Episode-3:ウルガノ・ロマネンコの心象
「敵兵は大方殲滅した。残りは奴らの協力者を処分するだけだ。各自、残党を見付け次第速やかにここまで連れて来い。
抵抗された場合は武力行使も厭わない」
あれは忘れもしない、18歳の夏。
その日は特に気温の高い真夏日で、我が隊は中東の紛争地帯で夜通し交戦していた。
敵軍は、近頃現地で幅を利かせているという人種混在の過激派組織。
我々に与えられた任務は、前述の彼らと対する穏便派の小さな集団に加勢すること。
前者の敵組織に白幡を上げさせて、長らく続いていたというこの紛争に終止符を打つことだった。
一口に言ってしまうなら、これは右翼バーサス左翼の戦い。
当初、例の過激派組織は国の恐怖政治に抗うレジスタンスで、味方の穏便派はそんな彼らの行いを良しとしない人々の集まりだった。
元々は、互いに祖国の未来を思っていただけだった。
保守派と改革派という違いはあれど、共に正しい行いをしようと努めていただけだったのだ。
しかし、ちょっとした不和も、長引けば取り返しのつかない膿となる。
疑心暗鬼が思わぬ誤解を呼び、排他思想が齟齬を広げ、鬱憤に狭まった心は次第に相手を許せなくなっていく。
そうして些細な小競り合いを繰り返していく内に、双方の軋轢は修復不可能なほどに悪化し、今や掲げていた信念も本来の目的もそっちのけで争い合っている始末というわけだ。
本当の敵は別にいるはずなのに。
一度散ってしまった火花は勢いを増すばかりで、一向に収まる気配がない。
誰が正しいのかも、今やもうわからない。
あの地に生きる者達全員、長年虐げられてきた鬱憤が積もりすぎたのだろう。
憎しみが、彼らの思考を、目を曇らせてしまっている。
だからこそ、一刻も早くこの無意味な戦いを終わらせるべきだと。
クーリン率いる我が傭兵チームがこの戦争に参加した訳は、そういうことだった。
「クソッ、どうなってやがる!さっきまでこっちが押してたはずだろ!」
「向こうの誰かが6分で戦況を引っくり返したんだよ!
ここにいたら俺達も危ねえ…!一旦ずらかるぞ。立て直しだ!」
先に協力を仰いできた穏便派に援軍として加わってからは、軍師クーリンの講じた戦略通り、私達は武力を以てして敵兵を制圧していった。
いくら横暴な過激派が相手といえど、問答無用で殺しにかかるのはどうかとも最初は思ったが、それも銃撃戦を繰り広げているうちに忘れてしまった。
彼らには最早、レジスタンスとしての誇りも、血も涙もない。
人を屈服させる快楽を覚えてしまった以上、弱者を従わせて、己が上に立つことしか頭にない。
反政府というポーズは、最早ただの建て前に過ぎなくなっている。
故に、交渉にも一切応じず、殺り合う気満々で是非もなく向かって来るというのなら、こちらも容赦はできない。
自分の額から垂れてきた汗を舌で舐めとりながら、私は攻撃を仕掛けてきた順に敵の兵士を倒していった。
「───そんなことをしてはいけない。せっかく拾った命を、衝動で投げ捨てちゃ駄目だ。
私が時間を稼ぐから、裏から走って逃げなさい」
やがて、敵兵の始末が大方済んだ頃。
クーリンの指示で残存兵探しに出ていた私は、外れにある古い家屋で一人の少年と出会った。
その少年は、殲滅された敵兵の家族のようだった。
震える腕で重いライフルを抱え、目には涙を浮かべながら、父の仇を討とうと慣れない手つきで私に銃口を向けていた。
何人も殺して興奮状態にあった私には、彼の父親があの中の誰であったかなど見当もつかなかった。
少年に対して今更言い訳をする気も起きなかった。
どんな大義名分があろうと、彼にとってはたった一人の大切な父を、この手で殺めてしまったことには違いない。
だから、少年には私を撃つ権利があると思った。
けれど私は、彼が向けてくる怒りに身を委ねることはせず、構えられたライフルにそっと触れて言い聞かせた。
もしここで私を倒したとしても、その引き金を引いてしまったら最後。
君自身も、危険な反乱分子として命を狙われることになる。
復讐を果たした後に待っているのは、凄惨な死以外の何物でもないと。
