原波羅小学校きんじろう捜索隊 ~searchin' for the KINJIROU~
1.
「1549年。サンフランシスコ=ザヴィエルというえらいお坊様が、日本にキリスト教を伝えました。以後よく(1549)広まるキリスト教、と覚えましょう。」
担任の芳田先生が、社会の教科書を読み上げます。愛花ちゃんは耳でその声を聴きながら。さっきから視線は芳田先生のお顔ではなく、机に開いた教科書の上。偉いお坊様のサンフランシスコ=ザヴィエルさんの肖像画に、アンテナを生やしてクスクス笑っています。
社会の授業はきらいではないし、ちょうど、お兄ちゃんのマンガで読んだノブナガさんや、ヒデヨシさんがもうすぐ出てくるあたり。先生のお話にももちろん、興味はあるのですが。愛花ちゃんはもう、教科書のそのあたりは先に読んでしまっているし、イチバン好きなカツイエさんがちょっとしか出てこないことも知っています。それよりも今は、ザヴィエルさん。見事なはげ頭と格好いいポーズが、愛花ちゃんの創作意欲を、バンビンに引き立てます。
「(うん。完成。)」
ようやく納得のいく完成を迎えた宇宙からの使者。スペースザヴィエル上人に、愛花ちゃんが満足の微笑みを浮かべた時でした。愛花ちゃんの机の中から、ブー!ブー!という振動音とともに、にゃーん?にゃーん?というネコさんの声が鳴り響きます。
「こら!誰ですかー?授業の間は携帯の電源は、切りなさーい!」
ありゃ!と首をすくめ、愛花ちゃんはあわてて机の中のスマホを操作します。音を止めるふりをして、こっそりと画面のメッセージをチェック。目ざとくその動きを捉えた芳田先生ににらみつけられ、えへっ!と首を傾げてみせます。
「まったく…。いけませんよ、妹尾さん。隠して見てたって、先生にはお見通しなんですからね!だいたい、先生がみんなくらいの頃はね。学校に携帯、持ってきちゃ、いけなかったんですから。」
もう、と芳田先生はため息をつきます。
「せんせー、古いんだー!」
ケンヤくんがうれしそうに声を上げ、みんなが笑います。
「もう!迫田くん?女性にそういうことを、言ったら失礼なんです。先生、怒りますよ!」
芳田先生は眼鏡の奥のお綺麗な瞳を、三角にして怒ります。怒られているケンヤくんは何故だかとても、嬉しそう。美人の芳田先生が好きなんじゃないかと、クラスの女子のみんなは言っています。
芳田先生が気を取り直してザヴィエルさんのお話を続ける中、愛花ちゃんは。どうしたのでしょう。今度はきょろきょろ、窓の外を見回しています。
「(クマさん、どこだろ?)」
先ほど、スマホに入ったメッセージ。3組のミナトちゃんから。
《校庭に、クマさんいる!!》
なんとも、愛花ちゃんの興味を引く内容です。さすがイチバンのお友達のミナトちゃん。ツボを心得ています。愛花ちゃんの興味は一瞬にして、宇宙の使者スペースザヴィエル上人から、校庭にいるというクマさんに移ってしまいました。
「(いた!ホントにクマさん、いる!)」
愛花ちゃんの見つめる先には、校庭の真ん中の、朝礼台。いつも校長先生の立っているそこに、真っ黒い、小さなクマさんが。もそもそ動いて、乗っかっています。
クマさんは何かを探すように、朝礼台の上から。きょろきょろ、校庭を見回していますが。やがて、自分のうしろの2本のポール。運動会の時に、国旗と、校旗を掲揚する銀色のポールに興味を示し、よじよじとのぼり始めます。
「(ちっちゃいなー。こどものクマさん?なのかなー?)」
愛花ちゃんは器用にポールをのぼる真っ黒いクマさんを、飽きずに眺めています。こんなふうに、自由に動いているクマさんを見るのは、初めてのことです。
「あっ!」
思わず愛花ちゃんが、声を上げました。それまでうまくポールをよじのぼっていたクマさんが、突然、スルスルと滑り落ちてしまったのです。
「妹尾さん。どうしたのですか?」
芳田先生が、光る眼鏡をクイッとやります。愛花ちゃんは本日2度めのイエローカード。次はレッドカードで、廊下に退場です。
「あ、あの。ザヴィエルさんは、テッポーをもってきたので。ノブナガさんと、仲良くなりました!」
愛花ちゃんはあわてて誤魔化します。先生がクマさんに気づいたら。なんだか、よくない気がします。それこそ。ザヴィエルさんの持ってきたテッポーで、射殺してしまうかもしれません。
「…よく、予習をしていますね。よろしい。」
さいわい、芳田先生は窓の外には気がつきませんでした。
「(クマさん、大丈夫だったかな…。)」
愛花ちゃんはこっそりとまた、窓の外を見ます。クマさんはもそもそ、今度は校庭の茂みの方に歩いて行きます。
「(ケガしなくて、よかった。)」
愛花ちゃんはとりあえず安心して、ホッとため息をつきました。
2.
