12 クリスマスが嫌いな理由
それから15分後、キャメル色のコーデュロイパンツと黒のセーター、グレーのダウンコートに着替えた私は崇さんのバイクの後ろで必死にしがみ付いていた。
バイクに乗るのは2回目で、慣れていない。
バイクが、というよりも崇さんと密着することに落ち着かないのだ。走行音や風の音で、私の心臓の音なんて聞こえないとは思うけど、緊張が伝わらないか不安になる。そうしたら、さらに緊張してしまう。
「ねえ、どこに行くの」
風の音に負けないように、大きな声で問いかけた。
返事はすぐに来る。
「クリスマスマーケット」
「は?」
「だーかーら、クリスマスマーケット!」
崇さんは先ほどよりゆっくりと、大きな声で言った。
私は反射的に叫び返す。
「聞こえてる!」
それよりも、行き先だ。クリスマスマーケット?
クリスマスが大嫌いな私としては、行きたいと思ったこともない。どうしてそんなところに行かなくてはならないのだ。
「私、クリスマスマーケットだったら行きたくない」
このまま連れて行かれても堪ったものじゃないので、正直に言った。いつもより低い声になる。
「うまい飲み物や食べ物が色々あるから、難しいことなんて考えんなよー。飲み食いを楽しめばいいって」
「でも……」
そうこうしているうちに、バイクは大きな公園に着いた。
私も何度か来たことのある公園だ。ここでクリスマスマーケットなんてしているとは知らなかった。
グラウンドの入り口には、いつもはないゲートが取りつけられ、イルミネーションが輝いている。
ゲートをくぐると、その先にはイルミネーションで飾り付けられた小屋のような外観の、可愛い屋台がグラウンドの円周いっぱいに並んでいた。少しノスタルジックで、まるで異国の街に迷い込んだかのような雰囲気だ。
中心には、10メートル以上はありそうな巨大なツリーが見える。イルミネーションでできたツリーで、赤、青、黄、ピンク、緑などカラフルに輝いている。
「うわあ」
思わず声が出てしまう。
クリスマスは嫌いなのに、こういうものを見ると、どこかワクワクしてしまう自分もいる。
目を見張るのは、イルミネーションだけではない。もう暗くなっているのに、いや、暗くなった方がイルミネーションが綺麗に見えるからなのか、大勢の人で賑わっている。
「クリスマスマーケットってのはドイツのイベントなんだってさ」
「ドイツの?」
だから日本とはちょっと違う雰囲気なのか。
「ああ。ドイツのホットワインやソーセージ、料理やお菓子、クリスマスのオーナメントなどが売っているらしい。ホットワインはアルコールで飲めないけど、ノンアルコールのホットワインやホットチョコレートもあるぞ」
崇さんは入口に置いてあったパンフレットを私に渡しながら、説明してくれた。
パンフレットを広げて見ると、飲食のお店がたくさん出店しているようだ。目移りしてしまう。
崇さんは私の持つパンフレットを覗きこむようにした。
「何か食べたいものはあるか?」
「うーん」
私は、パンフレットに書かれたショップ名や提供されている料理名などを指でたどりながら、考える。
「やっぱりソーセージは食べたい。ドイツのソーセージって日本のと味が違うのかな?」
「さあ、どうだろ? でも、ドイツってソーセージの本場だろ。うまいのは間違いない」
「ですよね。それだけじゃ物足りないだろうから、何かお腹に溜まりそうなものも。でも、ソーセージだけでも何店舗もあるみたいで、どれが美味しいのか迷いますね。パンフレット見ていても決まらないので、屋台を見て回りたいです。飲み物はホットチョコレートも気になるけど、せっかくだから他では飲めそうにないノンアルコールのホットワインも飲みたい」
「よし、まずはノンアルコールのホットワインを買うか」
「そうだね。崇さんは普通のホットワインを飲まないの? 20歳だから飲めるよね」
崇さんは私の頭を小突いた。
「バカ。バイクで来たのに飲んだら、帰りは飲酒運転だろ。事故でも起こしたらどうするんだ」
