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8 お父さんと崩れ出す日常

 崇さんの淹れてくれたお茶を前にして、私はお父さんとリビングのソファで向かいあっていた。

 崇さんと真衣は帰宅して、この家には私たちだけだ。

 私はお茶でも見るふりをしながら、お父さんの様子をこっそりと観察した。


 なんだか疲れた顔をしている。

 しばらく顔を合わせないうちに、お父さんは老けたように見える。髪にはちらほらと白髪が混じり、メガネの下の目じりにはやはり皺が増えている。

 それに少し痩せたのかな。げっそりとした顔をしている。

 まだ40歳ほどのはずなのに、40代後半、下手したら50代に見えるかもしれない。


 お父さんは息をつきながら、ネクタイを外すと、髪の毛に手を入れてセットを崩した。

 私は何を話したらいいのかわからず、お茶を一口飲む。

 崇さんの淹れたお茶なら美味しいはずなのに、味が全くわからない。


「……学校はどうだ」


 お父さんがぼそっとつぶやく。


「どうって、普通」

「そうか」


 話は終わってしまった。気まずい。何を話したらいいんだろう。変わり映えのない毎日で、これといってお父さんに言うことはない。

 話が上手い人なら、こんな状況でも会話を膨らませられるのかな。

 お父さんもお茶を含んでから、再び口を開く。


「楽しいか」

「うん? うーん、まあまあ」


 学校がってことだろうか。

 正直に言えば、それほど楽しいわけではない。今どき、高校や大学まで行っておかなければと思うから行くだけだ。自分が正社員として働くということに、まだピンと来ないせいもある。

 でも、そういうことを言ったら話がややこしくなりそうで、当たり触りのない返事をする。


 お父さんの返事はまたもや「そうか」の一言だったので、私の口下手はこの人に似たのか。

 そう考えて、胸がざわりとする。

 たいして交流がなく、親しいとは言えないお父さんと自分が似ているなんて。この人の子供だと思い知らされることは、なぜだか嫌だった。

 それならば、もう記憶にないお母さんに似ている方がずっといい。

 お父さんと向かいあっていると、どんどんとネガティブな思考になってしまう。そんな自分に嫌気がさして、私は湯飲みを持って立ち上がった。


「お風呂に入ってくる。おやすみなさい」


 お父さんは何か言いたそうな顔をした。

 何か言おうとして躊躇ためらうようなそぶりも見せたけど、結局、微かに笑って「おやすみ」と言ってくるだけだった。



「はあ……」


 湯船に浸かるなり、私の口からはため息が漏れる。

 膝を抱え、自分の膝を眺めた。


 お父さんとまともに顔を合わせるのは、いつぶりだろう。

 夏以来?

 お父さんは、私が寝てから帰宅して、私が起きる前に家を出る。

 キッチンの洗い場に残されたお父さんのマグカップなどで、帰宅したんだなと感じることはあるけど、顔を合わせることはほとんどない。

 一般家庭に比べたら、異常なんだろうとは思う。

 だからと言って、もう普通の家族のようになれるとも思わない。


 なので、普通のお父さんみたいに帰宅されると戸惑ってしまう。

 年末は仕事が忙しいのか、この時期に顔を合わせた記憶なんて、ほとんどない。どうしてお父さんはこんな時間に帰ってきたのかな。

 ここはお父さんの家で、帰ってくることはおかしなことではないのに、そんなことを考えてしまう。

 家にいないことが当たり前になりすぎている。

 なぜなんて、一人で考えていても答えはでない。お父さんに問いかけることも怖くて、いたずらに考えこんでしまう。悪い癖だ。


 お風呂から上がったら、今日はさっさと寝てしまおう。明日になれば、いつもの日常が戻るはずだ。

 今日はもうお父さんとは顔を合わさない。惑わされない。

 そうと決めたら、私は立ち上がって、湯船を出た。


        ☆


 日常が戻るはず……と思っていたけど、結果的には戻らなかった。

 木曜日もお父さんは夜の9時頃に帰宅して、気まずい思いをした。

 そして、今日は金曜日。


 私はバイトで忙しく働きながらも、手の空いた瞬間に、お父さんのことを考えてしまう。

 まさか、今日も帰ってくるなんてことは……いや、まさかね。

 嫌な予感を覚えながらも働き続け、閉店時間の6時半を10分すぎたところで、ようやく最後のお客さんが帰った。

 葉子さんがOPENの札をCLOSEDに替えに行ってくれたので、私は余ったケーキの片付けを始めた。


「ねえねえ、彼って茜ちゃんのお家の方じゃないかしら」


 葉子さんが何やら興奮した様子で私に告げに来た。

 その内容に、ケーキをまとめていた手を止める。

 彼?

