Episode-2:ミレイシャ・コールマンの慟哭
「下ばっか向いてたら、上手く前に進めねーだろ」
中学一年の初秋。
すっかり不良グループの一員として馴染んだオレは、とある少年と邂逅した。
その少年は、母と同じ美しい金髪の持ち主で、まるで絵画のように美しい容姿をしていた。
ただ、その時の様子が妙というか、一人で街中を歩いていただけなのに、やけにそわそわと落ち着きがない雰囲気だった。
当時のオレは偶然それを見掛けて、少年はここの人間ではないのかと思った。
観光客が保護者とはぐれて、迷子にでもなったのかと。
そこでオレは、なにか困っていることがあるなら手助けをしてやろうと思い、少年に声をかけようとした。
すると、オレの正面、つまりは少年の背後から、なにやら不穏な気配が漂ってきたのが感じられた。
少年の後をこそこそとつけている、スーツ姿の男が二人目に入ったのだ。
どうやら彼らは、物陰に隠れながら少年の動向を窺っているようだった。
本人達は死角に潜んでいるつもりでいたのかもしれないが、ここで生まれ育ったオレの視野と嗅覚を前には、丸裸も同然だった。
全身黒ずくめであることといい、ちらちらと周囲を気にしていることといい。
大の男が真昼間から、こんないたいけな少年に目をつけているなんて。
一体どこの悪党なのか。
事情はよく解らなかったが、少年のこのおどおどとした態度も、男達の謎の行動と関係しているに違いない。
きっと少年は追われる身で、男達は追っている側の人間なんだろうと、オレはとっさに解釈した。
「───おい、オマエ。大丈夫か」
「えっ。は、はい?ボク…、ですか?」
「シッ。でかい声出すなよ。足を止めずに、歩き続けて」
一緒にいたグループから一時離脱し、自分だけで少年に声をかけにいくと、少年は驚いて素っ頓狂な悲鳴を上げた。
その反応を見て、もしかして女かと一瞬思ったが、少年の一人称が"ボク"であったので、とりあえず男であることは間違いなさそうだと安堵した。
そして、例の男達に怪しまれないよう、友達のフリをして少年の肩を抱き、オレは道なりに歩き出した。
あまりに急な展開に思考が追い付いかなかったのか、少年は頻りにあの、とかえっと、などと小さく困惑を漏らしていた。
だが、オレが肩に回した腕は振り払わなかった。
「おいミリィ。いきなり一人でいなくなるんじゃねえよ。探しに行こうかと思ったぜ」
「ああ、悪い」
「で?この可愛いコちゃんは誰だよ。お前ガールフレンドなんていたっけ?」
「別に知り合いじゃないし、こいつ男。
……実は、なんかヤバそうな奴らに追われてるっぽいんだよ。
だから、お前らも協力してくんね?」
「えっナニナニどういうこと?
追われてるって誰から?マフィア?ギャング?」
「マフィアもギャングも同じだろバーカ」
「そうだっけ?つかバカって言う方がバカだし」
「……よくわかんねえけど、お前が言うならいいぜ。
おれ達はなにをすればいいんだ?」
しばらくして、さっき置いてきた連れの奴らと合流すると、彼らはいつもの調子で絡んできた。
オレは少年と歩調を合わせながら、全員に小声で説明した。
すると、オレのいつになく真剣な様子に感化されたのか、三人の仲間は快く頼みを引き受けてくれた。
中でもビーニーキャップの彼は、お前だから特別に聞いてやるんだからなと、噛んでいたガムを包み紙に丸めて景気よくオレの背中を押してくれた。
それを合図に、オレは肩に回していた腕を下ろし、今度こそ少年の手をしっかりと握った。
「走るぞ」
「へ?」
少年の手を引いて勢いよく走り始めたオレに、つけていた男達も慌てて動き出したのが気配でわかった。
だが、奴らがオレ達に追い付けるはずはなかった。
残った三人がなんらかの方法で足止めをしてくれるはずだし、なにより、この街での追いかけっこなら絶対に負けない自信がオレにはあったから。
"アッ!お前ら、またこんな所でこそこそと吹かしてやがるな!"