「あ、そっか」
私は頭を押さえながら、てへへ、と笑って誤魔化した。
崇さんって気にせず飲酒運転でもしそうな見た目だけど、そうだった。ヤンキーっぽい見た目のわりには真面目な人だった。
「それにしても、ちょっと寒いし、早く体を温めたいね」
人が多いとはいえ、真冬の夜だ。
バイクで冷たい風に当たったこともあり、かなり冷えている。セーターの下にはヒートテックとカットソーを、パンツの下には厚手のタイツを重ねてしっかり防寒したつもりなのに、夜の寒さには勝てなかった。
パンフレットによると、ノンアルコールのホットワインも数店舗あるようだ。ゲートにほど近い、すぐ目についたお店で購入した。
ホットワインは雪だるまの形をしたマグカップに入っている。
「マグカップが可愛いね」
「確か、持って帰れるんだよ。これ」
「ほんと?」
カップを見ていた私は、顔をあげて崇さんの目を見た。
これなら家でも使いたい。
一口飲んでみると、ベリーのジュースに香辛料を混ぜているようだ。甘いけど、スパイシーでくどくはない。体がポカポカと温まる。
「美味しいね」
「ああ」
私達は笑いあいながらマグカップ片手にお店を回り、ソーセージと野菜煮込みを買った。野菜煮込みにはパンが付いている。
崇さんは野菜煮込みではなく、ビーフシチューとパンのセットで、ソーセージもホットドックにしたものだ。
会場の片隅には、テーブルと椅子の並んだ飲食スペースがあるので、そこで食べることにした。
ほとんどの座席は埋まっていたけど、人の立ったタイミングで隣合わせの2席を確保する。
「ぷりぷりで美味しい!」
私はケチャップとマスタードを付けたソーセージを頬張って、感嘆の声を上げた。
「こっちのビーフシチューも肉がトロトロでやばい。マジでうまい」
「てか、さっきから私たち、美味しいとか、うまいとか、そういうことしか言ってないね」
「うまいんだから仕方ない」
崇さんは大きな口でシチューをかっ込んだ。本当にどれも美味しくて、食が進む。私達はすぐにたいらげた。
「ごちそうさまでした」
これらの代金を崇さんが出してくれたので、私はお礼を伝えた。
崇さんは「おお」と返事をしながら、空いた紙皿などを捨ててきてくれる。慌てて手伝おうと腰を上げたけど、崇さんに制止されて、再び腰を下ろす。
なんだか至れり尽くせりだ。
「せっかくだし、雑貨なんかも見てから帰るか」
「はーい」
飲食スペースを離れて、雑貨スペースを見て回る。
ツリーの置物に、サンタや雪だるまのオーナメントなど、どれも可愛いものが並んでいる。
可愛いのに、それらを見ていても心は踊らず、通りすぎてしまう。
クリスマスなんて私には無縁だ。
「なあ、茜」
「はい?」
崇さんの呼びかけに、私は顔を横に上げた。
「なんでクリスマスが嫌いなんだ?」
「それは……」
私は口を結んだ。
自分の心のうちを人に見せることが苦手で、言いたくないと思ってしまった。
崇さんは返事をじっと待っている。
私は観念して息を吐き出した。息が白く染まる。
「クリスマスには、いい思い出がありませんから」
「親父さんがいないからか?」
「まあ、そうですね」
祝ってもらいたいときに、祝ってほしい人はいない。
私はやがて待つことを止めた。
「あ」
話しながら屋台をいくつか通り過ぎ、私は一つの屋台の前で立ち止まった。
キラキラと輝くゴールドの星のオーナメント。星の下は筒状になっていて、ツリーの頂点に差して飾る星だ。
私はそれを手に取った。
どうして星は頂点にただ一つあるだけなんだろう。特別扱いするのだろうか。
家ではツリーを飾った記憶なんてないけど、鈴木家やお店で見かけたときに、星がまるで仲間外れのように見えて、私みたいだと思っていたのだ。
真衣が隣にいても、ひとりぼっちに感じる私みたいだ、と。
「それが欲しいのか」
崇さんは私の後ろから覗き込んだ。
「いえ――」
「買ってやるよ」
「えっ」
どうしてそうなる?
