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17 壊れたブレーキ

 明かりの灯った家々を横目に通り過ぎ、我が家が見えてきた。

 我が家はどこにも明かりが点いておらず、真っ暗だ。

 お父さんはまだ帰っていないようだ。ホッとする。顔を合わせたくないので、今日は本当にさっさと寝よう。

 冬場だからケーキは一日くらいもつだろうし、冷蔵庫に入れて、どう食べるかは明日考えよう。明日なら真衣も食べてくれるかもしれない。


 玄関を開けて、「ただいまー」と声をかける。もちろん返事はない。家の中はしーんと静まり返っている。

 誰もいないことはわかっている。最近は誰かいることが多かったので、「ただいま」と言うことが癖になり始めているのかもしれない。

 でも、「ただいま」なんて言うべきじゃなかった。返事がないと、むなしくなるだけだ。ついこの間までは、誰もいない家が当たり前だったのに、今は心に穴がぽっかりと開いたみたいになる。


「バカバカしい」


 首を振って否定する。

 寂しいだなんて、そんなわけがない。否定をして、昔の自分を取り戻さないと、自分が自分でなくなってしまいそうで怖かった。

 何より、その怖さを認めたくなかった。


 思わずため息がこぼれる。

 私、心が弱ってるのかな。そんな風に考えながらリビングの扉を開けた。

 その瞬間、パーンと音が鳴り響く。何かが飛んでくる。パッと明かりがつくと同時に「お誕生日おめでとう!」と複数の声がした。


「え……」


 さっきの音が何だったのか。今、何が起きているのか。頭の理解が追いつかない。

 呆然としたまま首をめぐらす。

 シャツの上からセーターを着てジーパンを穿き、珍しくラフな格好をしたお父さんに、崇さん、真衣がいた。

 みんな、楽しそうに笑っている。笑っていない私だけが場違いみたいに感じて、戸惑う。


 それぞれの手にはクラッカーがあり、ようやく音の正体が掴めた。私の頭には、クラッカーから出た紙吹雪が垂れ下がっているようで、視界の端に黄色やピンクの紙紐が映っている。

 それを手に取った。


 昨日、約束を破って帰宅できなかったくらい忙しいお父さんが、どうしてここにいるのだろう。

 もう仕事を終えて、さよならをしたはずの崇さんがどうして。

 茜の用事はこのことだったの?


 頭の中をグルグルと回る。思考の整理ができない。

 心はなぜか冷えていた。みんなからの好意を感じれば感じるほど、冷え込んでいく。なぜだか、嬉しいとは思えなかった。


 3人から視線をずらすと、リビングの壁は折り紙か何かで作った輪っかや花で飾り付けられていた。

 ダイニングの方へ視線を移すと、食卓にはたくさんの料理が並んでいる。

 10尾以上ありそうなエビフライに、お皿いっぱいのサラダが2種類、一口サイズのサンドイッチがやはりお皿にいっぱい。あと、ポテトフライに、唐揚げ、ハンバーグ。

 こういう料理をご馳走と呼ぶのだろうか。

 誕生日のご馳走なんて、お母さんが亡くなって以来だ。誕生日に限らず、みんなで食べるご馳走がうちの食卓に並んでいるなんて、初めて見た。


 もしかして。

 私は手に持つケーキの箱に視線を落とした。

 この中に入っているのは、クリスマスケーキではなく誕生日ケーキ?

 世間ではクリスマスイブで賑わっている今日は、私の17回目の誕生日だ。


「茜、昨日は帰れなくてごめんな。そして、おめでとう」


 お父さんはソファに置いていた赤い包みを持ってきて、私に差し出した。

 きっと誕生日プレゼントだ。それはわかる。

 お母さんが生きていた頃のことはあまり覚えていないので、これが私の記憶の中で、初めての家族からの誕生日プレゼント。本来ならとても嬉しいはずなのに、私は手を伸ばすことができなかった。


「茜……?」


 突っ立ったまま動かない私に、お父さんは不安そうな目を向ける。

 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。そんな顔をさせるしかできない自分が歯がゆいと思ってはいるのに。

