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日陰と帰路

作者: 立川大翔

「やるかやらないか迷ったらやらない。」

 開口一番、僕は彼女にそう告げた。駅から昇降口までの約二百メートル、無言を貫いた僕の突然の告白に彼女は目を丸くした。

「キモい」

 僕はその返事に特段反応を示すでもなくただ黙々と階段を登った。

 後ろからは楽しそうな笑い声とカツカツと鳴る足音が聞こえる。夏服に身を包んだ彼女の袖からは健康的な四肢がのびている。

 目を伏せて歩く僕の横顔に、窓から朝日が射し込む。目を細めた僕に彼女はレンズを向けた。

 僕は反応するべきか迷ったけど自分の崇高な信念に従って反応しないことにした。代わりに、僕が朝から罵倒され不機嫌な顔をカメラロールに納められるようになったきっかけを思い出していた。

  

  

「いいですか?受験にフライングはありません、早く始めた者が勝つんです!皆さんももう二年生です。来年は受験生になるという意識をしっかりと持って日々の授業に臨んでください。」

 学年主任の有難いお言葉で締めくくられた新学年最初の集会。そのほとんどを睡眠時間にあてた僕は充足した満足感と引き換えに貴重な放課後を奪われることになる。

「おい、そこのお前、ちょっとこっちに来い」

 廊下。僕以外にも人はいる。その言葉が僕に向けられたものだと解釈する方が自意識過剰というものだ。僕は前進を続けた。

「お前だよ!そこのヒョロヒョロしたやつ!」

 大丈夫だ。僕以外にもヒョロヒョロしたやつはいるし、なんならキョロキョロしてる奴もいる。まだ抵抗を止める段階ではない。

 虚しい自己欺瞞にも程があると自分でも分かっている。でも一男としてプライドの一つや二つはあるのだ、言い訳できる限りは振り向いてやらない。

 そんな僕の脆い決意はすぐに挫かれた。

「ねぇ、早くしてくんない?待ってんだけど。」

 なるほど、どうやら一人ではなかったらしい。それなら安心だ。僕は踵を返して予想以上に強面の先生と予想通りの表情をしたクラスメイトのもとへ向かった。

 そこからの流れは極めて定石通りであまりにも不毛だったため割愛させてもらう。つまり、僕は僕と同じように大事な大事な集会の一部始終を寝て過ごしたクラスメイトの女子と叱られたのだ。ったく、これだから自称進学校は…

「これだから自称進学校は」

 十分前とは明らかに見た目の違う彼女の一言に僕は驚いた。

 目を合わせたのが悪かったのか彼女は僕に話を振ってきた。

「あのハゲめっちゃムカつくよね」

「そうだね」

残念ながら僕には会話を続ける気が無い。幸い、相手の方にもその気はなかったらしい。会話はそれ以上続かなかった。

 今思えば、それが僕と彼女の出会いだったといえないこともない。

 

「利也、初日から怒られてやんの。」

 小さい頃から人の輪の中に入っていくのは得意ではなかった。そんな僕に進級初日から下の名前で呼び合える友達ができたのは偏に小さい頃からの趣味のおかげだった。

「ダル絡みしてくんなし、CD貸さねぇぞ」

「へいへい、悪かった悪かった、泣くなよ」

「いやそれ特大ブーメランだから。」

 くだらない話をしながら駅の構内に入っていく。ガタンゴトンと音をたてながら電車がホームを通り過ぎていく。いつもは恨めしく感じるその音も今日はなぜか少し心地よく感じられた。僕は目を瞑る。

「じゃーな、利也、また明日」

 気付くといつの間にか大輔の降りる駅に着いていた。

「ん、明日CD持っていく」

「忘れんなよー」

 大輔が降りた駅から二つ先の駅が僕の最寄りだ。大きな駅ではないが自販機と小さなコンビニくらいはある。喉の渇きを潤すために僕はお茶を買った。

 ここから自転車で家まで七分。僕の通学時間一時間のうち最も過酷な時間だ。なにせ、ずっと坂が続いてるため帰り道は登り続けることになる。勾配は緩いとか、そういうことを言うのはナンセンスだ。そういうことじゃない。

 西の空が曇り始めた。急いで帰った方がよさそうだ。

 

 

 昼休み、カメラロールに今朝追加されたばかりの僕の仏頂面を眺めながら彼女は言った。

「ねぇトシくん、今日の帰り、家まで送っていってよ。」

「ごめん、無理。」

「可愛い彼女が襲われてもいいの?」

「一人で帰らなければ大乗仏教」

「ちょごめん、寒すぎたから責任とって一回死んできてくれる?」

「辛辣すぎ、彼氏をサンドバッグにしないでくれる?」

「じゃ一緒に帰ろ」

 堂々巡りだ。

「とりあえず、駅までは送るよ。」

 どうして僕がこんな頑なに彼女を家まで送ることを嫌がるのか、その理由は単純だ。お互いの家が、学校の最寄駅から反対方向にあるのだ。やるかやらないか迷ったらやらない主義を掲げる僕にとってこの要素はとても無視できるものではない。

