Episode-4:ミレイシャ・コールマンの慟哭
彼女との出会いは、オレが今のオレに落ち着いてからのことだった。
「───はい、これ」
「え?」
彼女の家の洗濯物が風に飛ばされてしまったのを、偶然近くを通り掛かったオレが拾った。
何気ないその出来事が、後にオレにとって特別なきっかけとなった。
「これ、おたくの落とし物でしょ?こっちの方まで飛んできてたよ」
華奢な腕で重い車輪を回す彼女は、庭から塀の前まで出てきて、きょろきょろと辺りを見渡していた。
オレは風に乗ってきた洗濯物をキャッチし、彼女の元まで届けてやった。
"ありがとう。親切なお兄さん"
優しい柔軟剤の香りがするカッターシャツ。
オレの手から受け取って顔を上げた彼女は、そう言って美しく笑った。
その瞬間に、オレは落ちてしまったんだ。
ミレイシャ・コールマン。当時19歳。
生まれて初めて本気で惚れた相手が未亡人だなんて言ったら、母さんはどんな顔をするだろうか。
「うわぁー…。めっちゃくちゃ可愛い子だね。口元とか特に花藍さんそっくり。
……初めまして、お嬢さん。
オレの名前はミリィっていいます。キミのお名前はなんですか?」
「………。」
「……ん、あれ?もしかして、英語通じないのかな?」
「ああ、ごめんなさいね。
言葉は通じるんだけど、この子とても人見知りなの。
名前は朔。解釈は人によって違うけれど、日本語で始まりの日、新しい月って意味よ」
彼女の名前は、倉杜花藍。
20代半ばの日系人で、夫はいない。
本人の話によると、うちの父同様に若くして死別してしまったとのことだ。
オレと同じほどの短い黒髪に、黒い瞳。
控えめなシルバーのイヤリング。
一児の母とはとても思えない美しい姿をした彼女は、見た目だけじゃなく中身も綺麗な人だった。
言葉遣いも、立ち居振る舞いも、朔に向ける笑顔も、声も。
全部余すところなく綺麗で、オレはすぐに倉杜花藍の名を胸に刻んだ。
ただ、初めて会った時から、彼女は既に車椅子姿だった。
理由は深くは聞かなかったが、時折見せる憂いを帯びた表情から、何か訳がありそうだということは聞くまでもなかった。
「家ではよくティーブレイクに出しているものなんだけど、お口に合うかしら?」
「はい!お菓子もお茶も美味しいです!綺麗な人が作った味がします!」
「あら、若いのにお上手。
おかわりが欲しかったら遠慮せず言ってね。娘と二人で食べるには、いつも少し多いくらいなの」
「……。あの、花藍さん」
「なあに?あ、早速おかわり?」
「いえ、おかわりというかその…。迷惑じゃなかったら、なんですけど……」
落とし物を拾ってくれたお礼にと、その日は花藍さんのお宅で紅茶と手作りの焼き菓子を振る舞われた。
だが、オレはそれだけでは帰れなかった。
今までにも何人か好きになった女の子はいたが、これほどに胸躍った恋は初めてだった。
だから、今日だけでこの女との関係を終わらせたくないと、とっさに思ったのだ。
「ええ、勿論。いつでも立ち寄って。
話し相手が増えると、朔が喜ぶわ。私もね」
またここに遊びに来てもいいかと尋ね、快くおいでと言ってもらえた時。
オレはまさに天にも昇る気持ちだった。
ーーーーー
「───そういえば、ミリィくんってこの街じゃすごい有名人なのね。
ご近所の方々にあなたの話をしたら、みんなミリィくんのことを知っていたみたいで驚いちゃった」
「あはは。まあ確かに、交遊関係は広い方かな。
たくさん友達がいるのが、オレの唯一の取り柄みたいなもんで」
「あら、そんなことないわよ。ミリィくんのいいところはいっぱいあるわ。
なんといっても、うちの朔が懐くくらいだもの。こんなこと滅多にないのよ?」
「え、そうなの?
……そうなのか、朔?朔はオレのこと好き?」
「うん。わたし、ミリィのことすきだよ。
わたしが大人になったら、ミリィと結婚して、子供を三人産むの」
「お、え、マジで?!