社会の授業の間、ずっとそわそわしていた愛花ちゃんは。チャイムと同時に立ち上がり、教室を飛び出します。
「こらー!廊下は走ったら、ダメですよー!」
教室から聴こえる芳田先生の声に背中でごめんなさいしつつ。階段を駆け降り、急いで昇降口へと向かいます。四年生の教室は、4階。校庭に行って、戻ってくるには、10分間の休み時間ではちょっと、余裕がありません。
廊下の向こうから、校舎の反対側の階段を駆け降りてきたミナトちゃんがこっちへ走ってきます。
「クマさん、見た!?」
「見た見た!!校庭のポール、のぼってたよね!!」
「落ちてたよね!」
「落ちてたよね!」
二人は息を切らして走りながら。互いの見たものを、確認しあいます。
「行ってみよう!!」
二人は大慌てで上履きを履き替え、校庭に走り出します。クマさんは、茂みのほう。花壇のあるほうに、向かっていました。校舎の壁に沿った赤いレンガの、横に長い、低い花壇。もうすぐチューリップの咲く頃ですが。今はまだ黒い土しかない花壇のレンガ沿いを、クマさんは。先ほど窓から見たように、何かを探してきょろきょろしながら、もそもそ歩いて、いるようです。
「クマさん、いた!」
二人はクマさんの小さなお尻を見つけ、駆け寄ります。もそもそ歩いていくクマさんのあとを追いかけ、二人は。花壇の角を、曲がりました。
「あっ。」
角を曲がったそこには、一人の男の子。ミナトちゃんと同じ、3組のゆーとくんが、クマさんを待ち構えるようにしゃがんでいました。ゆーとくんにとおせんぼされる形になったクマさんは、きょろきょろ、左右を見回しています。
「あ…。」
二人の声に顔を上げたゆーとくんは、気まずそうに女の子二人を見ます。かっこよくて、勉強もスポーツもできるゆーとくん。クラスは違いますが、愛花ちゃんもよく知っています。ゆーとくんはかっこいいので女子から人気があるのですが、なんだか、女の子と話すのが苦手みたいで。なかなか女子は、仲良くなれません。愛花ちゃんも、それはちょっと残念に思っていました。
「ゆーとくんも、クマさん、つかまえにきたのー?」
ミナトちゃんがききます。クラスが一緒なので。ミナトちゃんは、ゆーとくんと普通に話せて、いいなあ。愛花ちゃんは、ちょっと残念に思います。
「か、春日、さん…。」
ゆーとくんは、真っ赤になってうつむいてしまいます。クラスが一緒なので。ミナトちゃんは、ゆーとくんに名前、覚えてもらってるんだ。いいなあ。愛花ちゃんは、ちょっと残念に思います。
「こ、これ。この子。子グマ?だよね。迷子なんじゃ、ないかと、その。気に、なって…。」
ゆーとくんの声は、だんだん小さくなっていきます。さっきから女の子二人にじいっと見られているのが、よっぽど恥ずかしいのでしょう。ゆーとくん、かっこいいのに。愛花ちゃんはちょっと、残念に思います。
