Episode02-3:迷い子よ、私の声が聴こえるか
ターゲットが脱走したという連絡を受けたミリィ達は、至急荷物を纏めてホテルをチェックアウトした。
向かった先は、ブラックモアに隣接するプリムローズ州。
ここはフィグリムニクスで二番目に大きい州であり、ミリィの生まれ育った土地でもある。
「───それでミリィ。プリムローズに彼女がいるかもしれないっていう根拠は?足取りは掴めてないんだろ?」
「根拠はない。けど、今は他に見当がつかない」
「どういうこと?」
「予定では、明日の正午までにブラックモアに着港して、現地で一泊するはずだったんだが……。
その道中で、突然彼女の姿が消えたそうだ」
「消えた?」
「飛び降りたんじゃねーかって。船から」
「と───っ、海に飛び込んだのか!?」
ミリィの弁明に、トーリは珍しく大きな声を上げた。
彼女、ウルガノ・ロマネンコを乗せた船が発ったのは、今から半日程前のことだった。
地元ロシアの漁港から、入港予定地であるブラックモアまで。
ノンストップの船旅ではあったものの、航海自体は順調に続いていたとされている。
スケジュールより大幅に時間が繰り上がったほどに。
ところが、いざ目的地に到着する寸前。
誰もが予想だにしていなかったアクシデントが発生した。
なんと、客室で寛いでいたはずの彼女が、上陸を前に忽然と姿を消してしまったというのだ。
船員が声をかけにいった際、彼女のいたとされる部屋が蛻の殻であったことから出奔が発覚。
本人の姿がなければ、彼女の所持していた荷物も全て無くなっていたとのことだった。
となれば、考えられる可能性は一つしかない。
道中人知れず海に飛び込み、陸地を目指して単身泳いでいったのではないかということ。
そして彼女の姿がなくなったのが、ここプリムローズの付近であったというわけだ。
一体彼女がなにを思って、そのような突飛な行動に走ったのかは不明だが。
今は僅かな手がかりを頼りに、考えつきそうな場所を虱潰しに当たっていくしかない。
**
ブラックモアを離れ、およそ2時間。
プリムローズ州フォーサイス地区行きの乗合バスで三人が現地に到着した頃には、空は既に朱く色付き始めていた。
「───ゲートを抜けた時から思ってたけど、本当にブラックモアとは別世界だね。違う国にいるみたいだ」
「ああ、トーリはまだ来たことなかったっけ」
慣れた様子で先導するミリィに続き、トーリとヴァンは順に感想を述べる。
「うん。綺麗なところだね」
「中世のヨーロッパみたいだな」
黒一色でアーティスティックな雰囲気のブラックモアと違い、プリムローズは自然豊かで長閑な街である。
創設者のシルキア・プリムローズはアメリカ人だが、ヴァンの発言にもあったように、中世のヨーロッパに強い憧れと関心を寄せていた人物だった。
後年、念願の街づくりに着手した際には、あの頃の美しい風景を蘇らせたいという夢を本当に実現させた。
おかげでプリムローズは、当時のヨーロッパをイメージした街並みとなったのだ。
今ではそれが評判となり、フィグリムニクスで二番目に人気の観光地となっている。
しかし、この状況でのんびり観光を楽しんでいる暇はない。
行方知れずの彼女を自力で見つけ出すのは至難だが、とにかく今は捜してみるしか方法がないのだ。
そこで三人は、一旦別行動をとることにした。
人通りの少ない路地や廃墟などを中心に、手分けしてプリムローズの街中を捜索。
行きずりに金髪の女性を見掛けた際には、本物の写真と逐一見比べて確認を行った。
けれど、どんなに捜し回っても、やはりウルガノは見付けられなかった。
やがて1時間が経過した頃。
待ち合わせ場所のカフェで再び集まった三人は、一様にげんなりした顔で収穫ゼロだったことを報告し合った。
「やっぱり無謀だと思うよ、ミリィ。
ここは一旦落ち着いて、新しく情報が入るのを待った方が……」
ダージリンティーで一服しながら、トーリは計画変更をミリィに提案した。
ミリィはすかさず首を振り、自分のオレンジジュースのグラスを握り締めた。
「それじゃ駄目だ。ちんたらしてたら関係者の奴らに先を越されちまう。
話が広がる前に、オレ達で彼女を保護するんだ」
「じゃあ、どうする。めぼしい所は他にあるのか?」
ヴァンが問うと、ミリィは短く思案してから答えた。
「とりあえず、港へ行ってみよう。
本当にここに流れ着いているのなら、まだ浜辺の付近にいるかもしれない」
ヴァンはすぐに了承した。
もっと綿密に計画を練ってから行動すべき、と考えていたトーリも、リーダーの彼がそう言うならと黙って従った。