朔、お前クールな割に結構男前だな…。でも、なんか嬉しいよ。ありがとう。
将来のことはまだわかんねえけど、オレも朔が好きだよ」
当時の朔は、見た目のあどけなさとは裏腹に、自分の気持ちをストレートに主張してくる子供だった。
成長と共に少しずつ言動は控えめになっていったが、昔は素直にオレへの好意を伝えてくれていた。
オレはそんな朔の気持ちを嬉しく思っていたが、いつもはっきりとは返事をせずにいた。
いくら子供の言うこととはいえ、想い人を前に軽々しく結婚を了承することはできないと思ったからだ。
「ミリィ、おんぶして」
「こら朔?ミリィくんが困るからそんな我が儘は、」
「いいよいいよ。御安い御用。
にしても、朔はクールなのか情熱的なのか分からない時があるな。
こうも冷静に好き好き言われると感覚麻痺しちゃいそう…」
「でも、すきだもん。おかあさんより、わたしのほうがミリィ、すきだもん。
おかあさんには、負けないよ」
「……なんか、段々照れ臭くなってきたな」
もし、オレが花藍さんと結婚して、彼女の新しい夫になったら。
朔は、花藍さんの愛娘であると同時に、オレの娘にもなるってことか。
こんなに綺麗な奥さんと、可愛い娘と家族になれるなら、きっと幸せだろうな。
たまにふっとそんなことを考えて、オレは気付いた。
花藍さんと朔の関係は、昔のオレと母さんに似ている。
母一人子一人、二人だけの生活で、それでもオレ達は互いに支え合って生きてきた。
贅沢はできずとも、笑顔の絶えない幸せな家庭だった。
よく見れば、母さんと花藍さんは雰囲気がそっくりだということに、後になってから気付いて。
オレが花藍さんに一目惚れをしたのは、そういう理由もあったからかもしれないと思った。
ーーーーー
「へえー、花藍さん。
最近あなたが色気づいてきたなぁと思ったら、そういうことだったのね」
「ぇ、っ母さん気付いてたのか?!」
「当たり前じゃない。お腹の中にいた時から、私はずっとあなたのことだけ見てきたんだもの。
息子が恋に目覚めたことくらい、すぐにわかるわ」
「な、なんだよ…。そうとは知らずに、色々小細工して隠そうとしてたオレが馬鹿みたいじゃんか…。恥ずかしい……」
「ふふふ~。母さんにはなんでもお見通しよ。
けど、あなたの口から打ち明けてもらえるとは思ってなかったから、なんだか嬉しいわ。
話してくれてありがとう」
「……そりゃオレだって、いい歳こいて親に色恋の相談なんかしたかねえけどさ。
子持ちの未亡人が喜びそうなものとか、オレにはわかんねえんだよ」
「あら、もしかして相談ってプレゼントのこと?
いいわね。そういうことなら母さん、なんでも協力するわよ」
それから約一年後。
十日に一度ほどの周期で花藍さんの家に通うようになっていたオレは、ある日花藍さんと朔の誕生日が間近に迫っていることを知った。
花藍さんの誕生日が7月の12日で、朔が同月の25日。
そこでオレは、三人で一緒にお祝いのパーティーをしようと思い立ち、二人に贈る誕生日プレゼントの内容を考えた。
朔の方は、割とすぐにアイデアが浮かんだ。
最新版の動物図鑑と、子供が喜びそうな可愛らしい小物。
特に、前者の動物図鑑は本人からのリクエストでもあったので、きっと喜んでくれるだろうという確信があった。
問題なのは花藍さんの方だった。
十も年上の女性、それも娘のいる母親が対象となれば、範囲はかなり限られてくる。
普通の女には受けても、ブランド品なんかじゃ芸がない気がしたし、酒も嗜まないそうなのでワインという手も不可だった。
ならば直接、本人に欲しい物を尋ねてみるべきかと考えもしたが、気持ちだけで十分だなどと言って遠慮されるのが目に見えた。
正直、人へのプレゼントを考えるのにこれほど苦心させられたのは、彼女が初めてだった。
どうする。
花藍さんに形あるプレゼントを贈るためには、意地でも自分のセンスでどうにかするしかない。
しかし、若輩の自分には大人の女性の好みなんて見当がつかない。
こうして不毛な堂々巡りを繰り返した末、困り果てたオレはついに最終手段に出たのだった。
20歳にもなって親と色恋の話をするのは照れ臭かったが、花藍さんと似通った人生を送ってきた母さんなら、これだという答えを見付けてくれると思ったから。
「なるほどね…。確かに、あなたと同じ年頃の女の子とは、色々と見ているものが違いそう。
でも、実際に接しているのはあなたなんだから、あなたの方が花藍さんの好みを把握しているはずよ?」
「そりゃあ、これだけ通ってりゃ傾向くらいは分かるようになってきたけどさ…。
誕生日プレゼントとなると、なんとなく趣味の物ってより、もっとこう、実用的で有り難い物の方が貰って嬉しいだろ?