「クマさん。迷子、なのかな?」
愛花ちゃんは、ミナトちゃんと顔を見合せます。その間もお構い無しに、クマさんはもそもそと。何かを探して、どこかに行こうとしています。
ゆーとくんがクマさんを両手でつかまえ、持ち上げました。
「こ、これ。赤いの、見えたから…。」
愛花ちゃんとミナトちゃんは、ゆーとくんの差し出した、クマさんの首のあたりに顔を近づけます。クマさんの首には、なるほど。小さな赤い、かわいらしいリボンが巻かれています。
「きっと。誰かの飼ってた、ペットなんじゃないかな。と、思う…。」
ゆーとくんの推察はなかなか的確です。ゆーとくん、かっこいいし、頭もいいんだなあ、と、愛花ちゃんは素直に感心します。
クマさんは気ままに、今度はゆーとくんによじよじと、のぼり始めました。
「あれ。」
愛花ちゃんは、クマさんの首もとに目を止めました。赤い小さなリボンの下に。ぴかぴかの、プラスチックの白い名札がついています。
「きんじろう?」
クマさんの名札には。たしかにひらがなで、そう書いてあります。
「飼い主さんの、名前?かなぁ。」
愛花ちゃんとミナトちゃんは、もう一度二人で、顔を見合せます。
その前では、クマさんに顔にのぼられてしまったゆーとくんが。息ができずに、もがもがもがいていました。
「こら!誰ですかー?授業中は、クマさんに黒板をのぼらせたら、いけません!!」
芳田先生が怒っています。その横では、クマさんが黒板を、よじよじ。愛花ちゃんはあわててクマさんを黒板から引き剥がし、自分の席に戻ります。迷子のクマさんを、放っておくわけにもいかず。なによりそのままでは、ゆーとくんが窒息してしんでしまうので、愛花ちゃんはとりあえず、ミナトちゃんと二人でどうにかクマさんをゆーとくんから下ろし、教室へ連れていったのですが。クマさんは気まぐれに、あちこち、のぼったり、おりたり。よじよじしはじめて、困ってしまいます。
「まったく…。いけませんよ、妹尾さん。だいたい、先生がみんなくらいの頃はね、学校にクマさん。連れてきたらいけなかったんですから。」
芳田先生はため息をつきますが。学校にクマさんがいること自体については、どうもあまり、深く考えていないように見受けられます。愛花ちゃんはちょっと、安心しました。
「(きんじろうさん。探してあげれば、いいのかな?)」
相変わらず何かを探して、きょろきょろしているクマさんを見ながら、愛花ちゃんは思います。
きんじろう。きんじろうさん。愛花ちゃんは、なんだかきいたことのある気がするのですが。ちょっと、思い出せません。
「(帰ったら、お兄ちゃんにきいてみよう。)」
愛花ちゃんの横では、クマさんが、よじよじ。今度はケンヤくんにのぼり始めていました。
3.
