Episode-3:東間羊一の選択
「羊一様。ただ今戻りました。
残念ながら、レアチーズのタルトは売り切れてしまったそうなので、代わりに苺のタルトを買ってきたのですが、よろしかったですか?」
「ああ、うん。いいよ別に、なんでも。
いつも悪いね。神坂さんだって暇じゃないのに、おれの使いっぱしりみたいなことさせちゃって」
「滅相もございません。
他ならぬ羊一様のご所望とあらば、神坂はいつでも、貴方の手となり足となりましょう」
探偵業を休止して以降、益々家に引きこもりがちになったおれを心配して、桂一郎さんが度々側近の神坂さんか青木さんをウチに寄越すようになった。
「では、今日のところはこれにて失礼致します。
明日は定時に青木を見回りに行かせる予定ですので、なにかあれば彼女の携帯に連絡を」
本気でおれの身を案じてくれる桂一郎さんに嘘をつくのは忍びなかったが、流石に神隠しの件を明かすわけにはいかず。
かといって、勘のいいあの人の目を欺き続けるのも、おれには無理だった。
なにもないから平気だと言っても、彼はすぐにおれの虚勢を見抜いてしまうだろうから。
だから、余計な勘繰りをさせてしまう前に、皆には仕事の関係でちょっと揉めたのだと説明することにしたんだ。
最近、おれを逆恨みしている奴がストーカー紛いに近辺をうろつくようになったので、そいつから隠れるために外出を控えるようになったのだと。
すると桂一郎さんは、そんな危険な状態でおれを一人にはしておけないと、以前にも増して色々と世話を焼いてくるようになった。
それが、冒頭の神坂青木コンビの出張番犬サービスである。
「あ、もしもし。おれ。
今巡回に出てくれてるんだよね?なにか動きはあった?」
「いいえ、今のところは特になにも。例のストーカー野郎はなかなか鼻が利くようです。
我々の気配をいち早く察して、安全な隠れ場所に一時避難しているのかもしれません」
「そ、そっか。わかった。
けど、あんまり深追いしなくていいからね。適当でいいから、ほんと。マジで」
勿論、仕事で揉めたっていうのは嘘だし、ストーキング被害に遭っているというのも、その場凌ぎの作り話だ。
真面目にパトロールしてくれる神坂さんと青木さんには申し訳なかったが、ストーカーなんてものは最初から存在しない。
すべて、おれがでっちあげたことなのだから。
だから、いくら探しても犯人なんて見付かるわけがない。
こんなことを続けさせても、時間の無駄になるだけだと。
最初は、そう後ろめたく思っていたんだ。
ところがだ。
先日、いつも通りにパトロールに出ていた青木さんから、妙な話を聞いてしまった。
「どうします?日を改めてまた来ると言っていましたが、羊一様の気が進まないようでしたら、私の方から断っておきますが」
その日彼女は、いつもの見回りのついでに、近隣住人達に話を聞きに行ったという。
最近、ここらで不審な輩を見掛けなかったかと。
すると、複数人の口から同じ内容の目撃談が出たらしい。
数日前から、見知らぬスーツ姿の男がそこのマンション周辺をうろついているのを見たと。
そこのマンションというのは、無論おれの住まいであるここのことだ。
入れ違いだったのか、おれが外出をした際にはそんな目立つ風貌の輩は見なかったが、情報多数ということは誰か一人の見間違いじゃないんだろう。
そこで青木さんは、張り込みを強化して、噂の男に直接話を聞きに行ったという。
青木さんに捕まった男は、自分は東間氏の知り合いだと言ったらしい。
彼を訪ねて来たのだが、アポイントをとっていないため中に入れず、仕方なくここで本人が出てくるのを待っているのだと。
その話を聞いた時、おれは背筋がぞっとした。
男は、おれも世話になっている研究室で同じくエンジニアとして働いている者だと名乗ったらしいが、そんな奴に覚えはなかった。
言い方は悪いが、あそこは所謂オタクやら変人やらの巣窟だ。
少なくともおれの知る限りでは、紳士風でスーツを着こなしている奴なんて一人もいない。
おれん家の住所を知っている人間も限られているし、そいつらが連絡なしに突然訪ねてくることもまずない。
ならば、男は一体何者なのか。
何故おれの所在を知っているのか。
なんのためにここを訪れたのか。
男が出没するようになったのは、おれが部屋に引きこもるようになって間もなくのことだった。
じゃあまさか、そいつは神隠しの関係者なのか。
首を突っ込んだおれを捕まえるために、こっそり身辺を探りにきたのか。
まだ断定はできなかったが、はっとした瞬間、おれは全身の震えが止まらなくなった。
もし。
もし、近くへ買い物に出ていた時にでも、運悪くそいつと遭遇してしまっていたら。
今頃おれはどうなっていたんだろうか。
想像するのも怖くて、おれは男の正体を確かめる前に、青木さんの方から面会不可の旨を伝えてほしいと頼んだ。
だが、その必要はなかったようで、あれ以来男が現れることは二度となかった。
「プリムローズの主席の、…そうシャノン君。彼の古い友人らしくてね、是非君に会いたいからって。
……うん。いや、一人じゃないよ。うん。
ちゃんと身分も明かしてくれたし、彼らもなんだか訳ありっぽい雰囲気だったから、多分大丈夫だとは思うけど…。
それでも、君が嫌なら私の方から断っておくよ。無理にとは……、え?
