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NAITO falls 物語   作者: R.S.Δ
一章:knight falls
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第1話:右手に現れた刻印

 静寂であるはずの朝に騒々しい声が木霊し、寝起き特有の混濁とした意識は徐々に明瞭さを取り戻していく。



「……きなさい!! 起きなさいっ!!! 起きろっつってんでしょ、ヘクト・フォン・ゼーゲブレヒト!!」



 ヘクトと呼ばれた青年が聞いたのは、訳あって幼い頃から家に居候している少女・凛音りんねの声であった。



 その声で、すでに目が覚めていたヘクトは体を起こす。



「なんだよ、凛音。そんな騒がなくても、グアッ!!」



 レムリアの東国の家系である親に名付けられたこの地では少し珍しい凛音の名前を呼び、文句を言おうとしたヘクトだったが、腹部に激痛が走ったことで、それは未然に終わった。



 目をやると鳩尾付近に凛音の踵落としがヒットしている。



「あっ! 起きてたの……。あ、あははは。だ、だって振り上げた足は振り下ろすしかないじゃない? それに、急に動いたら狙いも定まらないっていうか」



「な、何だよ、そのよくわからない弁論は……」



 そもそも、どこを蹴るつもりだったのか。何故、蹴り起こそうとしたのか。様々な考えを頭によぎらせたヘクトであったがそれも空しく、その意識は再び混濁のものとなった。



「はわわわ……。えっと。そ、そうよっ! 落ち着きなさい、あたし。こんな時は」



 ヘクトを気絶させてしまい一瞬戸惑う凛音であったが、気持ちを落ち着かせると、ヘクトに手をかざし自身の不二の魔術(・・・・・)の詠唱を唱える。



「我が力 。『複製』の力よ。この者の害無き事様を複製しからば、其を害ある場所に上書きし、この者に安楽という名の異様を与え給え。『害ある場所に利よ実れ《アークイサイション・オブ・ザ・オーバーライト》』!」



 詠唱を唱えてからヘクトが目を覚ますのは、およそ十分後のことであった。



……。


 不二の魔術。それは、血筋より受け継ぐ力、または運命が個人に与えた力。



 同じ力はこの世に二つと無いとされ、血筋から受け継ぐ場合は相応の儀式を行う必要があり、それが終了した際には元の持ち主から不二の魔術は失われる。



 凛音の場合は後者で、その力は『複製』。万物の根源たる元素の構成を無視して、あらゆる物体や状態などの模倣品を自身の魔力を変換させることによって直接作り出せる力である。


……。



「いや〜、こんなこともあろうかと少し早めに起こしておいて良かったわ。さぁて今日も一日頑張りましょうっ!」



「その前に俺に何か言うことはないのか、凛音さんよ?」



「いや〜、まさかあたしがドジっ子だったとはね〜」



「ドジっ子は自分のことドジっ子って言わねーし、そもそもドジっ子は人のことを蹴り起こそうとするような物騒な考えは持たねぇんだよっ! この馬鹿っ!」



「だ、誰が馬鹿よっ! あれは、蹴った方が目覚めがいいと思ってやっただけよっ! ……。でも、そうね。いくらあたしのドジだったからって、ヘクトは痛い思いをしたわけだもんね。ちゃんと言うべきよね。ドンマイっ!」



 おおよそ謝る気がないと思われる『天然居候娘』改め凛音は、親指をピンッと立てた手を頭上から勢いよく振り下ろし、後頭部で一つ結われている黒髪とどちらかと言うと大きめの胸を揺らしながら輝かしい笑顔で答える。



 あまりに明朗に言われてしまった為、ヘクトは嘆息をもらすしかなかった。



 へらへらとしていた凛音であったが、それとなく腕時計に目をやると狼狽し語気を荒らげながら口を開く。



「ぬわっ! もう、バスの来る五分前じゃないっ! 急いでっ、仕事に遅れちゃうっ!」



「いや、そもそも誰かさんが俺を気絶なんかさせなきゃこんなことには、んぐっ!」



 凛音はにこりと微笑むと、ヘクトの口にあらかじめ焼いてあった朝食用のトーストを何枚かねじ込み言葉を遮った。



「御託は求めてないわ。食事も済ませたことだし、ちゃちゃっと四十秒くらいで身支度しちゃって! 玄関で待ってるからねっ!」



 凛音は、そう言い残すとドタドタと音を立たせながら自身もまた身支度のため自室へと走っていった。



 これに遅れると再び蹴りをくらう。



 そんな未来の事象を察知したヘクトは、口のトーストを飲み込むと、急いで騎士服に着替え、部屋の片隅に立てかけてあるゼーゲブレヒト家に代々受け継がれている瀟洒な意匠の凝られた鞘に収まっている剣を背負い玄関へと急いだ。



