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15 期待と失望

 なんだろう。好きなものがないって言ったときよりも反応が大きいのは気のせい?

 そんなにおかしなことだろうかと気まずくなる。


「母が生きてた頃に食べたかもしれないんですけど、覚えてなくて。記憶にある限りではたぶん食べたことないんじゃないか、と」

「ちらし寿司くらい、食卓に並ばないか?  今井さんは作らなかったのか?」

「はい。あの、ちらし寿司ってお祝いのときに食べるって聞いたことあるんですけど」


「あー、そうか。ちらし寿司の素で作るのは手軽だから、どちらかというと手抜き料理になると思うが、中に混ぜ込む具から手間かけて作るなら、お祝いのときにみんなで食べるって家庭も多いかもな」

「だから、だと思うんです。うちでは特にお祝いとかしませんし。あと、私一人分だけなんて作りにくいせいもあるかもしれません」


「そうだな。どっちかっていうと、一人分だけ作りにくいって方が理由としては大きいかもな。普通は数人前からって感じだし、一人前で具を炊いたり酢飯作るのは手間かも」

「それで、ちらし寿司ってどんな味なのかなって思っていたんです。今井さんが料理を作ってくれるので、できあいを買う機会もありませんし、学食には置いてないんですよね」

「お寿司屋さんに行ったら売ってるんだがなー。学食のメニューではオレも見たことないか」

「一人でお寿司屋さんなんて行きませんもん」


 崇さんは少し考えて「よしっ」と頷いた。


「今日の晩ごはんはちらし寿司にしよう」

「え、でも、卵焼きとお味噌汁を作るなら、違うものの方がいいんじゃ……」


 ちらし寿司の素のパッケージ写真には薄焼き卵を細く切ったものが乗っている。これで付け合わせが卵焼きでは、卵が多すぎだ。野菜の副菜など、卵料理以外が良いはず。


「卵焼きはなしで、代わりに錦糸卵を焼いてもらう」


 錦糸卵って、薄焼き卵を細く切った、これよね?

 ちらし寿司の写真をじっと見る。

 失敗せずに焼く自信はない。


「裏技みたいなのあるから大丈夫。あと、味噌汁と小鉢1品くらいか」


 崇さんは、うんうん頷くと、ちらし寿司の素を私の手から棚に戻し、その隣にあった乾物を取った。

 それには、『ちらし寿司の具』と書いている。


「味のついたやつも美味しいんだけど、せっかく教えるんだから、具は自分で炊く方な」


 崇さんから受け取ったパッケージを裏返す。

 原材料を見ると、こうや豆腐、人参、しいたけの干したものがミックスされているようだ。切ったりする必要がないので、これもお手軽に作れる方なのかもしれない。

 パッケージには作り方も載っていて、水で戻して、お出汁と調味料を入れて煮るだけのようだ。


「あとは、食感が面白くなるからきゅうりも入れて、何か刺身でも載せようか」

「お刺身! 豪華な感じですね」


 今から出来上がりが楽しみになってきた。お父さんも喜んでくれるかな。



 買い物を終えて帰宅すると、早速、調理に取りかかった。

 ちらし寿司の具は、私が覚えやすいように、調味料の分量など全てパッケージの作り方通りに作ることになった。

 食べてみて、もしも甘すぎると思ったら次から砂糖を減らしたり、そんな風に好みの味付けにしていくといいそうだ。


 今日のちらし寿司が甘すぎの出来なら嫌だな、とは思う。でも、メーカーのレシピならそこそこ美味しいだろうし、普段、目分量で調理している崇さんには正確な分量を出しにくいのもあって、レシピ通りの方が教えやすいんだとか。


