夏奈が買い物袋を携えたまま突っ立っている。隣に居た颯真にとっても想定外なのだろう。小さくあっと漏らしてから、兼智を隠すように少しだけ体を動かして夏奈の方を向く。
「あ、あれ~…夏奈ちゃん。どっか行ってた ?」
どぎまぎした様子で話しかけてみるが、夏奈は颯真よりも彼の背後の方を気にしていた。
「か、会社のお昼ごはんを買いに…今日は私が担当なんで。ところで、そこにいるのって―――」
「…っ…夏奈…さん !」
ギクシャクした態度の夏奈だが、兼智はそれを知ってか知らずか、缶を置いてからいきなり立ち上がって前に出た。
「その…本当にすみませんでした ! 俺、すげえ怖い思いさせたって分かってから、めっちゃ今後悔してて ! 許してくれとは言わねえけど、ちゃんとこうして謝りたくて。その…」
下手な自己弁護に走らない事だけは褒めてやっても良かったが、あまりにも貧相な語彙による謝罪は、夏奈を更に戸惑わせるだけであった。そしてその騒ぎを聞きつけ、昼の休憩中だったらしい鮎沼工業の従業員たちがぞろぞろと表に出て来る。そして、大事な上司の愛娘が巻き込まれていると知るや否や、全員の顔が怒りによって歪んだ。
「夏奈ちゃん、どうしたんだ⁉」
「この鴉天狗、確か噂に聞いたチンピラか⁉」
「ノコノコ出て来るとは良い度胸してやがる !」
「颯真さんまでいるぞ ! どういう事だ⁉まさかアンタ、龍人さん裏切ってそっちに付く気か⁉」
今にも飛び掛かりたくてうずいているのか、ワナワナと震える従業員たちに颯真はたじろいだが、すぐ後ろから夏奈の父が顔を出してきてくれたことで安堵した。
「皆 ! 少し落ち着こう…どういう事か、ちゃんと聞かせてもらえるかな」
「ああ~…親父さん。これには事情があってさ。非礼を詫びようって事でこいつは来たんだ。別に何か悪さしたいってわけじゃねえだんよ。マジで」
相変わらず気の弱さが見え隠れする穏やかな語り口調だが、兼智の方を見るその目には明らかに警戒心が宿っていた。その眼差しはすぐに颯真にも向けられ、仕方なしに颯真が近づいて弁護をしようとする。しかしそれよりも先に夏奈が動いた。
「ごめんなさい、帰りますんで…」
彼女はそう言って返事を待つことなく、更には周りの事も無視して鮎沼工業の方へ早足に去って行った。それが仕事による忙しさから焦っているのではなく、目の前に存在する邪悪に耐えられなかったが故の逃走なのは言うまでもない。それを皮切りに、従業員たちも踵を返していった。去り際に放たれるのは「二度と面を見せるな」といった類の罵倒ばかりであり、少なくともまともに話を聞いてくれそうな気配はない。気が付けばその場には兼智と颯真、そして夏奈の父が取り残されていた。
「…えっと……ふぅ…」
夏奈の父は突っ立っている兼智の背中を眺め、どうも迷っているように頭を掻く。しかし一息入れて意を決したのか、改めて口を開いた。
「君が…これまでにした事は絶対に良い事だとは言えないし、許すかどうかを決めるのは夏奈や被害者の人達次第だ…でも逃げずに謝りに来たって事だけは、覚えておく。無責任な言い方に聞こえるかもしれないけど、改めて一から道を外れずに生きていくっていうんなら、それ以上とやかく言うつもりはない。何より僕にその権利はない。その…苦労するだろうけど頑張ってね。もう同じ間違いはしちゃダメだよ」
夏奈の父親は、そう言い残して一礼をすると小走りで去っていく。取り残された兼智と颯真だが、兼智は納得したように少し頷いて顔を上げた。これでいいのだ。ハナから全員が自分を受け入れてくれるとは思わない。だが後腐れを残すような事になってはいけない。少なくとも自分は逃げてはいけないと決めた上での行動である。ハッキリ言ってこれで足りるとは思っていない。だが、ひとまずは最初の一歩を踏み出せた。
「颯真さん…だっけ。俺、謝罪以外に何かできる事ってあんのかな ?」
颯真の方を向いて兼智が聞いた。
「う~ん、まずは仕事だよな。ちゃんと自分で手に職持って、コツコツ稼ぐ。馬鹿にされるぐらい地味な道ってのが、案外一番安全な近道だ ったりする。後はお前の後ろめたい関係を全部断ち切る事だ。それが尾を引いていたら、いつまで経っても反社のチンピラ扱いだぜ」
「成程……よし、決めたよ」
颯真の提案を受け、兼智は考えが閃いたのか表情を明るくした。僅かではあるが自信を取り戻したのだろう。口元も少し緩んでいる。
「俺、風巡組を解散させる」