なんの当てもないのなら、今は彼の直感に賭けてみるしかない。
ミリィのことを信用しているからこそ、トーリは一切の不満も漏らさないのである。
「よし。そうと決まれば早速行くか」
急ぎカフェを出た三人は、軒先を通りかかったタクシーを拾った。
だが、このタクシーが目的地まで走ることはなかった。
助手席に乗っていたミリィが、途中で走行を止めてしまったからだ。
停止場所は、カフェを出発して僅か10分ほどの距離。
あと数分もすれば港に着くという道すがらだった。
「降りよう」
「えっ?ちょ────」
にも関わらず、ミリィはここまでの代金を支払うと、一人さっさと下車してしまった。
トーリの制止も聞こえていないようで、歩き始めた後ろ姿が振り返ることはない。
「なんだ、港に行くんじゃなかったのか」
「だったはずだけど……。仕方ない、僕達も降りよう」
一体何事なのかさっぱりだが、言い出しっぺのミリィが目的地を変更したということは、港に行くよりも優先しなければならない目的が別に出来たということだ。
トーリとヴァンは互いに目配せをし、困惑しながらもミリィの後を追い掛けていった。
するとミリィの向かっていく先に、小さな教会が建っているのが段々と見えてきた。
丘の上にひっそりと佇む、閑散とした美しい教会だ。
「ねえ、ミリィ!急にどうしたのさ。港ならすぐそこだよ?」
「悪い!ただなんか、気になったんだよ」
「気になったって……」
ミリィは時々、こうした突拍子もない行動をとることがある。
ただ、彼はなんの理由も無しにこんなことをする人じゃない。
長らく旅を共にしてきたトーリには、何となくミリィの感覚を理解できていた。
どうやら、あの教会から"なにか"を感じるらしい。
脇目も振らずに向かっていく横顔は不気味なほど無表情だったが、金色の瞳が確かにそう言っているようにトーリには見えた。
「(最初の頃はよく驚かされたけど、慣れってのは恐ろしいものだな)」
辺りには人っ子一人おらず、代わりに白い鳥達が上空を飛び回っている。
鳥達はミリィの気配に気付くと、歓迎するように可愛らしい囀りを響かせた。
トーリとミリィが教会の前に並んだところで、遅れてきたヴァンもようやく追い付いた。
三人揃ったのを確認したミリィは、それぞれに頷いてから入り口の扉を開けた。
重く軋んだ音の向こうには、薄暗い礼拝堂が広がっていた。
微かに埃を被った大理石の床には、ステンドグラスを通した夕陽が燦々と降り注いでいる。
鮮やかな色彩を描くその光景は、まるで極彩色の絨毯が一面に敷かれているかのようだった。
牧師のいない祭壇の前には、何者かの人影があった。
明暗の中を見え隠れする金髪は、夕陽のオレンジに晒される度きらきらと輝いていた。
しなやかなシルエットと丸みを帯びた胸元からして、正体は恐らく若い女性だろう。
身に付けているのは薄手のタンクトップとボクサーパンツのみで、濡れた衣服を乾かしている様子が窺える。
間もなく、扉の開く音に反応した女がこちらに振り返った。
露となった女の顔に、ミリィ達の目は釘付けとなった。
「あ」
「あ」
「あ」
ミリィ、トーリ、ヴァンが順に声を上げると、女も呆気にとられた声を漏らした。
「え?」
………いた。
思いもよらぬ展開に硬直する三人。
中でも、この状況を引き起こした張本人であるはずのミリィが、何故か一番面食らっていた。
女に視線を向けたまま、ミリィは震える手つきで上着の内ポケットをまさぐった。
取り出したのは、例の女傭兵を映した証明写真。
それを中心に身を寄せ合った三人は、手元の女と目の前の女とを交互に見比べた。
セミロングのブロンドヘアーに、生傷だらけの白い肌。
やや筋肉質な手足に、女性らしい引き締まった体つき。
瞳の色までは流石に分からないが、本当に写真と同一人物であるなら、彼女も深い藍色を持っているはずだ。
写真を見て、女を見て、また写真を見る。
そして、三人がもう一度女に目を向けようとした次の瞬間。
たった今まで祭壇の前にいた女は、いつの間にか三人のすぐ側まで迫っていた。
三人の動きに何か不穏なものを感じたのか。
特に反応の鈍いミリィとトーリの間を駆け抜けていった女は、電光石火のごとく一瞬にして教会から姿を消した。
その間、僅か数秒。
誰とも接触することなく離脱してみせた様は、さながら風か幻のようだった。
「────ッヴァン!!」
一拍遅れてミリィが叫ぶと、ヴァンは返答するまでもなく全速力で女を追いかけて行った。