「ねえ!お兄ちゃん、きんじろうさん?って、知らない?」
放課後。お家に帰った愛花ちゃんはすぐに、二階のお兄ちゃんの部屋に向かいます。いきなり入ってきた愛花ちゃんに驚いて、お兄ちゃんはあわててパソコンの画面を隠します。
「な、な、なんだよ愛花。入る時は、ノックしろっていっただろう?」
太めの体を揺すりながら、なにやら動揺しているお兄ちゃん。愛花ちゃんのお兄ちゃんはしばらく前から、いつもこんな感じです。昔はもっと、落ち着いて、朗らかで、かっこよかったのですが。太り始めてからというもの、部屋にこもりがちになったお兄ちゃんは、パソコンを見てばかりいるようになり。それまで仲良しだった愛花ちゃんにも、こういった、ちょっとよそよそしい態度をとるようになってしまいました。
正直、愛花ちゃんは昔のお兄ちゃんの方が、かっこよくて、やさしくて、好きでしたが。今のお兄ちゃんは今のお兄ちゃんで、パソコンでいろいろ調べて、なんでも知っているので。わからない事があるときはこうしてききにきて、いつも頼りにしています。
「き、きんじろうさん?ああ、きんじろうな。あれだろ。ちょっと待ってろ。」
お兄ちゃんは今日もそう言って、すぐに教えてくれます。さすがお兄ちゃん、やっぱりなんでも知ってるんだ。愛花ちゃんは素直に感心しながら、パソコンの画面に映った水着の女の子の写真を一生懸命小さくしているお兄ちゃんの作業を見守っていました。
「ほら、これだ。」
お兄ちゃんが、パソコンの画面に開いた写真を見せてくれます。そこには、着物を着て、樹の枝を背負いながら。本を読んでいる、不思議な男の人の銅像が映っていました。
「あー…。」
お兄ちゃんは今一つピンとこないという顔の愛花ちゃんを見て、説明を始めます。
「そっか。愛花は見たことないかー。これはな、二宮金次郎という偉い人で。こうやって、働きながらたくさん本を読んで、一生懸命勉強した人なんだ。原波羅小学校にもたしか、あったはずなんだが…。」
お兄ちゃんはそこで、いたずらっぽく笑います。
「そうそう。夜。校庭を走り回るんじゃ、なかったっけ。」
えっ、という顔をする愛花ちゃん。どうやら興味があるらしい愛花ちゃんの反応にお兄ちゃんは、待ってろ、と言ってメールを送ってくれます。
「うちの学校のな。七不思議って、有名なんだ。愛花も、こういうの好きか。」
お兄ちゃんは自慢気に、胸を張ってみせます。
「水着美少女…エッチ画像100選…。」
愛花ちゃんはお兄ちゃんがスマホに送ってくれたメールをあけて、添付のインターネットアドレスを開いてみます。
「待て、間違えた!それは見るな!!」
お兄ちゃんはあわてて、メールを送り直しました。
4.
翌日の、お昼休み。愛花ちゃんとミナトちゃんの二人は、七不思議のひとつ。校舎中央の、「ときどき13段めが生えてくる階段」に腰掛け、愛花ちゃんのスマホで「きんじろうさん」の写真を見ています。
二人は既に、あちこち走り回るという「きんじろうさん」が現れないか、期待して。原波羅小学校七不思議のうち、「開かずの準備室」や、「誰もいないのにノックの返ってくるトイレ」。「勝手にバスケットボールのはずむ体育館」などを、見てきたのですが。
「開かずの準備室」は既に修繕されて、ちゃんと使える「準備室」になっていましたし、トイレには普通に誰か入っていて、普通にノックが返ってきましたし。体育館では男子たちが元気にバスケットボールをしていて、ボールの弾む心地よい音が響いていました。銅像の「きんじろうさん」が走り回るどころか。なにひとつ、不思議なことなんてありません。
この階段にしたって、そうです。二人は何回も何回も、段数を数えてみましたが。13段めなんて生えてくる気配もあるはずがなく。今はただ、どうやらこの遊びが気に入ったらしいクマさんだけが、何回も何回もよじよじと、二人のうしろで階段をのぼりおりしています。
「…やっぱり。暗くなってからじゃないと、不思議は起こらないのかなー。」
「うん…。ここにも夜遅く、って、書いてあるねー。」
