Episode-3:ミレイシャ・コールマンの慟哭
「ごめんなさい、コールマンさん。
こういうのは良くないって解ってたし、最初は自力でなんとかしようって、頑張った、ですけど。
でも、ボク一人じゃどうしても、見付けられなかったから、…家の力を、借りました。
お父さんにお願いして、君のことを調べてもらったんです。
……卑怯なことをして、本当に、ごめんなさい。
でも、どうしても。どんな手を使ってでも、もう一度君に会いたかったから、ボクは」
"コールマンさん。
ボクと友達になってくれませんか"
後日。
我が家の玄関の扉を開けると、先日出会った一人の少年がその先に立っていた。
曰く、あの一件以来、オレのことがずっと忘れられなかったのだという。
もう一度会って話をしてみたいからと、わざわざ親のコネまで使って所在を突き止めたほどに。
"オレなんかを相手に、どうしてそこまでするんだよ"
迎えた玄関先でぶっきらぼうに尋ねると、シャノンは溢れる涙を掌で拭いながら、震える声でこう答えた。
ただ、オレと友達になりたいのだと。
「ボク、昔から友達っていなくて。
だから、ずっと、欲しいなって思って、社交的な人間になる努力を、してきたつもりです。
でも、ボクの名前がバシュレーになってから、周りの人達が急に、優しくなって。
あれほど、ボクが仲良くしたいよってお願いしても、全然、駄目だったのに。ボクがナルシス様の息子になってからは、むしろ、みんなの方から友達になろうよって、言ってきて。
……それで、自分ってなんなんだろうって、わからなくなって。
前よりもっと、人と接するのが怖くなったんです」
「………。」
「だから、あの時。
コールマンさんがボクを連れて逃げてくれた時、すごく楽しくて、嬉しかったんです。
コールマンさんは、ボクのことを知らなかった。けど、知った後も、君は変わらなかった。
ずっと仏頂面で、怖い人なのかなって思ったけど、君は最後まで、ボクに親切だった。
バシュレーのシャノンじゃなくて、ボクを対等な一人の人間として、扱ってくれた」
「……むしろオレ、あの時はオマエに、失礼な態度とったはずだけど。
勝手なことして、いきなり不機嫌になって。むしろ、意味わかんねえ奴って引かれても、おかしくない感じだったはずだ」
「そうですよ。コールマンさんは本当に、最初から最後まで勝手気ままな人でした。
だからこそボクは、あなたに惹かれたんだ」
本人が言うには、シャノンがオレに対して興味を持った理由は二つ。
一つ。オレが彼にはないものを持っているから。
二つ。思ったことを率直に表に出してくれるのが嬉しかったから。とのこと。
どうやらシャノンは、生来の人見知りが災いして、他人の顔色ばかりを窺ってしまう癖が付いてしまったようだった。
バシュレー家に引き取られてからは、むしろ周りがシャノンの顔色を気にしてくるようになったそうだが、本人はそれがとても窮屈だったらしい。
故に、他と違って全く媚びてこないオレの態度が、新鮮で気楽で心地好かったのだという。
その言葉を聞いて、オレは先日の自分がいかに浅はかで、幼稚な思考に支配されていたかを思い知った。
オレの目に映るシャノンは、綺麗で品があって、いかにも育ちが良さそうで、望めばなんでも手に入る幸福な子供に見えた。
だからオレは、それが羨ましくて、妬ましかった。
こいつはなにも悪くないのだと頭では解っていたのに、ついイライラして、素っ気のない態度をとってしまった。
空っぽな自分と比べて、生まれながらにして特別だった彼は、なんと恵まれた子供だろうと端から決め付けていたのだ。
しかしシャノンは、逆にオレのことを羨ましいと言った。
自分には自由がない。意思もない。
やりたいと思ったことに躊躇わず踏み込んでいく勇気を、困った時に阿吽の呼吸で助けてくれる友を持つ君が、とても羨ましいと。
掠れた小さな声で、とつとつと胸の内を語ってくれたその姿は、前に会った時よりもなんだかみすぼらしく見えた。
「───謝るのはこっちだよ。
オレの方こそ、なにも知らないくせに、オマエはきっとこういう奴なんだって、勝手に決め付けてた。
でも、違うよな。ごめんな。
オレ、考えを改めるよ」
気付けばオレは、俯く金色の頭を撫でてしまっていた。
なんと言葉をかけようか、考えが纏まる前から無意識に。
「あ、……コールマン、さん?」
「ミリィ」
「え?」
「ミリィでいいよ。ダチはみんなそう呼ぶ」
「!そ、それって…」
「いいよ。友達になろう。オレもオマエのこと、段々知りたくなってきた。
だから、これからゆっくりお互いのことを話して、少しずつ仲良くなろう。
理解すれば、隣の芝生はそんなに青くないんだって、きっとわかるから」
裕福でも、幸福とは限らない。
今のご両親がどれだけ愛してくれても、シャノンの本当の父さんと母さんは、もうどこにもいない。
それがどれほど寂しいことか、父のいないオレには痛いほどよく分かることだったのに。
バカか、オレは。
あの時、友達でもなんでもない奴にちょっとからかわれたくらいで、ムキになってヤケを起こして。
本当に大切なことがなにかを、すっかり忘れていた。
「ミーシャ」
「あ、……母さん」
「かわいい子ね。お友達?」
「友達…に、今なったところ」
「そう。じゃあ丁度良かった。
今夕ご飯の支度が出来たところなの。良かったら、あなたも一緒に食べて行かない?」
「え…。いいん、ですか?
