Episode-5:ウルガノ・ロマネンコの心象
クーリンは優秀な男だった。
人として彼を慕う者は少なかったが、軍師としては抜きん出た才能を持っていたため、あくまでビジネスのお付き合いをする分には、とても信頼されていた人物だった。
そんな彼を私情から手にかけた事は勿論問題になったし、私はクーリンと良好な関係にあった各位から総スカンを食った。
だが、それらは全て推測通り。
糾弾されたのも最初の内だけだった。
クーリン殺害以後の私は、これまで以上にチームに貢献し、限りなく完璧に近い勝利を自軍に捧げてきた。
誰からも文句を言わせないために、敵にも味方にも、私の圧倒的な強さを見せ付けた。
師すらも越えた私に、最早敵などなかった。
目の前にあるのは単なる的。
銃を手にした、人の形をしている、ただの的だと軽視するほどに。
慢心かもしれない。
勝つことに慣れ、鼻を明かし、数多の死体の上で胡座をかいているのが、今の自分かもしれない。
けれど、それでもいいと思った。
私は私が掲げた正義のもとに動く。
鼻摘まみ者と陰で囁かれても、負けない限りは私は自由だ。
クーリンとの因縁にケリをつけたことで吹っ切れたのか、私は以前より自分の強さに確信を持てるようになっていった。
そしてさらに一年後。
19歳になった私は、これまでの功績を認められて、チームから抜けることを許された。
つまり、独立したのだ。
これからは、フリーランス軍師、クーリン率いる手駒の一つではない。
ウルガノ・ロマネンコという一人の傭兵として、自分の意思で生きていくことになる。
支配下から外れたことで、今後は仕事相手も自分で決める必要が増えたが、そこは一切譲歩するつもりはなかった。
チームに在籍していた以前のように、報酬さえ良ければ誰が相手でも力を貸すなんてことはしない。
助けを求められても、そいつらが気に食わなかったら協力しないし、どれほど金を積まれても、非人道的な行いには加担しない。
私は、クーリンほど基準が甘くない。
私が要請に応える条件は、敵味方隔てなく子供を殺さないこと。
そして、必要以上の殺戮行為を行わないことだ。
どちらに正義があるのかを見るのではなく、どちらがより残忍で、悪どいかを吟味する。
戦争に死は付き物だが、それでも人で無しの連中と肩を並べる気はない。
私は傭兵だ。
何にも染められないし、誰にも誓わない。
神なんていう存在は自分の中で勝手に作るし、どこにも属さない。
時には気分次第で簡単に寝返ることもある。
だから、私は敵からも味方からも信用されないし、好かれなかった。
常に一人で戦って、夜ベッドに横になる度に、今日は何人殺したかを指折り数えた。
これだけ時代が進んでも、戦争がなくならない現実に。
何百年、何千年と同じことを繰り返している、人という存在には、最早呆れることもなかった。
「───君がこちらについてくれるとなれば、我々の勝利は約束されたも同じだ。こんなに心強い味方は他にいないよ。
条件にあった通り、女子供や戦意のない者達は、見つけ次第保護しよう。その後の対応はまだ未定として、とにかく無益な殺生はしないと誓うよ。
だから、最後までどうか、我々と共に戦ってくれ」
「───あいつだろ?最近噂になってるロシア系の女傭兵。
戦の女神だかなんだか知んねえが、妙に鼻につく感じだな。
いつも単独行動で好き勝手やりやがってよ。これじゃチームワークも糞もねえ。
しかも、あいつの機嫌損ねないようにって、降参してきた奴はみんな保護してやることになったらしいじゃん?
容赦ねえんだか甘いんだか謎だよな、あのアマ」
「───いいか?敵は今回、あのロマネンコを仲間に引き入れたんだそうだ。
どんな手を使ったんだか知らねえが、俺達からの要請はてんで無視だったってのに……。クソッ。
とにかく、あの女が参戦するとわかった以上、敵に回った我々は非常に危険だ。
ロマネンコに遭遇する前に、とっとと向こうの将を討つしかない。スピード勝負だ。
金髪の女を見かけたら、攻撃を仕掛けずに速やかにその場を離れること。いいな?」
ロマネンコの存在が界隈で知られるようになってからは、私が参戦した紛争に限り、死傷者の数が劇的に少なくなったという話を何度か耳にした。
味方は私の提示した条件を守って無益な殺生を控え、敵は私に畏れをなして無茶な戦い方をしない。
中には決死の覚悟で挑んでくる輩もいるが、それでも、犠牲は極力抑えられていると。
人によってはこんなの甘すぎると野次を飛ばすが、話し合いで解決できることなら、その方がいいに決まっているのだ。
ウルガノ・ロマネンコ。
かつてはかの軍師、クーリンの配下で少年兵として戦場を駆け、現在は独立してフリーランスの傭兵となった、見目麗しい女戦士。
味方に引き入れれば彼女は勝利の女神となり、敵に回せば敗北の死神へとその姿を変えるという。
気付けば、自分の知らないところで勝手にロマネンコという存在が肉付けされて、話が大きくなっていった。
私のことを天使だの神だのと崇める連中が出てきたり、触れれば呪いを受けるだのという根拠のない噂が広まったり。
無論、ただの傭兵にそれほどの力があるわけもないし、当然私は神じゃなければ天使でもない。完全無欠なはずがない。
やっていることは所詮人殺しで、綺麗事を並べても人の命を奪っている。
なのに、語られる私の逸話はどれも美化されたものばかりで。
時にそれが、酷く耳に障った。
「───あいつ、また敵軍の将を色仕掛けで落としたらしいぜ。
降伏宣言が早かったから、ほとんど争わずにこっちの勝ちが決まっちまった。
使えるものはなんでも、って感じなんだろ。立場は一介の傭兵のくせに、ハニートラップもお手の物ってか?
