第79話 行脚開始
兼智と酒を飲んだ翌日の早朝、龍人はいつものルーティンワークを弥助と共に行った。朝の四時半、肌寒い薄暗がりに包まれたマンションの屋上から、開醒を発動して街を駆け抜けていく。佐那が付き添ってくれいた頃に比べれば随分と慣れた物である。そんな龍人の後ろ姿を、弥助は余裕そうに追いかける。この日は佐那に教えられた町のルートを六周、それも自己の最速記録を更新する事に成功した。
「っしゃあ… !」
案の定倒れ込みながら、龍人はさわやかに拳を突き上げて達成感に酔いしれる。そんな彼を見降ろしながら弥助も笑い、ムジナが運んできたエナジードリンクに手を付けた。気が利いている物であり、ムジナが運んできたのはモンスターエナジー。それも大好物のパイプラインパンチであった。
「話に聞いていたよりも見込みがある。かなりの成長速度だな」
「まあね…よいしょっと。こう見えて努力家なタイプなんだぜ。自分で言うのもあれだけど」
龍人は起き上がり、ムジナから手渡されたレッドブルを開封した。レッドブルアンチである弥助が少し顔をしかめた事には気づいておらず、そのまま一気飲みして缶を置いてから再び立ち上がる。
「さて、今日は尾行といきますか」
「おいおい。本当にやるのか ?」
「うん。アイツが本気なのかを見届けた上でじゃないと、お墨付きなんか与えたくないでしょ ?」
無論、龍人達の尾行の標的は兼智である。酒の席で優しく接したはいいが、まだまだ油断はできないという本心がこうして行動に出てしまうのだ。彼が心を入れ替えて更生をする気だというなら、自分達が引っ張り回さなくとも自ら動いてそれを証明できる筈である。確かめる必要があった。
――――着替えを済ませてから、弥助の手作りの朝食を頂いた龍人は急いで街に繰り出した。兼智が使っている義翼のIDを颯真に識別してもらい、現在地を随時メッセージとして自分の電話に送信し続けてもらうように頼んでいて正解だったと、スマホの画面を睨みながら龍人は思った。弥助は職場との定期連絡だけでなく、純粋に観光をしたいからという事で別行動を取ってもらっている。こっちに来てから自分の世話をしてもらってばかりなため、たまには羽を伸ばしてもらうのも悪くはないだろう。
「よっ」
空から颯真が飛来し、龍人の目の前に着陸した。二人がいる場所は葦が丘地区の中央通りであった。飲み屋街への入り口になっている路地の近く、テナントを募集している階の目立つ商業用の小型ビルの屋上である。
「さっき、ストランドの方に向かったみたいだぜ」
「マジか。やる気はあるんだな」
颯真からの報告を聞いた龍人はスマホをしまい、目立たない様に移動を始めた。ビルの間を飛び越えつつ、周辺からの視線が無いかを警戒する。やがてストランドのある路地裏が良く見える場所へと辿り着いた。屋上を守る手すりの傍らに立ち、下の方を見降ろしてみると、確かに兼智の姿があった。路地の曲がり角から店の様子を窺い、動こうとしてもすぐに躊躇するように歩みを止めて右往左往する。それの繰り返しであった。
そんな事を知らなそうな店主のアンディは、薄手のTシャツとジーンズ、そして古びたスニーカーといったラフな姿で、華奢なボディラインを見せつけるように周りの掃除に勤しんでいた。見た目とは裏腹にマメさが際立っており、看板やドアも拭き上げた上で軒下においてある脚付きの小さな黒板を眺めていた。顎に手を当てて黙っていたが、やがて鼻歌交じりにチョークをつまんで一筆入れ始める。しかし途中で手を止め、黒板の前でしゃがんだまんま少し黄昏れていた。
「せっかくだからこっち来なよ、兼智くん」
アンディの口からその声が出るや否や、兼智は観念したように…それでいて警戒をする様にゆっくりと姿を角から現した。
「お…お疲れ様です」
「アハッ。本当に出てきた」
「ああいや…その…なんていうか…すいませんでした。今まで、色々…」
緊張したまま頭を下げる兼智とは裏腹に、アンディはその珍妙な態度を笑う。そしてそのまま彼を手招きした。
「メニュー書いてるんだけど何だか文字だけだと寂しいんだよね。絵とか描けるかな ?」
「い…いや。あんまり得意じゃ…」
「じゃあ猶更丁度いいや。見慣れないタッチの絵っていうのも、それはそれで可愛げあるしね。ほら、早く早く。皆が出勤してきちゃうから」
