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14 家族と好き嫌い

 そうして、とうとう金曜日になった。

 この日、私は朝から緊張していた。

 今日こそはお父さんに「今日の晩ご飯は一緒に食べよう」と言うつもりなのだ。

 昨日は結局、お父さんの帰りが遅くて言えずじまいだった。


 朝に言っておかないと、お父さんはもしかしたら出かけるかもしれないし、ご飯を食べて帰るかもしれない。晩ご飯を一緒に食べる確約を取れないままとなってしまう。

 それだけはダメだ。

 このことは真衣にも相談しそびれているけど、昨日、意外な真衣の心のうちを聞いたことが私に勇気を与えていた。


 お父さんと自分の朝ご飯を温め、まだ起きてこないお父さんを起こしに行こうかと思った頃、お父さんは2階から下りてきた。

 物音で気付いた私は「おはよう」と声をかけながら振り向き、お父さんの姿を見て驚く。

 青いストライプのネクタイを締め、チャコールグレーのスーツを着ている。手には、仕事のときに持っていく黒い鞄と黒のコートがある。


「もしかして、今日、仕事なの? 祝日なのに」

「ああ、そうなんだ」


 お父さんは鞄とコートをリビングのソファに置いてから食卓についた。私も向かいに座る。


「でも、過労で倒れたところなのに、働きすぎじゃない。大丈夫?」


 倒れた頃ほどひどくはないけど、少し疲れたような顔をしていて心配になる。


「休みたいところだが、忙しくてな……。でも、そんなに遅くならずに帰れるとは思う」


 お父さんは優しく微笑んだ。

 しんどい思いをしているはずのお父さんにそんな顔をされると、私も文句ばかりは言えない。


「それならいいんだけど……あの」


 お父さんが食事を始めたので、私もお箸を持った。しかし、言いそびれる前にあのことを言わなくては、と先に伝えることにした。


「崇さんに教わって、今日の晩ご飯は全部私が作ることにしたの。その成果をお父さんに見せたいと言うか……晩ご飯を一緒に食べてほしいの」


 一緒に食べたい。

 お父さんのために作りたい。

 ただそれだけなのに、ぐだぐだともっともらしい理由を付けてしまった。

 お父さんは食べる手を止めて、私をまっすぐに見ると、目じりをくしゃくしゃにして笑う。


「娘の手料理を食べられるのは嬉しいな」


 まだ作って食べてもらったわけじゃないけど、崇さんが言っていたような反応が返ってきて、そわそわする。返事に困って、曖昧に頷いた。


「少しでも早く帰れるように、仕事を頑張ってくるよ」

「うん、待ってる。頑張って」



 朝ご飯を食べ終わり、「崇くんによろしくな」と言うお父さんについて玄関を出た。

 外の門扉のところで「行ってきます」と手を振るお父さんに、私も「行ってらっしゃい」と振り返す。

 お父さんの背中が見えなくなると、私は手を下ろして「行ってらっしゃい、か」とつぶやいた。


 こんな言葉、最近になるまでまともに言ったことがなかった。いつも家に一人でいて、誰かを送り出すことなんてなかったからだ。

 それなのに、今は自然と言えた。親子みたいなやり取りを自然と行える。

 そんな自分に、心がムズムズする。

 頬がにやけてしまう。


 お父さんは父親だとわかっていても、今まではどこか他人のように感じていた。それが今ではちゃんと家族だ。

 それがこそばゆくあり、嬉しくもある。

 そう、嬉しいんだ、私は。

 もしかしたらずっと、家族がほしかったのかもしれない。


       ☆


 崇さんは食材の入ったスーパーの袋を持って、約束通り午後の1時ちょうどにやって来た。

 2時間ほどは掃除や作り置きなど他の仕事を済ますそうで、私は邪魔にならないように部屋でDVDを見ていた。

 2時間と少しある映画のクライマックスシーンで、ドアのノック音が響いた。


「はい?」

「茜、崇だ」

「すごい。時間ピッタリですね」


 DVDを止め、部屋の時計で時間を確認してからドアを開けた。

 2時間と少しの映画ではなく、2時間きっかりの映画を見るべきだった。


「そりゃまあ、仕事だし。それより、スーパー行くぞ」

「スーパー?」


 私は首を傾げた。

 何か買い忘れでもあるんだろうか。