 と思いながら外を見ると、ガラス扉の向こうの駐車場に、バイクに腰掛けた崇さんがいた。


 私に気付き、片手を上げている。外が暗くて、表情はよくわからない。崇さんのことなので、笑っているのかもしれない。

 私は手を振り返すことができなかった。

 縫いつけられたように、その場を動くこともできない。


「……なんで、こんなところに」

「帰りには外が真っ暗になるから、女の子の一人歩きを心配して迎えに来てくれたんじゃない? なんなら、たまには早く上がってもいいわよ。残りはやっておくわ。」

「いえいえ、ちゃんと片付けを終えてから帰りますから」


 私は急いでケーキをしまうと、葉子さんが集め出したダスターも奪うように預かり、ごしごしと洗う。

 心配して迎えに?

 そんなわけはない。


 私と崇さんは友達でもなんでもないんだ。仕事の関係なだけ。

 迎えに来るなんて仕事にはないことをするはずがない。

 それなのに、どうして崇さんはここで待っているのだ。


 ダスターを干しながら、外を盗み見る。

 崇さんはブルゾンのポケットに両手を入れて首をすくめ、寒そうだ。

 寒い中、どうして、ここに。

 モップで床を掃除しながら、ハッと気づいた。葉子さんの姿を探すと、レジ締めの最中だった。


「葉子さん、どうして崇さんを知ってるんですか?」

「んー? この前、お菓子を買いに来てくれて。茜のおうちの方だってご挨拶受けたのよ」

「ご挨拶?」


 床掃除の手を止め、葉子さんを凝視した。

 葉子さんはレシートを出しながら、私を見て笑った。


「そう。若いのに律儀な青年ねー。それにイケメンだし。おうちの方って言ってもご家族じゃないんでしょ。彼氏にどう?」

「い、いや。そんなんじゃないですから!」


 私はせっせとモップを動かす。

 ちらっと崇さんを見ると、バイクに横座りして、タバコを吸いながらどこかを眺めている。

 そのシルエットに思わず魅入ってしまった。


「そんなんじゃない、ねえ……ふーん」


 葉子さんがニヤリと笑う。


「葉子さん、変な想像はやめてください」


 私はいつの間にかモップを止めていたことに気付き、慌てて掃除を再開した。

 そうして、いつもより早いスピードで後片付けを終え、閉店が遅くなったわりにはいつもと同じ7時頃に店を出た。


「どうしてこんなところで待っているんですか!」


 店の裏口から表に回り、崇さんと顔を合わせると、私は開口一番に問いただした。


「いや、親父さんに頼まれてさ」

「親父さん……って、まさかうちのお父さん?」

「そう」

「頼まれたってことは、もう家に帰ってるの」

「ああ、今日は6時半前に帰ってきたぞ」


 その言葉に私は目を丸くする。


「6時半前って、そんなに早く……」


 そんなに早く帰ってきた姿を今まで見た覚えがない。

 早く帰ろうと思えば帰れる仕事なの?

