第106話 なめられてたまるか
「そうや、会いたがってた籠樹さんが来たで。俺も会いたかったけど」
龍人の声に彼が反応を返してくれるが、背後に突っ立っているせいか龍人にはその姿が見えなかった。颯真、レイ、織江そして義経の三人プラス一匹は後ろを振り返り、いつにも増して他人を嘗め腐ったニヤケ面を晒している籠樹を睨む。当然であろう。彼はよりにもよって、どこかから持ち込んできた刀を携え、それを龍人の背中に突き付けていた。
「……警備と、庭で鍛錬をしていた見習い達がいたはずだが」
吉田が落ち着き払いながらも、眉間に皺を寄せたまま籠樹へ尋ねる。
「さあ、そんな奴ら見とらんなあ…案山子みたいに突っ立っとる間抜けはぎょうさんおったけど」
所々に返り血の痕跡があるジャケットの臭いを嗅ぎ、籠樹がせせら笑う。恐らく外にいた連中は全員とはいかずとも無事ではないだろう。隠密に徹し、尚且つ速やかにここまでこの男は辿り着いたというのか。恐らく手下も引き連れているとはいえ、その手腕には驚かされる。
「そんな怖い顔せんでもええやん皆。ただ大事なお話ついでにちょっとびっくりさせに来ただけやろ。お客さんを。なあ ? 龍人君」
刀の切っ先が、少し強く背中に喰い込んでくる。刺さっているわけではないが、その鋭さはよく分かる程に圧迫感があった。更に強く押し込まれれば、たちどころに皮膚と神経を裂いて内臓と骨を貫いてくるだろう。生殺与奪の権を握られているも同然であった。傍から見れば。
「あの玄紹院佐那のお弟子さんとあろうもんが、随分と気楽にしとったんやなあ。フン…このままサクッとやっても良かったけど、俺の優しさに感謝―――」
「やれよ」
籠樹は揶揄おうとしたのだが、不意に挑発とも取れる声が聞こえた。愚痴や小言ではない。はっきりと、自分に対して言い聞かせるかあのような強い物言いであった。
「…何か今聞こえたなあ」
「聞こえなかった事にした方が都合がいいのか ? まあ、それもそうだよな。遠慮なく殺せって言ってる相手すら満足に殺せないビビリって事になっちまうもんな」
「………イキリならその辺にしといた方がええで」
「てめえが仕掛けたんだろ。さっさとやってみろよ裂田亜弐香の腰巾着が」
悪戯のお返しと言わんばかりに龍人が煽り立てるが、籠樹は手を出そうとしない。やはりだ。彼の立場にしてみれば自分を殺す理由などいくらでもある。にも拘らず手を下さない辺り、今回に関しては本当に殺すつもりが無いのだろう。龍人は籠樹が初手で取った行動からそう推測していた。しかしただの悪戯とはいえ、立場で言えば味方ではない者に弱みを見せる事があってはならない。明確な序列付けの理由にされかねない上に、相手のこちらへ接する態度や持ち掛ける話にも確実に影響は出るだろう。お前が対峙しようとしている相手は生半可な覚悟では通用しない。そう思わせる必要があった。そのために、龍人は即座に次の段階へと移る。
「それとも出来ないんなら手伝ってやろうか」
その言葉で話を終了し、龍人は鈍い光を放つ黒鉄の切っ先へ、わざと自分の背中を押し付けたのだ。開醒が発動していない以上、当然その鋭い刃は背中へ食い込む。苦痛と共に服と皮膚が裂け、生暖かくも気持ち悪い液体の感触が僅かに背を伝った。
「なっ…」
慄いたわけではないが、籠樹は反射的に刀を持ってる手を引っ込めようとした。自分が想定していた光景とは違うシチュエーションに陥った者は、本人の思考とは離れた所で体が勝手に動いてしまうのである。龍人に対して、少なくともこの場では死ねと思っていなかった籠樹にとって、唐突に自殺まがいの行動に出た龍人の行動は思考を忘れさせ、結果として牽制のための道具を引っ込めさせるという選択肢を取らせる。それが狙いだった。
刀が自分の肉体から離れるのを感じた瞬間、龍人は即座に開醒を発動した。すぐさま目前の畳へ手を伸ばし、凄まじい力で指を食い込ませる。そして体を捻って後方を向き、畳を引き剥がした上で籠樹に叩きつけたのだ。いきなり目の前に迫って来る畳を籠樹はすぐさま刀で両断するが、その先に龍人はいない。既に彼は、籠樹の左側面に回り込んでおり、自分の腕に開醒・尖凝式を纏わせていた。籠樹がそちらへ意識を向けた頃には、龍人の拳が空気を切り裂いて飛んできており、籠樹には刀で辛うじて受け止めるのが精いっぱいだった。鋼越しに衝撃が肉体へ伝わり、籠樹は壁際まで吹き飛ばされるが、辛うじて土足で踏ん張って堪える。
「来いよ。ノコノコやって来といて無事で帰れるとも思ってねえだろ」
龍人もそのまま彼に向き直り、一歩前に出た。自分の出る幕ではなかったと納得しつつも肩を落とすレイや、武装していない今は荒事を避けたいと狼狽える颯真、そして目を丸くして成り行きを見物する渓殲同盟の面々を余所に、籠樹は笑っていた。
「ハハハ…ホンマにおもろいな。お前」
「あ ?」
「状況の把握といい、そこからの対応といい、羨ましいレベルの頭の切れがある。おまけに只のチンピラ上がりに見えて鍛える所はしっかり鍛えとるのもタチ悪いわ。覚悟速攻で決められる度胸もええな…そりゃ裂田が裏でコソコソ動き始めるのも無理ないなぁ。こんな逸材誰だって欲しいわ」
「…何言ってんだ ? お前さっきから」
龍人は妙に高く評価している籠樹の発言を不気味に思っていたが、やがて武器を黒擁塵の中に仕舞った籠樹の姿を見て察した。この男は自分を欲しているのだ。
「大事なビジネスの話やで ? 俺はな、龍人君。他の連中にとられる前に、君とお友達になりたいんや」