254回 これが巣立ちというものかと感じ入る暇も無く
「静かになるもんだな、一人いなくなるだけで」
長男が旅だったその人の夜。
家の中でタカヒロはそんな事をもらした。
まだ子供達は他にもいるが、その喧噪も幾分静かなものに思える。
「そうね」
とミオも頷く。
下の子供達がいるのに、どうもいつもより静かに思えてならなかった。
「子供が巣立つってのはこういうもんなんだな」
「まだ気が早いんじゃないの?」
長男は確かに町に行ったが、それは家を出たというわけではない。
いずれは帰ってくる予定のものだ。
町へは社会というものを肌で感じてくるための武者修行のようなものである。
だが、それでもタカヒロは「いやいや」と首をふる。
「まだ半人前だけど、家を出て一人で歩いていくんだ。
もう巣立ちだろ」
例え家に戻ってくるにしても、それは帰宅とは言い難いものがある。
経験を積み、社会の中でもまれ、それでも自分の足で立ってるなら、もう子供ではない。
「もし帰って来たら、隠居かな」
「あらあら」
聞いてるミオは笑うしかない。
「まだ早いんじゃないの?」
「いやあ、もうオッサンだ」
爺ぃと言わないあたりはせめてもの抵抗であろうか。
「もうすぐ40だし。
もういい加減お役御免だろ」
「そう上手くいくと良いんですけどね」
「怖い事を言うな」
タカヒロは苦笑するしかない。
人生50年。
栄養状態や医療がととのってれば更に10年は寿命が延びる。
だが、それでも40歳ともなれば、もうご臨終を考える時期でもある。
子供達に家督を譲って隠居してもおかしくはない頃合いだ。
もっとも、さすがにまだ早いのも確かだが。
ただ、長男もあと1年2年で20歳。
家督を譲るのには少し早いが、大人と充分に言える年齢だ。
家を譲っても何も問題は無い。
「そういう年齢になったんだなあ」
「そうね」
色々とあったが、気づけばこんな年齢になっていた。
子供の事や家の事や村の事を考えてばかりであった。
何があったのか細かい所はおぼえてない。
変わり映えのないような、様々な事があったような。
そして、自分からも何かしら働きかけていったような。
とにかく色々あったような気はする。
しかし、過ぎ去ってしまうとその詳細が思い出せない。
ただただ、忙しかったという思いだけが残る。
それでいて、まだまだ何かが出来たんじゃないかというのも考える。
何かしらやってる当時はとにかく急がしてく余裕なんぞなかったはずなのだが。
「でも、まだ老け込むには早いですよ」
「ああ、分かってる」
それなりの年齢になったが、まだやらねばならない事は残ってる。
子供は長男だけではない。
その下にも何人もいる。
二番目の子供はもう15歳を迎えて成人してるのであまり手はかからない。
だが、その下にもまだ3人ほど子供がいる。
あまり間をあけずに生まれたので年の差はそれほどでもない。
一番下の子供が成人するまであと5年。
それまで頑張らねばならない。
言い換えれば、あと5年頑張るだけでいい。
「それまではもうちょっと気張らないといかんか」
「そういう事。
頑張ってよね」
「はいはい」
相変わらず女房に言われて頷いてしまう。
(奴隷として買ってきたはずなんだがなあ)
いつの間にか主導権を握られて居る。
それでいいのかと思わないでもない。
だがまあ、これはこれで上手くやっていけてる。
(なんだか締まらないなあ)
もう少し男として、旦那として、父として家の中心に……とは思うのだが。
それはあまり上手く出来ずに人生が終わっていきそうであった。
「ま、下の子は早いとこ嫁入り先を見つけておかんとな」
「あら、ようやくその気になったの?」
「ん?
いやあ、そのうち嫁にとは思っていたぞ。
相手を見つけるのが難しいが」
家を継ぐ長男以外が嫁をとるのが難しいのはいまだに変わらない。
それはこの村でも変わらない。
だからこそ、どうにか嫁ぎ先が見つからないかとは思ってはいた。
いたのだが。
「この話をしようとしたら、いつもいつも逃げてたじゃないの?」
「……そうだったか?」
「そうですよ。
そんなに嫁に出したくない、手元に置いておきたいのかと」
「いや、まさか」
「でも、父親ってのはそういうもんだって言うし」
「…………」
言われて返す言葉が無くなる。
そういう感情というか感傷は、無いとは言えなかった。
「早くこっちの方も子離れしてほしいわ」
「なるたけ努力する」
そう言うにタカヒロは留めた。
町に出た長男(19歳)と、今はまだ村に残ってる次男(15歳)。
その下には13歳の長女と12歳の三男。
そして末っ子で10歳になる次女がいる。
いずれこの子供達も巣立っていく事になる。
その子供達への気持ちを、どこかで断ち切る、あるいは切り替えねばならなかった。
それが上手く出来るかどうか、はなはだ自信がない。
(どうにかせんとな)
ままならない自分の気持ちをどうにかするために、あれこれと考えていく。
だが、その前に少しばかり女房にやり返しておきたくもあった。
「……そう言ってるお前も、最近はぼうっとしてる事が多いぞ」
「え?」
子供が一人巣立って気持ちの切り替えが出来てないのは、ミオも同じであった。




