第6話:赤髪の少女
ヘクトは、少女の足を鐙に掛けさせ、馬に乗せてやる。
ヘクトはその後ろに乗るのだが、手綱を手に持つ際に抱きしめるような形になってしまい、ほんの少しの小っ恥ずかしさを感じてしまう。
すると、少女はそれを悟ったのか、口元をニヤニヤっと歪めさせた。
「照れているんですか? でしたら、私が後ろに座りましょうか?」
「べ、別に照れてなんかいねぇよ……。それに、馬は後ろの方が揺れるんだぜ。怪我人をそんな所に乗せれるかっての。それに、仮に後ろに乗せたところで、今度は抱きしめられる形になるんだから、大して状況は変わら……何でもない」
「ふふふ。可愛らしいです」
「だ、誰が! ……それより悪いな。傷の手当てしてやれなくて。俺、魔術は使えなくてよ」
「いえいえ、お気になさらず。こんなの擦り傷です。それに、当然とは言えこれは聖術では癒せない傷。性質の異なるただの魔術で癒すとなれば、余程の魔術師様でないと無理かと。……私が自分で治せればいいのですが、生憎魔力を使い果たしてしまっておりまして」
謝るヘクトに、傷だらけの腕を見せつけ、優しい笑顔をしながら話す少女。
そんな少女の言葉に、所々疑問を抱くヘクトであったが、一つ一つ問いたい気持ちを抑える。
……そう。今、少女に問うべきことがあったからだ。
ふぅ、と息を吐くと、ヘクトは表情を変え、「聞きたいことがある」と、優しい声で言うと、右手の手袋を外し、少女に刻印を見せる。
「聞きたいことは幾つかあるが、まずは君のことを聞きたい。もしかして君はこの刻印に関する人?」
「何故そうお思いに?」
「さっき、君の手に触れた時、ビリっと衝撃が走ったんだ。君もそうなんじゃないのか? んで、君が俺に言った言葉と、雰囲気の変貌。そこから、こんな風に考えたんだがどうだ?」
「……雰囲気の変貌ですか。刻印の持ち主に出会えて気が抜けたのかもしれませんね。しかし、それに気づくとは見事です。えっと、」
「ヘクトだ」
「ヘクト様。良いお名前ですね。それでは私も自己紹介を」
少女は馬の背に立ち上がり、くるりと回り、二つに結われている綺麗な赤髪を揺らすと、スカートの裾を掴み、軽く辞儀をすると、すぅっ、と息を吸い込んだ。
「はじめまして、ヘクト様。今ここに、改めて先ほどの御礼を申し上げます。私は、ベルゼブブ。先代魔王の子にしてその刻印を求めし悪魔の一つ。あっ、悪に成り得るものは絶たれちゃうんでしたっけ?」
「聞いてたのか。安心して大丈夫だぜ。俺は、その王の方針に反対する不届き者の一人だからな。それに、刻印を右手に刻まれている俺も人のことを言えない。じゃあ、ベル……でいいか? とりあえず、危ないから座っとけ?」
見るとベルゼブブは、よろける足になんとか踏ん張りを効かせているようだった。
ベルゼブブは、忠告を受け入れると、ちょこんとヘクトの方を向いたまま、座ると少し頬を染めながら語る。
「そ、そんな風に呼ばれたのは初めてです」
「そうだったのか。改めた方が?」
「い、いえっ! そのままで大丈夫です。寧ろそのままでお願いします。可愛らしい響きなのでっ! ところで、ヘクト様はその刻印がどういうものかご存知で?」
「一応な。『魔王取り決めの儀』ってのに選ばれたってことなんだろう? でも、儀式がどういうものなのかは知らなくてな」
「では、私が……ベルが説明を致しますね」
……ベルゼブブの語ったものは以下のようなものだった。
・此度の儀式は、数百年ぶりの儀式であること。
・これは、その名の通り魔王を決める儀式で、神が執り行っている儀式であること。
・その神により、六人の人間に刻印が授けられ、魔王になることを望む悪魔はそれを探し出し、契約を成さなければならないこと。
・この儀式は六組の悪魔と人間の番が出来次第開始するということ。
・悪魔を召喚するなどして、その悪魔の承認さえ得られれば協力を得ることも可能であること。また、人間による協力も許されていること。
・番の人間が死ぬ、刻印が消失する、番の人間が敵の番に敗北を宣言する、何れかにより魔王になる権利は剥奪されること。
・番となった悪魔や人間が魔術を使う際は、お互いの魔力の合計値から魔力が差し引かれること。
しかし、人間に合計魔力値の所有権があるために、悪魔がこれを使うには人間の許可が必要であること。
そして、魔力を使い切ってしまうと互いに死にはしないが慣れていないととてつもない疲労感に襲われること。
・番の悪魔が死亡しても、人間が敗北を宣言しなければ、他の悪魔と再契約が可能であること。
・最後まで残った番にはそれぞれに願いを叶える権利が与えられ、それが叶えられるといよいよ魔王になるということ。
……。
「仮にだが、番が揃わなかったらどうなるんだ? 人間側に契約する気が無いとかで」
「『戦う意志のない人間は刻印に理性を剥奪され、強制的に儀式に参加させられる』と聞いたことがあります。なんでも、そうなってしまった人間は人が変わってしまうのだとか」
「末恐ろしいな。しかし、そうなると否が応にも悪魔と契約しなければいけないのか。……バレたら処刑もんだな」
先のことを考え不安になるヘクト。
思わず溜息が出た。
すると、『処刑もん』と言う単語にピクッとベルゼブブが反応する。