そこがいまいち分かんねんだよ…」
「アラアラ。我が息子ながら生真面目なこと。
……そうね。じゃあ、こういう風に考えてみたらいいかもしれないわ」
「なに?」
オレの相談を受けた母さんは、あえて具体的なことは教えてくれなかった。
その代わりに、一つヒントを与えてくれた。
"私とその人が同じような境遇で、似た雰囲気だというのなら、子供のあなたが、母親の私に贈りたいものを考えたらどうかしら"
その言葉を聞いて、オレは少し悩んだ末にようやくひらめいた。
「まあ…。とても綺麗だわ。キラキラしていて、なんだか不思議な魔力を感じる。
この日のために、わざわざ用意してくれたのね。
ありがとう、ミリィくん。大切にするわ」
その後、二人の誕生日当日。
倉杜家の屋敷で控えめなパーティーが開かれ、オレは用意してきたプレゼントを二人に渡した。
プレゼントの内容が決まったのは、パーティー当日の少し前のことだった。
あれは、花藍さんに似合うアクセサリーでも売っていないか、外れの市場を覗きに行った時のことだった。
街のとある教会が、この度窓ガラスの張替えをすることになったらしいとの話し声が、ふと雑踏の中から聞こえてきた。
気になったオレは、話し声の人物に詳細を尋ね、市場を後にして例の協会へと向かった。
その際に、不用となったステンドグラスの一部を買い取らせてもらい、プレゼントの材料として利用することを思い付いたのだった。
内のほとんどは寄付に回され、オレが譲ってもらえたのは小さな窓枠の一枚のみだった。
ただ、小さいながらに状態は良いもので、色鮮やかな美しさには値を付けてもらった価値があった。
勿論、加工も自分の手で行うことにこだわった。
入手したステンドグラスを自分の手で磨き、砕き、研磨をして、繋ぎ合わせた破片で一個の写真立てを作った。
余った小さな欠片は、専門の店でオーダーメイドしてもらい、万華鏡の中身に利用して使い切った。
そして、完成した写真立てを花藍さんに。
朔には、例の動物図鑑と、前述の万華鏡を贈ったのである。
"だったらどうして、お前の家には父親の写真がないんだ?
あの時、母さんからヒントを貰って、真っ先に過ぎったのは父のことだった。
子供の頃、我が家には父の写真が一枚もないことをクラスメイトに指摘され、母さんもオレもとても苦い思いをした。
だからこそ、オレは花藍さんに写真立てを贈ろうと思い立ったのだ。
彼女の家にも、彼女の夫であり、朔の父である人物の写真がなかった。
というより、プリムローズに越してくる以前の記録が、ほとんど残っていないようだった。
きっと、何か特別な事情があってのことなのだろうし、オレが干渉していい話でないのは解っていた。
同時に、過去を写したものがないのなら、その分これから思い出を作ってほしいとも思った。
花藍さんと朔、親子の幸せな日々の証を。
出来ればオレと過ごした時間も、形に残して二人に覚えていてもらいたかった。
オレがわざわざ手作りの物にこだわったのは、そういう理由だ。
あの教会を秘密基地代わりに遊んだ幼少期を思い出しながら、花藍さんと朔がこれからも健やかに生きられるようにと、願いを込めて。
「ミリィくん、本当にありがとう。
あなたという人と出会えただけでも、この街に来て良かったと心から思うわ」
「なんだよ、改まっちゃって。
……それはこっちの台詞だよ。オレも、二人に会えて良かった」
"これからも、朔のことをよろしくね"
オレのプレゼントを花藍さんも朔も大層喜んでくれ、三人だけの誕生日パーティーは無事大成功に終わった。
やがて、そろそろ宴もたけなわという頃。
遊び疲れてソファーで眠ってしまった朔を見守りながら、オレと花藍さんは後片付けのついでに少し話をした。
この時、花藍さんから何気なく告げられた言葉が意味深で、ひょっとしてこれは遠回しの逆プロポーズかと一瞬どきりとさせられた。
だが、彼女の表情と雰囲気は神妙だった。
恐らく、娘の幸せな未来を願って、今後も兄貴分として面倒を見てやってくれ、という意味の言葉だったんだろう。
しかし、急に陰りを見せた花藍さんの顔を、オレはどうしても見過ごすことができなかった。