「ああ。茜は食材なんて買いに行ったことないだろ。実習みたいなもんだよ。一度、一緒に買い物に行っておこうと思って、作り置き分の食材しか持って来なかったんだ」

「なるほど」


 私は頷いた。


「確かにスーパーって主婦の方がたくさんいて、気後れするのであまり利用したことないんです。いつもはコンビニばかりで」

「コンビニの方があちこちにあるからな。でも、食材なんかはスーパーの方が安いし品揃えも豊富だぞ」

「へえ、そうなんですね。ちょっと待っててください」


 私はショルダーバッグを取りに行き、用意を済ませると崇さんのもとへ戻った。

 家を出て、スーパーまでは歩いて行く。

 歩いて10分ほどのところに、大手チェーン店の24時間営業のスーパーがある。


「崇さん、今日は何を作るつもりですか?」

「何を作りたい?」

「は?」


 私は崇さんの顔を見た。ちょっと気まずそうな顔をしている。


「実は、何を作るか決めてないんだ」

「決めて……ない?」


 予想外な言葉に、思わず足を止めた。

 崇さんは数歩先で立ち止まってから、振り向いた。


「茜の好きな料理ってなんだ」

「好きな料理って言われても……」


 急な話題転換に戸惑いながらも考える。考えるけど、答えがないことを知っている。それがもしかしたら人より変わっているかもしれないことも。


 今まで、クラス替えなどで話しかけてくれて、しばらく一緒にお昼ご飯を食べた子も何人かいた。そういうときに、ご飯どきだからと食べ物の話になり、「好きなものは何?」と聞かれて答えたら、変な目で見られたことがあったんだ。

 その子は食べることが大好きで、私の返事は考えられないものだったらしい。

 それだけが原因ではないだろうけど、相手がクラスに慣れて他にも友達ができるにつれて、話さなくなっていった。


 崇さんは人のためにご飯を作れる人なので、きっと食べることも好きなんだろう。

 また変な目で見られるだろうか。

 そんな風に考えながら、崇さんの目が気になってしまう自分に驚いてもいた。


 唐突に理解する。

 真衣以外の友だちは作らず、いつも一人で、他人の目なんて気にしないと思っていた。でも、違ったんだ。

 私は気にしないふりをして自分を守っていただけだ。本当は人一倍気にして、でも普通になんてなれないから、一人でいるしかないだけ。

 人の目を気にした結果、どういう行動をとるのか。

 その選択肢で選ぶものが、私と真衣とでは違うだけで、根本的なところはきっと似ているんだ。


 そう思ったら、なんだかおかしくなった。

 急にクスクス笑い出す私に、「茜、どうした?」と崇さんが怪訝な顔をする。


「すみません、ちょっと思い出しちゃって」


 真衣には、人の目を気にしない私は強いって言われたけど、やっぱり強くはない。私だって、人の目が気になって仕方ないんだから。


 だけど、急に吹っ切れてしまった。

 崇さんは2週間だけ来てくれる家政夫だ。それが終われば会うこともない。

 何を気にすることがあるんだろう。

 そう思うと同時に、なぜだか胸が痛んだ。

 あと2週間だけ。そのことに寂しく感じる自分には目を背け、私は答えた。


「崇さん、特に好き嫌いはないです」

「え、でも、嫌いなものはなくても、好きなものはあるだろ?」


 笑みを浮かべながら、首を振った。


「好きなものもありません」

「何か、特に美味しいなってものは……」

「ありません」

「そっか」


 崇さんは困ったような顔をして頭をかいた。

 その顔を見て、後悔が頭をよぎるけども、これが好きなんだと嘘をつくこともできない。


「私、食べることに興味がないんです。今井さんの料理も崇さんの料理も美味しいとは思うんですけど、一人で食べても味気ないですし……」

「ああ、それはちょっとわかる。うちも共働きだから、一人で食べることが多いからな」

「でも、崇さんは食べるの好きですよね。そうでないと、美味しいご飯なんて作れないでしょうし」


「そうだな。オレの場合は、幼い頃は母親が一緒に食べるようにしてくれてたんだ。で、オレが作るようになって、それを嬉しそうに食べてくれるとオレも嬉しくて。まあ、オレが大きくなるに連れて、母親の仕事が忙しくなって、一人で食べることが増えたけどな。茜は幼い頃から一人ってことか……」