「ヘクト様。『悪に成り得るものは絶て』と言うのもそうですが、この国は何故そこまで悪を嫌っているのでしょう?」
「元々は宗教的なもので、『善行を積みましょう』、『悪徳は許しません』ってな感じだったんだが、今ほどじゃなかった。まぁ、側から見れば中々に厳しめのものだったんだがな。それで、十年くらい前にそれに反発した騎士や市民が大掛かりな反乱を起こしたんだ。それからだ。ここまで王が悪を毛嫌いするようになったのは。だからと言って俺はあまり納得出来ないんだが」
「そうですか。では、契約は」
「おっと、話はまた後にしよう。城が近づいてきた。それに、この話をするならもう一人交えたい奴がいる。もう昼過ぎだ。はぁ、蹴られなきゃいいが」
嘆息をするヘクトを見てベルゼブブは小首を傾げた。
……。
ヘクトは馬から降り、ベルゼブブを乗せたままの馬を連れ、城の前まで歩く。
物見がその姿を確認し、急いで兵士達に城門を開けさせる。
そして、城門を開けた兵士達がヘクトに駆け寄ると、口々に話し出す。
「お疲れ様です、ヘクト卿!」
「ヘクト卿、アーサー卿はどちらに?」
「ヘクト卿、お召し物に血が! お怪我はございませんか!」
「ヘクト卿! そちらの女性は?」
「ヘクト卿、剣の稽古をつけてください!」
「だあああ! 口うるせえ! お疲れ! アーサーは残って調査中! これは返り血! こいつは捕らわれてたやつ! 怪我人がいる。剣の稽古はまたにしろ! はぁはぁ……」
一息に、まとめて返事を返したヘクトは肩で呼吸をし、それを見たベルゼブブは、静かに微笑んだ。
「慕われているのですね」
「こんな暑苦しい出迎えは鬱陶しいだけさ」
ヘクトがそう言うと、一人の兵士が茶化すように話し出した。
「申し訳ありません! 凛音様をお連れするのを忘れていました!」
「くっ、墓穴を掘ったか! さてはアーサーの奴、兵士達に吹き込んでやがるな!」
男達はたわいのない話で盛り上がり、ベルゼブブの方はというと『凛音様』という単語に小首を傾げていた。
そんな時、他の兵士達とは風貌の違う男が近づいてくる。執事長・ホネスト=クラークであった。
「ヘクト卿。王がお呼びです」
「ホネスト。珍しいな、俺が呼ばれるなんて。この娘も連れて行った方がいいか?」
「いえ、今回の事とは別のお話しのようです。アーサー卿もお呼びなのですが居られないようですね。その事を王にお伝えくださいませ」
「分かった。じゃあ急いで着替えなきゃな。ホネスト、ベルを凛音のとこに連れて行ってやってくれ。あいつならこの傷の治療が出来るだろ」
それだけホネストに伝えると、ヘクトはベルゼブブにそっと耳打ちをする。
「凛音ってのが、さっき話に交えたいって言ってた奴だ。この国で俺が最も信用してると言ってもいい奴でもある。儀式のことについて先に話しといてくれ」
「最も信用出来る人、ですか。分かりました。でも、お話にはヘクト様にも参加してもらいたいです。できるだけ、早く戻ってきてくださいね」
ヘクトは、微笑み頷くとまずは更衣室へと走った。
……。
ヘクトは、王室の前に着くと意匠の凝られた木製の扉を四回ノックし、息を整え部屋に入る。
そこには、若い外見には似つかわしくない、玉座に座る一人の男の姿があった。
名はデイヴ。この国、レセンタルレミューの国王である。
ヘクトは、ある程度デイヴに近づくと、すぐさま跪く。
「デイヴ様。王宮騎士、序列二位、ヘクト・フォン・ゼーゲブレヒト、ただいま参上しました。アーサー・ラウンドは現在教会にて調査をしていますので、御用がございましたら、俺が伝えておきます」
「いや、気にするな。アーサーは、後でもう一度呼ぶとしよう。直々に伝えたいからな。まずはヘクト。此度は良くやってくれたな」
デイヴは、片手にワインの入ったグラスを持つとくるくると中のワインを回しており、視線はヘクトにではなく、そちらに向いているようであった。
「今回呼び出したのは、二つ頼みがあったのでな」
「言っておきたいこと、ですか?」
「うむ。まず一つめは、近頃この国を始め、様々な地域で悪魔が増えてきているという報告を、魔術師達から受けたのだ。悪を許容する他の国のことなど知ったことではないが、この国に悪魔がいることは芳しくない。許されないことだ。なのでな、兵士達のパトロールを増やし、悪魔を見つけ次第これを殺し根絶やしにするように指示して欲しいのだ。それに並び、兵士達の訓練も頼みたい。できるな?」
「……」
ヘクトは、王が定めたこととは言えども、自身の持ち合わせている考えとあまりにもかけ離れていたので、思わず声を詰まらせてしまう。
すると、二つ返事で引き受けると思っていたデイヴは、眉をひそめると、グラスのワインからヘクトに視線をやる。
「……何か問題でもあるか?」
「い、いえ。悪魔が増えていることを知り、瞋恚から思わず黙り混んでしまったのです。失礼しました」
「そうか。ならばいい。して、もう一つの頼みだがな」
デイヴは、口元を綻ばせながら、ヘクトにもう一つの頼みについて話した。
その頼みは、ヘクトを驚愕させ、また非常に瞋恚に燃えさせるものであった。
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