246回 比べれば以前よりは良い
自分でやらねばならない事も多いが、概ね全ては順調にこなせている。
神社の庇護はさほど大きくは無いし、直接の手助けも多くはない。
だが、それも当たり前だとは思う。
神社の力はそれほど大きくも強くもない。
知識や知恵の保存や伝承がほぼ全てである。
その使い方を見つけなければ意味が無い。
しかし、それを上手く活用しようと思えば道はひらけていく。
結局は使う者次第と言える。
あとは自分でどれだけ頑張るかだ。
そして、努力を妨げるような事を神社はしない。
それで充分だった。
義勇兵を守る明確な取り決めや仕組みなどはない。
慣習や慣例的に何かしらの対応が取られてるというものでもない。
特段搾取されるわけではないという程度の消極的な保護があるだけだ。
だからこそ自分達で何とかせねばならないという事にもなっていく。
そんな義勇兵にとって、神社のとってる態度や対応は馴染みやすいものだった。
基本的に自助努力が求められるのが義勇兵である。
そんな彼等には努力に応じた成果がまっとうに得られる事が大切になる。
働いた分だけの報酬が得られる。
また、取り決めた通りの報酬が支払われる。
これが人間相手だと話が変わってくる。
あの手この手でそれらを巻き上げていこうとする。
モンスターを倒して核を得るというのは、こういった事がない。
倒した分だけ実入りは大きくなるという、健全な資本主義がそこにある。
これが重要になる。
人間からの依頼などだとこうはいかなくなる。
最初に契約を交わしていても、これが信用出来ない。
報酬を支払う段階になってあれこれと文句を付けられる事が多い。
契約に書かれてない事を、そして書かれた事の解釈を巡ってあれこれとケチをつけられる。
結局義勇兵側が泣き寝入りする事が多い。
依頼した側はそれを、「上手くやってやった」と考えるから始末におえない。
ようは、騙される方が悪い、という考えにたってるのだろう。
それは契約や約束という考えを真っ向から否定するものである。
当然ながら、義勇兵はそうした依頼などをまともに受けないようになる。
よほど切羽詰まってるならともかく、そうでないならモンスターを相手にするだけになる。
人間からの依頼が入ってくる場合、相当な警戒がなされる。
こいつはしっかりと依頼料を支払うのかと。
この場合、過去の行状が問題になる。
以前、どんな理屈があろうとも提示した金額を支払わなかった連中は依頼拒否の対象になる。
報酬を支払った後に何らかの手段でこれを巻き上げた連中も同様だ。
そのあたりを分別するのが周旋屋の仕事にもなっていた。
だが、こういった面倒が神社にはない。
彼等は提示した報酬をしっかりと支払った。
他の誰かの仲介をする場合でも、しっかりと報酬は支払わせていった。
あれこれ難癖をつけて報酬を渋る者も中にはいたが、そういった時に神社は渋る者に厳しい態度を示した。
そういった態度が義勇兵にはありがたかった。
公平公正な態度を貫いてくれる。
それだけで充分ありがたかった。
少なくとも、一方的に収奪されることはないのだから。
ここでは自助努力が普通に結果に直結する。
それだけで義勇兵には大きな助けになる。
下手に警戒したりしないで済む。
無駄な諍いがないというのは、それだけで快適に生活を進める事が出来る。
契約の度に一々条文を精査しないで済む。
報酬を渡す段になってあれこれ面倒な事にならずに済む。
それがまずありがたかった。




