20円で大騒ぎする私は細かいらしい
殴り書きってこういうことを言うのかなってくらい文章がまとまってないけど、思想系のエッセイじゃないからこれで良し!
これは私が中学生の頃の話。
その日私は、母と祖母と3人で真言宗の寺(寺というか、いや寺だけどなんというか、誰でも座敷に上がって加持を受けたり木魚叩いたり寛いだり抹茶飲んだり鼻ほじったり出来るという謎の場所)に訪れていた。
いつもの様に護摩木にいろいろ書いてお金払って木魚叩いてお坊さんに背中叩かれたりして中での用事を終えた我々は、外に出て『お砂踏み』というお参りをしていた。
お砂踏みとは、弘法様の話によく登場する四国の八十八箇所の寺から持ち帰った砂を踏むことで、八十八箇所回ったことになるよという礼拝方法だ(ここの人が持ち帰ってきて、庭のとこに地蔵とかがいっぱいの道を作ったの)。
今回はいろいろ説明が多くて申し訳ない。仏教に興味がない人には分からないと思うが、私も興味がないのでこのへんの説明を書くのが苦痛で苦痛で仕方がない。だから許してくれ。同じような立場だから。
でも今回の話に必要な知識だから説明続行するよ! 泣!!!!
どこもそうなのかは知らないが、そこでは細長い道に八十八個の薄い丸い石のようなものが敷かれており、その上をお経を唱えながら1歩ずつ踏んで歩いていくというものだった。
のだが、それをやる前に1つやることがあった。線香をあげるのだ。
その道は真ん中のところが開いていて横から入れるようになっているのだが、そこには賽銭箱のような形の箱と、ロウソクと線香とライターが置いてあった。
『ロウソク小30円 大50円 線香10円 見てござる 弘法寺』
賽銭箱のような形の箱にそう書かれていた。
そう、これは賽銭箱ではなく、お金を支払う箱なのだ。賽銭ではないので当然ここに入れるのは気持ちではなく、商品の代金だ。
なのに!
なのになのになのになのに!!!!
私の母は支払わなかった!!!!!
ロウソクは3人で1個で、線香が3個。合計60円のところ、小銭がなかったと言って40円しか払わなかったのだ。
許せなかった私が「払わんなら線香1個だけにしよ!」と言ったところ、母の口から耳を疑う言葉が出た。
「うるさいなぁ。誰も見とらんわ」
こう返ってきたのだ。
ああ、私の母親は犯罪者だったのか。人のものを盗る泥棒だったのか。
私はひどく絶望した。
それと同時に怒りも湧いた。
「ダメだよ。絶対にダメ。泥棒だよ」
私は断固として許さなかった。
すると母が祖母のほうを向いて「鬱陶しいやろ〜、いっつもこうなんだわ」と呆れたような表情で言った。
祖母は「○○(私の名前)ちゃん、臨機応変っていうのも覚えなかんよ」と言った。臨機応変じゃなくてただの窃盗だろうが。
この2人と居るといつもこんな感じで私が悪者になるのだが、今回は完全にアウトだ。犯罪だからだ。
犯罪を犯そうとしている母を擁護する祖母にも腹が立ち、私はまた口を開いた。というか叫んだ。
「だったら客の少ない駄菓子屋でうまい棒2本盗んで来やぁよ!!! 出来んやろ!!!」
私がそう言うと母は「それとこれとはまた違うやろ」と明らかに不機嫌そうな顔で言った。
「同じだわ!!!!」
なんなら店員が見てないとこでやってるこっちのほうがタチ悪いわ。
それに対し母は「20円くらいでいちいちうるさいんだわ! そんな細かいと嫌われるぞ!」と怒鳴った。
そしてすぐ母はまた祖母の方を向いて「毎日これと相手しとってみよ、疲れてまうわ。Kもこういうふうやろ?」と言った。
Kとは3歳上の私の従姉妹で、祖母たちと住んでいるのだが、なかなか自己中心的ですぐに機嫌を悪くするような子だった。あとよく癇癪を起こす。
そんなKと一緒にされたことに腹が立ったことと、そもそも私は宗教が嫌いなのに連れてこられていることと、膀胱がほぼ満タンだったこととで怒りが爆発し、「泥棒が!」と捨て台詞を吐いて私はその場を離れた。行先はもちろんトイレである。
私がいなくなったことで線香が1ついらなくなったわけだが、どの道10円は足が出ているので泥棒であることに変わりはなかった。
私はトイレの中でいろいろ考えた。
なんなんだあのババアとババア。泥棒と共犯者のくせして俺を悪者にしやがって。
人を無理やり宗教宗教した場所に連れて来ておいて、「見てござる」と書かれた箱の前での「誰も見とらんわ」発言は頭おかしすぎるだろ。なんのための宗教なんだ、アホが。あいつらに信仰する資格なんてないわ。
こうして私の怒りはおしっこと一緒に排出され、トイレに流れていった。
蛇口の水が出てくるところに捻るところがついてるキモい水道で手を洗い、お砂踏みの場所へ戻った。
案の定線香は母と祖母の2人分が立てられていた。
私は「ごめんね」と1人で呟きながら線香を1つ取り、100円玉を箱に入れて火をつけた。
胃がムカムカしてきた。