Episode-2:ウルガノ・ロマネンコの心象
その日から、地獄のような養成期間が始まった。
私を引き取った謎の男、クーリンの正体はフリーの軍師だった。
傭兵として前線で戦ってきた彼が、現役を退いたのは5年程前のこと。
従う側から従わせる側に転身したのちは、天性の戦闘技術と長年の兵士経験を活かし、幾度も自軍の勝利に貢献してきたという。
そんな男が、私のようなただの子供を自分の傘下に加えた理由は一つ。
クーリンにとって理想通りの、完璧な女戦士を育てるためだった。
「俺の目に留まったお前は幸運だ。直にそのことを実感する日が来るだろう。
その特異稀なるポテンシャルを、俺がこの手で限界まで引き上げてやる。
いいか?今日からお前の所有者は、お前の親でもお前自身でもない。この俺だ」
なかなか指図を聞かず、常に敵意を向けて歯向かっていた私に、クーリンは常套句のようによくこう言い聞かせた。
私がここにいるのは不幸中の幸い。
自分に選ばれたお前は特別で、運が良かったのだと。
あの時の三つのアルファベットが示していたのは、私の予感通りそれぞれの優先順位で間違いなかった。
A判定を受けた子供は、富裕層のお得意様向けに売り出してOKの意味。
つまりは折り紙付きの上物ということだ。
次に、B判定を受けた子供は、金は持っていてもあまり発注をしない、或いは今度の取引が初めてである訳ありの客用という意味。
言い方は悪いが、A判定と比べるとやや器量が劣る、もしくは知能が低い子がこれに該当する。
どちらも人身売買に関わることで、彼らの世界では他人の子供など物同然。
高値が付きそうで、且つ足がつきにくそうな子を適当にさらい、一人一人値踏みをして選別。
その中から売れそうな子を権力者の元に差し出し、その他のまあまあだろうという子は、とりあえず金払いは問題なさそうな輩の手に渡るわけだ。
そして、気になっていたC判定の内容。
あの時、私の隣で小さくなっていた足の不自由な彼の扱いは、どうなったのか。
その話を聞いてようやく、私はただの軍師であるクーリンが何故あの場にいたのかを理解した。
「良かったな。お前は豚側にならなくて」
一言で言うならば、C判定とはつまり、商品としての価値が認められなかったということだ。
無作為にさらってきたはいいが、後になんらかの不具合が発覚した場合などにより、稀にそのジャッジを下される子がいるらしい。
よって、売買は不可。かといって今更家に帰すわけにもいかない。
となれば、彼らの利用方法は限られてくる。
より益のある手段で、意味のある処分を。
軍師が品定めを任されていたのは、そういうことだった。
最も多いパターンは、地雷原の確認役か、人間爆弾の材料。
素質があると見なされれば少年兵として雇ってもらう手もあるそうだが、それは滅多にないという。
用途は多少異なるが、C判定を受けた子供はもれなく、戦争の道具として使われる運命にあるのだ。
つまり、私がこうしている間にも、彼はどこかの戦地に運ばれて、今頃は。
想像が巡った途端、あの時の彼の全てを悟ったような悲しい顔を思い出して。
私は、胸の奥を穿たれるような痛みに襲われた。
「やはり俺の目に狂いはなかったな。お前は戦士に向いている。
身体能力の高さも勿論だが、なによりお前は、自分の感情をコントロールする術に長けている。それは、敵の多い傭兵にとって最も価値のある力だ。
どんな状況下においても、今の自分にとって最善の行動とはなにか、瞬時に導き出す。
これは俺の持論だが、死を恐れないことこそが、戦場で生き残る一番の秘訣だ」