アンディの言葉を聞いた兼智は若干焦る様に早歩きで近づき、手渡されたチョークを遠慮がちに黒板へ走らせた。
「ああ…もっと強く押し付けて。そうそう…ほら出来た。いいよ、表情に愛嬌あるね」
やがて兼智が描き終わった笑顔のマークを見て、アンディが彼に微笑みかける。歪な線も所々にはあるが、確かに和やかな笑みを浮かべた顔のマークが黒板の右下に描かれていた。
「良かったら他のも描きなよ。何か才能ありそう」
「は、はあ……あの、怒らないんスか ?」
「何で ?」
「いやほら、風巡組がめっちゃ迷惑かけてたっていうから、その…謝りにっつーか」
「ああ…気にしない気にしない。暴れる子を抑えるのはいつもの事だから。こういう仕事は特に」
アンディはそう言うと、本日のおすすめとして、カルボナーラと生蛸のカルパッチョを黒板のリストに書き込んでからチョークを置いた。
「でもちょっとズルいかな~って」
突然、兼智の心臓に突き刺さる様な冷たい言葉が出てきた。
「確かに分かるよ。ルミちゃんとかコウジとか…後、アスカちゃんも割と周りからガヤ入れて茶化すか、普通に怒ってきそうだもんね。さては…僕なら一番優しそうだとか思ってたでしょ ? だから一人きりのタイミングを狙ってきた」
「い、いやそんな事は…」
「フフ…冗談冗談。正直驚いてるもん。君が初めてだよ。風巡組の中でちゃんと謝罪に来てくれたの」
「それは…一応、自分がリーダーだったんで…」
「そうだね。でも…だからこそ大変だよ。僕は水に流すけど、皆が皆そんな風に許してくれるわけじゃない。憎んでいる人は多いからね。それに…許してはもらえても、行動が忘れられることは絶対に無い。道を踏み外すっていうのは、そういう事。一生それに向き合う覚悟と責任が必要になってくる」
黒板の位置が気に入らなかったのか、アンディは語り掛けながら配置を整え直した。入り口の邪魔にならない、花壇の隣に置いてから満足そうに手をはたいてから、ドアの前にある段差に腰を下ろす。
「どうするのかは色々だよ。一心に相手の気持ちを受け止めて詫びを入れ続けるのも良いし、背景を説明した上で釈明を試すのも良い。過去に向き合って自分がどう生きるべきか、答えを見つけ出すのが一番大事だからね。逆にやっちゃいけないのは逃げる事。それをしてしまう人は、必ず何度も同じ間違いを犯し続けるし…一生自分の醜い部分から目を背けて、腐って死ぬ羽目になる。そんな風にならない様に気を付けてね」
アンディは立ち上がり、ドアに取り付けた鈴を鳴らしながら店の中へ戻ろうとする。
「用事が全部済んだら、今度は客として来て。待ってるからさ」
そして開けっぴろげなドアの前で振り返り、兼智へ手を振ってエールを送ると優しくドアを閉める。兼智はただ、深く頭を下げて礼をしたまま微動だにしない。やがて顔を上げ、気合を入れるために一呼吸してから、来た道を戻って別の場所へと向かって行った。このまま各地へお詫び行脚をしていくつもりなのだろうか。
「初手がアンディさんなのは正解かもな。一番人当たり良いし」
颯真が隣でぼやくが、その直後に龍人の電話が鳴り出す。アンディからだった。
「龍人君、どうだった ? 割と手加減できたと思うけどな」
「ばっちり。色々手間かけさせてゴメンね、アンディさん」
「気にしないで。暇だったし。それじゃあ見張り頑張ってね~」
それから電話を切った龍人に対し、颯真は呆れたように肩をすくめる。実を言えば、食事の際に龍人が兼智を唆していたのだ。「あちこち謝罪しに行くんなら、お仲間にこっ酷くやられているウチの知り合いの店へ最初に行け」と兼智に告げ、同時にアンディに対してもなるべく激しい事はしないでやって欲しいと注文をする。アンディもまた、店の従業員たちは口実を作って出払わせ、サシで話せる様に準備をしておくという事で予定を進めていた。
「仕込みだったのか ?」
「いいや。手加減してやってくれって言っただけだよ。いきなりボロクソにされて不貞腐れられても困るだろ。それにしっかり釘も刺してもらった…ここからは全部あいつ次第。気を引き締め直してくれるといいけど」
そう言い合いながら二人は追跡を再開する。長い一日になりそうな予感がした。