愛花ちゃんはとミナトちゃん。二人は「きんじろうさん」の説明を何度も読み返し。困った顔をしています。二人とも、こういった不思議なお話は大好きなのですが。怖いのはちょっと、苦手です。それに。夜遅くになんて学校にいたら、先生や、お父さんやお母さん。大人の人にきっと、怒られてしまいます。
「不思議が起こらないと。クマさん、『きんじろうさん』に会えないのに…。」
愛花ちゃんは心配そうに、クマさんを見ます。クマさんは相変わらず、楽しそうに階段をのぼりおりしています。
早く「きんじろうさん」、見つけてあげないと。愛花ちゃんはそう思い、残る七不思議の説明を読み進めます。
「『5、目が光るバッハ。第二音楽室のバッハの肖像画は、五時半のチャイムにあわせて目が光る。』あ、ミナトちゃん。これなら見られるかも!」
愛花ちゃんが目を輝かせます。五時半なら、急いで帰れば6時までに帰れるので、お母さんに怒られません。それに、目が光るだけならそんなに怖くないし、ちょっと面白そうです。
チャイムのリズムに合わせて、メトロノームのように目をピカピカさせるバッハ。そこへ駆けてきて、音楽室を走り回る銅像の「きんじろうさん」。二人はそんな楽しい光景を想像して、わくわくしてしまいます。愛花ちゃんとミナトちゃんは放課後にまた会う約束をして、教室へと戻っていきました。
その日の五時間めはちょうど、音楽の授業で。こっそり引き戸の鍵を外しておいた愛花ちゃんは、放課後、ミナトちゃんと一緒に第二音楽室に忍び込み、二人で先ほどから、ずっとバッハを見張っています。五時半まで、もう少し。普段は学校にいない時間に、本当は子供だけで入っちゃいけない音楽室にいるだけで。なんだかとても、大変な冒険をしているような気がしてきて。二人はとても、ドキドキしています。五時を過ぎてから、空は急速に暗くなって。しんと静かな音楽室は、いかにも不思議の起こりそうな雰囲気になってきました。二人のうしろでは、真っ黒いクマさんが。真っ黒いピアノに、よじよじとのぼって遊んでいます。
静まり返った音楽室に聴こえる音は、二人の息遣いのそれに、壁の時計の針が、いやに大きく時を刻む音。時刻はいよいよ、五時半のチャイムまで1分を切り、既に最後の一周に入っています。
コツ、コツ。
それまでは聴こえなかった音が、急に音楽室に響きました。ピャッと飛び上がるように二人は、互いに顔を見合せます。
廊下を歩く、足音。それも。明らかに、こちらへむかってくる足音。
「(きんじろうさん!?)」
来たんだ!本当に、「きんじろうさん」が来たんだ!!愛花ちゃんの心臓が、信じられないくらいバクバクと。速いスピードで、さっきからなり続けてきます。
そして、遂に、五時半。チャイムの鳴るのと同時に。第二音楽室の引き戸が、ガラガラガラと開かれました。愛花ちゃんとミナトちゃん。二人は、ひっ、と息を飲み込みます。
「こらー!だめですよ、下校時刻が過ぎているのに。こんなところに隠れて!」
音楽室の電気が、パッと点され。芳田先生が、ハイヒールをコツコツ鳴らしながら、音楽室に入ってきました。
「…まったく。いけませんよ、こんないたずらをして。いったい、音楽室で何をしていたの。」
芳田先生に一通り叱られ、愛花ちゃんはとミナトちゃんは、しょんぼりしています。
「わたしたち。『きんじろうさん』を待っていたんです。」
先生の質問に、愛花ちゃんは正直に答えます。
「きんじろうさん?」
芳田先生は怪訝そうな顔をします。
「五時半になると、バッハさんの目が光るんです。そしたら、『きんじろうさん』が走ってくるんです。」
今度は、ミナトちゃんが説明します。芳田先生は思わず吹き出してしまいました。
「ああ。なんだ、七不思議?今のコも、知ってるんだ!」
芳田先生は、なんだか嬉しそうに言います。いつも丁寧な言葉で話す芳田先生が友達みたいに話しかけてくるのを、愛花ちゃんは不思議そうな顔で見ています。
「先生も七不思議、知ってるんですか?」
真面目な顔で、愛花ちゃんがききます。芳田先生は、あ、という顔をして、いつもの丁寧な話し方に戻ります。
