230回 村の事情を考えればそれもやむをえなかったかもしれない 2
ミオの実家の渡小道の家は、生き汚い家として村の者達に認識されていた。
家を継ぐ男子以外は奴隷商人に我が子を売り飛ばして金を稼いでいた。
そして、村の仕事などでは比較的積極的に参加し、居場所を確保していた。
それらが計算尽くのもので、善意からではないのは誰もが理解していた。
好んで子供を売り払うというのが、村の者達に良く思われてない事は彼等も理解している。
だからこそ、村の行事に積極的に参加して、存在意義を示していた。
そのくせ、手間がかかる事や出費などの負担は上手く避けていた。
それがまた余計に嫌われる原因にもなっていた。
仕事をしてるふりをして、楽をして苦労をしない連中と。
それでも同じ村の者という事で、特に追い出すわけでもなく、ほどほどの付き合いが続いていた。
そんな渡小道の家は、この時になって一気に躍り出てきた。
先を見越していたのだろう、隠していた食料などを少しずつ周囲に配るようになった。
なんだかんだで金回りは良い連中である。
子供を売り払った金を元にして、様々な事をしていた。
利にさといところもあるので、先を読んで行動する事も出来た。
悪知恵が働くの類であるが、それでも頭は回る連中ではあった。
さすがに犯罪と分かるような事はしてなかったが、そうでない事は何でも出来るような者達でもある。
攻勢が始まると聞いてから、あちこちから行商人を通じて買い付けを行っていたのだ。
おかげで、値上がりする前に食料などを手元に確保する事が出来た。
物資が無くなる頃には、相当な量を蓄えているほどだった。
それを用いて、村の中での存在感や主導権を握り初めていった。
手始めに食料と引き替えに数人の護衛を雇っていった。
名目上、畑仕事やモンスターへの対処を名目にはしていた。
しかし、それらが村人への牽制であるのは誰の目から見ても明らかだった。
また、村の者達には食料などと引き替えに田畑を要求していった。
農家にとって田畑は大事な資本である。
おいそれと渡す事は出来ない。
しかし、物資不足の最中である。
食料すらままならない。
背に腹を帰られず、泣く泣く田畑を譲り渡した者達もいた。
それへの文句はあるが、正当な取引という事で誰も文句を言えなかった。
また、困ってる時なんだから食料を分けてくれという者達もいた。
当然ながらこれらについては全く聞き入れられる事はなかった。
当たり前だが持ってるものをどうするかは所有者の自由である。
他の者がどうこうする事は出来ない。
むしろ、困ってるからと言って要求する方が間違っている。
この部分については渡小道の家の者達に何の落ち度も瑕瑾もない。
求めた者達の方に非があると言える。
そんなわけで渡小道の家の者達は、誰もが困窮していく中で一気に拡大成長していく事が出来た。
手元の食料と引き替えに、村の田畑で最も良い場所を次々と手に入れていった。
むろん、村の者達も全てを手渡したわけではない。
だが、今までよりも少ない田畑で今後はやりくりしていかなくてはならない。
それを賄うために、渡小道の家で働かざるえをえなくなった者達が出てきた。
彼等は本来なら自分達のものであった田畑を耕し、渡小道の家から給与を渡されるようになった。
こうして村には小作人が増えていった。
同時に、渡小道の家の発言力が急速に高まっていった。
村の集会における渡小道の発現は大きくなり、様々な事に口出しをするようになってきた。
それが理にかなったものならば良かったのであろうが、残念ながらそうではない。
渡小道に都合の良い方向に話をもっていかれるようになった。
対抗しようにも、広い田畑を持ち小作人を抱えてる家なのでおいそれと反対も出来ない。
その小作人も村の者達である。
彼等が解雇されてしまったら、その分村の者達が困窮する事になる。
既にそうした事は起こってしまっている。
渡小道で働いていた村の者が解雇されるという事が。
その穴埋めは、他所から来た者が賄っている。
そうやって余所者に村の者が得られたはずの稼ぎをとられる事になってしまっていた。
このあたり、渡小道の者達は淡々としていた。
逆らう者は許さない、従う者だけを抱えていく。
その方針を言葉ではなく態度で示していった。
かくて小作人ですらなくなった者は、狭くなった田畑で細々と生きていくしかなくなった。
あるいは村では生きていけないと町に向かう者も出てきた。
そうやって人が流出していく毎に、村における渡小道の発言力は強まった。
渡小道の家の規模はそのままだが、相対する村の者達の方が自動的に減っていってるのだ。
相対的に強力になっていく。
だんだんと村は渡小道の家に支配されていくようになった。
そして事態を収拾出来ない村長への不信感も高まっていった。
正直なところ、村長が誰であろうとどうにか出来るとは思えない。
だが、村の者達は鬱憤をぶつける先が欲しかった。
それが渡小道に向かうならともかく、村長に向かっていったのは問題であるが。
そんなわけで村長は、せめて外に追い出すしかなくなった者達の受け入れ先を求めていた。
そうすれば、村の者達を見捨てるという事態を多少は緩和出来ると考えての事だ。
タカヒロはそんな村長にとって都合の良い存在だと思われたのだろう。
自分の支持や命令に従うものと。
その結果叩きのめされる事になったが。
とにかく二進も三進もいかなくなり、村長は追い込まれていった。
しかし、それをタカヒロ達がどうにかしてやる義理や義務もない。
もう村の者ではないタカヒロ達にどうにかしてもらうなら、相応の見返りを用意するべきである。
これをしなかったのが村長にとって最大の失敗である。
ただ、何が悪かったというならば運が悪かったというところだろうか。
攻勢なんてものがなければ、村はこんな事にはならなかっただろう。
それを考えると村の者達は哀れではある。




