Episode-4:ウルガノ・ロマネンコの心象
「おいおい、こりゃ八つ当たりってもんだろ。
俺を殺しても、俺が殺してきた奴らは帰ってこない」
ずっと、この男に従ってきた。
どんな無理難題にも尽力して応え、常に不満を抱えていながらも、決して命令違反はしなかった。
だから、今回のことも、堪えようと思えば堪えられたかもしれない。今までのように。
でも、無理だった。
あの少年の顔を見た瞬間に、この7年間蓋をしてきたものが一気に溢れ出してしまって、もう止めようがなかった。
クーリンのやり方は、昔から必要以上に残忍だった。
彼は勝利を収めることよりも、単純に殺戮を愉しんでいるようだった。
それでも、私が彼に尽くしてきたのは、彼のおかげで今の自分があるからだった。
この男に刃向かえば、自分の未来は費えてしまうと本能で理解していたから。
挑んでも負けは見えている。
勝ち目のない勝負を吹っ掛けても、余計に状況を悪くさせて、自分が損をするだけだと。
「───ま、待てよ。ウルガノ。
お前の言いたいことも解るが、これはあくまでビジネスなんだよ。
殺すことがお前の役目で、俺の仕事は、お前達を上手く使ってやることだ。戦争に犠牲は付き物だって、お前もよく知ってるだろ?
……それともお前は、一時の感情に流されて、恩人を、この俺を殺すのか?
ここまで育ててきてやった恩を、今更仇で返すつもりか?」
だが、今の私は違う。
一年前のあの日。
クーリンと私の力の差は歴然と、改めて思い知らされたあの瞬間が遠い昔のように、今は私が圧倒していた。
こんな酷いやり方はいい加減やめろと私が抗議し、それをクーリンが平素通り適当にかわして、腹を立てた私が先に手を出した。
そこから取っ組み合いとなり、二人きりのテント内で互いに派手に暴れ回った。
殴って、蹴って、引きずり回して。
得物などなくとも、長年の経験とこの身に染み付いた感覚が、なによりの武器となって私に味方をした。
そして、初めて私が勝った。
接戦だったが、先に調子を乗せたのはこちらで、そのまま勢いに任せてどんどん追い詰めた。
今までどんな勝負を仕掛けても、幾度となく衝突して争っても、負け越してばかりだった私が、初めてクーリンに膝を着かせてやったのだ。
それも、たかだか素手の喧嘩で。
やがて、壁に背を寄りかけてずるずると崩れ落ちたクーリンは、息を荒げながらも冗談っぽく右手を挙げてみせた。
"降参だ"、と。
私の拳を受けて鼻血を垂らした口元は、うっすらとニヒルな笑みを浮かべていた。
その姿は、劣勢でもまだまだ余裕といった感じだった。
恐らく、これはただの、ちょっとした内輪揉めなのであって、私には最初から殺意なんてないものと思ったのだろう。
だから、師である自分を本気で殺そうとするはずがないと。
もしそうだとしても、実力はまだ自分の方が勝っているから、いざとなればどうとでもやり返せる。
逆転なんて簡単にできるんだと、端から高を括っていたのかもしれない。
確かに、クーリンは強い。
その自信には根拠があるし、私には彼を殺せないという言い分も、半分は間違いじゃない。
現に私は、終ぞ彼に勝ったことがなかったのだから。
でも、今目の前にいるのは。
全身に私の拳を喰らった彼の体は、もういつものようには動けない。
是が非でも殺したいという訳ではなかった。
ただ、クーリンの掴み所のない表情と、魂の抜けたようなあの少年の顔とが重なって見えて、無性に腹が立った。
"今なら、確実にやれる"
数打分口の中に溜まった血をそこらに吐き捨て、テーブルに置かれた銃をゆっくりと構えてやれば、クーリンは珍しく目を丸めた。
「悪い冗談はやめてくれよ、ウルガノ。
お前は俺の一番弟子で、他の誰より大切にしてきた部下で、俺の手足だ。
忘れたわけじゃないだろ?俺が窮地を救ってやったこと。
俺がいなけりゃ今のお前はないし、今の俺にはお前が必要だ。
……これってもう、家族みたいなもんじゃねえのか?」
心底驚いていても、クーリンはとても冷静に語った。
私を見詰める目は穏やかで、彼が私を信用しているのが窺えた。
