第70話 狂い夜叉
色とりどりの看板がひしめく二番通りは、いつもならば夕暮れ時のタイムセールでごった返す商店たちの激戦区である。だが警報の発令により、妖怪たちはその喧噪さを潜めてしまっていた。逃げようとする客たちを店主たちは店の中に掻き込み、その上でシャッターを閉めてしまった街道は、寂れとは明確に異なる不穏な静けさを醸し出している。
「いたぜ。大量発生だな」
ビルの屋上から着地し、軽く呼吸を整えながら龍人が遠くを見た。確かにいる。だらごとおおだらごが呻きながら列を成して歩き、その奥には奇妙な個体がいた。ブクブクと醜く膨れ上がり、手には笛を持っている。よちよちと、それでいて一歩一歩が重々しいのか、歩くたびに地鳴りがしているようだった。
服と思われていた部分は、よく見れば縫い付けられたかのように連なっている人間であり、それが皮膚の様に薄く伸ばされて体に貼り付けられているのだ。信じられない事にまだ意識があるのか、老若男女問わず悲痛そうに喘いでいる。
「何やねんあれ…」
後から到着した美穂音が慄いていた。始めて見る怪物の姿に綾見も絶句していたが、最後に来た弥助が不愉快そうに顔をしかめる。龍人とは違い、息を切らしている様子はまるでなかった。
「”百産爺”…いつ見ても吐き気がするぜ」
「そんなにヤバいの ? あのデブの暗逢者」
「まあ見てろ」
百産爺と名が付く怪物を不思議そうに見物していた龍人だが、弥助の話を聞いてから少しすると異変があった。百産爺は手に持っていた笛をけたたましく吹き始め、野牛と鯨の鳴き声を合わせたかのような重く鈍い音色を奏でる。すると、体の表面に張り付けられていた人間たちが叫び出した。
泣き喚く彼らの腹が裂け、そこから次々と新しい暗逢者たちが、まるで赤子の様にボトボトと産み落とされていく。その様を見ながら、毛髪の一本すら無い百産爺の顔はいやらしい笑みを浮かべ、ケラケラと笑っているのだ。
「自分から戦う事はしねえ。兵隊を産ませて増やせば解決するってわけだ」
「クソ…気持ち悪いけど、やるしかないか」
「まあ待て。ここは俺達に任せろ」
龍人が身構える直前に、弥助が手で牽制して前に出た。
「センパイらしく、カッコいい所見せなきゃな。行くぞキヨ !」
「はいよ」
弥助の声の掛け声とともに、キヨが肩から飛び降りて走る。口から紫色の煙を吐き、その中に飛び込んだ次の瞬間、地鳴りと共に彼女は変貌した。先程の虚弱そうな小動物としての姿は消え失せ、羽の無い西洋の竜を思わせる姿へと変態した彼女が咆哮と共に空へ火を噴いて暗逢者たちを威嚇する。
「武装錬成、”造生鎧”」
弥助が印を結び、拳を地面に叩きつける。霊糸が体から放たれ、一心不乱に彼の肉体へ纏わりつき、やがて黒曜石の様な光輝く漆黒に染まる。それは武者の甲冑であった。面を付けた姿のまま、弥助は重々しく立ち上がり、左手で金棒を生成して肩に担ぐ。
そのまま暴れ狂うキヨに続いて暗逢者の群れに突っ込み、金棒を振るって殲滅を始めた。長髪が荒れ狂いながらも、金棒で敵を叩き潰し、吹き飛ばし、時には手で掴んで放り投げ、着実にその数を減らしていく。それに比例するように、鎧は血のコーティングによって更におどろおどろしい煌めきを放っていた。
”狂い夜叉”
これから会う事になる弥助とはどのような男なのかを龍人が尋ねた時、佐那は彼がかつて授かったその異名を口にした。表の歴史に出る事は無くとも、確かに共に戦った戦友。そんな彼女の賞賛に恥じない凶暴さを見せつけてくれている。キヨも負けじと敵を噛み殺し、火を吐いて消し炭にしていく。近隣への延焼が不安だったが、そこは後で鴉天狗たちに頼めばいいだろう。
そうこうしている内に一匹だけ取り残された百産爺は、あれほどいた配下たちが骸と化してしまった事に驚き、慌てて背を向けて逃げようとする。が、そのトロさときたら、亀に接戦の末負けそうなレベルである。弥助は右手から霊糸を放って、太った体に巻き付けると、そのまま勢いよく自分の方へ引っ張り寄せる。恐ろしい腕力だ。
それでも尚這いずって逃げようとする百産爺に対し、弥助は金棒を構成する霊糸を変形させ、より強大な物にした。現れたのは巨大な槌であり、それを携えたまま引きずる音をわざとらしく立てて頭部の方へと回る。無様に命を乞うように見上げた百産爺だが、その顔は振り下ろされた槌によって覆い隠され、辺りの脳髄をぶちまける。叩きつけられた槌によって道路に亀裂が生まれ、血や砕けた骸骨が染み込んでいった。
「朝鍛夕錬」
武装錬成を解除し、呆気に取られている龍人達の方へ弥助が振り返る。
「かの宮本武蔵の心構えだそうだ。何事も始まりは地道な努力から…俺も、お前もそうしなきゃなんねえ。覚悟しな。これからしばらくの間、みっちり鍛えてやる」
歩み寄り、弥助が明るく宣言した時だった。空から颯真が飛来し、ビルの屋上からレイが姿を見せる。二人ともほぼ同時に着地し、龍人の方へ近づくが見慣れない男と巨大な妖怪がいる事に動揺し、少し目を泳がせていた。辺りでは颯真が手配した財閥の職員たちが、消火活動と建物の修繕を迅速に始めている。
「龍人、なんやねんこの黒んぼ」
その言葉が、辺りの空気を一気に張り詰めさせた。龍人だけはよく分かってないのか、顔が引きついている他の者達の様子を見て不思議そうにしている。
「レ、レイ…今の黒んぼってのはちょっとマズいから謝っとけ」
「ん、どしたんや ? ウチなんかしたん ?」
「あのな ! 黒んぼって呼び方は差別になるとかで色々とご時世的にマズいって言ってんの !それぐらい 分かれバカ ! 田舎者 !」
「えーっ。何や、今って黒んぼ言うたらあかんの ? 面倒な時代やでホンマ」
なぜか当人とは全く関係ない場所で口論が始まったが、弥助は呆れた様な渇いた笑いだけで済ませていた。日本にいた頃にそう呼ばれすぎたせいで今更怒り狂うような要素でもない。
「別に黒んぼぐらい構わねえよ。せめて名前で呼んで欲しいが」
「弥助さん、黒んぼって何 ?」
「龍人。お前はどうやら、体だけじゃなくて頭も鍛える必要があるらしいな」
龍人と弥助は話をしながら歩きだした。既に事が終わっている以上、自分達が留まっている必要は無い。そう考えた結果、とりあえず移動する他無い。弥助から聞き出せてない情報は山ほどある。だからこそ落ち着いて話せる場所が欲しくなったのだ。




