失ったものと得たものの実感
湯上がりタオルを巻いただけの姿で、僕は初めて僕の顔を見た。
目が大きく見える。睫毛が長く濃いからか。ふっくらとした唇。白い肌、上気して桃色の頬、細い顎、ーー人形のように、可愛らしい貌だった。それは、暗くて明るい異空間で見た、あの少女だった。
僕は、前の世界で持っていたものを全て失った。その代わりに得たのが、これだ。
鏡の中のベルの顔が破顔して、涙が溢れていた。たまらなく、切なかった。
僕は、前の世界では、隠れプロゲーマー、というより、ハッカーだった。もちろん、ゲームは大好きだ。古いゲームソフトを見つけてきては分解解析して遊んだり、裏コマンドなんかを見つけたり、チートにしていくのも大好きだ。そして、ネットの広大な情報の海から、チートなルートを見つけハッキングを覚えるまでに時間はあまりかからなかった。それも、神様にしてみたらゲームなのかもしれないな。
MMORPGなんか最高だと思っていた。けれど、小さなバグが残ったままロンチされることがある。そのバグを見つけると、管理システムをハッキングしてバグを勝手に修正し、かつすでに有利になったプレーヤーに紛れて、バンを避けるためのプログラムを勝手に組んだりした。そして、仕上げにフィールド上に虹をかけておくという手の込んだことをしていたんだ。一部のプレーヤーの間で面白がって管理会社を褒めてくれる人が多かったから、管理会社も大目に見てくれてると思っていた。けど、やっぱチートすぎるやつが出てきたら、目立っちゃうよね…。
なるべく目立たないようにIPアドレスハックもしていたのに、僕は見つかり、腕を見込まれてゲームの開発の手伝いをすることになった。
高校を卒業する前に、進路でもめそうになった時、両親の前に札束を出して、もう働いているんだと言った時の、二人の表情は…忘れられそうにない。
まあ、自宅にいて、大手の仕事を貰っていると言ったら、何も言わずそっとしておいてくれたことに感謝する。
僕は、ほとんど学校に行かずにそういう世界で生きてきて、だから、ほら、その、女の子とか、青春とか、そういうの、全然なかった。
一応、いちおうこれでも立派な青少年男子。
なのに、これだ。
こんなに可愛い女の子と時を分かち合いながら…
なんで、…なんで息子が付いてないんだよ〜!!
サンドラが服を持って戻ってきた。
脱衣所の端で崩折れているベルを見て、駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫!?」
僕は手で顔をゴシゴシこすって、
「だ、大丈夫、大丈夫!」
とごまかし笑いした。
いや、自分に息子が付いてないことにショックを受けてましたなんて、言えるはずがない。
「ほんと? 湯当たりだったら、水飲んでゆっくり休むんだよ? …あ、これ。着てみて。ジェーンの見立てだから、悪くないと思うよ」
サンドラは服を渡すと、じゃあ、外で待ってるからね、と言って出て行った。
入る時は全介助だったのに、よくなったとわかった途端これか。
まあいいや。広げてみると、インナーと、シャープな印象の白シャツと、胴回りが編み上げのひざ下丈の濃紺スカート。スカートて。
簡単な演算式を使って変更。生地サイズはあまり変更しないほうがいいから…サルエルパンツにする。この程度なら数分もかからない。
ちょっと練習は必要だな。若干生地のねじれができてしまったサルエルを見て反省しつつ、履けることを確認。ま、良しとしよう。
表に出ると、ジェーンとサンドラがいた。
「ごめん、お待たせ」
「いや。
あれ、そんなだったか?」
「あ…スカートより動きやすいかなって…ちょっと手直ししたんだ」
「この短時間で!? ベル、実はすごい手先が器用とか? さっきも回復が超早かったし、只者じゃないよね??」
「えへへ…」
サンドラのキラキラした目線に比べると、ジェーンは微妙な目線を投げかけてくる。
「本当は、ベルだったんだな。
まあ、いい。この先の食堂で昼にしようと思う。他のメンバーは先に行っているんだ。
紹介しよう」
ジェーンは先に歩きながら、顎で招いた。後に続きながら、サンドラが言う。
「他に3人いるからね」
「ああ、ドロシー、トーマ、バルトロウ、ね」
「あら? 紹介したっけ?」
いや、自分で言ってたんだけど。僕は肩を竦めて見せた。
というか、紹介ということは、僕も紹介されるということで、記憶がない、ということは自己紹介もままならない訳だけど。どうするの、これは。
魂に呼びかけるけれど、返答はない。
南区画は城へ続く正門があり、それは外周の二次要塞の出入り口まで繋がっている。
その門の近くということもあり、南区画はおもてなしゾーンになっている。中心部にはハイクラスな宿屋、高級料理店、各種土産物店、その外周にそこそこの宿屋や料理店、行政機関、医療機関、国家クラスの学院などがひしめき、その外周に冒険者に好まれる安宿、ギルドの出張所などがある。そして帝都全体を二次要塞が取り囲み、口を開けているのは南端一箇所だけだ。南区画がこの帝都の入り口であり、主要機関となっている。
その端に当たる一画の並の食堂に、僕たちは入っていく。
並の食堂だ。けど。そのひと席はとても華やかだった。
「またか…」
ジェーンは目を逸らしながら片手を額に当てた。
「ちょっと、バルトロウ…! また派手なことして……もう!
