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11 お父さんのための湯豆腐

 翌朝、私はお父さんに食べさせるため、タッパーに入ったお粥を電子レンジで温めていた。

 昨日、お父さんが目覚めて病院から戻ったあと、崇さんが食べやすいようにとお父さんのご飯を作りに来てくれたのだ。

 昨日の昼は普通のお粥に梅干しや白菜の浅漬けを遅めの時間に、夜は芋粥で、今日の朝は鶏肉の入った中華風だ。


 温まるのを待つ間、私の頭は昨日のことを思い返していた。

 昨日は慌ただしくて深く考えられなかったけど、こうして冷静になると、崇さんはどうしてショッピングモールにいたんだろう。


『偶然……というと嘘になるけど』


 崇さんのあの言葉はどういう意味なんだ。

 偶然なわけはないと思う。崇さんの自宅がどこか知らないけど、家から離れた場所で偶然会う確率なんて、きっとものすごく低い。

 偶然でないなら、お父さんからショッピングモールに行くことを聞いていたのかな。

 だとしても、どうして崇さんもその場に行く必要があるの?


 グルグルと考え込んでいると、チンと音が鳴ってハッとする。温め終わったようだ。

 別の器に移し、レンゲを付けてお盆に乗せると、2階に上がってすぐのところにあるお父さんの部屋へ向かった。


「お父さん、起きてる?」


 部屋をノックして声をかけると返答があったので、扉を開けた。

 お父さんはベッドの上に体を起こしていた。


「おはよう、茜」

「おはよう。お粥、食べられる?」

「ああ。胃を壊したわけでも熱があるわけでもないからな。そろそろ普通のご飯も食べられると思う」

「そう。それなら、今日も崇さんが来るから、直接伝えて」


 私はお父さんにお盆を手渡した。お父さんはそれを膝にのせる。


「そうだな。ありがとう」

「ううん。お昼の分のお粥も冷蔵庫にあるから、温めて食べてね。あと……」

「あと?」


 お父さんは顔を上げて私を見た。


「あー、ううん。なんでもない。私は学校に行ってくるから」

「ああ、行ってらっしゃい」

「……行ってきます」


 部屋を出た途端、ため息をついてしまう。

 崇さんがあそこにいた理由をお父さんに聞こうかと思ったけど、できなかった。まだ二人で話すということ自体に慣れてなくて、言葉がうまく出てこないんだ。


 私は1階に下りると、鞄を持って家を出た。

 すぐに、「おはよー」と真衣から声がかかる。

 門扉の向こうで真衣が手を振っていた。


「待っててくれたんだ。おはよう」

「ちょうど家を出たとこなの」

「そっか」


 私たちは並んで歩き出した。

 家が隣、学校も同じということで、都合が合えば一緒に登校している。

 だいたい同じ時間の電車に乗るようにしていて、家の前や駅で会えばそのまま一緒に、その電車に間に合わず会えなければ別々に、という感じだ。


「で、昨日、おじさんと出かけたの?」


 真衣は聞きたくて仕方ないという顔で尋ねた。


「うん、ショッピングモールに連れて行かれたんだけど……実は、お父さんが倒れちゃって」

「えっ、なんで?」


 真衣は足を止めて、私に向き直る。


「過労だって」

「過労。おじさん、いつも家にいないもんね。その間ずっと働いているなら、そりゃ倒れるか」

「うん、そうなんだよね」


 私は笑おうとして、うまく笑えなかった。


「私、お父さんが仕事って言って家を空けている何割かは、仕事もないのに帰ってこないのかと思ってた。本当にそこまで働いてくれているなんて思わなくて……お父さんのことを全然知ろうとしてなかったし、お父さんの体を気遣えてなかったなーって思い知った」

「茜……」


 真衣が哀れむような目をしたので、私は努めて明るい声を出した。


「でも、今日明日と仕事は休みもらったみたいだし、大丈夫。食事も崇さんが協力してくれるって言うから、外食じゃなくて、できるだけ家でちゃんとしたご飯を食べてもらうの」

「崇さんが? 昨日の今日でもうおじさんのこと知らせたの?」


「あー……というか、昨日、お父さんが倒れたときに偶然、崇さんが居合わせてね。それで救急車を呼んでくれたり、病院に付き添ってくれたりしたの。私はパニックなっちゃって何もできなかったから、すごく助かったわ」

「それは、すごい偶然ね」

「そう、よね。ねえ、偶然会うなんてことあると思う?」

「思いがけない場所で友達に会うことはあるから、全くありえないわけではないと思う」

「そっか」


「でも、おじさんが倒れたときに……となると、すごい確率に思えてしまいそう」

「やっぱりそうよねえ」

「崇さんはなんて? 偶然って言ってたの?」

「えーと、『偶然……というと嘘になるけど』だって」

「てことは、偶然じゃないってことよね。案外、おじさんも茜と出かけるのが不安で、崇さんに相談していたのかもよ」

「え、そんなまさか」


 私は日曜日にどこへ行くのか知らなかったので、崇さんが誰かに聞いていたとしたら、お父さんからしかない。だけど、不安って何。

 大人で、親になるような人が、子供と出かけるくらいで不安になったりするの?