クーリンの指導のもと、私が兵士として訓練を受けた期間は約一年。
毎日欠かさず、昼夜を問わずに己の体をいじめ抜き、文字通り血の滲むような日々だった。
基本的な体術の他に、銃や得物の扱い方。
危機的状況に陥った時の離脱手順や、街中で紛争が起こった場合の的確な配置など。
かつては兵士の端くれで、今は軍師として隊を率いている彼だからこそ、あらゆる視点から導き出した策を講じることができた。
そしてそれらを、一から私に叩き込んだ。
全ては、彼の利益と栄光と、個人的な愉悦のため。
しかし、彼のおかげで今の自分は生きているのだということも、覆らない事実だった。
「ホラどうした?そんな生っ白い腕じゃ雑巾の一つも絞れねえんじゃねえか?」
「女子供だからって甘えた顔すんなよ。
ここは常に男女平等。銃を握った時点で性別なんてものは放棄したと同じなんだよ」
「せめてもう少し色気のある腰だったら、ちっとは優しくしてやってもいいんだがな」
初めて銃を握らされた時には手が震えたし、想像よりずっと重くて冷たくて、引き金が固かったのをよく覚えている。
人を殴ったこともなかったし、いくら訓練とはいえ、大の大人に立ち向かっていくのも怖かった。
練習相手になってくれる傭兵仲間の男達は、皆厳しくて乱暴で。
最初の頃は何度も泣かされたし、生傷の絶えない痛みに眠れない夜もあった。
でも、耐えようと思えば、耐えられないことはなかった。
毎日とても辛くて、このまま私は力尽きて死ぬのではないかと思ったこともあったけれど。
でも、私は生きているから。
苦しくても、死にそうでも、私はまだここにいて、息をしているから。
だから。
苦しいと感じる間もなく、一切の猶予も、慈悲も与えてもらえず、理不尽に全てを奪われ、打ち止めにされた彼と比べたら。
耐えられると思った。
耐えねばならないと思った。
辛くて泣き出してしまいそうになる度に、あの時の少年の顔を思い出した。
すると、どんなに苦しくても、また立ち上がってやろうという気になった。
「お前確か、クーリンとこの少年兵だったよな。もしかしてあれ、お前の友達か?
ま、誰のなんであろうと上の決定は覆らねえけどな。
怖いならしばらく耳塞いでな。直に静かになる」
養成期間中、自分以外の少年兵を何度か見たことがあった。
一介の駒ですらなく、ボロ雑巾のようにこき使われて、最後には泣きながら地雷を踏み抜いて果てていった子供も、確かにこの目で見た。
その様子を傍から眺めていて、なにも感じなかったわけじゃない。
なのに、私は抗議をしなかった。
そんな非人道的な行いは今すぐにやめろと、喉元まで出かかった叫びは結局一度も声にならなかった。
私は無力だ。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、私は彼らになにもしてあげられない。
私も、いつそちら側の人間になるかわからないから。
ただの子供に過ぎない私が、大人の奴らに勝つためには、まだ力が及ばないから。
その恐ろしさが、私の怒りと道徳心を強引に捩伏せていた。
そういう時には決まって、あの時のクーリンの言葉を思い出した。
そうだ。
腹立たしくも私は、いつの間にかクーリンの言った通りになっていたのだ。
不幸中の幸い。
私は、運が良かったのだと。
あんなに反発していたのに、結局あいつの予言通りに実感してしまう瞬間が、もどかしくて吐きそうだった。
「おいおいお前ら、こいつが俺の飼い犬ってことは忘れたわけじゃねえよな?
