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オルクス  作者: 和達譲
Side:THE PAST
98/326

Episode-4:深紅



「───と。俺が持っている情報は、一先ずこれで全部だ。

情けない話だが、俺自身父について詳しいことは把握出来ていないんだ。

一応は一緒に暮らしていたはずなのに、俺はあの人の好物すら知らない」



やがて、アンリが一通り話を終えた頃には、店内にはアンリとミレイシャの二人しか残っていなかった。


すっかり暗くなった外では街灯の光が灯り始め、ホールを担当していた従業員達も店仕舞いの準備を進めている。




「……正直、まだハイそうですか、って感じにはならないけど。

とりあえず、あんたの話は解ったよ。とりあえずはな。

あんたがオレに会いに来た理由って、これを説明するためでもあったんだろ?」



しばらくぶりに口を開いたミレイシャは、入店当初よりも更にぐったりとした様子で窓にもたれ掛かった。



「……けどさ。どこの馬の骨ともわからなかったオレの父親が、あんたの立派なお父様と同一人物だって判明したのはいいよ。

でも、もう死んだ後だってんなら、今更文句を言いにいくことも出来ないじゃないか」



父の正体が明らかになっても、棺桶を相手に積年の恨みをぶつけることはできない。

今更系譜を知ったところで、亡くなった母が生き返るわけでもない。


まして、自分もキングスコートの血を引いていると公表したところで、世間はろくな関心を向けないだろうことを、ミレイシャは誰に言われずとも分かっていた。



「これじゃあなにも、前と変わらない。

だったらむしろ、……オレの父親が誰だかわからないままだった方が、良かった」



最後にそう言い残すと、ミレイシャは目元を掌で覆って再び沈黙した。

そんなミレイシャの姿を見て、話すのはまだ時期尚早であっただろうかと、アンリは一瞬後悔しかけた。


だが、アンリの存在に関わらず、いつかはミレイシャも真実を知ることになったはずなのだ。

どうしたって事実は覆らない。どこに隠れていようとも、人とは決して血の魔力からは逃れられない生き物なのだから。



実は自分に、生き別れの兄弟がいた。

身内は他に残っていないものと思っていた矢先に、共通のルーツを持った半身が現れた。


それはミレイシャにとってもアンリにとっても嬉しいことだったが、両者とも手放しでは喜べなかった。


共に母への後悔を、父への憎悪を抱え、己の命を醜いと卑下してきた身。

やっと会えたと抱き締めあえるほどの純粋さも、すぐに相手を受け入れられるほどの度量も、互いにもう持ち合わせがないのである。




「言っただろう?俺には、君に真実を明かす義務があると。

遅かれ早かれ、どうせ耳にすることになるなら、親族の口から直接聞かせてやった方がいいと思ったんだ。

それに、君には忠告しておきたいこともある」


「忠告……?」


「さっきも言ったが、君のお母様は君を守るために身を隠した。

あのまま屋敷で出産し、キングスコート家の庇護下に留まる道を選んでいたら、君は今頃この世にいなかったかもしれない」



屋敷の主人と、それに奉公する小間使いの女。

そんな二人の間に生まれた子供が、果たして真っ当な人生を送れるか否か。


その答えは、残念ながらノーである。

主人の立場、加えて正妻の性格を考慮するに、穏やかな暮らしとは程遠い処遇が待っていたことは火を見るより明らかだ。


下手をすれば、ルイーシャもミレイシャも最初からこの世に存在しなかったことにされていたかもしれない。

フェリックスの便利な道具として、一生を檻の中に閉ざされていたかもしれない。



全てはもしもの話に過ぎないことだが、当時のルイーシャが今とは違う選択をしていたら、自分の人生はどうなっていたのだろうか。


ふと思案したミレイシャの唇は、血の気が引いて白くなっていた。




「君も知っていると思うが、現在のキングスコート州の主席にはヴィクトールという若い男が就任している。

さっき話した、俺の幼馴染みで、父の愛弟子でもあった人物だ。

父亡き今、父の行っていた研究は全てヴィクトールに委託され、今尚継続されていると聞く。

となると、ヴィクトールは父の秘密についてどこまで知っているのか…。

……考えたくはないが、ヴィクトール自身も例の神隠しと絡んでいる可能性を、否定できない。

君の存在を知られたら、父に代わって彼が君を捕らえようとするかもしれない」


「……忠告ってのはつまり、そのヴィクトールって奴に目を付けられないようにしろってこと?

で、あんたは全ての真相を暴くために動いていると」


「ああ」



抑揚なく受け答えをするアンリに、ミレイシャは今の今まで突っ込まずにいたことをようやく問うた。



「どうしてそこまでする?