 まずは買ってきたちらし寿司の具をボールにあけ、水を注ぐ。そのまま10分置いておくそうだ。

 出汁を取りながら、崇さんに教わってお米をとぎ、寿司のメモリまで水を入れ、炊飯器をセットした。


 戻したちらし寿司の具は水をしぼって、具と出汁、調味料を入れた鍋で10分ほど煮た。煮汁が少なくなってきたところで火を止め、冷ます。

 小鍋には、酢、砂糖、塩を入れて火にかけ、軽く煮立ったら止めた。それを小さな器に移して、こちらも冷ましておく。寿司酢だそうだ。

 軽く洗った鍋で、今度は日本酒とみりんを煮切り、やはり冷ます。これはマグロの漬け用だ。

 とにかく冷ます作業が多くて、丁寧に料理を作るって大変なんだと感じた。


 次に、付け合わせの小鉢に使うほうれん草を下ゆでし、水でよく洗う。4cm幅くらいに切って、しぼって水を切ると、醤油、砂糖、すりゴマで和えた。

 ほうれん草のゴマ和えの完成だ。


 先ほど煮切ったみりんと日本酒を食材用のジッパーバッグに移し、醤油も入れると、買ってきたマグロの刺身を入れて冷蔵庫へ。

 今回は、お父さんの帰ってくる正確な時間がわからないので、遅くなって漬かりすぎても大丈夫なように、日本酒が多めの配合だそうだ。

 食べる時間がわかっている場合の配合と漬け時間も教えてもらい、メモを取った。


 お味噌汁は前に作ったものと同じで、じゃがいもと玉ねぎ、わかめで作る。

 そうこうしているうちに、炊飯器から炊き上がりを知らせるメロディが鳴った。しゃもじでご飯を混ぜて、再び蓋をして10分蒸らす。


 慣れない作業で、崇さんが作るときに比べたら倍くらいの時間がかかっていると思う。それでも、なんとかここまで出来上がり、一息ついた。


「あとは錦糸卵を焼いて、酢飯を作ったら完成だな」

「はい」


 と笑ってみたものの、錦糸卵が一番難しそうに感じる。裏技があると言っていたけど、本当に綺麗に焼けるのだろうか。

 もしかしたら、不安が顔に出ていたのかもしれない。崇さんは「大丈夫」と笑った。その顔を見ると、なんとかなる気がするので不思議だ。


「片栗粉を水で溶いたものを卵に混ぜるんだ。そうすることで、卵が破けにくくなる」


 小さな器に片栗粉と水を入れて、手で混ぜる。卵を割り入れたボールに水溶き片栗粉を合わせ、卵を溶いた。


「卵焼き器を熱して、ペーパータオルで薄く油を敷く。そこに卵を少し流して、全体に広げるんだ」


 説明しながら、崇さんは卵焼き器に卵を流した。ジュッと音をたて、あっという間に火が通っていく。


「フツフツと膨らんできたところは、菜箸で叩いて潰して、こう、菜箸を回しながら卵の横から下に入れていく。向こうまで菜箸が入ったら、そっと持ち上げてひっくり返す。裏は一瞬焼くくらいで十分だ」


 崇さんは綺麗に焼けた薄焼き卵をまな板にのせた。焦げ色もなく、黄色く輝いている。


「すごっ」


 私もこんな風に焼けるだろうか。

 綺麗な完成形を見ると、同じことをできる気がしない。不安が大きくなる。


「火が通ったら、卵焼き器は火から下ろせば焦げないし、なんなら焼くのは片面だけでも余熱で大丈夫だ。そんなに気負うなって」

「は、はい」


 崇さんは私の背を叩いて励ましてくれた。

 とにかく、頑張ってみよう。


 卵焼き器に油を敷いて、崇さんがやっていたように焼き始める。だけど、菜箸を回し入れて持ち上げることがうまくいかない。卵が菜箸から滑り落ち、グシャッと折り重なるようになってしまった。