「ああ、笑ってごめんなさいね。先生、つい、懐かしくて。先生が二人くらいの頃にもね、七不思議。みんな、噂していたんですよ。先生もそういえば、こうやって、友達とバッハさん見にきて。先生の先生に、叱られたなあ、って。」
芳田先生はなんだかとても、楽しそうです。いつも「先生がみんなくらいの頃は違かった。」というお話ばかりする芳田先生にも、愛花ちゃんたちと同じくらいの歳だった頃があって。そして、愛花ちゃんたちと同じように、いたずらをして、先生に叱られて。そんなことがあったというのは、なんだかとても意外で、不思議なことであるかのように。愛花ちゃんには、感じられるのでした。
「あ。じゃあ、先生。先生は『きんじろうさん』、どこにいるか、知ってますか?」
あっ、と気づいたように、ミナトちゃんが芳田先生にききます。愛花ちゃんも、あっ!そうか!と期待した目を、芳田先生に向けます。
「この人なんです。」
愛花ちゃんがスマホの画面に映った、水着の女の子の写真を見せます。
「?」
という芳田先生の反応に気づいた愛花ちゃんは、しまった、ともう一個のメールを開け、今度はちゃんと「きんじろうさん」の写真を見せます。
「うーん、『きんじろうさん』、ね…。何年か前まで、たしかにこの学校にも校庭にあったはずなんですけど…。」
芳田先生は天井を見上げて。あれはどうなったっけ、と記憶の糸を辿ります。
「何年か前にね、やっぱり七不思議が流行った事が、あったんですよ。その時に、男子生徒が何人かで、本当に走るか実験するって、ロープで縛って朝礼台のうしろのポールに繋いでしまって。それで、『きんじろうさん』みたいな偉い方の銅像にいたずらするとはけしからん!って、酷く怒ったPTAの方がいて。それがきっかけで、撤去されてしまった、と、思うんですけど…。」
芳田先生は何か、引っかかるものがあるようです。一方、愛花ちゃんは。その男子生徒がおそらくお兄ちゃんであるだろうことを、直感的に感じとるのでした。
「あ!そうだ!」
芳田先生がポンとても、ヒザを叩きます。
「校長室。たしか、校長先生が、壊してしまうのはもったいないからといって。今は、校長先生の机の隣に飾られてたはずですよ。先生もしばらく見ていないから、忘れていましたけど。」
「校長室!!」
愛花ちゃんとミナトちゃんは同時に声をあげ、また、二人で顔を見合せるのでした。
5.
さらに翌日の、昼休み。愛花ちゃんとミナトちゃんは、正面玄関、お客様用の大きな靴箱の陰に隠れ。廊下を曲がった先、校長室の重い樫の扉をじっと、見張っています。二人のうしろでは、例によって。クマさんが靴箱を、よじよじ。のぼったりおりたりして、遊んでいます。
芳田先生の情報で「きんじろうさん」が校長室にいることは、わかったのですが、校長室とはなかなか、どうして。この学校の中でも、生徒がそうそう簡単に入る事のできない部類に入る空間です。重い樫の扉には、中に誰もいない時には厳重に鍵がかかっており。さすがに、第二音楽室のようなわけにはいきません。
そこで二人は、校長室の扉に鍵のかかっていない、校長先生のいる時間。こうして昼休みの間、校長室を見張り続けて。校長先生がトイレに行こうと出た隙に、入れ替わりに校長室へ侵入する作戦を立てました。
もう大分長いこと、二人は校長室の扉を見張っているのですが。校長先生は、一向にトイレに行く気配がありません。お昼寝でも、しているのでしょうか。それとも、校長先生くらい偉くなると。トイレにいかなくても、平気なのでしょうか。あるいは、校長室の中に、トイレがあるのでしょうか。なんにしても昼休みの時間は刻一刻と過ぎてゆき。二人は少々、焦りを感じ始めています。
二人のうしろで、ガラガラガラと引き戸の開く音がしました。正面玄関を挟んで、校長室とは反対の廊下。そこには、職員室が配置されており。お客様用の大きな靴箱に隠れているつもりの二人は、実は職員室の方からは丸見えです。
「あ…。」
二人はうしろからかけられた声に、思わず振り向きました。そこには、学級日誌を抱えて職員室から出てきたゆーとくんが。困ったように、立っています。
「春日、さん…?何、してるの…?」