私は、クーリンの言葉にとっさに動きを止め、無意識にグリップを握る手に力を入れた。
"家族"
7年もの間共に暮らし、共に苦難を乗り越えてきた間柄なら、互いにそれに似た感情が芽生えてもおかしくはない。
私を本当の家族と引き離したのは、クーリンではない。
鎖で繋がれて、物として扱われる運命を控えていた私に、クーリンは自分の力で立って歩く選択肢を与えてくれた。
憎悪の他に、ほんの僅かだが、情が湧いていたのも事実だ。
銃口が揺れる。
衝動が沈む。憤怒が薄れる。
恨みが、憎しみが、理性と情けで相殺されてゆく。
「……もう、つかれた」
一度目を伏せてから、私はゆっくりと銃口を下ろしてクーリンに背を向けた。
すると、背後から安堵の溜め息が聞こえてきた。
続けて、気の抜けた軽い笑い声も聞こえてきた。
ああ、頭がぼんやりする。
外の音は全て遮断され、鋭い耳鳴りが針のようにこめかみを貫いていく。
クーリンが静かに立ち上がり、服に付いた埃を手で払っている気配がする。
一歩こちらに近付く靴音がする。振動する空気が伝わる。
彼が今どんな表情を浮かべているのか、私には手に取るようにわかる。
「ウルガノ」
そして、名前を呼ばれた刹那に、私は素早く振り返った。
再び銃を構えた先に見たのは、安心しきった師の顔だった。
反応させる間もなく、間髪入れずに発砲した弾は見事にクーリンの眉間に命中した。
途端に意識を失った彼は、安らかな笑みを浮かべたままスローモーションで後ろに倒れていった。
飛び散る血飛沫。
こだまする銃声と、火薬の臭い。
足元に落下した薬莢は、カランカランと玩具のような音を立ててすぐに静かになった。
倒れたクーリンは、壁に背を預けて力無く座り込むと、がくんと頭を垂れ下げた。
俯いた彼の背後には、壁に飛び散った血が花のように広がっていた。
本当に、一瞬のことだった。
クーリンはたった今、私が殺した。
これでもう、二度と彼が目を開けることはない。
彼の無慈悲な戦略によって、罪のない一般人が巻き添えを食って死ぬこともない。
そうだ。
私はこの男の魔の手から、いずれは死ぬ運命だった者達を救ったのだ。
軍師などいなくとも、私が先陣をきって敵兵を討っていけば、自軍に勝利を齎すことができる。
クーリンが死んでも、その後釜を私が引き継げば、一応は問題ないはずだ。
戦とは無関係な兵士の家族や、運悪く巻き込まれてしまった通りすがり。
不必要な犠牲を出さないために必要なことは、圧倒的な強さで速やかに相手を降伏させること。
そして、クーリンのような上官に口を出させないことだ。
今の私には、そのための力がある。
どんなに不利な状況でも、負けなければいいのだ。
なんなら、自分一人で敵軍を滅ぼしてやってもいい。
それなら誰も文句を言わないだろう。
もう二度と、あの少年のような犠牲を生んではならない。
私はもう、彼らのような子供が死ぬところは、見たくないんだ。
これで、良かった。私は間違ってない。
だって、クーリンはきっと、これからも、不毛な殺戮を続けたはずだから。
だから、私はそれを食い止めたんだ。
いつかは誰かが、彼を止めなければいけなかったんだ。
その役に最も適任なのは、私を差し置いて他になかった。
「どうした、……っあ、…。
これは、一体……。おいウルガノ、お前クーリンとなにを、………。
おい?どうしたんだよ、お前。
なんで、泣いてるんだ」
初めて、私がクーリンに勝った日。弟子が師匠を越えた日。
それがただの勝負であったなら、素直に喜ぶこともできたかもしれない。
後悔はしていない。
彼を殺めた責任はとるつもりだし、この先も一生、その罪を背負っていく覚悟はできている。
これで良いんだ。
グリップを握る指先が震えているのは、ただの武者震いで、他意はない。
目頭が熱いのは、興奮しているからで、それだけだ。
銃声を聞き付けてやってきたチームの男が、慌てた様子で中に入ってきて、驚いた顔で私とクーリンとを見比べた。
彼の言葉を聞いてようやく、私は、自分の頬に伝っている温かいものが、涙であることに気付いた。




