アルティメット・リスペクト 〜正しい自己満足講座〜
皆様今晩は! シサマという者です。
私がこのサイトに来た理由でもある、処女作にして代表作の連載長編も、120万文字を超えて遂にクライマックスに突入。
現在は他の作品への創作意欲を抑えつつ、完結を目指してのラストスパートが始まりました。
しかしながら、シリアス寄りの作風で第1話から地道に積み上げた世界観や登場人物、伏線などを破綻なくまとめる作業は、なかなかに時間を消費します。
先に進めば進む程、充実感と達成感を味わえますが、その分自由に書けるスペースはなくなっていきますし、1話あたり平均17000文字あるので(笑)、作品の緊張感を奪わない様に構成ミスをチェックするのにも集中力が必要ですね。
そんな話をしつつも、たいしてPVやポイントがある訳でもない作品の厳密な作業を苦にせず続けられる。
その秘訣は、ひとえに作者の私自身がこの作品を書く事で「自己満足」を感じているからです。
この作品を書くためだけに、3年半前、わざわざ職場の夜勤中に『小説家になろう』サイトを初めて検索した……それ程のモチベーションでしたからね。
今、タイトルにある「自己満足」という言葉を使いました。
現在の私は、ほぼ間違いなく自己満足の為に作品を書いています。
とは言え、それは私が読者を無視した創作をしているという訳ではありません。
私の作品に一番熱心な読者が私自身であり、その一番熱心な読者を裏切らない様に、一番熱心な読者が納得行く様に創作しているだけです。
その姿勢が、結果として他の読者を遠ざけてしまう様な文章や構成、ストーリーやキャラクターとして表れていたとしても、その経験を途中から強引に書き換えたくはありません。
僅かでも読んでくれる方、評価してくれる方がいるのならば当然、読者も評価も皆無だった場合なら尚更、100%自分自身である作品を残し、その作品を代表作にしたいんですよ。
今後どんな作品を残しても、「俺のルーツと本性はここだよ」とアピールしておけば、違う方向に期待した読者が私の作品を読んだばかりに時間を無駄にする……そんな事はなくなるでしょう。
私はどんな作品も本気の全力で執筆しています。
評価の低かった作品を槍玉に挙げて、やっぱり『なろうテンプレ』じゃなかったからダメだった、などと言う気はさらさらありません。
本気の全力でこの程度のポイントなのかと言われたら、そうですねと答えます。
漠然と成功したいと嘆く前に、自分の好きな要素しかない大長編を完結させ、自分にとっての本当の成功とは何なのかを見定める必要があります。
……さて、これまでこのエッセイで書いてきた内容は、最近トレンド議題になっていた『なろう小説 VS ライトノベル』、『なろう系 VS 本格ファンタジー』論戦の回答にそのまま適用出来るのではないでしょうか。
そこでは、一見すると激しい議論が行われている様に見えます。
しかし実際の所、互いにネット世界で目立つ為に敢えて本音から軸を少しずらした極論をぶつけ合い、自分の作品やツイートに「評価」や「いいね!」が入る可能性を模索する承認要求合戦が行われているに過ぎません。
私の様なユーザーには何の影響もありませんが、まともな『なろう』好き、まともな往年ラノベ、往年ファンタジー好きの方はいい顔をしないでしょうね。
ただ、はっきりさせておくべき事は、泥沼化した問題では先に手を出してきた側の責任がより強く問われるという事。
旧来のラノベや本格ファンタジーを持ち上げる為になろう小説、なろう系を咎めた側の立場は今後悪化するでしょう。
ネットの世界は悪意が渦巻いているので、ムカつく奴を攻撃しても、また3日後にはもっとムカつく奴が現れます(笑)。
悪態も3日で忘れられる回転率の速さを悪用するユーザーも多いですが、サブカルなんてジャンルはムカついた経験を3日では忘れられない人間が支えている、その歴史を忘れてはいけません。
「ライトノベルやファンタジーはこういうものだ」と考える人もいれば、「『なろう』やWeb小説はこういうものだ」と考える人もいます。
そこで私も今、「自己満足でWeb小説を書いてもいいし、1話17000文字あるWeb小説(笑)があってもいい」という考えを提示させていただいている、それが結論です。
そこから先の事は、各々の物語で決着をつけて下さい。
トレンドから外れた作品が読まれない、評価されないのは良くある……いや、極めて普通の事です。
皆、自分の感性が鋭かった頃に出会った名作は特別な存在になり、時代の流れに抗いながら、それでも自分のルーツを貫くのか、時代に対応するのか、時代の流れを嘆くだけなのかが問われています。
10年後には、「あの頃のWeb小説は『ざまぁ』や『悪役令嬢』ばかりだったけど、まだおバカで可愛げがあったよなぁ……」みたいな回想が聞かれるかも知れません。
だからこそ、トレンドから外れた作品を書く作家にはまず、作品の創作活動で「自己満足度」を高めて欲しいですね。