……。



 二人の仕事。


 それは、王宮に仕えることである。ヘクトは騎士として、凛音は魔術師として。



 ヘクトは少年時代に、現在の自分と同じく騎士だった今は亡き父の友にその才を見出され王宮に推薦されたところ、それを認められる。そして、幼い頃から現在に至るまで騎士として王宮に仕えている。



 一方凛音は、不二の魔術等、魔術に関する才があったことをはじめとし、ある(・・)人物の孫であるということ、両親が事件により亡くなり、身寄りが無かったためなど様々な理由から白羽の矢が立ち、王宮に半ば無理矢理仕えさせられることになりそれは現在まで続いている。



 それを不憫に思った今は亡きヘクトの父が、せめて楽しく過ごせればと凛音を引き取り共に暮らすことを決断したのはまた別の話ではあるが、凛音が今もヘクトと暮らしているのはその名残である。


……。



 出来るだけ急いだものの、やはり四十秒で支度するのは不可能であった。



 ヘクトは覚悟して玄関のドアを開ける。すると、そこには誰が見ても作った笑顔だと分かるであろう表情をしている凛音の姿があった。



 そして、凛音はヘクトの目の前に足を振り上げピタリと止める。



「あはっ。さっきあたし、バスの来る五分前って言ったわよね? なのに、三分も使うってどういう了見なのかしら?」



「いや、これでも急いだ方だと」



「言い訳なんざ聞きたくねぇわ。それにあたしだって着替えてる訳だしね」



 見ると凛音は先程までの可愛らしい部屋着(厳密に言うと猫耳フードのついた大変可愛らしい部屋着)とは違う、粛々とした雰囲気の王宮魔術師の服装に着替えていた。



 しかし、よほど慌てて着替えたのだろう。ローブのフードはひっくり返っており、静かに降ろされていた足に目をやると、普段は太腿ふとももの高さまである靴下も不揃いとなっている。



「まぁ、いいわ。走ればまだ間に合うだろうし? さて、ヘクトの所為で走らなければならなくなった訳だけど何かあたしに言うことは?」



「そうだな。えーと、凛音。猫のパンツ見えて、へぶっ!」



 ヘクトは、何か言えと言われて言わなければならないと思ったことを言ったのだが、いかんせんデリカシーがなさ過ぎた。



 凛音は、再び足を振り上げると今度は寸止めをすることなく鋭い蹴りをヘクトに食らわせた。



 そして、顔を赤らめながら声を荒らげた。



「どこ見てるのよっ! このムッツリっ!」



「違う。見たんじゃない。見えたんだ。猫型の水玉がプリントされたパンツが」



「わざわざ詳細を口に出さなくていいわよっ! ぐぬぬ……。ともかく走るわよ。間に合わなくなっちゃうわ」



 バス停が近くだったこともあってか、二人は全力疾走することでなんとかバスに乗ることができた。



 二人が乗っているのは、灰色の煙を上げながら走る最新の蒸気機関が組み込まれた大型の乗合自動車。



 それなりの速度を出し、それは終点の王宮へと向かう。



 見慣れているとはいえ綺麗な街並みが窓から見えるのだが、二人はそれを眺める余裕はなかった。



 息が切れてそれどころではなく、車内に響く蒸気機関の駆動音と、他の乗客の声が聞こえることを認識することがやっとだったのだ。



……。



 朝から忙しなく動いていたが、ようやく落ち着くことができた。



 そこで、ヘクトはふと今朝の夢を思い出す。



 そう、あの魔女の啓示を。



 今、思うかなり不安になる夢。夢の中で魔女は、別段誰かに言ってはいけないとは言ってなかったので、ヘクトは魔術師であり、現在不揃いだった靴下の高さを調整している凛音に相談してみることにした。