ゆーとくんは明らかに怪しい行動をとっている女の子二人に遭遇してしまい、相当、反応に困っています。今日もミナトちゃんだけ、ゆーとくんに呼んでもらえて、いいなあ。愛花ちゃんはちょっと、残念に思います。
「あ、ゆーとくん。あのね。あの中に、『きんじろうさん』がいるの!」
ミナトちゃんは、実に簡潔に状況を説明します。
「この人!」
愛花ちゃんはスマホの画面をゆーとくんに見せました。そこには、水着の女の子の写真が映っています。ゆーとくんは真っ赤になって、あわてて目を閉じて頭をぶんぶん、振っています。
「あの中にいる『きんじろうさん』にね、クマさん、会わせてあげたいの…。」
悲しそうな顔をする、女の子二人。校長先生はいつもニコニコしていて、とても優しそうな方ですが。愛花ちゃんたちはあまり、校長先生とは直接お話したことがなく、どんな人なのか、実はよくわかりません。そこは、責任のある偉い方のこと。学校にクマさんがいるのを見つけたら、警察を呼んでしまうかもしれません。この国は芳田先生のような、細かい事をあまり気にしない大人ばかりではないのです。
「どうしよう…。」
うつむいた愛花ちゃんは、ゆーとくんの足がスタスタスタと。校長室にむかって、迷いなく歩いていってしまうのを視界の端にとらえ。「えっ!?」と声をあげ、頭も上げます。ゆーとくんは一人でさっさと校長室の扉の前に立ち、遠慮なく、コンコンコンとノックをしてしまいます。
「はいはい。」
校長先生の、穏やかな声が聞こえます。ガタガタガタと机椅子の動く音がして、やがて。ガチャンと音がして、校長先生のコロンと丸いお顔が、開いた扉から出てきました。校長先生は扉の前に立つゆーとくんを見て、おやという顔をします。
「校長先生。ぼく、校長先生におききしたいことが、あるんですけど。」
ゆーとくんが、まるで恐れ気なく校長先生に話しかけます。女の子相手にはあれだけしどろもどろになっていたというのに、まるで同じ人とは思えません。よっぽど、女の子が苦手なのでしょう。愛花ちゃんは、少し残念に思います。
「この、優勝旗のことなんですけど。」
ゆーとくんは、校長先生を巧みに誘導し。校長室を出た先、廊下の奥のショーケースに飾ってある、優勝旗の前まで連れ出してしまいます。ゆーとくんは、校長先生とお話をしながら。女の子二人の方へ、パチパチと目で合図を送りました。
「(ゆーとくん、すごい!!)」
愛花ちゃんとミナトちゃんは、クマさんをだっこして、抜き足、差し足。ゆーとくんの話に熱心に耳を傾けている校長先生に気づかれないよう、こっそりと校長室に近づき。ソーッと静かに中へ、入っていきました。
校長室の重い扉が音もなく、そっと閉じられたのを、見届けると。ゆーとくんは、出来るだけ校長先生の気を引くため、優勝旗について、あれこれ、思い付く限りの質問をします。
「へえー!これ、野球の大会の優勝旗だったんですね!すごいなあ!!」
キラキラと目を輝かせ、無邪気に喜ぶ、演技をするゆーとくん。しかし、その演技があまりに巧妙すぎたためか。校長先生はうんうんとうなずいて。
「興味があるなら、そうだ。写真もみせてあげましょう。」
校長室へと、ゆーとくんを誘います。コロンと丸い体を揺らして、校長室へと戻り始めた校長先生。「(まずい!)」と思ったゆーとくんは、反射的にその両足に飛び付き、タックルを敢行。まったく予想外の不意討ちを受けた校長先生は、ビターン!と音を立て、見事に顔から廊下へとダイブします。二人の時が、止まりました。
一瞬だけ止まった二人の時間が、動き始めます。冷静になったゆーとくんは、「(しまった!つい、やってしまった!)」とあわてて起き上がります。一拍遅れて、校長先生ももそもそと起き上がってきました。
ゆーとくんは緊張の面持ちで身構えますが。校長先生はニコニコ笑って。
「さすが、ジュニアフットボールチームで頑張っている、沢尻勇人君。この校長先生を倒すとは、なかなか、見事なタックルでしたよ。」