 お父さんより20歳も若い子に、相談?

 どんな風に、どんな声で。全く想像できない。


「茜のことを知ってる人に相談しようと思うと、今井さんか崇さんぐらいよ。おじさんにとっては異性より同性の崇さんの方が話しやすかったのかも」

「相談してたとしても、それで崇さんがあの場にいた理由にはならないじゃない」

「ろくに交流のない二人が、何のトラブルもなく一緒にいれるか心配になったのよ、きっと。私だってそこは心配になるもの。で、崇さんはこっそり様子を見ていたとか?」

「うっ」


 昨日はお父さんとケンカ別れをしそうになったので、思わず言葉に詰まってしまう。

 私は頭を横に振ると、話を切り替えた。


「ま、まあ、それはともかくとして。崇さんに任せてばかりじゃなくて、私もお父さんのために何かできたらなって思うんだけど。私、これならできるって自信持てること何もないし、思いつかないのよね。何ならできると思う?」

「うーん」


 真衣は考えながら歩きはじめ、私も隣に並んで歩いた。


「あ、そうだ。せっかく崇さんに料理を習ってるんだし、おじさんのご飯を茜が作ったら?」

「ご飯? 私にちゃんとできるかな」


 たいがいのことはお父さん自身ができるほどに回復しているので、今から何かお父さんの面倒をみたいと思えば、確かに食事がいいアイデアだとは思う。

 崇さんにお願いすれば、今日の晩ご飯から作らせてもらえるだろう。だけど、私に美味しいものが作れるのか、自信がない。


「大丈夫だって。この前の卵焼きと味噌汁は美味しかったよ。お世辞とかじゃなく」

「うん、ありがとう」


 あの日作ったものは自分で食べても美味しいと思えた。ちょっとは自信を持ってもいいのかな。


「私一人では作れないけど、崇さんに教わりながらなら何とかなるかもだよね。崇さんにお願いしてみる」


 崇さんには、毎回同じものを作って慣れた方がいい、と卵焼きと味噌汁を教わるということになっていた。でも、お父さんも食べるなら、さすがに頻繁に同じものはどうかと思う。

 違う料理を教わることは可能だろうか。崇さんに聞いてみなくては。どういう料理なら私でも作れるのだろう。


        ☆


 放課後になると、私は急ぎ足で帰宅をした。

 崇さんにはLINEでご飯を作りたいことを伝え、了承をもらった。家で他の仕事をしながら待ってくれているはずだ。


「ただいまー」


 玄関で声を上げると、お父さんがリビングから顔を出して「お帰り」と言った。

 顔色は良さそうだ。

 着替えてキッチンへ向かうと、崇さんはすでに料理をしていた。

 包丁の手を止め、顔をあげて「お帰りー」と言ってくれる。


「ただいまです」


 エプロンを急いでつけて、崇さんの横に立った。


「今日は何を作りますか」

「湯豆腐にしようかと思うんだ」

「湯豆腐! 寒いから体が温まっていいですね」

「ああ、あっさりしてるから親父さんも食べやすいと思うし、白菜や長ネギなどもたっぷり入れて、それだけで満足できるようなものにする」

「わかりました。で、何をすれば?」

「まずは、この土鍋に水を張って、濡れ布巾で軽く拭いた昆布を一枚入れてくれ」


 崇さんは作業台に置いた土鍋と昆布を指差す。


「えーと、綺麗な布巾は……」

「ん」


 辺りを探そうとしたら、すぐに崇さんが取ってくれる。

 私はお礼を言って昆布を拭き、水を張った土鍋に沈めた。


「これは30分以上このまま置いておく。食卓にIHの卓上コンロを出してるから、そこに土鍋を置いてきてくれ」

「はい」


 私は両手で土鍋を持ち上げると、慎重に運んだ。

 キッチンに戻って、「次は?」と問うと、崇さんは1/4ほどにカットされた白菜と長ネギ、えのき茸を取り出した。


「白菜はザク切り。長ネギはこう斜めに切って、えのき茸は石づきを取って手でほぐして」


 私に指示しながら、すべてを少しずつ切って見せてくれる。特に難しそうな作業はないので、なんとかなりそうだ。私は手を切らないように気をつけながら言われた通りに切っていった。


「できました」

「うん。じゃあ、切った野菜をこの大皿に盛り付けてくれ」

「盛り付け」

「鍋に入れるから適当に並べてくれたらいいぞ」


 そうは言われても、小さな見栄くらい張りたい。できるだけ綺麗に見えるように盛り付けていく。上半分に白菜をこんもりと盛り、その手前右側にはえのきを白菜に立てかけるように置く。左側には白ネギだ。