つくづく敵に回したくない女だよ、本当」
だから正直、自分の価値などどうでも良かったのだ。
見た目に気を遣うのは、クーリンから常に美しくあれと教育されていたからだ。
戦の勝敗に直接関係はなくとも、美貌とはただそれだけで一つの武器になるからと。
自分の顔に興味はないが、実際美人だからと優遇されることもある。
場合によっては、この容姿が諜報活動に役立つこともある。
だが、それだけのことだ。
私の人生は、なにもかも全て、戦うことと結び付いていた。
一つの戦が決着すれば、また次の戦いに備えている自分がいる。
どこにいてなにをしていても、私の頭の中では常に戦場の光景が反復されている。
休暇中ですら、私の日常の裏には戦争がある。
瞼を閉じればそこに、かつての敵がいる。
金ならある。地位も名誉も手に入れた。
だが、それだけのことだった。
札束の山が目の前にあっても、それを娯楽に注ぎ込むための時間はない。精神的なゆとりもない。
誉高き異名は、同じく戦場を駆ける者達にしか通じないし、悪目立ちするだけで特に役に立たない。
本当に欲しいと思うものはお金では買えないものばかりで、手元にあるのは冷たい銃だけ。
クーリンという重い枷からようやく抜け出た今、もう傭兵でい続ける必要はないのに。
やめようと思えばいつでもやめられるし、普通に、穏やかな生活がしたいとも思うのに。
なのに、浮世の世界で平和に過ごしていると、無性に戦場の空気が恋しくなってしまう時があって。
賑やかなマーケットで買い物をしている時も、自室のソファーでだらだらと横になっている時も。
子供達の声が響く公園の前を散歩している時でさえ、私が求めているのはこんなものではないなどと錯覚するようになって。
戦場にいる時にはあんなに生き生きとしていたはずなのに、安全な場所に戻ると、急に手持ち無沙汰になってしまって。
やっぱり銃が手元にないと、不安になって。
私にとって、戦いとは強いられるものだったのに。
クーリンに無理矢理従わされていたはずが、いつの間にか身も心も毒されていたのだ。
何のために、自分は銃をとるのか。
その理由がわからなくて、でも戦場以外に私の居場所はなくて。
貯まる一方で使い道のなかった金は、世界中の恵まれない子供達のために寄付をして、自分が戦う意味をそれで埋めようともしてみたけれど。
救った数よりも殺した数の方が上回っている気がして、やる瀬なかった。
そんな、不毛で無意味な日々が、時折嫌というほど自分の醜さを感じさせた。
殺すこと以外になんの取り柄もなくなってしまった今の私を、記憶にない両親が見たら、きっと悲しむに違いないから。
「───やあ、初めまして。ウルガノ・ロマネンコさん。
画面越しといえど、こうしてお会いできるなんて光栄だ。
それで、早速で申し訳ないのだが、先日ご依頼した件、考えていただけましたかな?」
気付けば、初めて銃に触れたあの日から、10年もの月日が流れていた。
そんな時、タイミングよく舞い込んできた新たな依頼は、とても意外なものだった。
一軍の加勢を頼むものではなく、期間を限定した個人のボディーガード。
ただの傭兵に身辺警護を依頼するのは珍しいが、依頼主がビジネスで中東に滞在する間、特に腕の立つ護衛が必要とのことだった。
曰く、人づてにとある女傭兵の噂を聞き、その特異さにとても関心を持ったのだという。
そしてその女傭兵というのが、無論私のことだ。
依頼主の男の名は、マックス・リシャベール。
始めは彼の部下から電話でアプローチをされ、次にリシャベール氏本人からモニター越しで頭を下げられた。
ブルネットの短髪に、優しげな目元。
恰幅のいい体躯と、身に付けている上等な服からして、リシャベール氏は見るからに富裕層の出で立ちだった。
私の住まいはロシアにあるのだが、リシャベール氏の所在は今シグリムにあるという。
私には縁も所縁もないが、それでも耳にしたことのある彼の名高い島国だ。
報酬は欲しいだけいくらでも出すとのことだったが、別に金には興味がなかった。
ただ、たまには戦場を離れてみるのもいい気分転換になると思い、私はリシャベール氏の依頼を前向きに検討することにした。
実のところ彼の正体が、戦争よりも底深い闇を孕んでいるということには気付かずに。
『The witch put a curse on the girl.』