ゆーとくんのタックルを誉め讃え、再び校長室へと向かいます。「(まずい!)」と思ったゆーとくんは、反射的にその両足に飛び付き、タックルを敢行。まったく予想外の不意討ちを受けた校長先生は、ビターン!と音を立て、また、見事に顔から廊下へとダイブします。二人の時が、ふたたび止まりました。
「これが…『きんじろうさん』…?」
校長室に入って、正面。校長先生の大きな机の隣に。芳田先生のおっしゃったとおり、「きんじろうさん」は立っていました。写真でみたように、樹の枝を背負って。うつむいて、手にした本に視線を落としています。
実際の「きんじろうさん」は、思っていたよりずっと、小さくて。とても走り回るようには、見えません。二人は、うーん?と首をかしげます。
「それで…。」
クマさんを、「きんじろうさん」の前におろして。二人は、どんな反応をするか、見守りますが。クマさんは例によって、「きんじろうさん」によじよじとのぼってしまい。気に入ってはくれたようなのですが、これといって、特にいつもと変わった様子はありません。二人にはなんとなく、「(これは違うんじゃないかな?)」という気が、してきました。
「おやおや、クマさんですか。かわいいですねぇー。」
うしろから聴こえた校長先生の声に、二人はハッとして振り返ります。いつの間にか、校長室の入り口には、ニコニコ笑った校長先生が戻ってきていました。出来うる限りの抵抗を最後まで試みたのでしょう。足下には、校長先生の両足を抱え込んだゆーとくんが。タックルの姿勢のままで、ズルズルと引きずられています。
校長先生は部屋の中へ入ってくると、ニコニコ笑いながら。
「こんにちは。妹尾愛花さんに、春日美音さん。二人とも、この地域の小学生女子では1番かわいいと、その手の趣味の方々からの人気がとても高いそうですね。」
愛花ちゃんとミナトちゃんに、気さくに話しかけてきます。さすが、校長先生は生徒一人一人について、しっかり把握していらっっしゃるようですが。その情報は少々、問題があるような気がするのは気のせいでしょうか。情報源をどこに持っていらっしゃるのか、非常に気になります。
校長先生はそのまま、二人の、うしろ。「きんじろうさん」の上にのぼっているクマさんに、近づいていきます。
「小さいクマさん、こんにちは。『きんじろうさん』が、気に入りましたか。でも、面白いですね。クマさんといえば、校長先生は。『きんじろうさん』ではなくて、『きんたろうさん』が好きなんじゃないのかなあと、思うのですが。」
「(あっ!)」
校長先生の何気ない一言に、愛花ちゃん、ミナトちゃん、ゆーとくん。三人は、頭にひらめくものを感じました。それです。それです。ピンときました。
突然、ズン!と音がして。
地面が揺れました。地震?みんなは思わず、窓辺に駆け寄り。窓を開けて、音のした方を見ます。
窓の外。校庭の真ん中には。おかっぱ頭の、赤い腹掛けを着けた、とても体の大きい男の人が。午後の陽射しに照らされ、その筋肉質な肉体を輝かせています。男の人は、お相撲さんのように足を振り上げて。思い切り、地面を踏みしめます。もう一度、ズン!と音がしました。
「きんじろう!!」
男の人が大きな声を上げます。クマさんの耳がピコリとうごういて、「きんじろうさん」から飛び降ります。クマさんはまっすぐ、窓に駆け寄り。外に飛び出すと、男の人へとたったかたった、走っていって。ぴょんと、飛びつきました。
クマさんを受けとめた男の人は、そのまま肩に乗せてあげると。
「弟が、世話になった!」
校長室の方へ、頭を下げます。
男の人は、しばらく、そうしていましたが。やがて、頭をあげると、今度はくるりと背中を向けて。ズシーン、ズシーンと足音を立て、地面を大きく揺らしながら。ゆっくりと、どこかへ歩いていってしまいます。肩の上のクマさんは、名残惜しそうに。ずっと、こちらを見ていました。
「(クマさんが、『きんじろうさん』だったんだ!)」
愛花ちゃんは、クマさんがいってしまうのが、ちょっと寂しい気がしましたが。
クマさんは無事、帰れましたし。
ゆーとくんとも、仲良くなれたし。
まあ、これで、いいのかな?と。
なんとなく、思うのでした。
(おわり。)