「ああっ」

「大丈夫、大丈夫。まな板にのせたら、手で広げてみて」

「ところどころ卵が固まってしまったみたいで、ちゃんと広がりませんよ」

「切ればわからないって。気にしない」

「うう……はい」


 気にしないなんてことは無理だけど、やってしまったものは仕方ない。頭を切り替えていこう。


「卵は薄いと難しいから、卵を多くして厚めにするとやりやすいと思うぞ」

「錦糸卵って薄い方がいいんじゃないですか?」


 薄焼き卵と言うくらいだから、薄い方がいいと思っていた。具材のパッケージ写真も薄そうだ。


「そんなのは人それぞれだろ。オレは分厚いのも卵って感じが強くて好きだけどな」

「あー。オムライスの卵が、昔の洋食屋さんみたいに卵1個で薄いのが好きか、2~3個の卵でふわふわなのが好きか、みたいな感じですかね」

「そうそう、そんな感じ。オレはオムライスには卵多めがいいけど、薄い卵がいいって人もいるもんな」

「そう言っていただけると助かります」


 心が軽くなり、ホッとする。

 2枚目はさっきより卵を多めに流し、なんとか焼くことができた。


「できた!」

「おおっ、綺麗にできたなー」


 焦げ色もなく焼け、崇さんの薄焼き玉子との違いは厚みくらいで、我ながらうまく焼けたと思う。失敗すると落ち込むけど、成功するとものすごく嬉しくて、気分が高揚する。


「その調子で残りも焼いてくれ」

「はい!」


 全部焼きあがり、少し冷めた頃に細切りにした。細切りと言っても、4ミリ幅くらいあり太めだ。

 それでも、なんとか錦糸卵の完成だ。


 その次は酢飯を作る。

 私が調理している間に崇さんが探して洗っておいてくれた寿司桶に熱々のご飯を移した。


「作っておいた寿司酢をかけて、切るように混ぜていく」

「切るように?」


 どんな混ぜ方なのかピンと来ず、首を傾げると、崇さんがしゃもじを持って混ぜて見せた。


「こう、粘りを出さないように、さっくりと」


 しゃもじは縦に動いていて、なるほど、確かに『切るように』だ。

 しゃもじを受け取り、同じように混ぜる。崇さんはうちわでご飯をあおいだ。


「こうやってご飯を混ぜながらあおいで、急速に冷まして、余計な酢を飛ばすんだ。で、艶が出るまで混ぜる」

「一人だと大変そうな作業ですね」


 混ぜるとあおぐを同時に行うのは難しいから、一人で作るなら混ぜてはあおぎなのかな。


「そうだなー。二人でやった方が効率的だな」

「なんとなく、お祝いのときにちらし寿司を食べるのってわかった気がします」

「ん?」


「ちらし寿司に限らずですけど、酢飯を使うような料理って、やっぱり一人のときのご飯じゃなくて、家族が揃ってるときに、他の家族に手伝ってもらいながら作るのかなって」

「言われてみれば、そうかもな。お母さんが子供や旦那に手伝ってもらうかはともかくとして、昔は祖父母と同居の家が多かったと思うから、お母さんとおばあちゃんが一緒に作ってたんだろうしな」