"ゲッ、ディズリーんとこのジジイだ!"
"どうするミリィ?誤魔化すか?"
"もうバレてんだろ。10分後にいつも場所な"
"オッケー。じゃ解散!"
"アッ!?コラ待てお前ら!年寄りの忠告を無視するなと何度も──"
プリムローズは、最早オレの庭も同然の街だ。
大人の体では狭くて通れないような路地や、秘密の抜け穴がどこに通じているかも全て完璧に頭に入っている。
無駄に正義感の強いジジババ共に喫煙を咎められ、今のように追い回されたことが過去に何度かあるので、この程度の追いかけっこは最早慣れっこなのだ。
あいつらも、勉強は全然出来ないアホの集まりだが、いざという時には頭がキレるので上手く逃げ果せてくれるだろう。
問題は、連れ出したこいつの保護者をどうやって見付けるかだ。
ーーーーー
「どっ、どこまで行くんですかぁ」
「もう少しだ。とりあえず、あの高台までは踏ん張れ!」
見知った逃走ルートを辿り、やがてオレ達は開けた高台の方までやってきた。
目の前には真っさらな海と間もない夕焼け、足元には青々とした小高い丘。
丘の上には堤防のような煉瓦造りの壁が連なっていて、時折その上を海鳥が滑空していく見晴らしの良い場所。
ここなら人通りが少ないし、死角も少ないので、奴らが近くまで迫ってきたらすぐに気付けるはずだ。
ようやく足を止めたオレは、壁の切れ目に背をもたれて、少年の手を離してやった。
少年は息を切らしながら、ずるずると壁伝いにしゃがみ込んだ。
そんなに長い距離は走っていないのだが、どうやら少年は体力が少ないようだった。
高そうな服と生っ白い肌を見るに、彼が所謂箱入りのお坊ちゃんであることは何となく想像できた。
「……そろそろ、いいかな。
流石にここまでは追って来れないだろ」
「ハァ、ッハ、ハーッ…。
び、びっくりした。いきなり走り出すから、心臓に悪い…」
「ああ、悪いな。
けど、今にもあいつら、こっちに飛び掛かってきそうな勢いだったから。説明してる暇なかったんだよ」
「あ、あいつらって?」
「やっぱり気付いてなかったか。
オマエのこと付け回してた、スーツ着た怪しい連中だよ。
……もしかして、なにも知らないのか?」
息を整えたオレは、改めて少年に声をかけた。
すると少年は、アメジスト色の目を丸めて、不思議そうに首を傾げた。
「………。ボクを付け回してた…って、それ、どんな人達でした?
