256回 作り上げた土台は上手く機能してるようだが、それ以上にこっちが大きく変わったようで
その後もタカヒロはそれなりに長生きしていった。
隠居後は実務を完全に息子に任せ、口出しする事もなかった。
求められれば考えを口にする事はあったが、
「まあ、爺の戯言だ」
と言って本気にしないよう求めた。
過去の出来事について語る事は出来るが、新しい事態に対処出来るとは思ってない。
だから、これを参考にして、次の一手を考えろ。
常にそう言っていく事になる。
「そんな事より、婆と少しはゆっくりさせんか」
そんな事を言いながら老妻と余生を過ごしていった。
それを受けた長男は、やってくる事態にほどほどに対処しながら村を運営していった。
慌てず騒がず、特に新しい事はせず、とりあえず今やってる事を上手く保つように。
創業者とは違う、作った土台の安定を促す二代目として実績を残していった。
「俺は親父とは違うから」
口癖となってるその言葉を呟きながら、愚直に現状維持に努めていった。
それは父親に言われてきた事でもあり、彼自身の悟るところでもあった。
「親父のあの発想は俺にはない」
前世の、しかもこの世界より進んだ文明の記憶を持つタカヒロである。
その発想はこの世界しか知らない者とは違って来る。
その事を息子はしっかりと自覚していた。
とはいえ父親が時折口にする前世の事を真に受けてるというわけでもない。
まさかと思いつつ、そうなのかもなあと話半分で来てるだけである。
だが、真相は分からずとも父親の考えや発想が他の者達と何かが違うのは察知していた。
だからこそ、その違いを受け入れて、下手に真似をしないように気をつけていった。
その代わり、日々起こる小さな問題などを的確に、時には時間をかけて解決していった。
小さな村であるが、それでも発生する悲喜こもごも。
それを20年間騙し騙しながらも平穏におさめたのは、やはり相応の能力や器量があっての事だろう。
創業のような華々しさも、中興の祖と言われるほどの功績も無いが、二代目である長男は大過なく仕事を全うした。
それを正確に評価したのは三代目になる。
タカヒロが作り上げ、その息子がしっかりとまとめた基盤を受け継いだ三代目は、それを元に村の拡大に成功する。
その時に、二代目の父が村長として治める間に蓄えた様々な資産を用いた。
それは金銭だけではない。
しっかりと利益を出せるようになった果樹園や生け簀の魚。
遊水池や堤防などが整備されて氾濫を起こさなくなった川。
拡大の基盤となるだけの人口。
20年の間に徹底させたしきたりなどの決まり事。
その他、有形無形の様々な構築物が三代目の足下を確固としたものにした。
「これがなけりゃ、俺には何も出来なかった」
山の斜面に更に拡大した果樹園と居住地。
そして、産業として成立するほどに大きくなった製紙業。
それは山の中に寒村でしかなかったタカヒロの村からは隔絶したものであった。
しかし、それを成し遂げた三代目は、全ては事前の準備を済ませてくれた二代目である父がいたからこそと自覚していた。
「これだけの準備があれば、誰でもやれる。
それが出来ないなら、本当の愚か者だ」
そう言わしめるほどに三代目は先代の作り上げたものを絶賛していた。
そうして拡張した村を四代目が引き継ぐ頃には、村はそれなりの存在感を出すようになっていた。
果樹と製紙と川魚の山地として、少しばかり有名になっていた。
名前も村長の名字から畑中庄と呼ばれるようになっていた。
また、畑中庄出身者が町に作ってる支援団体もそれなりの規模になっていた。
それらは町と村をつなぐ役割も果たしていった。
この協力体制が畑中庄の大きな助けになっていった。
その後モンスター領への再侵攻があったり、それを義勇兵が主導したりとあった。
及び腰な国に代わり、義勇兵が主力となっての行動である。
大きく領域を切り取る事は無かったが、着実に人類の生存権を前進させていった。
それに会わせて神社領も拡大していく事になった。
依然として及び腰だった国に代わり、義勇兵と神社は大きく勢力を伸ばす事になる。
以後、じわじわと国境の外に勢力を伸ばしていく義勇兵と神社は、国家の動きを封じるほどになっていく。
そこまで長い時間がかかるのだが、攻勢への忌避感が残る国は自縄自縛の態に陥っていたので特段何をするでもなかった。
そして、この義勇兵による攻勢の精神的な支柱になったのが、タカヒロの残した言葉であった。
畑中庄の者達の活動もそこにあった。
それが全てではないにしても、タカヒロの存在は後世にもそれなりの影響力をもたらしていった。
だが、タカヒロが残した影響で最も色濃く残ってるのは別の事であろう。




