現代知識チートマニュアルの問題点
「問題は、作者が間違った知識を持っている場合だ。この場合、間違った知識を使った転移者に間違えたままで成功させてしまう。そして、それが読者にばれた瞬間、その作品の評価は地に落ちる」
「上手い嘘(=小説)を書くために、本当のことを知っておこう」
この短編が、その役に立ったら幸いだ。
■米と麦
「同じ中世でも、日本に比べてヨーロッパの収穫量が少ないのは、ヨーロッパは雨が少なく、灌漑もままならないため、僅かな雨を頼りの天水農法だったから」
→西ヨーロッパの灌漑率は現代でも13%程度であるが反収はあちらが上
前ページで触れた農業の集約性について述べるべきではないか
「雨の多い日本は、麦を育てた場合ですら、ヨーロッパより有利だった」
→グラフは農林水産技術会議資料より
日本は梅雨を避けるための早生種が不可欠でありむしろ不利な地域
気候をのみで説明するには無理がある
「1人の農民が面倒を見られる農地面積は、米でも麦でも大差ない」
→農林水産省「農業経営統計調査」では10aあたり労働時間の項目があるが、昨年度のデータだと米23.6時間に対して小麦3.57時間、二条大麦5.65時間、六条大麦4.59時間、はだか麦7.96時間と大きく異なる
また明治21年の『農事統計表』から反あたり労働費を求めると、米3.515円に対して大麦2.044円、小麦2.013円、裸麦2.482円
いずれにしろ麦作の労働負担は米より遥かに小さい
「上のグラフのように」
→ソースが未提示
■稲作
「以下は、焼畑農業によって陸稲を育てた場合の収穫量の変遷を表す」
→地域気候傾斜土壌施肥品種栽培管理等一切の条件が未提示
■正条植と苗代
「農民1人当たり1.5~2倍程度の生産力を得ることができ」
→明治44年の『実用農事便覧』を例にとると、正条植2.343石に対して乱雑植2.207石という数字であり、上昇幅は約6%にとどまる
■種籾の選別
「他の作物では選別に使う塩水の比重は異なる」
→「中世ヨーロッパ風」も対象と考えると、横井が小麦については塩水選ができないとしている点も欲しい
■堆肥
「日本のような集約農業でない限り、堆肥を全面的に農地に用いるのは困難だ」
→こうした部分を「米と麦」に反映してほしい
■農地面積
「下は、中近世のイギリスのデータである」
→ソースが未提示、かつ「土地所有農家中の比率」を1例のみ挙げて「中近世」という非常に幅広い年代を説明するのは無理が過ぎる
■二圃式農法
「これを穀草式の中でも原始的なので原始穀草式と言う」
→これはいいのだが、何故近代の穀草式農法について一切触れていないのか
■三圃式農法
「三圃式農法は、農地を3つに分け、それぞれ夏穀地・冬穀地・休耕地のサイクルをくりかえす農法だ」
→冬穀と夏穀のサイクルを真逆の順序で紹介している
次のフランドル農法の説明では冬穀→夏穀という栽培順序を出しておきながらこれはない
■輪栽式農法
「1850年のイギリスでは、5人に1人が農地で働けば、全人口を養うことができた。1880年には7人に1人、1910年には11人に1人で良くなっている」
→穀物輸入を完全に無視した、単なる農業人口/総人口の計算を行ったものと思う
だが1873年以降はイギリス農業の「大不況期」であり、小麦価格の暴落によって1871年に312万エーカーだった小麦栽培面積は1901年に161万エーカーと激減、自給率も2割未満へと落ち込んでいる
■千把扱き
「茎はそのまま歯の隙間をすり抜けるが、実は引っかかって茎から落ちてしまう」
→米についてはこれでいいだろうが、麦の場合は穂が落ちてそれから唐棹作業が必要な点を
■犂
「この犂は、ヨーロッパには伝来せず」
→モールドボードは単に犂の機能の一部である撥土板のこと
説明から綺麗に抜け落ちている重量有輪犂の基本構造であるし、この項目は全体的に技術面の無理解を感じる
■竜骨車と踏み車
「踏み車を中世ヨーロッパに導入すると、川の水位が低すぎて開墾できなかった土地を畑にすることができる」(下線付き)
→灌漑の有効性こそ否定しないが、ヨーロッパが灌漑農業地域であるかのような誤解を生む記述は不適当
■サトウキビ
「南九州や高知などの暖かい地域でしか栽培できない」(下線付き)
→高温要求性は間違っていないが、生産高で圧倒的に多かった香川が抜け落ちている
■甜菜
「各地の品種を集めて、最も糖度の高い甜菜を探せば良い」(下線付き)
「甜菜以外のビートにも、1~2%の砂糖が含まれているが、甜菜には6%も含まれている」
→6%の含有率を持つ「甜菜」は各地のビートを収集して選抜育種と栽培方法の研究を進めた成果であり、自然状態でそれが存在したように語るのは不適当
方法論としては上記の流れなのだが、最初期だと砂糖含量を分析する装置もなく、1784年の研究開始から最初の甜菜製糖工場設立までは17年の歳月がかかっている
■大豆
「ヨーロッパに早期に大豆をもたらすことができれば、かなり大きなチートになる」(下線付き)
→無理とは言わないが、大豆は日長に対して敏感なことから、品種による緯度差が非常に問題になる
史実だと20世紀の北米で劇的に増大したものの、19世紀後半にフランスの順化協会が全土に配付した例や、ウィーン博覧会での紹介もありながら普及は限定的であった
■ピーナツ
「四圃式の1つにするなどが向いている」
→自分で「比較的寒冷なヨーロッパでの栽培が難しかった」と書きながらこれは無理がある
現代ヨーロッパでの生産は地中海側でわずかに見られる程度
■蕎麦
→何故現代の主要な生産地でもあるヨーロッパでの栽培について一切触れていないのか
■竹
「ヨーロッパに早期に竹を導入できれば、軍事・建築・手工業などにおいて、非常に有効な素材を手に入れることができる」
→何故「日本」「中国をはじめとする東アジア」「インド」「アフリカ」なんて温暖湿潤地域を挙げながら、「環境的には十分生育できるはず」としたのか
自然分布もなく、現代の欧米で大規模利用が進むという話も聞かないのだが、その自信はどこから来るのか
■干し芋
「ヨーロッパのように寒くて乾燥した冬の方が、干し芋を作るには向いている」(下線付き)
→「サツマイモ」の項目を読むに地中海性気候下での栽培を考えているようだが、この地域は冬場に雨季かつ日本よりも温暖である
「寒くて乾燥した」となると大陸性気候かと思うが、こちらは現代でサツマイモ栽培は特に見られない
■土壌と改良
→わざわざこの項目を作るならノーフォーク農法で不可欠だった泥灰土には触れてほしいのだが
■漁業
「中世ファンタジーの時代には、動力船がないので、大規模漁業が不可能だ」
→北海のニシン漁とか江戸時代の干鰯とか完全スルーとは
■真珠
「中世ファンタジーの世界では、魚介類の養殖はほぼ行われない」
「漁業資源に影響があるほどの漁獲は考えにくいからだ」
→全ユーラシア大陸で古来養殖されてきて、内陸ヨーロッパにも日本にも深く馴染みがあって、現代でも養殖の中で最多を占める鯉を完全スルーとは
論文ではないとはいえ数値じみたことを書くなら根拠が欲しい