スーツを着ていたんですよね?彼らの顔はわかりますか?」
「顔?顔はまあ……、普通に、怪しい感じだったけど。
ただ、一人は明るい茶髪をオールバックにしてて、もう一人は丸い眼鏡をかけてた。
茶髪の方は若そうな見た目だったけど、眼鏡の方は四十前後ってところかな」
「………あー。そういうことか。
えっと、すみません。こんなところまで連れてきてもらって、とても言いにくいのですが…。
多分、その二人はボクの……」
その後、少年から事の真相を聞かされ、オレは思わず苦笑してしまった。
なんと、例の不審な男達は誘拐犯じゃなければ悪の手先でもなく、少年の家の使用人達ではないかというのだ。
彼らがこっそり少年を尾行していたのも、少年の安否を見守るためであって他意はなかったのだろうと。
"体格の良い男が二人、こそこそと子供の後をつけていたなら、周囲から怪しまれるのも無理ないです"
少年本人もこのことを知らされていなかったようで、状況を理解したと同時に項垂れていた。
ただそうなると、この場合少年を見守っていた彼らではなく、突然少年をさらっていったオレが悪者になるわけだ。
自分の浅はかさにやっと気が付いたオレは、考えなしに連れ回して悪かったと少年に謝った。
しかし少年は、何故か少し嬉しそうに首を振った。
「大丈夫ですよ。彼らには今メッセージで説明しましたし。
ずっと走りっぱなしだったから気が付かなかったけど…。ボク達とはぐれてから、何度もこっちに電話してくれてたみたいです。申し訳ないことをしてしまいました」
「うわ、…すげえ。この数分の間に何回かけてきてんだ、これ。
……オレのせいで、余計に心配、かけちまったな。本当、ごめん」
少年は、ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、待ち受け画面をオレに見せてくれた。
そこには、男性の名前で二人分、交互にかけてきた着信履歴が大量に残っていた。
恐らく、彼らはあの後手分けして少年の行方を探したのだろう。
オレが彼らにも謝っておいてくれと頭を下げると、少年はくすくすと笑いながら携帯を仕舞った。
「そんなに謝らないでください。そもそも、一人で呑気に街中をうろついていたボクが悪いんですから。
彼らには、ボクの方からしっかり弁明しておきます」
「そっか。なんつーか、オレも本当、気をつけるよ。こういう時、はやとちりして暴走しないように。
……にしてもオマエ、使用人ってか、ボディーガードがつくくらいだから、相当なお坊ちゃんなんだよな。
ここいらじゃ見掛けない顔だと思ったけど、オマエこの街の人間なのか?」
「え?……ああ、そっか。
みんながみんな、ボクを知ってるわけじゃないもんな」
一段落つき、改めてこちらに向き直った少年は、オレに右手を差し出してきた。
少年は、自らをシャノン・エスポワール・バシュレーと名乗った。
歳はオレより一つ下で、よく間違われるが性別はしっかり男であるとのことだった。
オレも少年に名乗り返し、握手をしようとこちらも手を差し出した。
だが、その前にあることに気付いて、とっさに動きを止めた。
バシュレー。
今こいつ、自分のことバシュレーって言ったよな。
バシュレーといえば、プリムローズの主席と同じ名前だ。
ということは、まさか。
"お前、あのバシュレー家の子供なのか"
単刀直入に聞くと、シャノンは困ったような笑顔で頷いた。
「……噂には聞いてたけど、そうか。オマエがあの、………」
「あ、……コールマン、さん?あの、ボク……」
「いや、いい。なんでもない。
今日は本当に、悪かったな。家まで送るよ。オマエん家、有名だから知ってるし」
少年の正体が明らかになった途端、オレは急激に胸の内が冷めていったのを感じた。
差し出した手を引っ込め、一方的に家まで送るからと告げると、シャノンは黙って頷いた。
踵を返して先に歩き出すと、なにも言わずに後ろをついてきた。
突然オレの態度が変わったことに、向こうも気付いただろうに。
敢えて一言も喋らなかったのは、彼なりになにかを察して、気を遣ってくれたからなのだろう。
まったく。
こんな小さな、年下の子供を相手に、なにをやっているんだ、オレは。情けない。
だが、手前勝手な理屈と解っていても、一気に溢れ出した嫉妬の炎はなかなか鎮められなかった。
貧乏で自堕落な生活を送っているオレと、裕福で将来を約束されているこいつ。
身なりも目付きも全然違って、言葉遣いや品性も雲泥の差だ。
こんなことがなければ、互いに一生交わることのない人種だったかもしれない。
特にシャノンの方は、例え街中で擦れ違っても、オレの顔など印象にも残らなかったかもしれない。
数いる往来の中から、昨日見掛けた人を探し当てるのは難しいように。
「───ここ、綺麗な場所ですね」
「………そうだな」
勝手にふてくされたオレに、空気を読んでなにも突っ込んでこないシャノンの優しさが、余計にオレの体に沁みてきて、みじめだった。