構う分には結構だが、唾付けられちゃ困んだよ。
扱いには気を付けてくれねえと、代わりにお前らの首を縄で繋ぐことになるぜ」
同じ隊の輩に暴力を振るわれたり、乱暴されそうになった時には、必ず仲裁に入ってくれた。
わからないことはなんでも教えてくれた。
一人前に育つまでは危険に晒したくないからと、無償で私を扶養し、鍛えてくれた。
だから、少なからず、恩義を感じていたのも確かだった。
全く情が芽生えないということもなかった。
けど、どうしても。
他所への辛い仕打ちや、過去の蛮行の数々を考えると。
彼に、クーリンという男に、心を許すことだけはできなかった。
「本当に、強くなった。
俺の思い描いた理想通りになるまで、お前はあとほんの僅かだ。
もう少しで、お前は俺の最後傑作になる。ウルガノ」
濃密な養成期間を経て、ようやく実戦の段階までたどり着いた頃には、私はもう過去を振り返らなくなっていた。
毎日毎晩、あれほど恋しがっていた両親の顔も、声も。今やほとんど覚えていない。
平和で楽しかった日々も、幸せだった頃の自分の姿も、もう思い出せない。
まるで、最初からここにいたかのように。
戦場で生まれ、育ったかのような錯覚で麻痺した体は、すっかり一端の傭兵になっていた。
「っとに参るよなあ。今時は年の功よりセンスの良さをとるんだもんよ。ベテラン勢はたまったもんじゃねえや」
「オレなんか次あいつに負けたら給料減らすって言われてんだぜ?クーリンの親バカも大概にしろってんだ」
「ま、実際俺ら誰もウルガノに及ばないんだけどな」
「こんなことならもう少しくらい媚びとくんだったかねえ」
一年という歳月をかけ、クーリンに徹底的に仕込まれた私は、12歳にして最多撃破数をたたき出す程の成績を上げるようになった。
前線に駆り出される度、何度もだ。
どんな奴が相手でも、常に死に物狂いで戦った。
クーリンの教え通り、命懸けで自分の命を守った。
確かに、私は強くなったのだ。
今までの努力は、全て私だけの武器となった。
だが、それも所詮は子供の力。
自分より一回り以上も大きな相手と対等にやり合えば、きっと私は勝てないことは明白だった。
故に、私の勝利はいつも幸運で満ちていたのだ。
子供だから、女だからと油断する隙を突いて、問答無用で畳み掛ける。
そうして真っ向勝負に持ち込ませる前に仕留めてしまえば、確実にこちらが勝つという方程式が出来たほどに。
「北西方向、制圧しました。これから南下していきます」
いつから私は、こんなにずるい人間になったのだろう。
足元に転がる死体を見て、自嘲気味に溜め息を一つ。
そしてまた、次のターゲットを探しに走る。その繰り返し。
11歳のあの日まで、笑顔で溢れていた私の世界は、今は青白い死に顔で埋めつくされていた。
「そんなに怖い顔すんなよ。
せっかく美人に生まれたのに、しかめっ面ばかりじゃ勿体ないぜ。
……ま、俺は女には困ってねえし、無理強いしても興奮しねえからな。今日のところはこの辺でやめといてやるよ。
ただな、ウルガノ。これだけは覚えておけ」
やがて、私が17歳になった時。
成長した私の体に、クーリンが冗談混じりに触れてきたことがあった。
無論、力一杯抵抗したし、ニヤつく顔には腹立ち紛れに唾も吐きかけてやった。
だが、どれほど暴れても、私はクーリンを跳ね退けることができなかった。
攻撃はことごとく受け流され、カウンターで逆にこちらの動きを封じられて。
みるみるのしかかってくる大人の"男"の重みは、私に死と隣り合わせでいる時の感じとはまた違った恐怖を覚えさせた。
ただ、その時のクーリンは軽く触ってきただけで、それ以上のことはしてこなかった。
ひょっとしたら、本当にただの冗談のつもりで、最初からそんな気はなかったのかもしれない。
興が醒めた、と一言呟くと、彼は自分からあっさり離れていった。
そして、最後にこちらを振り返ってから、不敵な笑みを浮かべてこんな言葉を残した。
「お前は、俺には勝てないよ」
その瞬間、私は一気に背筋が冷たくなったのを感じた。
彼は私の師匠だ。
今の私は全て、彼の教えによって成り立っている。
クーリンの背中を見て私は育ち、学び、強くなったのだ。
だが、いくら強くなっても、向かうところ敵なしであっても、彼だけは私に勝つ術を知っている。
自分が教えたことなのだから、当然その弱点も心得ている。
故に、私が私である限り、私が彼を倒すことは一生無理かもしれないと。
私と二人きりだったコテージから、クーリンが踵を返して立ち去っていく間際。
彼の背中が夜の闇に消えていくのを見つめながら、私はふとこう思った。
いつか自分は、この男に銃口を向ける日が来る。
例え勝ち目はなくとも、そんな気がすると。