私は振り向いて、崇さんの顔を見た。
崇さんはなぜか気まずそうな顔をしていて、私は眉を寄せた。
「崇さんに買ってもらう理由がありません」
食事は崇さんが強引に連れてきたのだからと甘えてしまったけど、恋人でなければ友達でもないのに、ここまでしてもらうのは変だ。きっぱりと断る。
「クリスマスプレゼントってことで」
「いりません」
オーナメントを元の位置に戻そうとした。すると、崇さんが私の手から取り上げる。
「あっ、ちょっと!」
手を伸ばすけど、崇さんは私には届かない向こうにやる。
「いいから、いいから。気にすんなって」
「本当にいりませんから! ただ……ただ、私みたいだなって思っただけです!」
「は? 茜みたい?」
崇さんは「意味がわからない」というようにきょとんとしていた。
言ってから、こんな風に思うのは私だけかもしれない、と恥ずかしくなって、モゴモゴと小声で言った。
「だって、ツリーの星って上に一つあるだけですよね。他のオーナメントは同じのが何個もあったりするのに、まるで星だけ仲間外れにされてるみたいじゃないですか」
崇さんは一拍おいたあと、ブッと笑いだす。
これって笑われるようなことだっただろうか。
思わず唇を尖らせてしまう。
「そんなに笑わなくても」
「悪い。でも、茜が可愛いこと言うから、つい」
「か、可愛い?」
何を言い出すのだ、と動揺してしまう。異性から可愛いなんて言われたことがないので、顔が赤くなってないか心配になる。
「確かに、てっぺんの星はそれだけの特別な意味があるらしいけど……茜、これはなんだ」
崇さんは近くにあった星のオーナメントを私に差し出す。さっきのものとは違う星だ。
「星?」
それ以外の意味があるのか。
手に取ってよく見ると、これには差す穴はなく、ぶらさげるための紐が輪っかになって付いている。
「え」
「まあ、確かに、星のオーナメントはてっぺんだけ飾ってるツリーもある。茜はそういうのばっか見てたのかもな。でも、ぶら下げるオーナメントに星がないわけじゃない。星ひとつで寂しいなら、これもいっぱい買っておくか」
「ええっ」
私は首を横に振った。
星がひとつじゃないことはわかった。でも、我が家ではクリスマスツリーなんて飾らないから、必要ないのだ。
崇さんは私を見て、ニヤリと笑う。
「それにさ、ツリーと言えば、電飾をつけるだろ」
「う、うん」
「あの電飾ってのは、世を照らす光とかキリストを表しているらしいんだけどさ。元々はクリスマスツリーっていうのは、森で見た夜空の星を再現しようとしたものらしいぜ。ま、そういう話を聞いたことあるだけで、ホントかどうかはわからないが」
「夜空の星……」
「ああ。ということはだ、電飾は星の光を表しているって考えてもよさそうだ」
予想外なことに、私は驚く。
クリスマスツリーの星はひとつじゃなかった。私の思い込みだったのだ。
「で、そんなわけで」
崇さんは星のオーナメントを何種類か混ぜて、全部で10個は抱えた。私は反応が遅れてしまう。
崇さんは店主のおじさんに話しかけた。
「すみません、これをお願いします」
「崇さん!」
制止は間に合わず、オーナメントは購入されてしまった。
店主のおじさんは星のオーナメントをサンタやトナカイの模様の紙袋に入れた。
それを受け取った崇さんは振り向き、私に差し出す。
「実はさ、親父さんに頼まれたんだ」
「お父さん?」
「日曜日に何も買ってやれなかったどころか、ろくに楽しむ前に倒れてしまって申し訳ないからって。何か欲しがるものがあれば買ってやってくれって言われて、お金を預かったんだよ。さっき食べたのも、これも、オレじゃなく親父さんからなんだ。だから、受け取ってくれないか」
「そう……なんだ」
それ以上、何も言うことはできなかった。
嬉しい?
嫌?