あんたたちも帰って帰って!」
きれいな素材の色とりどりのドレスを着た女性たちが、サンドラに追われて席を離れていく。
「やだ〜、バルトロウさま、またねぇ〜」とそれぞれに言って手を振り、出ていく。
「ったく。どっから湧いてくるんだ…。ドロシーとトーマがいてなぜこうなるわけ!?」
とテーブルに向き直って、サンドラは固まる。
テーブルに残っている3人は、
大柄な男性と、小柄でくるくる長髪の女性、フードを被った線の細い男性。
「ああ、やっと来たか。遅かったじゃないか。もう出来上がってるぞ」
ニヤリと笑ってグラスを掲げる大柄男性。その横で、ふらふらと案山子みたいに揺れている2人。テーブルには酒瓶が数本転がっている。
「あああ〜もう!この2人に飲ませちゃダメっ! て何回も言ってるよね!?」
フラフラの2人からグラスを引ったくり、大柄男性を睨めつける。
大柄男性はゆったりとした動作で肩を竦めて見せた。
僕は入り口のあたりで、声もかけられないので話は聞いていなかった。
演算領域でのリスクヘッジをしていて、仕上げの黒ひもを、首につけたところだった。
「そのチョーカー、いいじゃないか。
…あの派手なのが、バルトロウ。フラフラの方は女がドロシーで、男がトーマだ。
俺が迎えに出ただけでこういう騒ぎになるから、サンドラがいないと手に負えなくなる」
「ふーん」
ジェーンの呆れた調子での紹介をきき、席に目をやる。他の客は苦笑いしながら、また自分の食事に戻っていた。
バルトロウは、長い足を高々と組んでいて、テーブルもグラスも小さく見える。胸筋も腕もたくましく、広い肩幅。サンドラの体格と比べてみて、かなりの高身長。日焼けした肌に、シャープで彫りの深い小顔で、銀色の癖っ毛を一つに束ねている。紫のシャツの腹を肌蹴て、きっちり6つに割れた腹筋を見せている。ああいうデザインにしているのか…。ナルシストっぽいがどう見ても色男。
バルトロウなんて響きだから、なんかもっと重厚な渋い人を想像していた。違ってた。
それに対してジェーンを見る。昨日もつけていた皮鎧。手入れはしっかりされていてツヤツヤしている。明るい茶髪で、誠実そうな、人当たりの良さそうな、育ちの良さそうな、現実世界だったら十分イケメンで通る整った顔。身長も高い方。色素の薄い茶色い瞳、透き通るような白い肌、骨太でがっしりしている割に指が長い。誠実で優しい。この人、王宮の中にいた方が似合うしモテるんじゃないだろうか。…今となっては無い物ねだりだな。
女にモテるかでバルトロウと比べると、ごめん、今はジェーンの負けだと思う。
「…苦労、しそうだね」
「ああ…そうだな」
ジェーンはあまり考えなしに返事して、テーブルに近づいた。
「あー、紹介する。ベルだ。俺が保護することにした。よろしく頼む」
僕はぴょこんと頭を下げ、ジェーンの後ろに隠れた。あんまり絡まれたくない。
紹介されたバルトロウは手酌で酒を注ぎ、盃を掲げた。
僕のことを見て、無言で飲み干した。優雅な動きで、気障で、絵になる。ずるいな。
ジェーンを見上げると、気にすんな、と僕の頭をごしごしと撫でて、席に座らせた。
僕が特に何か言う必要はなかったらしい。よかった。
「ドロシーとトーマにはあとで紹介するわ。
何食べる?」
サンドラは面倒見もいいし、癒しだな。
サンドラと同じのにする、と答えて、僕は思考の海に入る。向こう側でグロッキーになっている人たちを眺めて、『創造コマンド:神の見透す目』を実行してみる。
もし失敗すると、エラーコマンドに反応して、首のチョーカーが締まり、半死または気絶することになる。そうなれば、強制シャットダウンされ、エラーを含む実行中のコマンドが全停止するという仕掛け。
なかなか体を張っている。半ば命がけだ。
リアルで動かした時は、コンピュータみたいに緊急停止ができない分、リスクヘッジにもう少し工夫点は必要だと思うんだけど。
神の見透す目は、見たい項目を入力する必要がある。
何を飲んだのか、体内での処理速度、脳内への影響度、そして解毒方法…なんかを入れると、回答が得られる。
ただ、若干のタイムラグがあって、んー、なんか、数世代前のパソコンみたいな感じ。重い。
もっと早いスペックに変えられないかな?
究明の余地、あり。
それぞれの前に食事が運ばれてきて、フォークでパスタをくるくると巻きながら結果が出るのを待つ。