あんた一人がうろちょろと嗅ぎ回ったところで、世界規模で隠蔽されていたかもしれないものをどうにか出来るとは思えない。

万一辿り着いたとしても、あんたになんの得がある。

下手をすれば、……息子といえど、あんただって相当ヤバいんじゃないのか」


「だからだよ。俺はあの人の息子として生まれた。

決して望んだ形ではなかったが、キングスコートのアンリとして生まれた以上、俺はあの人の犯した罪を無視できない。

なにもかも知らなかったことにして、どこかでひっそりと生きる道も悪くはないかもしれないが…。そうすれば俺は、きっと後悔するだろう。

だから、やることに決めたんだ。

全てをきっちり清算して、それから堂々と自分の人生を生きたい」



例え、正当な裁きを下すことは出来ずとも、自分だけは事の真相を知っておきたい。

今尚水面下で悪事が蔓延っているというのなら、今からでもそれに終止符を打ちたい。


そう決意を秘めたアンリの態度は、揺るがないものだった。

どうやら、ミレイシャに会いに来る前から心は決まっていたようだ。



「一度でも見て見ぬふりをしてしまったら、俺は天国には行けない気がするしな」



最後に自嘲気味に呟くと、アンリはゆっくりと目を伏せた。

その姿は、どこか亡き父に重なるものがあった。




「───それで、君は?

君は、これからどうしたい?」



アンリの問いに、ミレイシャは考えた。


愛する母は死んだ。

憎き父の正体を知った。


実は自分に王族の血が流れていると判明した今、本当のオレはなにをするべきか。

遺された自分の中に残ったものは、なにか。




「その探偵ごっこはさ、これからもあんた一人でやっていくつもりなの?」



少し考えてから、ミレイシャは逆にアンリに質問した。

思っていた回答とは違う返事に、アンリは一瞬呆けてから仕方なさそうに頷いた。



「……まあ、そうなるだろうな。

信用できる相手が少ない以上、今は自分一人で動く他ない」


「けど、あんただけじゃ流石に厳しいんじゃない?

腹を割って話せる協力者が、せめてもう一人くらいはいないとさ」



ここで首にかけていたタオルを外すと、ミレイシャは顔を上げてアンリを見た。



「正直、オレは他人のことなんかどうでもいいよ。

悪事も陰謀も戦争も、皆見ないふりをしてるだけで、いつの時代も途切れることなく続いてきた。

裏社会で人さらいが横行してるらしいってことも、今更といえば今更な話だ。

……だから、オレはただ知りたいだけだ。

自分のことも、母さんのことも。あんたも、あんたの父さんのことも。

…幸い、今のオレにはなにもないから、好きに動ける。

全部を手に入れて、その後にゆっくり母さんを弔っても遅くはない」



一度区切ると、ミレイシャはアンリに母の面影を重ねながら、母に直接向かうようにこう言った。



「"貴女を陥れた奴ら全員、オレが代わりにぶっ潰してやったから"。

───って。その時が来たら、胸を張って、母さんの墓前に報告しに行ってやるさ」



"許してくれるなら、オレにも同じものを背負わせてよ。兄さん"

今までの憔悴した様子が嘘のように、生き生きとした表情でミレイシャは笑った。



兄さん。

改まった口ぶりで告げられたのは、兄弟の絆を認めた言葉だった。

少しわざとらしい感じもするが、ミレイシャのこの気持ちに偽りはなかった。



「……君の行き先は、俺には決められない。

ただ、君が自分で選んだことなら、どんな道であれ、俺は全力でサポートするよ」



アンリは、初めて弟にそう呼んでもらえて、胸が締め付けられるような喜びを刹那に感じた。




「───そうと決まれば、善は急げだな!オレはまずなにをすればいい?」


「フフッ。そう焦るなよ。

闇雲に動き回っても、却って時間を食うだけだ。

今日はもう遅いし、今後の方針については、日を改めて相談しよう」



ようやくいつもの調子が戻ってきたのか、ミレイシャはやや興奮した様子でハキハキと喋った。

それを冷静に宥めるアンリの表情も、どこか嬉しそうだった。



「なんだよ、女子供じゃねえんだから夜更かしくらい平気だぜ?なんなら今夜はオールナイトでも…」


「言ったろ?誰が敵で味方かわからない以上、あまり目立つ行動は控えた方がいい。

赤い髪の男が二人、何時間もカフェで語らっていたら、それだけで人目につく」



どうやら、二人の話し合いは思いの外長時間に及んでいたようだった。

時計の針は既に19時を回っていて、店の閉店までは残り一時間を切った。


そこで二人は、後日改めて会う約束を交わし、連絡先を交換した。




「それから、財産の分配についてだが。

母が亡くなったことで、結果的にフェリックスの遺産全額を俺が相続した形になった。

だからここは、平等に折半といこうかと思っているんだが、どうだ?