 兎に角、彼女を家まで送らない選択肢が頭をよぎってしまった以上、僕は自らの理念によって彼女を家まで送ることを断念せざるを得ない。

「アイス一本で許す」

「ご厚意に甘えて」

「上手いこと言ったつもり?」

「さぁ」

 こういう時僕は相手の提案に乗ることを躊躇わない。大人しく彼女の妥協案に乗ることにして、事態の収拾を図る。

「それじゃ、また後で」 

「うん」

 チャイムが鳴った。五時間目が始まる。

 

 

 あれはまだ関東が梅雨入りしたばかりの頃だった。

 人生何が起きるか分からないとはよく言ったもので、僕の身にも予想外の出来事が起こった。

 端的に言おう、彼女ができたのだ。

 大して話したこともない、強いて言うなら一緒に説教をくらった程度の、加えてスポーツにも勉学にも特段目立つようなところがない男に告白する女がどこにいるというのだろう。側から見れば綺麗に澄んでいるように見えた彼女の目には、どうやら穴が開いていたらしい。

 六月七日、僕と華乃の交際が始まった。

 僕たちが付き合い始めたという噂は瞬く間に学校中に広まった。というのも、どうやら僕の交際相手はテニス部のマネージャーで、それなりに男子間での人気も高かったらしいのだ。

 僕からしても彼女の容姿が人気者のそれであることに疑う余地はなかった。

 対して僕はというと、

「なんであいつみたいなパッとしない奴なんだ?」

「ほんとまじで腹立つわ。髪もボサボサだし」

 クラス、いや、学年単位で嫉妬の炎が燃え盛っているのを肌で感じていた。お陰で僕は顔を伏せて歩く癖がついた。伸びた前髪が目に入って痛い。

 大輔もその例外ではなく、僕は親友からも罵詈雑言を浴びせられた。

 というのは半分嘘で、彼の口から出てくる言葉は「いいなぁー」と「俺にも紹介してくれ」という二つに大分できた。「お前はもっとボインな子が好きなんだと思ってた」と冗談めかして笑う彼の笑顔に救われていたのも事実だ。

「今度、ラーメン奢ってやるよ」

「どうしたんだよ急に、さては俺に惚れたな?」 

「大丈夫、隣の人は間に合ってるから」

「ゴチソウサマです。そういえば、お前らいつ仲良くなったの?てっきし、利也は彼女とか作らないだろうって思ってたんだけど」

 その通りだ。僕には彼女を作る気がなかった。いたら楽しいだろうなと考えたこともあったが、奪われる時間の方が多く感じていたため積極的になれずにいた。

「特に仲良くなった覚えはないんだよなぁ」

 心からの本心だ。

「『やるかやらないか迷ったらやらない』なんて言ってたお前が、ねぇ」

 そう言ってを濃い眉毛を寄せる大輔を僕はじっと見つめた。奥二重なんだなとふと思う。

「僕にも可愛い彼女を自慢したいなんて醜いとこがあったのかもね」

「そういうもんか」


 まったくもって迂闊ながらその日僕は学校に傘を持っていくのを忘れてしまった。正確には傘を持っていくことを面倒臭がってしまったため、選択を間違えた。僕は昇降口で弱まらない雨音を聞きながら、半日前の失態を嘆いていた。

 別に何かを狙っていたわけではない。普通に傘を忘れた男子高校生が普通に雨空を睨め回していただけなのに一部のお盛んな人たちの目にはそれっぽく写ってしまうようだ。

 要は、雨の中彼女を待つ彼氏の図だ。

 通りかかった女子生徒は僕を見るなり何処かへ駆けて行った。五分くらいだろうか、先程の女生徒と共に華乃がやってきた。別に僕はウブじゃない、焦って顔を逸らしたりはしないし、それは華乃も同じことだ。

 ただここで例の女生徒が一つ謎めいた発言をするまでの話だが。

「やっぱ彼女のピンチを救うのは彼氏の役目じゃなくちゃね」

 いい予感は当たらないのに嫌な予感はよく当たる。この一説について僕の持論を述べさせてもらうと、それは実に単純明快な一点に要約される。「希望的観測か自己の人生経験に基づく未来予測か」の違いだ。僕の悪い予感は人並み以上によく当たる。僕がこれから起きるであろうことに絶望している横で華乃が恥ずかしそうに言った。

「ごめん、傘入れてくんない?」

 