 お父さんを見て心が痛んでいるのに、私は止まれなかった。ブレーキは壊れ、自分勝手な気持ちが爆発するように胸からあふれ出す。


「なんなの……」


 私はプレゼントを受け取らずにお父さんの横を通り抜け、テーブルにケーキを置くと、お父さんに向きなおった。

 一度あふれ出した気持ちは止まらない。もう私にも止められない。


「こういうことをすれば、私の機嫌が取れると思ってるの? 物で釣れると思ってるの」


 吐き出した瞬間、「茜!」と崇さんの鋭い声が飛ぶ。しかし、崇さんの制止の声も助けにはならなかった。


「私が喜ぶと? 私は……私は……」


 無意識に手を強く握りしめる。自分の爪が食い込む痛みを感じても、冷静になることはできなかった。


「私はこんなことよりも、昨日、傍にいてほしかった! 約束通り、ご飯を食べてほしかった!」


 言い切ると同時に、私の頬が熱くなった。燃えるような衝撃に愕然がくぜんとするばかりで、何が起こったのか理解できない。

 頬は一瞬の熱さからジンジンとした痛みに変わる。そこを手で押さえながら、徐々に飲み込んでいく。

 私、崇さんに頬をぶたれたんだ。

 思考も心も追いつかなくて、ただぼんやりと崇さんを見た。

 真衣は「ちょっと崇さん」と言う。崇さんは真剣な目で私をじっと見ていた。


「それ以上言うことは許さない」

「な……なんなのよ」


 私は唇を震わせた。


「みんなして、お父さんの味方なのね」


 こんなところにはいられない。

 私はリビングから出て行こうとした。だけど、お父さんに肩を引かれ、止められた。


「茜、待ちなさい。今日は茜のお祝いだ。邪魔なのは私だろう」

「え」

「私が出て行くよ」


 お父さんは寂しそうに笑って、私の代わりにリビングを出ていこうとする。私は思わず追いかけていた。


「ま、待って……」


 お父さんの腕を掴む。だが、お父さんは歩みを止めず、手が解けてしまった。


「あ……」


 それ以上動くことができなかった。お父さんが靴を履き替え、家から出ていくのをただ黙って見ていた。

 扉が閉まっても、私はそこに突っ立っていた。

 どうしたらいいのか、わからなかった。

 お父さんを傷つけた。あんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 あんなこと言うべきじゃなかった。私は何歳になっても子供で、バカなんだ。全然成長できてない。

 涙がこぼれた。

 頬を伝って、それでも止まることなく次から次へとあふれていく。


 私はその場にうずくまった。

 目が熱い。頬も熱い。

 崇さんがせっかく私を止めようとしてくれていたのに、私はそんなことにも気づけなかった。

 なんて未熟なんだろう。やってしまってから気づくなんて、本当にバカだ。


 私は変わりたい。そう思うのに、どうすればいいかわからなくて、動けない私はどうしようもない人間なのか。

 どうしたらいいんだろう。

 その時、頭をそっと撫でられた。


「悪りぃ」


 崇さんの声だ。

 鼻水垂らした顔をあげると「なんて顔をしてるんだ」と崇さんが笑う。

 崇さんは私の横で中腰になって、私を覗きこんだ。


「止めようと必死でつい殴っちまった」


 すまんと頭を下げる崇さんに、私は首を横に振った。


「止めてもらえて、よかった。でないと、あれ以上、ひどいことを言って、いたかもしれない」


 泣いているせいでうまく喋れなくて、途切れ途切れに返す。


「あああ、痛むだろ。頭は振るな」


 崇さんは私の頭に手をあて、動きを止めさせると、じっと頬を見る。

 ひどい顔を見られるのが恥ずかしくて、少し俯きながら鼻水を必死にすすった。


「手加減はしたつもりなんだが、赤くなってしまったな。とりあえず、コレで冷やして。ちょっと待ってろ」


 崇さんがハンカチで包んだ保冷剤を私に渡して、リビングへ戻ろうとした。


「ティッシュなら持って来たわよ」


 今度は真衣の声が後ろからかかり、「はい」とティッシュの箱を差し出された。


「ありが、とう」


 受け取ると、遠慮なく鼻をかみ、目も拭いた。まだ涙は止まっていないけど、さっきよりは落ち着いてきている。

 保冷材は頬に当てるとひんやりして気持ちいい。


「親父さんを追いかけて、と言いたいところだが、先に茜に見てもらいたいものがあるんだ」

「え?」

「たぶん見てもらった方が親父さんの気持ちが伝わると思う」


 崇さんは上を指差した。2階だ。2階に何があるのか。

 お父さんを傷つけたことはわかっているけど、正直なところ、お父さんが私をどう思っているのか、よくわからないままだ。

 私は腰を上げた。


「崇さん、教えてください」


 片手で保冷材を押さえ、もう片手でティッシュの箱を持ちながら、崇さんについて真衣と一緒に階段を上り、お父さんの部屋の前に着いた。


「ここ?」

「ああ」


 崇さんは扉を開ける。


「って、勝手に入っていいの?」


 お父さんはあまり家にいないので、鍵がかかっていないならいつでも入れたのかもしれない。だけど、私は入ったことがなかった。

 勝手に人の部屋を漁るなんていけない気がして、扉を閉めたままにしていた。部屋の中がどうなっているのかもよく知らない。


「いいか悪いかで言ったら、そりゃ勝手に部屋に入られるのは不愉快かもしれないけど」

「じゃあ、ダメじゃない!」

「でも、オレは掃除で定期的に入ってるから、見られて困るものがあるわけじゃないだろう。気になるなら親父さんには秘密で」

「え、えええっ……」


 それでいいのか。

 今から暴くものが、お父さんの部屋から持ち出されずに保管されているなら、もしかして私には見せたくないものなのでは?

 そんな考えが頭によぎる。


「茜」


 肩を叩かれ、真衣を見る。


「崇さんが見てもらいたいって言うものがここにあるわけだし、とりあえず見てみようよ」

「うん……」


 迷いながらも崇さんのあとに続いた。真衣も入ってくる。

 崇さんが明かりを点け、部屋の様子がわかる。

 お父さんは几帳面な人かと思っていたけど、部屋は意外と乱雑だった。スーツやYシャツが何着か出しっぱなしで、壁に掛けられている。コートもある。普段着は折りたたんで部屋の隅に置かれていた。


 崇さんはクローゼットのそばに立つと「扉を開けてみな」と親指でクローゼットを指し示した。

 クローゼットがあるのに、どうしてスーツを外に出したままなんだろう。そうは見えないけど、横着な性格なの?


 疑問はすぐに解けた。

 クローゼットの中は、赤、黄、ピンクなどのたくさんの包みで埋め尽くされていた。

 どれもラッピングされているようで、プレゼントの品……なのだろか。

 一体、何個あるのだろう。

 包みの上に鞄くらいなら置けるかもしれないけど、服を置く場所はなく、なんだか異様な光景だった。

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