自分の心なのに、まるで自分のものではないみたいだ。自分の気持ちが分からない。
ちょっと前なら、こんなことをされたら迷惑に感じていたはずだ。
でも、そう感じることはできなくて、それを素直に認めることもできなくて、心のうちに複雑な気持ちが渦巻いている。
私は手を伸ばすか迷った。
受け取りたいのか、受け取りたくないのか、そんなこともわからない。
だけど、今の私には、散々放ったらかしにして父親づらしないで、と拒絶することもできず、包みを受け取るしかなかった。
手を伸ばし、しっかりと受け取る。
「ありがとう……ございます」
お礼は誰への言葉なのか。
覚えている限りでは、お父さんからのプレゼントは初めてだ。
自分の気持ちがわからないと思いながらも、頬が緩み、自然と笑顔になる。
口や心でどう言おうと、体は正直だった。
☆
雑貨コーナーを一通り見て回り、最後にホットチョコレートを購入した。
ホットワインで温めた体は、マーケットを回っているうちに冷えてしまったので、帰る前に飲み物でもう一度体を温めることにしたのだ。
諸々の代金はお父さんだとしても、ここまで連れてきてくれた崇さんだ。そのお礼に、ホットチョコレートは私のお金だ。
前にチョコレートが好きって言っていたので、崇さんも飲みたいはずと思っていたら、やっぱり喜んでくれた。
ホットワインでもらった雪だるまのマグカップに入れてもらい、私は両手でカップを持った。
熱が手にじんわりと伝わる。
一口飲むと、とても濃厚で美味しいチョコレートだ。
「あー、うまい」
「ココアもいいんですけど、ホットチョコレートの方が好きです」
「オレも」
私たちは飲みながらツリーを目指した。
ツリーを公園に入ってすぐに見たときも、屋台を回りながらも、綺麗だと思っていたが、近くで見上げると迫力がすごい。
木はなくて、骨組みのようなものでできているんだろうけど、隙間がないほどイルミネーションの明かりが輝いている。
周りには、ツリーの写真を撮る人や記念撮影をする人が何組もいる。
すぐそばでカシャッと音が鳴り、音の方を見ると、崇さんがスマホで撮影をしていた。
「今、何を撮りました?」
「もちろんツリーだよ」
崇さんは嘘くさい笑顔を向けた。嘘です、と言っているようなものだ。隠し撮りをされた気がする。
「どうしてこっちにカメラを向けているんですか」
じろっと睨むようにして言うと、崇さんはすぐに謝った。
「ごめん。親父さんが見たいんじゃないかと思ってな」
「もー、それなら撮るって言えばいいのに!」
「言ったら記念撮影させてくれるのか?」
「させませんけどね」
「なんだよ、それ」
ははは、と崇さんが笑う。
それを横目に見ながら、ツリーに目を戻した。
クリスマスは好きじゃない。
その気持ちは変わりない。
記念撮影だってしたいとは思わない。
でも、綺麗なものは綺麗なんだ。
私は記憶に焼き付けるようにツリーを眺めた。
残り少なくなったホットチョコレートがぬるくなった頃、崇さんは「帰るか」と言った。
「そうですね、明日も学校だし」
「遅くなったら親父さんも心配するしな」
まただ。
心配。
あれほど否定したかった言葉なのに、もう否定することもできず、返答に困った。
どうしようか、と考えた末、話をそらすことにした。大事な話があったんだ。
歩き出しながら「それより、崇さん」と呼びかけた。
「ん。なんだ?」
「明後日、金曜日の晩ご飯は全部私に作らせてもらえませんか」
「全部?」
私は頷きながら言った。
「お父さんのご飯を作らせてほしいって話は、お父さんが元気を取り戻した今も有効なのかわかりませんが、お父さんにご飯を作りたいんです。少ない回数だったけど、崇さんに教わった成果をお父さんに見てほしい」
「そっか、いいんじゃないか」
「本当ですか!」
「ああ、きっと親父さんも喜ぶ」
「美味しく作れる保証はないので、喜ぶかは怪しいですけど」
「娘の作ったご飯なら、どんなにまずくても、焦げても美味しいんじゃないか?」
「そんなものですか」
「たぶん。まあ、そこまでひどい失敗をさせる気はないけど。で、何か作りたいものはあるのか?」
「特には。でも、難しいものは無理です。簡単なもので。教わった卵焼きと味噌汁に、あと何品か作れたらと思うんです」
「わかった。献立は考えておく。金曜日は23日だから祝日だけど、バイトは?」
「お休みです。23日も忙しいはずですけど、お店の人が気をつかってくれて。クリスマスだけの臨時雇いのバイトが3人いるので、その人たちに入ってもらうから、私はお休みで大丈夫だって」
「それならいつもよりちょっと早く、昼過ぎには伺うから」
「はい、待ってます。ありがとうございます」
金曜日の予定を決めて、私たちは崇さんの運転するバイクで自宅へ戻った。
自宅では、崇さんの用意した晩ご飯を一人で食べたというお父さんが、笑顔で出迎えてくれた。