父を討った張本人であるかもしれない人間が、彼にこんなことを言える立場でないのは重々承知していた。
それでも、死なずに済むならそうして欲しかった。
子供とは誰しも、罪のない無垢な存在であるから。
偽善であろうが、独りよがりであろうが、私はあの子を死なせたくなかった。
ここで短い生涯を終えてしまうよりも、一日でも長く、生き残った命を繋いで欲しかったのだ。
すると少年は、私の様子を見てなにか思うところがあったのか、必死に涙をこらえて最後には頷いてくれた。
ライフルを床に置き、一度だけこちらを振り向いた後は、無言で裏口から出て行った。
今はまだウチのチームの連中が辺りをうろついているはずだから、すぐには戦場から離脱できないかもしれない。
でも、直に日が落ちて夜になる。
あの小柄な体格ならば、人目を擦り抜けて逃げおおせることも不可能じゃないだろう。
そう思い、一先ず安堵しかけたその時。
何故か、指揮官であるクーリンが私の元に現れて、状況の確認に来た。
私は一瞬背筋がひやりとしたが、クーリンがやって来たのは少年が去った後だった。
口ぶりからしても、ここに残党がいたことにクーリンは気付いていない様子だった。
私は、とっさに何事もなかったように振る舞って、クーリンに報告した。
今のところ、私の担当区域に生存者は残っていなかったと。
それに対しクーリンは、そうかと一言だけ返事をして、あっさりと引き返していった。
この時の空は夕暮れ。
夜明け前から続いていた今度の紛争は、我々の加勢した穏便派が圧勝するという形で幕を閉じた。
はず、だった。
「この俺が、お前の嘘を見破れないはずないだろう。
お前、なにか後ろめたいことがある時は、いつも相手の口元を見て話すんだよ。目を合わせたら上手くいかないって、無意識に体が判断するんだろうな。
だが、他は騙せても、俺だけはごまかせねえぞ。ウルガノ。
言っただろ?残党は全員処罰、兵士は皆殺しにしろってな」
私は嘘が得意だと自負している。
傭兵として常に死と隣り合わせでいる日々の中で、防衛本能から自然と培われた力だ。
いついかなる時も、ポーカーフェースを欠かさないこと。
表情一つ変えずに、嘘八百をすらすらと語ることができるのが、私の特技の一つだった。
しかし、それもこの男にだけは通用しなかったようだ。
"おいお前ら、まだ気緩めんなよ。この辺りに鼠が一匹うろついてるはずだ"
"連中の親族かなにかっすか?"
"恐らくな。餓鬼が相手でも容赦すんなよ。歯向かうようならアバラの一本でもへし折っとけ"
クーリンは、私の嘘を瞬時に見抜いていた。
あれから、あの家屋周辺の索敵を徹底させ、私が逃がした少年をまんまと見付けてしまったのだ。
少年は捕まるまいと必死に抵抗したらしく、足元に転がっていた銃でとっさにチームの一人に発砲したという。
そして、撃たれた男が肩を負傷したのが仇となった。
その瞬間に少年は、ただの協力者から残存の兵士へと立場を一変させてしまったのである。
クーリンの指示は、協力者とおぼしき一般人は捕縛、降伏の意思のない兵士は殲滅だった。
つまり、少年はあの一度引き金を引いただけで、後者としてカウントされることになったのだ。
すなわち、殺処分。
少年に下された処置は、勿論、クーリンお得意のあれだった。
「オラ、もっと大股で歩くんだよ。まごまごしてっとここで撃ち殺すぞ」
チームの奴らに力づくで連行され、地雷が埋まっているらしい場所まで向かわされる少年。
去り際、野営地のテント前で控えていた私と目を合わせた彼は、ぐったりした様子でこちらを見詰めてきた。
せっかく命拾いをしたと思ったら、結局捕まって。
更にはもっと悪い結果を引き起こして。
あの時、私が逃げろと背中を押したせいで、彼は益々逃げようのない結末を迎えようとしている。
なのに、彼はなにも言わなかった。
恨み言も、恨みがましい視線もなく、ただ、なにも映さないような濁った目で、通り過ぎていく私を見ていた。
その時の彼の顔が、あの時の彼にそっくりで。
足の不自由な、C判定を下されたあの彼と、全く、同じ目をしていて。
私の中で、消えかけていた苦しい感情が、勢いよく呼び覚まされたのが、わかった。




