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オルクス  作者: 和達譲
Side:THE PAST
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Episode-3:トリスタン・ルエーガーの悲壮



単位は全て修了していたし、卒業できることは既に決まっていたのだから、残りの日数は別にサボったってよかった。

それでも、僕が最後まで大学に通い続けたのは、姉さんとの約束があったからだった。


入学当初、初めて足を踏み入れたこのキャンパスで、姉さんは僕の隣に並んで、僕の手を握りながらこう言った。


この先なにがあろうと、一度決めたことは曲げずに突き通そう。

途中で投げ出すことはせず、自分の意志で始めたことなら、最後までやり遂げようと。


だから僕は、僕らの約束を守るため、姉さんのいなくなった空っぽな学び舎に、重い足を引きずりながらも通ったんだ。


だが、どんなにいい大学を出たところで、そこで全てをやり切った気でいたら意味がない。

学生を卒業することがゴールなのではなく、これから本格的に僕の人生は始まっていくのだ。



そうして僕は、いざ最初の一歩を踏み出すというところで、迷わず踵を返すことを決めた。




「フゥーン。おたく新顔だネ。

けど、残念ながらうちは一見(いちげん)さんお断りなんだ。

そっちの商いで取り引きしたいんなら、最低でも三回はここに通いナ。適当に酒引っ掛けるだけなら、ちょっとは時間作れるだろ。

そしたら、話くらいは聞いてやる」



僕の夢は化学者だった。

それは姉さんも同じだったし、いつかは二人で夢を叶えようと、共に化学を専攻して学んできた。


障害となるものはなにもなかった。

博士号は在学中に取得できたし、現地の研究所にもコネクションを作れたし、両親が遺してくれた遺産にもまだ余裕があった。


なにより、僕の頭脳が必要だと言ってくれる人が、僕を待っていてくれる人がいた。

就職に対しての心配があるとすれば、強いて言えば同僚とのコミュニケーションくらいのものだった。


あと一歩。

僕があと一歩を踏み出すだけで、子供の頃からの夢はただの夢ではなくなる。

あとほんの少し背伸びをするだけで、目標に手が届くほどに僕は未来に近付いていたのだ。



でも、そんなことはもうどうでもよかった。

例え目の前に宝の山が聳えていても、今の僕には全てガラクタに見えてしまうから。


僕にとってはなにもかも、姉さんあっての夢で、目標で、幸福だった。

故に、姉さん亡き今、自分一人で欲しいものを手に入れても、僕はきっと心から喜べないだろう。



「貴方を訪ねて、遥々こんなところまでやって来たんです。なんと言われようと手ぶらで帰るわけにはいきません。

貴方がそうしろと言うなら、それがここのルールであるのなら、僕は従うまでです。

三日、このバーの客として通ったら、一応は話を聞いてくれるんですよね?」



ずっと疑問だったんだ。何故姉さんは死んだのか。


当初はただ落ち込むだけで、思考力が乏しく低下していたから、姉さんが自死を選んだ訳を半分も解明できなかったけれど。

日が経つにつれ、少しずつではあるが本来の冷静さを取り戻していくと、急にふっと違和感を覚えた。


やっぱり、あのセレン・ルエーガーが、僕の姉さんが自殺をするなんて、有り得ないことだと。


確かに、姉さんは秘密の多い人だった。

滅多に弱音を吐こうとしなかったのも、姉としての責任を感じて、僕の前では気丈で振る舞っていただけかもしれない。


しかし、だからこそ。

誰より責任感が強く、家族との絆を重んじていた彼女が、弟の僕になんの相談もなく全てを放り出すような真似をするはずがないのだ。



だとしたら、本当の死因は一体なんなのか?真実はどこにあるのか?

僕の目は、なにを見落としているのか?


姉さんの死は、間違いなく地元の新聞記事やネットニュースで報道された。

警察も医者も葬儀屋も、皆セレン・ルエーガーは死んだのだと言い切った。

多くの者が彼女の不幸を悼み、早すぎる最期として受け入れた。


姉さんは死んだ。それは本当のことかもしれない。

だが、少なくとも自殺ではないはずだ。

だとすれば、誰かが嘘をついていることになる。

何者かが事実を偽っている。


なんのために?