希望があれば、半分ずつと言わずいくらでも要求してくれていい。君には父のせいで苦労をかけたわけだしな」


「え…っ。ちょ、ちょちょっと待ってよ!いきなりなんだよ、財産とか折半とか…。

つーか、血の繋がりはあっても、キングスコートの一族とオレは表向き無関係なわけだし…」


「関係があるかどうかは俺が決める。

俺が相続したものなんだから、どう使おうと俺の自由だろ?

小遣いの使い道を注意してくる親も、お互いもういないわけだしな」



冗談っぽく語るアンリの顔は、今日初めての笑みを浮かべていた。

ミレイシャ同様にやっと緊張が解れてきたようで、姿勢も少しずつ楽なものとなっている。



「……でも、なあ。

せっかくだけど、やっぱオレにはそんな資格ない気がするし…」



考えた末、ミレイシャはやはり後ろめたいからと、アンリの申し出を断ろうとした。

しかしアンリは、そんなわけにはいかないと尚も食い下がった。



「君の言い分も理解できるが、これは俺のためでもあるんだよ、ミレイシャ。

金はないよりある方がいいに決まっているが、ありすぎても使い道に困るだけなんだよ。

だったら、手に余るものをいつまでも隠し持っておくより、良いことに使ってくれそうな人と分けた方がずっと建設的だと思わないか?」



貧乏人には一生口にする機会がなさそうな台詞をいとも容易く言ってのけたアンリに、ミレイシャは思わず苦笑してしまった。


その後、しばらくの言い合いの末に、先に根負けしたミレイシャが申し出を呑むことで話は決着した。



「じゃあ、具体的な話は一旦保留ってことで…。

その遺産とやらは総額でいかほどなのか、参考のために聞いといてもいい?」


「いいぞ。耳、貸して」


「えっ?なんでわざわざ?」


「いいから」



念のためミレイシャが遺産の額を尋ねると、アンリは耳打ちでとんでもない金額を伝えた。


驚いたミレイシャは思わず大きな声を出してしまい、慌てて自分の口を塞いだ。



「おい、声が大きいぞ」


「ごっ、…めん。……けど、だって、さあ…。

………マジなの?」


「大マジだ。流石の俺も最初は引いたからな。

それで、どうする?

俺自身は特に困ってないし、なんなら全額君にくれてやっても構わないと思っているが」


「いやいやいやいやいや。それはちょっと、いや、あ、う…。

……ハア。ありすぎても困るだけだなんて、贅沢な悩みだなと思ったけど。

今ならちょっと分かる気するよ、さっきの台詞。

この金額は、どんな馬鹿でも欲深でもビビるわ」



フィグリムニクスという国を立ち上げた際に、資産の半分以上を投資したと言われるフェリックス。

しかし、その分を差し引いても、彼は一般人には到底信じられない額を貯えていたのである。


家族のためにせっせと貯金をするような性格ではなかったので、恐らく働いた分だけ勝手に金が増えていったということなのだろう。

総額にすると、二人が一生豪遊をして暮らせるどころか、もう一つ新しい国を設立してもお釣りがくるほどだった。



詳しい額を知ったミレイシャは、今までの自分の質素な生活はなんだったのだろうとうなだれる一方で、目の前にいるアンリを見て微妙な気持ちになった。


彼を見ていると、金と幸福はイコールではないのだということが、よくわかるから。




「なら、こういうのはどうだ?

覚悟が出来るまでは、君の分も俺が管理するとして……。

入り用の時だけ、俺から君に必要な額を渡す。

これなら少しは気が楽だろ?」


「まあ、いきなりポンと大金渡されるよりは……」


「よし。じゃあ決定だな。

これからはお互い忙しくなるだろうし、手付金代わりに最初は100万ドルくらいから、」


「100万ドルも十分大金だっての!」



今やすっかり打ち解けた様子の二人は、楽しげに笑いながら席を立った。

店を出た後は、少しだけ共に夜の街を歩いた。




「長らく拘束して悪かったな。

明日の午後にでもまた連絡するから、君もそのつもりで────」


「待った」


「ん?なんだ?」


「……あのさ。

これからあんたのこと、なんて呼べばいいかなって」



自分の腕時計を確認しながら、アンリはミレイシャと別れるタイミングを窺った。

ミレイシャはとっさにアンリを引き留めると、俯きがちに小さく呟いた。



「別に、なんだって構わないよ。君の好きなように呼んでくれていい。

……ちなみに、俺は?俺は、君のことをどう呼べばいいかな」



アンリは困ったようにはにかむと、同じ質問をミレイシャに投げ返した。

ミレイシャは外気の冷たさで赤くなった頬を一撫でして、照れ臭そうにアンリの目を見つめた。






「ミーシャ。

あんたなら、オレのことミーシャって呼んでいい」




母さんがオレをそう呼んでくれていたように、今度はあんたがオレを呼んでくれよ。兄さん。







『Blood will have blood.』



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