ここからは実践編です。
タイトルにある、『アルティメット・リスペクト』とは、直訳すると『究極の敬意』といった所。
私が自己満足をモチベーションに創作活動を続けられている背景には、多くの方々からのリスペクトを実感出来ている現状があります。
Web小説の創作活動に於けるリスペクトとは、一般的にはポイント評価やブックマーク、好意的な感想などで、これを貰って嬉しくない創作者はいないでしょう。
批判に関しても、丁寧で作者にも自覚症状がある問題についての批判なら、まだリスペクトが感じられますね。
しかしながら、上から目線のタメ口批判や誹謗中傷、人格攻撃など、リスペクトを疑うインプットを受ける事もあります。
そんな時、「もう感想欄閉じちゃった方が楽だ」と考えるよりは、悪質なユーザーを個人でブロックしたりミュートしたりする方がいいのだと思います。
私個人としては、ミュートやブロックをするより、どう反論したら帰って貰えるか、どう無視すれば相手がエゴサーチのドロ沼にハマって自滅するか、対策を考えて行動するでしょう。
今までもそうしてきましたが、そもそもそこまで悪意を呼ぶ程の人気も実績もありませんからね。
楽なもんでしたよ。
ただ、私自身がブロックされた時、批判的な感想やコメントを残していた場合は仕方ないと考えますし、何の交流もないユーザーからブロックされていたとしても、今は清々しい気分で気持ちが切り替わるようになりました。
私にいい感情は持っていないけれど、殴り込みする事もなく、無視出来るように配慮してくれているんだな……。
これが『アルティメット・リスペクト』されているという事ですよ。
私の名前を見たくもないと考えている人が、申し訳ない事に自分から道を空けてくれているんです。
本当に快適です、ありがとうございます!
その他にも、作品にイマイチ納得が行かず、批判的な感想も書けたけれど思いとどまり、無言で★3つくらいの評価をしてくれる人の存在。
これも『アルティメット・リスペクト』の形ですね。
書籍化する程の人気作品でさえ、計算してみると平均評価は大半が★3点台です。
感想を入れないサイレント・マジョリティという『アルティメット・リスペクト』の使い手達が、『なろう』を支えているんです。
更に対象を拡大すると、『なろう』のログインユーザーではない可能性があるにも関わらず、私の作品を第1話から最新話まで一括ダウンロードしてくれる読者の方々。
私の代表作は1話1話がめっちゃ長く、普段はPVも少ない為、僅か1時間の間に全話プラス1のアクセスが1名のユニークユーザーで占められた場合、ダウンロード読者である可能性が高いのです。
巡回ロボットの場合、深夜に数PVだと言われているので、この『アルティメット・リスペクト』は最高の気分ですね!
はじめこそ仕組みが理解出来ず、こんだけ読んでポイントもブクマも入れないなんてけしからん! と思いましたが(笑)、これよく考えてみて下さいよ。
例えば他のサイトで相手にされない様な作品を、『なろう』のユーザーがわざわざダウンロードしに行きますか?
ブクマしても意味ないくらい1話が長いから(笑)、読む気はないけど色々異色だから広めてネタにしたいから、という理由だったとしても、これだけの労力をこの作品に割いてくれるのは頭が下がりますね。
そして最後は、普段から交流のあるユーザーや、面白いと感じた作品を私の代わりにSNSで拡散してくれる方々。
私の様なキャラクターがもし、SNSで主張し始めたら、ウザ過ぎて仕方ありません。
それだけは私も自覚しておりますので(笑)、お礼をしたくても私自身は絶対にSNSをやらないという『アルティメット・リスペクト』を、皆様にお約束したいと思います。
シサマ先生の作品と発言が読めるのは『なろう』だけ!←マジどうでもいい
……こういった『アルティメット・リスペクト』の形を知る事で、私は更に自己満足感を高める事が出来ました。
代表作の完結は勿論、その後の自身の方向性も、より高い自己満足を求めて取り組めば、きっと正しい道を選択出来るでしょう。
時代に抗ってでも自身の好みやルーツを貫き通す「自己満足」と、より多くの人々から称賛を得ようとする「承認要求」は並び立ちません。
両者は切り離して考えないといけませんよね。
ただ、「自己満足」を高める為に自分を貫き通す事は無意味ではありません。
勿論、「承認要求」を叶える為にトレンドに乗ったり、影響力のある人に近づいたりする事は恥ではありません。
全てを諦めてしまった後で吐く「あの頃はバカだった、時間を無駄にした」という捨て台詞は、なろう小説、本格ファンタジーを問わない全ての小説が生まれた過程への侮辱です。
皆様、『アルティメット・リスペクト』を見逃していませんか?
悲観的になる余り、潜在的なプラス要素をマイナス要素としか見ていないんじゃないですか?
今、私達の目に見えている現実は、未来のほんの一部に過ぎないのです。