ボクなんかが、御相伴に預かっても」
「まあ、難しい言葉を知ってるのね。
勿論大歓迎よ。ミーシャのお友達は、私にとっても大切な人になるんだから。
……シャノンくん、だったわね。
ミーシャはこの通り、ちょっと気難しくて、取っ付きにくいところがあるけれど、根はとても優しい子なの。
これからどうぞ、よろしくね」
家に帰れば、必ず母さんが笑顔で出迎えてくれた。
雨の日も、風の日も、雪の日も。
仕事帰りで疲れている日も、ろくにオレが返事をしない日でも、欠かさず、毎日。
使い込んだ安物のエプロンを腰に巻いて、夕食のいい匂いと共にわざわざ玄関まで出てきてくれる母さんは、オレが生まれてからずっと、おかえりと言ってオレの帰りを喜んでくれていた。
ごめん。母さん。
母さんがどれだけ頑張っていたか、オレは知っていたのに。
いつの間にか、あなたへの感謝よりも、欠けている境遇に不満を感じることの方が多くなってしまっていた。
最近、全然話してないよな。
そういえばオレ、ここのところ声出して笑ってねえや。
昔は毎日のように交わしていた言葉も、もう何日口にしてないっけ。
「そういえば、ミリィ。
前に会った時から思っていたんですけど、君は所謂不良少年というやつですか?」
「ハ?なんだよ急に」
「いえ、ただ…。殴られたような傷が口元に残っていたから、喧嘩とかしたのかなって…」
「別に。大したことじゃねーよ。
喧嘩はたまにするけど、いつも相手の方から吹っ掛けてくんだ。しょうがねえだろ。
オレから先に手出したことはないし、だからオレ悪くないし」
「でも、ボク達はまだ子供なわけですし、暴力は良くないですよ。心にも体にも毒です。
ルイーシャさんもそう思われますよね?」
「そうねえ。まあ親としては、怪我を作って帰ってくるのは確かに心配だけれど。
でも、お互いに拳を交えての喧嘩なら、それもまた人生経験ということで、たまにならいいかもしれないわよ?
そこのところ、私は彼を信じているから。だから、出来るだけミーシャのやりたいようにやらせてあげたいの。
私に出来るのは、ご飯を作ってこの子の帰りを待っていることだと思うわ」
その晩はシャノンも交えて、三人で我が家の食卓を囲んだ。
丸い木のテーブルで、母さんの作った料理を一緒に食べた。
シャノンの家は金持ちだし、当然日頃からいい物を食べているんだろうが、本人は母さんのシチューを美味い美味いと感動しながら食っていた。
それでオレが冗談混じりに、流石に本場のフランス料理と比べたら物足りないんじゃないか?と茶化すと、シャノンは愛情の分だけこっちの方が美味しく感じると答えた。
その言葉を聞いて、改めてオレも母さんのシチューを口に運ぶと、なんとなく、彼の言ったことが解った気がした。
「母さん」
「ん?なあに、ミーシャ」
シャノンはオレに出会って色々なことを学ばせてもらったと言うが、それはオレも同じだった。
シャノンのおかげで、オレもようやく目が覚めた。
「………美味いよ」
「……そう」
改まって言うのがなんだか気恥ずかしくて、つい顔を背けてしまったが、そのたった四文字の言葉に、母さんがとても嬉しそうに笑ったのが、見なくてもわかった。
ーーーーー
以来、オレとシュイはあっという間に仲良くなった。
全く異なる環境で生まれ育ったからか、オレもシュイも互いを見て学ばされることが多く、その分だけ自分自身に対する理解も深めることができた。
性格も生い立ちも正反対。
だが、根っこの方は割と共通点も多く、話が弾んだ。
人間不信で心を閉ざしがちだったシュイは、優しい性根はそのままに随分と明るくなり。
オレはふてくされるのをやめ、不良少年からただの気のいい兄ちゃんになった。
付き合いの長い悪友にはすっかり丸くなったと笑われもしたが、それを機に彼らとの縁が切れることもなかった。
酒や煙草といった依存を断っても、オレ達の友情は絶たれることはないと、互いに信頼し合っていたから。
「なあシュイ~。ここ何回やっても意味わかんねえ。どうすんのこれ?オレもうお手上げ」
「コラそこ!おやつならさっき食べただろ!今は勉強に集中しなきゃ!
わからないところがあるなら、ボクがちゃんと理解できるまで教えてあげるから。さあほら座って」
「次の休憩はいつですかぁ」
「まったくもー!一応は君の方が年上なんだから、しゃんとするんだ!」
そして、オレが高校に上がる頃には、オレ達の立場はほぼ逆転していた。
数年前まであんなに泣き虫でビビリだったシュイが、年上のオレを相手に教鞭を振るう貫禄を見せるほどに。
オレはオレで、そんなシュイとの面白可笑しい関係を気に入っていた。
彼の成長ぶりは見ていて楽しく、少しずつ歩幅の近くなっていく感覚は感慨深いものだった。
いつの間にか身長を抜かれてしまったのは悔しかったが、当たり前に隣に並んでいる横顔を見ると、それもまた良いとさえ思えた。
「ミレイシャ」
「ミリィ」
「ミレイ」
「イーシャ」
「ミーシャ」
幸せだと、しみじみ感じた。
母さんがいて、シュイがいて、愉快な仲間達がいて。
いい奴らに囲まれて、オレの人生は希望に満ちていると、昔感じた高揚感が徐々に戻ってくるのを感じた。
このままずっと、こいつらと一緒に生きていくんだと、思っていた。
その頃には既に、対岸で取り返しのつかない事態が起きていたことなんて、知りもしなかった。