 私は苦笑した。


「食べることに興味ないからですかね。食べていて、これが好きだなって思うこともなくて。食への執着がないのかな」

「なるほど……」

「あ、でも、最近は誰かと食べることも増えてきて、楽しいなーって、食事もいいなって思います。美味しいって思っていた崇さんの料理が、日を追うごとにより美味しく感じるようになったというか」


 私は小走りで数歩、崇さんの元に行くとそうまくし立てた。


「おー、美味しいって思ってもらえるのは作り甲斐あるし、嬉しいよ。ありがとな」


 崇さんは私の頭をポンポンと優しく叩いた。

 優しさが嬉しいのに、別れが近づいている今は優しくされればされるほど辛い。でも、顔には出さないように、笑顔を心がけた。


「でも、まずったなー」


 崇さんが歩き出し、私も続いた。


「何がですか」

「実は今日は茜の好きなものでも作ろうと思ってたんだよ」

「え、そうなんですか。それは何というかすみません」

「いや、事前に確認しなかったオレも悪い」


 崇さんは笑いながら首を横に振った。


「ちょうどさ、親父さんに茜の好きなものを聞かれていて」

「お父さんが、なんで?」


 私は眉を寄せた。


「娘のことは何でも気になるもんじゃないか?」

「そんなもの、ですか?」

「だと思うけどな。でも、茜はなんでも食べるし、これが特に美味しかったみたいな話も聞いてないからオレもわからなくて。それで茜の好物を探るついでに……と思ってたんだ」

「それはお手数をおかけしました」


 探らせた挙句に何もないだなんて申し訳なくて、頭を下げた。


「いやいや、オレも知りたかったしな」

「え」

「オレが家政夫するのもあとちょっとだけど、できれば好物食わせたいし」

「あ、ありがとうございます」


 なんだか照れくさく、話をそらした。


「そういうお父さんの好きなものは何なんでしょう」

「親父さん?」

「はい。知っていたら、お父さんの好きなものを作れたのになーって」


 私はお父さんのことを何も知らない。

 何が好きで、何が嫌いで、休日には何をするのか。それさえも知らない。


「オレも知らないなあ。そっちもリサーチしておけば良かったか」

「いえ、いいんです。今はわかりませんが、ちょっとずつ知っていけたらと思うんです」

「そっか。そうだな」


 穏やかな顔になる崇さんを見て、この選択肢が間違いではないんだなと安堵した。

 今からでも間に合うはず。ゆっくりと進んでいこう。



 そうこうするうちに、スーパーに到着した。崇さんはカゴを持って店内に入る。


「とりあえず、献立を考えながらグルッと一周するか。何か気になるものがあったら教えてくれ」

「わかりました」


 野菜売り場、鮮魚、肉、お惣菜やお弁当の売り場などを見る。色んなものが売っていて、目が回りそうだ。

 魚にしても何種類もあって、それぞれ、どういう料理にしたら美味しいのかも知らない。どれを買えばいいのかわからない。

 お肉は国産とか、お値段の高いやつがいいものなんだろうか。


「何というか……お手上げです」

「レトルトとか冷凍食品の棚も見てみるか。その中で食べたいものがあれば、一から作ればいい」

「そうですね、食材で決めるより、料理を決める方がなんとかなるかも」


 早速、冷凍食品やレトルト食品の売り場を見て歩く。


「あ」


 私はあるものに目を留めた。


「何かあったか?」


 崇さんは私の目線の先を追い、「ちらし寿司がいいのか?」と聞いた。


「いいっていうか……」


 私は棚からちらし寿司の素を手に取った。


「食べたことないなって思って」

「は?」


 崇さんは大きな声を出して、私を凝視した。

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