「豆腐は8等分に切って、こっちの皿に並べて」

「はい」


 切った豆腐を皿に移した。


「あとは?」

「それで出来上がりだ」

「えっ、これで終わりですか?」


 私は驚いて崇さんを見て、それから盛り付けたお皿を見る。あっという間に終わってしまい、味噌汁を作るより簡単だった気がする。


「ああ。あとは具材を入れて火を点けて、煮上がったらポン酢を付けて食べるだけだ。ご飯にするとき、火を点けたらいいよ」

「なるほど」


 と答えてから気づく。


「てことは、残りは崇さんのいない時に私がやるってことですよね?」


 大丈夫かな……と急に不安になってきた。

 家族でご飯を食べることがなかったので、鍋を囲むという経験もろくにないんだ。何度か鈴木家でご馳走になったくらい。簡単そうではあったけど、鈴木のおばさんに任せっきりだったので、自分でお鍋を作ったことはない。


「具材を入れて点火のスイッチ押すだけだし、大丈夫だって。豆腐は温まれば食べられるし、白菜が柔らかくなってきた頃には他の野菜も火が通ってる。それにさ、そのくらいならきっと親父さんだって出来るだろ」

「あ、そっか。お父さん……」


 いざと言うときは、お父さんに任せればいいのか。


「でも、できるだけ自分でやりたいので、頑張ってみます」


 崇さんは「頑張れ」と笑いながら、鍋用の深い取り皿とポン酢を差し出した。


「並べといてくれ」

「はい」


 取り皿を各々の座席の前に、ポン酢はお鍋のそばに置いた。取り皿の前にはお箸を並べる。

 崇さんはさっき盛り付けたお皿にラップをかぶせてお鍋の左右に置く。具材を取り分けるための菜箸も添えてある。

 これで本当に準備が終わったらしい。

 あとは夕食の直前に、崇さんが炊いてくれた白米をお茶碗によそうだけになった。


 その後、作り置きを作っている崇さんを手伝い、すべてを終えて帰宅するのを見送った。

 すっかり暗くなった外を見て、そろそろご飯の頃合いかも、とスマホを取り出して時間を確認する。6時頃だ。

 ちょっと早い気もするけど、構わないだろう。

 リビングで新聞を読んでいたお父さんに、「晩ご飯にしよう」と声をかけた。


 用意した具材の半分を土鍋に入れ、火を点ける。残りの具材は様子を見て、食べながら追加をするつもりだ。


「これ、茜が用意したのか」


 お父さんは食卓を見て、目を丸くした。


「うん、一応」

「すごいな」

「いや、簡単なやつで、料理ってほどじゃないから」


 褒められることに慣れてなくて、むず痒い。照れてしまう。素直にありがとうと言えばいいのに、言えない。

 それに、やったことと言えば、具材を切って、鍋に入れて火にかけたくらいで、調理らしい調理は本当にしていない。褒められるほどのこともしてないんだ。


 キッチンにある炊飯器から白米をよそって、食卓へ運ぶ。

 父は鍋用の取り皿にポン酢を入れてくれていた。


「ありがとう、お父さん。食べよっか」

「ああ」


 席について手を合わせると、お鍋の蓋を開けた。グツグツと煮立っていて、食べられそうだ。

 お父さんは自分の取り皿に穴あきのおたまを使って豆腐を入れた。私も無難に豆腐を選ぶ。豆腐は温まれば食べられると言っていたので、豆腐なら煮えてるかの心配がないはず。


「うん、美味しいよ。茜」


 お父さんは一口食べて笑った。

 昆布出汁で煮たものをポン酢で食べるだけなんだから、失敗のしようもないし、美味しくて当たり前。そうは思ったけど、やはり美味しいと言ってもらえると嬉しい。


「そっか、良かった」


 私は黙々と食べていく。

 あっさりしていて、美味しい。

 自然と頬が緩んでいく。


 私もお父さんも何も話さなくて、ほとんど会話のないままご飯を終えた。それでも、今回は何も気にならなかった。

 ずっと感じていた気まずさを感じず、自然でいられた。

 食後、お皿を洗いながら、そんな変化を不思議に感じていた。


        ☆


 お父さんは火曜日も仕事を休み、水曜日に出社をした。

 食事量や内容は普通に戻っていて、顔色も良かった。体調は問題なさそうで、ホッとしながら出勤するお父さんを見送った。


 それが朝のことで、夕方、私は学校を終えて家に帰った。

 家では崇さんが待ち構えていて、外へ遊びに誘われた。


「たまには遊びに行こうぜ」

「えっ、今から? 今日は料理を教えてくれないの?」


 何がなんだかわからず、戸惑ってしまう。

 玄関で出迎えた崇さんは、すでにエプロンを外し、ブルゾンを着てメッセンジャーバッグをかけている。準備万端のようだ。


「今日の料理教室は休みだ。そんなに遅くなるつもりはないから、外でご飯を食べよう」


 崇さんはそう言うなり、玄関から出て行く。


「いや、ちょっと待って。せめて着替えさせて!」


 私は崇さんを追いかけ、腕を引っ張った。

 コートを着ているとはいえ、その下は制服だ。どこに行くのか知らないけど、このままだと悪目立ちするかもしれない。

 何より、崇さんだと移動はバイクだよね。「バイクにスカートは困るし」と言うと、崇さんは振り返って、ニヤッと笑った。


「じゃ、待ってるから」

「う、うん」


 なし崩しで了承してしまったことに気づき、愕然とする。してやられた気分で悔しい。

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