ああ、そっか。まあ君の場合、そうする方が早いのかもしれないね」
それから更に半月後。
例の男と入れ替わるようにして、新たな人物がおれに接触してきた。
その人は、おれの信用を得るためにわざわざ桂一郎さんの方にもアプローチをかけたらしかった。
その日のうちに、桂一郎さん本人から連絡があった。
来訪者の名前は、ミレイシャ・コールマン。
どうやら、昼にウチを訪ねて来た奴と同一人物のようだった。
ということはつまり、彼はあの後黒川邸にも立ち寄って、桂一郎さんに取り入ったというわけだ。
恩師である彼の言うことなら、おれも従わざるをえないと知っていたんだろう。
軽薄そうな印象とは裏腹に、実際はなかなか抜け目のない男のようだ。
しかし、あの時は胡散臭かったので門前払いにしてしまったが、まさかあのシャノン・バシュレーの紹介で来ていたとは思わなかった。
プリムローズの新しい主席の名を、知らないはずがない。
おれとは面識がないが、バシュレーさんは桂一郎さんとも懇意にしているという大物だ。
となると、この件は最早おれ一人の問題じゃなくなる。
ここでおれが問答無用と突っぱねたら、間に入ってくれた二人の面子にも関わってくるだろう。
……そんなの、断れるわけないじゃん。
悶々と考える時間こそあれ、最後にはおれも面会の申し入れを承諾せざるをえなかった。
あの赤毛野郎の思惑通りに運ばせてやるのは少し癪だったが、他ならぬ桂一郎さんの説得とあれば応じないわけにはいかない。
日を改め、明日の午後には噂のコールマン一行とやらが再びやってくる。
クロカワ州主席のお墨付きという、大義名分を引っ提げて。
ただ、いくら信用できる相手の口利きといっても、見ず知らずの人間を家に招き入れるのには抵抗があった。
先日のストーカーの件もあったから、尚更だ。
だから、彼らには悪いが、事前に色々と調べさせてもらうことにしたんだ。
面と向かって話をする前に、一人一人のプロフィールを把握しておきたかったから。
「───なに、これ。
あいつら一体何者なわけ?」
今の時代、大体のことはインターネットの力を借りればどうとでもなる。
そして、意外にも簡単に割り出せてしまった彼らの正体に、おれは思わず笑ってしまった。
だって、それもそのはずだ。
教えられた名前の中には、誰一人として尋常な人間がいなかったのだから。
一人は伝説の女傭兵で、一人はその世界じゃ知られた殺し屋。
それに比べればもう一人はまともな方だけど、それでも超エリートで並の人間じゃない。
少なくとも、おれなんかよりは遥かに優秀だ。
そして、なによりあいつが一番のくせ者。
ミレイシャ・コールマン。
このプライバシーも糞もない明け透けなご時勢に、世に一切の痕跡を残さずに生きている人間が、他にいるだろうか。
どこで生まれて、どこで暮らしていて、今はなにを目的に動いているのか。
彼だけは、不気味なほどなんの手掛かりも見付からなかった。
最初から隠蔽されているのか、纏わるデータを後から抹消したのかさえわからず、詳細は全くの不明だった。
まるで透明人間というか、ミレイシャ・コールマンなんていう人物は、最初からこの世に存在していないみたいだった。
傭兵に、ヒットマンに天才に、透明人間。
まさにびっくり人間大集合。
でも、その時のおれは妙な気分だった。
立ち込める不気味さや、背筋を這うような不安をひしひしと感じながらも、同時に高揚もしていたのだ。
おかしなものだ。
あれだけ渋っていたくせに、次第に彼らと会って話をするのが、ちょっと面白そうとか思い始めている自分が顔を出しているのだから。
「こういうのが、ターニングポイントっていうのかな」
17歳の秋。
これから、己の生涯をかけた一大事に立ち向かおうとしているおれのことを、両親は未だに何一つ知らないままでいる。
『He will come pick you up. 』