 かつて、いつも同じ夢を見ると相談した時と同じように。



「なぁ、素敵な魔術師さん。少し相談に乗ってくれるか?」



「何よその呼び方。別にいいけど、何?」



「今朝、不思議な夢を見たんだ」



「夢? 夢っていつもの草原の夢?」



「ああ。だけど、今日は俺以外の登場人物がいた」



 ヘクトは今朝見た夢の全貌を話した。



「悪魔、儀式、どれかしら? 最近、悪魔が増えていることに関すること? でも、人が滅ぶような争いに発展するような儀式なんてないだろうし。むぅ〜。それに銀色の髪で赤眼の『伝説の魔女』って、まさかね? むむぅ〜」



 いちいち悩む凛音の姿に、一瞬可愛らしさを感じるヘクトだったが、「一つ矛盾が生じている」と感じる点を夢の時点で抱いていたので、考えを巡らせ頭を抱え込んでいる凛音に重ねて質問を投げかけた。



「ま、待ってくれ、凛音。話が早いのは助かる。でも、俺が言うのも何だがこの夢に信憑性はあるのか? だって、魔術の使えない俺に魔力が成長したとか言ってくるんだぜ?」



「馬鹿ね。『魔術が使えない=魔力が無い』ではないのよ? どんな生物も少なからず魔力を体に宿してる。だから成長してると言われても不思議ではないのよ。それに、古来より夢に出てくる魔女は様々なことを教えてくれると言い伝えられているのよ。あんまり知られてないけどね。……十分な信憑性はあるわ。だから、ただの夢と思うのは諦めることね。大丈夫よっ! 貴方には不二の魔術をも使える優秀な魔術師様がついてるんだからっ!」



 凛音はドヤ顔でそう語ったが、すぐに表情を戻すとさらに補足するように続けた。



「でも、細かいことは文献で調べたり小悪魔でも召喚して聞いてみないことにはわからないわね。調べておいてあげるわ。昼にでも会えるかしら?」



……小悪魔。下級悪魔の分類の一つである。小悪魔の召喚は古より伝えられるもので、主に魔術師達が使う技の一つである。これにより魔術師達は、生きているだけでは知り得ないことをも知ることが出来る……



「おぉ、それはありがたい。優秀な魔術師様が助けてくれるなら大助かりだ。じゃあ、昼飯を食いながらでも、痛っ!」



 凛音の頼もしさに安堵したヘクトは、約束を確立するための返事をしようとしたのだが。



 一瞬。そう、ほんの一瞬のことであったが、騎士服の一部である白手袋の下、ちょうど右手の甲の中央に痛みを感じ、その返事は遮られた。



「ど、どうしたの? 大丈夫?」



「あ、あぁ。手に痛みが。でも、もう治ったよ。棘でも刺さったか?」



 心配する凛音を安心させるために、そう事実を述べるヘクト。しかし刹那、凛音は何かに勘付いた様子で唐突に表情を変えると声を荒らげた。



「ヘクト! 手を見せて!」



「り、凛音? どうしたんだよ急に? 棘か何かが刺さっただけだと」



「いいから!! 早く!!」



 凛音の表情の変わりように驚いたヘクトは言われるがままに手袋を外した。



 すると、見慣れないものがそこにはあった。タトゥーのようなもの。いや、刻印と言うべきだろうか。



 形容し難い禍々しさをも感じるその刻印。それを見てヘクトの心に湧き出たもの。それは、今までに感じたことの無いような気味の悪さだった。



「ぅ、うわぁぁぁ!! なっ、なな、なんだ、これ!」



「落ち着きなさい、馬鹿」



 凛音は、終点に近づき少なくなった周りの客に笑顔を取り繕って頭を下げると、小声になってヘクトに語りかける。



「何も呪いがかけられたとかそういうのじゃ無いわ。神様からのとんだプレゼントよ。……あはっ。とりあえず、何処ぞの魔女様が何の儀式のことを言っているかは分かったわね。『魔王選定の儀』。ヘクトはそれに選ばれた、ううん。巻き込まれたと表現する方が正しいかしら?」



 凛音は、口元に今まで彼女が見せてきたものとは種類が違う笑み浮かべて、ヘクトにそう語った。



「終点、王宮前〜、王宮前〜」



 その時、バスに運転手の声が響いた。



 窓から差す朝日が、ヘクトの白縹色の髪をキラキラと、そして、剣の瀟洒な鞘を妖しく輝かせていた。


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