恐ろしく速い。
二名ともチーター並のスピードで、あっという間に路地の方へと消えていった。
「あいつらマジ人間じゃねえな」
「猪か」
残されたミリィとトーリは、そんな彼らの背中をぼんやりと見送ることしか出来なかった。
「それにしても」
しばらく呆けた後、先に気持ちを切り替えたトーリが徐に話し始めた。
「何気なく立ち寄った場所で偶然捜し物が見付かるなんて。
やっぱり君は持ってるよ」
そう言うとトーリは、やれやれと眼鏡を外して、曇ったレンズをハンカチで拭った。
溜め息混じりではあるものの、その声色は少し楽しそうだった。
対してミリィは空を仰ぐと、独り言のようにぽつりと呟いた。
「根っこがアンラッキーな分、こういう時だけラッキーだったりすんだよな、オレ」
これから後を追ったところで、あのスピードには到底追い付けないだろう。
彼一人に任せてしまうのは申し訳ないが、ここはヴァンの手腕と運にかけるしかなさそうだ。
そう判断した二人は、とりあえず女の置いていった衣類を回収し、ヴァンが戻ってくるのを待つことにした。
**
あれから約20分後。
教会の前で待機していたミリィ達の元に、ようやくヴァンが姿を現した。
気絶した女を米俵のように抱えた彼は、何故か鼻から血を流していた。
「よー、お疲れさん。結構手間取ったみたいだな」
「どうしたの、その鼻血。
下着姿の女性を抱えていてそれだと、画的にちょっとアレだよ」
トーリが冷静に茶化すと、ヴァンは説明に困った様子で視線を下げた。
「いや、これはちょっと……」
「なんだよ、伝説のジョブキラーが情けねえなあ。女だからって油断しちまったか?」
ミリィは自前のハンカチを取り出すと、ヴァンの鼻血を優しく拭ってやった。
顔を綺麗にしてもらったヴァンは、女を横に抱え直してからミリィの問いに答えた。
「別に、油断はしてない。
単純に、この人が想定以上に強かったから、一発食らってしまっただけだ」
どうやらこの20分の間に、ミリィ達の想像以上のバトルが展開されていたらしい。
ヴァンの赤く腫れ上がった左頬が、なによりその壮絶さを物語っていた。
曰く、穏便に済ませたかったこちらに対し、女は是非もなく立ち向かってきたのだという。
そこでヴァンも渋々応戦を決め、大人しくさせるために女の急所を突いたとのこと。
おかげで女の方はほぼ無傷だが、ヴァンが相手でなければどうなっていたか分からない。
これがもしミリィかトーリのどちらかであったなら、今頃返り討ちに遭っていたことだろう。
「何十キロと泳いできた後だろうに、これは……。
結構本気でやったのに、反撃されたのなんて初めてだ。
この女、思ってたよりヤバいぞ」
「ブフッ。……うん。
とにかく、君のおかげでどうにかなったよ。お疲れ様」
女の荷物を腕に抱えたトーリは、空いている方の手でヴァンの背中を叩いた。
彼のヤバい発言が可笑しかったようで、俯きつつも堪えきれず喉を鳴らしている。
一方ミリィは、女の濡れた前髪を指先で梳くと、自分の上着を脱いで女の上体に掛けてやった。
「にしても、こんなに美しいのが傭兵だなんて……。悲しい世の中になったよな」
「……美しかったからこそ、じゃないかな。彼女の場合」
女の経歴をおおよそは把握しているミリィとトーリは、半ば哀れむような目付きで女の寝顔を見詰めた。
それは、数え切れないほどの死線を潜ってきたとは思えない、安らかで清廉な寝顔だった。
ふと女の側を離れたミリィは、ズボンのポケットから携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
一体誰に?なんのために?
疑問するヴァン達をよそに、ミリィは急に明るい声色で改めると、何事もなかったように通話を始めた。
「あ。もしもしー、シュイ?うん、オレだよー。久しぶり。
……うん、うん。それでさ、突然で悪いんだけど、今からそっち行ってもいい?
………あ、別宅の方?」
フランクな話し方に加え、これから訪ねに行ってもいいかとの急なお願い。
察するに、電話の相手はミリィの親族か友人と思われる。
この状況で真っ先に頼る人物ということは、その人とミリィが相当な信頼関係にあるということだ。
「トリスタン。ミリィは誰と話してるんだ?」
「シュイって言ったら多分、プリムローズの現主席だよ。
幼馴染みなんだって、前にミリィが言ってた」
シャノン・エスポワール・バシュレー。通称シュイ。
ミリィの生い立ちを知る数少ない人物の一人で、二人は無二の親友同士である。