「核家族で、お母さんが一人で作るにしても、一人で混ぜてあおいでってするのは手間なので、やっぱり家族のためじゃないと作らないかもですね」

「そうだな……と艶が出てきたな。良さそうだ」


 言われて見てみると、確かにお米の一粒一粒が艶々だ。


「きゅうりを縦に4等分して、1センチ幅に切ってくれ」

「そう言えば、きゅうりを入れるって言ってましたね」


 きゅうりを洗って、言われた通りに切っていく。それを酢飯の上に入れた。


「で、さっき炊いた具も汁を軽くしぼって入れて、混ぜる」

「はい」


 切るように、切るようにと念じながら混ぜた。


「大皿が見当たらなかったから、今日は桶を器代わりにして、盛り付けだ」


 ごはんを均等に広げ、上から錦糸卵をかける。


「漬けにしたマグロは親父さんが帰ってきてから、ご飯の上にのせて、海苔の細切りをかけたら完成だ」

「海苔って切るんですか?」


 崇さんが出してきた海苔は細切りにして売っているものではなく、大きなやつだ。


「先に切ると湿気るかもしれないから、これは食べる直前にキッチンばさみで切ればいいよ」


 崇さんが作業台の下の引き出しを開けて、キッチン用のはさみを取り出す。包丁ではなくはさみで切るなら、崇さんがいないときでも何とかなりそうだ。

 ちらし寿司の桶にラップをかけた。


「今の時点でも美味しそうですね!」

「頑張ったからな。絶対にうまいよ」

「ですよね、楽しみです!」


 ちらし寿司を食卓の真ん中に置いた。

 小鉢やしゃもじ、取り皿なども並べると、私はやり切った達成感で頬が緩んだ。

 気づけばもう6時前だ。お父さんももうすぐ帰ってくるはずだ。これを見て、驚いてくれるだろうか。美味しいと言ってくれるだろうか。

 このままここで、作ったものを眺めながら待ちたい気分にはなったけど、洗い物をするためにキッチンへ戻った。


 その後、片付けも終え、帰宅する崇さんと一緒に玄関へ向かった。

 崇さんとはこれで最後なんだ。2週間はあっという間だった。

 さっきまでは達成感と喜びに溢れていたというのに、胸が重苦しくなる。

 どうしてこんなに寂しいと感じるんだろう。自分の気持ちがよくわからないまま、泣きそうになるのを誤魔化すように、私は頭を下げた。


「今日と、この2週間。本当にありがとうございました」


 顔を上げた時には、なんとか笑顔を作った。

 崇さんも「お世話になりました」と私に頭を下げる。


「いや、お世話になったのは私だから!」


 と慌てると、崇さんは顔を上げて「ま、確かに」と笑った。

 その顔を見て、今更ながらに、この人はモテるんだろうな……と思った。

 出会った当初は、年上に見えなくて、言動も子供っぽい気がした。

 でも、たった2週間しか縁のない私のために一生懸命になってくれて、そういう姿を見ると、誰でも少しくらいキュンとすると思う。


「親父さんが美味しいって言ってくれるといいな」

「はい」


 それじゃ、と片手を上げて、崇さんは出て行く。また明日にでも会えそうな、そんな軽い別れ。

 もう2度と会えないという現実に、私の心はぽっかりと穴が開いたようだ。それなのに、崇さんは何とも思ってない。別れを惜しむことなく離れられるという、わかりやすすぎる態度に、がっかりしたような気持ちになる。私は崇さんに何を求めていたんだろう。

 バイクの音が遠ざかり、見えなくなってもそこからしばらく動けなかった。


 どのくらいたったのか。見送りだけだからとコートを羽織っていなかった私は、体が冷えてしまい、クシャミをした。

 それをきっかけにして家の中へ戻る。

 崇さんのことは考えず、お父さんの反応を想像して、気持ちを切り替えていく。楽しい気持ちで心を塗り替える。


 だけど、お父さんは帰ってこなかった。

 夜の7時になっても、10時になっても、0時を回って24日になっても、帰ってこなかった。

 楽しみにしていた気持ちはいつの間にか萎み、私の心には何も残っていなかった。悲しみでも、怒りでもなく、無であろうか。

 お父さんへの諦めかもしれない。


 ため息をついて、寿司桶を持ち上げると、キッチンのゴミ箱に中身を捨てた。

 お祝いなんて私から拒否していた。期待していないはずだった。

 それでも、お父さんと二人で24日を迎えたい気持ちがあったのだ。

 日付けが変わるとき、一緒にいたかった。

 そうすれば、たとえ特別なお祝いがなくても、初めて幸せと思える24日になった気がしていたんだ。


 だけど、私はやっぱり一人だった。

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