小人との出会い
どれくらい経っただろうか。ファルマが話しかけてきた。
ーーーそろそろ帰って休ませてあげたいんだけどさー。魔人のままだとまずいから、代わってくんない?
ー……え。
ーーーはあ? 魔人のままじゃ宿に帰れないって言ってんの!!
ーあ、……ごめん、代わるよ。
打ち込むコードをひとまず中断して、意識をファルマに向ける。
世界が目の前に飛び出してくる。これは、どう表現していいかわからない。飛び出してきて、にゅっと入り込む感じだ。
「ふう」
見上げると、すっかり夕方だ。森の木々の間からオレンジの光が斜めに差していて、光の方に湖があった。遠く稜線から水面に夕日が反射して、眩しい。
ーーーえっとー。朝日だよ?
「は? はぁぁあ!?」
つい、アホほど声を張り上げてしまった。
ー一晩中、動き回っていたっていうのか??
ーーーぜんっぜん、疲れないんだもん。でも、流石に眠いみたいで、しんどいなって☆
ーアホか!!
僕はうなだれて手を額に当てた。コードに夢中になっていて、時間が経つのを忘れていた。
精神体は疲れないから、極集中状態であり続けられるらしい。
「はぁ、とりあえず、寝るか…」
またジェーンに心配されちゃうな。
と思いながら、周りを見回す。程よい日陰で、枯葉の集まっているところが、見つかった。
もう眠すぎて、あまり考えることができない。適当な布を演算構成して、枯葉の上に広げ、光が顔に当たらないように気をつけて、倒れ込んだ。
あっという間に、ベルは眠りに落ちた。
不思議な感覚だ。
ベルの脳が起きて意識があるうちは、その脳の影響を少なからず受けるようだ。眠い状態のベルでは、僕は頭が回らない感覚になる。それは、ひどく限定的な僕たちの前提条件みたいなものだ。
けれど、ベルが寝てしまっても、僕は周りが見えていて、辺りを観察することができる。いまここは、とてもこの世のものとは思えないほど美しい、光のグラデーションが一帶を覆っている。
木々の間に光が差し込み、朝靄に幾つもの光の帯を作っている。
ベルの鼻が感じている、朝の匂い、枯れ葉の芳ばしい香り。
活動を始めた鳥たちが会話を始めている。遠くで、近くで…。
眠らない僕の意識に、インスピレーションが湧いてくる。
僕はまた極集中状態になって、コードを追って行った。
単純に、僕は楽しんでいた。とても気分がいい。
少し陽が高くなって、そよ風が吹き始めた頃、周りに気配が無数にあることに気づいた。
だが、姿は見えない。
神の目には、30ほど数えられる。分析すると、ピクシーと名が出る。
小さいのか、ステルスなのか?
周囲の存在に敵意がある場合に発生する、生態信号でアラートが鳴るようにしたのだが、特に反応もない。
僕は目を凝らして見てみる。でも、見えない。
「全体っとまれ!
大きい人が寝ているぞ!」
なんだか小さな声がする。拡大してみる。
「女の子のようです!隊長!」
「ポケットの中に小箱が!隊長!」
あ、しまった!ポケットの中を勝手に…。
「どれどれ〜
……なんと!これは美しい〜!
これは王家に代々伝わる煌星の雫ではないか!」
「なんと!」
「なんと!」
なんと…
声が小さくて甲高く、可愛らしい感じだ。
本当に、小人がいるのか。
でも、相変わらず姿は見えない。
「こちらは王女様ではないだろうか!」
「ないだろうか!」
「町まで、お担ぎしろ!」
おかつぎ…?
とにかく何かされるらしい。
抵抗しようと体を動かそうとするのだが、全く動かない。まさか、このタイミングでベルの脳が熟睡していて、体が完全に弛緩している。
そうこうしているうちに、見えないピクシーは、再び小箱をベルのポケットに押し込んだ。
枯れ葉の上に敷いた布の下に膨らみが入り込み、枯れ葉を蹴散らしながら、布ごとベルの体を運び始めた。
ーお、おい!
どこへ連れて行く気だ!!?
意識だけで叫んでも、誰も答えない。
「えっさ、ほいさ!」
と掛け声が聞こえて、足並みを揃えて、低空飛行の空飛ぶ絨毯のように、森の底を行く。
ベルの体はほとんど揺れることなく、滑るように移動していく。
僕はぼんやりと、田舎の公園に行った時に乗った虫の形の乗り物を思い出した。木々の間を縫うようにレールが敷かれ、ほとんど揺れもせず僕の体を運ぶ。ジェットコースターに乗ったことがある身としては、全然スリルが無くて物足りないんだけれど、ただ無駄に運ばれるというシュールさと、なにか期待感のようなものが、僕を楽しい気分にさせた。
今もまた、僕は何かに期待しているかもしれない。ピクシーって、7人の小人みたいなのかな…。
ハイホーハイホー。
でも、この宝石が盗まれたとか、王女はいないとか、そういうことは知らないのだろうか?
都合よく利用することはできそうだけど…。
ーーーちょっと!ピクシーに嘘をついたらダメだよ!
ーん?
ーーー嘘つきと怠け者が嫌いなんだって。妖精としての力が強いから、嫌われると…すごい不幸になるって……。マジで嫌われないようにしてよね!
ーんなこと言われても…好かれる方法は?
ーーー知らない! 私も会ったのは、初めて。姿が見えないのね…。そりゃ会えないわ〜w
「いったずっら、えっさっさ!
いったっずーら、えっさっさ!」
掛け声がいつの間にか変わっている。
おい、何する気だ、こいつら…。いたずら?
だんだん湿り気の多い空気に変わり、木々が暗く生茂り、苔がこびりついた巨石がそこここに現れ始めていた。
「そろそろ起きるぞ!
お離れしろ!」
小人たちは、サクサクと音を立てる苔の上にベルの体を乗せると、小人たちはサササッと離れていった。足跡が残っていない。
僕がベルの指を動かしてみると、素直に動く。
なんなんだ、一体。
体を起こすと、刹那のうちに生態信号アラートが爆音で鳴り出し、視野上で赤字点滅する。
僕は大きすぎるアラート音量に驚き、体をびくつかせて硬直してしまった。音量調節しないと心臓に悪い…。
あと、どこが発生源なのかわからない。
360度視野なのだが、物陰が透けて見えるわけではない。隠れている相手は、どこにいるか特定できないんだ。
使ってみて初めて、問題点が見つかる。
…それは後でいい。敵は近くに隠れてこちらを伺っているのに変わりがない。
気がついているというアピールはしたほうがいい。
「何者だ!
出てこい!」
声を張り上げて、立ち上がり様子を伺う。
獣の臭いがする。風向きを見ると、グレーの四本脚が岩の上にのそりと登ってきたところだった。
鋭い牙を剥き出して、ぐるるる、と低く唸り、べたべたと涎を垂らしている。
腹が減っているのか…。
僕を食べても美味しくないぞ…と思った後で、ベルの体だ、美味しいかもしれない…。と思い直した。
あの牙で噛まれたらと思うとゾッとする。大急ぎでコードを捻り出す。
タンパク質の合成には少し時間がかかるだろう。どうやって時間稼ぎするか…。
ぎりっと奥歯を噛んだ。
と同時に、獣は岩の上から僕に向かって飛びかかってきた。
僕はその素早い動きに反応できない。体の中に嫌な液体が溢れ出て、身体中の全毛穴が逆立つ感覚を味わいながら、獣のベタベタした鼻面が近づいてくるのを眺めていた。
軽い脱力感と、ああ、やられる、という思いが頭をよぎる。