219回 何よりも苦戦する相手 4
子供相手の苦戦は続く。
家庭内においてどう接するかという難題もそうだし、成長していく子供達への教育も難しい。
この世界においては物心つく頃から仕事の手伝いをしていき、そのまま家業を継ぐのが普通だ。
その間に手習いに行って、読み書きなどをおぼえていく。
4歳か5歳で家業をしてるのは当たり前。
なのであるが、さすがにそうもいかない。
義勇兵の仕事を子供にさせるわけにはいかないのだから。
いくらなんでも子供をモンスターとの戦いにつれていくわけにはいかない。
死ぬ可能性を無駄に跳ね上げるだけでしかない。
そのため、子供達は主に家の中の作業などを手伝う事になっていた。
縄作り、むしろ作りなどなど。
作れるものは全て自分達で作るのが基本の世界だ。
まして他の集落から離れてる小さな村である。
足りないものは自分達で賄わないとどうにもならなくなる。
とりあえず子供達にはそういった作業をさせていた。
そうする一方で遊びとしてチャンバラをやらせてもいった。
訓練や稽古というほど大したものではない。
また、勝ち負けを競わせたりもしない。
どうしても勝敗がつくので、その数が子供達の間での優劣や上下をかもしだしはするが。
しかし、それで順位を付けたり、誰かを優遇したり貶めたりはさせないようにしていった。
意味が全くないからだ。
優秀な者達はそれでやる気を出すかもしれないが、負けてる者達の意欲を無駄に削る事になる。
そうなってしまったら、村の存亡に関わっていく。
どうしても半々に分かれる優劣の差が、そのまま兵力に直結しかねないからだ。
負けてる方に篩い分けられた者達が意欲を無くしてしまったら、それだけで戦力は半減する。
また、優秀な方でも当然ながら上下がついていく。
その中でもまた意欲に燃える者達と意気消沈する者達で分ける事になっていく。
こんな事を繰り返していったら、外にいるモンスターと戦う前に、気持ちが死んでしまう。
そんな事をするためにチャンバラをさせてるわけではない。
遊びとして戦い方を身につけさせるのが目的なのだ。
求めてるのはこの中での優劣ではない。
外にいるモンスターと戦える、少なくとも生き残れる。
それだけの能力は絶対に必要になる。
だからこそ、子供達にはまず戦い方をおぼえてもらわねばならなかった。
チャンバラは遊びとしてそれをおぼえていくための手段である。
それを意味のない、害悪とすら言える競争で潰えさせてしまっては元も子もない。
こういった事にならないよう、タカヒロは決してさせないように厳命していた。
幸か不幸か、こういうところで父親達は、ようやく上手く子供達に接していけるようになった。
モンスター相手に何年も戦い、技術も身につけている。
レベルとして表示されないノウハウなども、あるいは技術レベルを効率よく結びつける方法も心得てる。
新人に教えるのも手慣れたものだ。
だからこそ、タカヒロ達はここで子供達に先輩として接していく事が出来た。
残念ながらこの場合だと相手をするのは男の子に限定されてしまう。
女の子でも興味を持つ者はいるのだが、それほど多いわけではない。
必然的に男の子がいない者は、今まで通りとなってしまう。
子供との接し方であれこれと悩み続けてしまう。
それを解消するために、夜な夜な女房と励む者もいるくらいだ。
それもどうなのだろうという所だが、大半の男は子供との接点をみつけだして安心していた。
人と人のつながりは、何かしらの活動を通じて得られるものもある。
身を守る手段を身につけるための遊びで男達はそれを得ていた。
これが悪事ならともかく、そうではないのだから問題もない。
自分達がもっとも慣れている事を通じて、男達は子供との接点を見いだしていった。