不慮の事故かなにかで命を落としたのだろう姉さんを、わざわざ自殺に見せ掛けることで、誰になんのメリットがある?



ここまで思い立って、真っ先に不信感を抱いたのは、遺体の第一発見者であるという清掃員の男だった。




「そういえば、つい先日にアンタと同じことを聞きにきた奴がいるヨ。

そいつはアタシとは結構長い付き合いでネ、顔馴染みなんだけどさ。そっちの客としてここに来たのは初めてのことだったんだ。

ああ、歳は丁度アンタくらいかな。様子もどことなく、今のアンタと同じような深刻そうな顔をしていたヨ」




その後、僕の読みは悪い意味で的中した。

姉さんの死の真相を探っていく中で、この件が想像以上に大きな渦に巻き込まれているかもしれないことを知ったのだ。



調べたところ、例の清掃員の男は事件後間もなく姿を消し、行方不明になったという。

それは僕も以前から知っていたことだった。


実は、過去に何度かその人に接触しようと試みたことがあったのだ。

姉さんの遺体を一番に見付けた人なら、何か気付いたことがあるかもしれないと思って。


だが、その時には既に音信が途絶えていた。

僕が行動を起こすよりも前に、彼は表社会から姿を消していたのだ。


彼の同僚達に話を聞くと、事件のことで精神的に参ってしまったんだろうとのことだった。

以来、連絡先も変えたようで、あれから彼がどこに消えたのかを知る者はいなかった。


だから、その時は僕も諦めたんだ。

できれば当時の様子を話してほしかったけれど、男はとても気弱な人だったというし、これ以上追い詰めるような真似はよしておいた方がいいだろうと。



ところがだ。問題なのはここから。

改めて第一発見者の彼について調べてみると、彼の経歴は全くの嘘で塗り潰されていたのだ。


名前も、家族構成も、出身も。

全て意図的に詐称されたもので、叩けば叩くほど埃が出るというか、よく目を凝らすほどに彼の正体は霞んでいくようだった。


怪し過ぎる。

経歴詐称のことといい、事件後姿をくらましたことといい。


というより、そもそも全てが微妙におかしいのではないか?

唯一の肉親である僕に対しても、説明不十分だった訳も納得いかない。

姉さんの遺体が発見されてからの運びも、あまりに手際がよい。

まるで、姉さんの死を自殺として処理することが、最初から決まっていたかのような。



「会えますか?僕も、その人に」




神隠し。

その現象、というより都市伝説の存在にたどり着いた頃には、僕は一つの確信を得ていた。


姉さんはきっと、死んでいない。

今もどこかで生きているはずだと。



気付けば僕は、いつの間にかしっかりと自分の力で立ち、前を見据えて歩き始めていた。


まだ確証はなくとも、姉さんが生きているかもしれないという希望が、棒のようだった僕の手足に再び神経を通してくれたようだった。


もし。

あのまま、もう全て終わったことなのだと自分に言い聞かせて、強引に新たな一歩を踏み出すことを選んでいたら。

きっと僕は、どこでなにをしていても、心ここに在らずの状態が延々と続いていただろう。



「トリスタン・ルエーガーね。いいヨ、今だけは覚えといてやる。

ただし、アタシの頭はどうでもいいことを長く残しておけないように出来てるから。

忘れないで欲しかったら、精々飲み方に気を付けナ」



半年前まで思い描いていたビジョンとは少し違うが、力さえあれば夢を叶えることなんていつでもできる。

けれど、ここで姉さんへの想いを過去のものと割り切ってしまったら、僕は一生後悔する。


時間は少ない。だが、ゼロじゃない。

自分一人で自由に動けるのは、まだ僕が何者にもなっていない今だからこそできることだ。


今諦めたら、二度と謎を解き明かすチャンスは巡ってこない。

そんな気がする。



やるしかない。

今の僕が、今しかできないことは、なにか。



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