 言葉にならなかった問いかけが胸を重くする。


「送っていくから、ほら」


 崇さんはヘルメットを差し出す。

 バイクで家まで送ってくれるらしい。

 私はそれを受け取りながら尋ねた。


「崇さんはこんな時間までうちで仕事してたんですか」

「そうだ。今日は茜に料理を教えないから、もっと早い時間に仕事をしてもいいけど、日によって時間を変えるより、いつも同じ時間の方が予定立てやすいだろ」


 確かにそうかもしれないと思い、うなずく。


「で、ちょうど仕事を終えて帰ろうかってときに親父さんが帰宅して、ついでに茜を迎えに行ってくれって言われてな。その分もお給料払うって言われたし、それならと思って」

「何それ」

「茜のこと、心配してるんだろ。親父さんなりに」

「心配? あの人が」


 私は納得できなかった。納得したくなかった。


「……だったら、自分で迎えにくればいいのに」


 どうして人任せにするのだ。


「そういうとこ、不器用だよな」

「……不器用?」


 それで全てが済まされてしまうのだろうか。親は子供と違い、なんでも上手くやれるものではないの。


「まあ、とにかく乗って」


 崇さんはヘルメットを被りバイクにまたがると、顎で座席の後ろを指し示した。

 私はすぐには動けなくて、ヘルメットを持ったまま立ち尽くしていた。


「茜」

「……帰りたくない」

「親父さんが心配するぞ」

「嘘、心配なんてするわけがないのよ」


 自分が駄々っ子みたいなことを言っているとわかってはいる。それでも、素直に帰りますとは言えなかった。


「少なくともオレは心配する」


 崇さんはバイクから降りると、私の持ってるヘルメットを取り上げた。それを私の頭にかぶせてしまう。


「オレは茜が時間になっても帰ってこなかったら、どっかで事故にあってないか心配になるし、顔を見るまで気が気じゃない。それは親父さんだって同じはずだ。いや、親父さんは親なんだから、オレ以上に平常心ではいられなくなるに決まってる」


 私は崇さんの顔を見た。ヘルメット越しの崇さんの目は優しかった。

 お父さんが私を心配すると信じたわけではない。だけど、これ以上、崇さんを困らせるのは何かが違うと思った。だから、「わかった」とつぶやく。

 私は崇さんに続いて、彼の後ろに乗り込んだ。

 タバコの少し苦いような匂いが鼻をくすぐる。

 ここに来て、バイクの後ろに乗るってことは崇さんにしがみつかなきゃいけないと気づく。

 でも、嫌じゃない。

 崇さんの背中を見ていると、気持ちが落ち着いてくる。


「……ありがと」

「ん。しっかり掴まってろよ」


 崇さんが私の手を掴んで、崇さんのお腹まで回した。私は言われた通り、ぎゅっと掴む。

 崇さんはバイクのエンジンを吹かせると、走り出した。


 異性とくっついているというのに、考えることはお父さんのことばかりだ。

 お父さんはもしかして家でご飯を食べるんだろうか。

 会社が何時までかは知らないけど、外で食事を済ましてからの帰宅なら、こんなに早くには帰れない気がする。

 昨日と一昨日は家で食べなかったので、同じ家にいても顔を合わせるのは必要最低限で済んだわけだけど、一緒に食事をするとなると何か会話が必要だ。

 そう考えるだけで気づまりだ。

 お父さんと会ったら、どういう顔をすればいいんだろう。


 歩いて10分ほどの距離はバイクではあっという間で、答えを見つける前に自宅についてしまった。

 バイクを降りて家を見ると、リビングから明かりが漏れていた。本当にお父さんが帰宅しているようだ。

 そっと息をつきながら、ヘルメットを崇さんに返す。

 崇さんは自分のヘルメットを取りながら、言いにくそうに切り出した。


「実はさ。初日の翌日だから、火曜日か。親父さんに連絡したんだ」

「え?」


 思わず崇さんの目を見ると、崇さんは目線をそらした。


「娘さんが若い男と二人きりで料理を教わるって、親御さんが知ったら心配するだろ。内緒にしていてバレたときのことを考えたら、やましいことはしてないんだから隠さない方がいいって思ったんだよ」

「つまり、若い男と二人きりだと知って、お父さんがここのところ毎日きちんと帰宅してるってこと?」


 二人きりにさせないために?


「まあ、たぶん」


 私は黙り込んでしまう。

 それってどういうことなんだろう。私を信用してないってことだろうか。

 出会ったばかりの人とどうこうはならないのに。


「あ、いや、親ならきっと普通の反応だから。茜にそのつもりがなくても、男のオレが襲うかもしれないだろ」

「なんで崇さんが焦ってるんですか」

「だって、オレのせいで親父さんの株が下がったら申し訳ないだろ」


 お父さんの株なんて、これ以上、下がりようがないところまで落ちている。そんな思いで、「大丈夫ですよ」と言った。


「崇さんがそんなことする人じゃないこともわかってます」

「信用してくれて嬉しいが、親父さんはオレがどんなやつか知らなかったわけだし、心配しちゃうんだよ」

「……そうですね」


 心配、心配、心配。さっきからそればかり。お父さんに心配してほしいなんて思わない。

 でも、それを崇さんに言っても仕方ない、と言葉を飲み込み、笑顔を作った。


「送ってくれて、ありがとうございました」

「あーうん。親父さんによろしく。それじゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 走り去るテールランプをしばらく眺め、家に入った。

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