 濡れた彼女の黒髪はいつにも増して艶やかに見えた。僕の視線を感じたのか彼女はどこからとなくヘアゴムを出して髪を結わき始めた。いつもは肩の下あたりまで髪を下ろしている彼女のポニーテールを見るのはこれが初めてだ。露わになったうなじから慌てて目を逸らす。僕はバッグからハンカチを出して華乃に渡した。

「使って」

「ありがとう」

「びしょびしょになっちゃったね〜」と笑いながらバッグを拭いている彼女のブラウスの肩の部分は透けてしまっていて、かなりアブナイ雰囲気を纏っていた。僕は昼間脱いだカーディガンを彼女に羽織らせた。

「持ってきて正解だった。僕はいいからそっちが使って」

「今更イケメン発揮されてもねぇ、傘忘れてるし」

「そっちも忘れてんじゃん」

「いつになっても名前で呼んでくれない彼氏への必死のアプローチも虚しく」

「あー、ストップ、耳が痛い」

 華乃の台詞を途中で遮りながら僕は、自分が無意識のうちに彼女を名前で呼ぶことに抵抗を感じていたことを悟った。

「ごめん、気が向いたら名前で呼ぶことにするよ」

「気が向いたらって」

「あれ、言ってなかったっけ?やるかやらないか迷ったらやらないことにしてるんだよ」

「カッコつけちゃって、気持ち悪い」

 虹なんてかかってないし、ロマンチックさの欠片もなかったけどあの日を境に僕たちはお互いの存在をしっかりと意識するようになった。

 

 

 ガシャンという筆箱が落ちる音で僕は目を覚ました。時計を見る。まだ六時間目が二十分も残っている。僕は憂鬱な気分になった。なんだかいい夢を見ていたような気もするが思い出せそうにない。そのことも僕を苛立たせた。授業を真面目に受けようか思考する。ダメだ、迷っている。逆に睡魔に身を委ねようか思考する、これも迷っている。つまりこの二つの選択肢は選べない。こういう時僕はとても困ってしまう。何をしようにもやる気が起きないとき僕は何もできず腐っているしかない。それを悪いことだとは思っていないが、何か体を動かせることがしたいと思っていることもまた事実なのだ。左後ろをちらと見やると華乃が見事なヘッドバンキングを決めているのが見えた。僕は居住まいを正して板書を写すことにした。

 二冊分の板書をとるのはなかなかに辛い仕事で二十分はあっという間に過ぎた。ただ働きもいいところだ、心の中で愚痴を言いながら彼女にメールを送る。

 『校門で待ってる』

 淡白な七文字だと自分でも思う。こういう時なんと送ればいいのか僕はまだ知らないしこの先も分かることはないとさえ思える。

 彼女は人を十分も待たせたというのに特に悪びれる様子もなく歩いてきた。僕は彼女を待たず歩き始めた。慌てて華乃が走り出したのが足音でわかる。

「せめて謝罪の一言でもあれば僕も彼氏冥利につきるんだけど」

「ほら、いい女は人を待たせるのが上手いっていうじゃない?」

「聞いたことねーよ」

「『ごめん、人を待たせてるの』って人生で一度は言ってみたいよね」

「言っておくけど別に僕は『ごめん、人を待ってるんだ』なんて言いたいと思ったこと一度も無いからね」

「つまんない男」

「理不尽すぎる」

 会話はそこで途切れた。

 僕たちは話すこともなくただ並んで歩いた。彼女の髪が風になびくたびに甘ったるいラズベリーの匂いがした。

 いつもは無言に耐えかね強引に話を振ってくる華乃が今日はやけに静かだった。

「なにかあったの」と聞こうとした。そのはずなのに僕の唇が発した音はてんで見当違いなもので、僕の頭は五秒ほど機能停止した。

「うーん」と唸った後、華乃は笑って言った。

「特にないよ」

「そっか、安心した。今の一言忘れてくんね?」

「気が向いたらね」

 華乃はいつかの僕を真似てそう言った。まったく、情の深い女だ。

 僕がうっかりと口にしてしまった質問。その答えを知るのは今じゃない。そう思った。

 駅に着くと華乃はわざとらしく笑みを浮かべて言った。

「家まで送ってくれてもいいんだよ?」

 僕はぶっきらぼうに答えた。

「仕方ねーな」

「照れちゃって、かわいい」

「うるせー、お前だって赤くなってんじゃん」

「恥ずかしいからこっち見るの禁止」

 そう言って顔を逸らす華乃の頰が真っ赤に見えたのはきっと夕日のせいじゃない。僕は堪らなくなって彼女の手を握った。驚いた華乃が見上げた僕の顔には照れくさそうな笑みが浮かんでいた、かもしれない。

 


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