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オルクス  作者: 和達譲
Side:THE PAST
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Episode:東間羊一の選択



「───いいですか?羊一さん。

貴方は選ばれた子。特別な人間なんです。並の連中とは決して釣り合わない存在なの。

だから、底辺の空気には極力触れないようにして。

大多数の凡人達とは、常に一線を引いたつもりで毅然としていなさい」



おれは昔、神童と呼ばれていた。

資産家だった父方の祖父は、フィグリムニクスの創立に携わった一人として名が知られている。

クロカワ州の中にトーマという名の通りがあるのはそのためで、当時から黒川の一族とは深い縁があるのだと小さい頃から教えられてきた。


おれの両親は、揃って大きな成功を収めた経営コンサルタント。

今や祖父の残した遺産と同等の財を成し、現在は主にアメリカや日本で広く活動している。


そんなエリート達の血を引くおれも、当然期待されていた。

失敗は許されなかったし、常に一番であることが当たり前と教育されてきた。


おれは、生まれた時からずっとそのプレッシャーを背負ってきた。

周りの大人達の期待に応えるため、そのためだけに生きてきた。


おれにとって勉強とは生理現象に等しいもので、努力に見合った結果を出すことがおれの生きる意味だった。

なんのために学ぶのか、誰のために優秀でい続ける必要があるのかなんて、考えたこともなかった。



「───今回の学力審査でトップの座についたのは……、言わなくても分かりますね?

皆さんも、東間さんの勤勉さを見習って、今後とも邁進していってください。

そして東間さん。入学時からの連覇達成、おめでとうございます。

卒業までは残り僅かですが、今しばらく我が校の模範生として、クラスメイト達の手本になってあげてくださいね」



義務教育の段階までは、体面的に地元の教育機関に身を置くのがいいとのことで、高校まではクロカワにある進学校に通った。


祖父が創った街で、両親が援助した学校で、常に一番であり続けること。

それが、当時のおれの役目だった。



やがて、12歳で中学を、14歳で高校を卒業したおれは、いつの間にかクロカワで最も優秀な子供だと謳われるようになった。


でも、何度一番をとっても、周りから一目置かれるようになっても、両親がおれを褒めてくれたことは、一度もなかった。




「───流石は俺の息子だ、羊一。

ロードナイトは、まさに選ばれた才子達の花園だ。

その分、今までと比べてハードルも高くなるが、お前ならきっとやっていける。

今後とも慢心せず、東間の跡継ぎとして精進してくれよ。羊一」




両親がおれを褒めてくれたのは、思い出せる限り、それが最初で最後だったと思う。



ロードナイトは、国内で最も知的レベルの高いエリアだ。


初代主席、クインシー・ロードナイトの出身でもあるハーバード大学や、スタンフォード、ケンブリッジ、マサチューセッツ工科大学など。

名だたる名門校を卒業したエリート達が、あの州にはうようよといる。


そして、世界でも十本の指に入ると言われるハイレベルの大学が、10年前にロードナイトに生まれた。

おれがそこに通えるようになったのは、高校を卒業して一年が過ぎてからのことだった。


神童だなんだと言われていたおれですら、突破するのは困難な狭き門。

いつも以上に死に物狂いで勉強して、一年越しでなんとか手が届いた超難関校。


入学も卒業も極めて厳しいとされるそこに、晴れて合格が決まった時。

その時に、初めて両親はおれを褒めてくれたんだ。


一年越しといえど、当時のおれはまだ16歳。

たった16歳で、と周りの大人達はそれはそれは舞い上がっていたし、将来を有望視するプレッシャーにも益々拍車がかかった。


それでも、おれは嬉しかった。

期待されることは正直昔からしんどかったけど、おれの価値は、全て頭の中にあると思っていたから。


だから、みんなが褒めてくれる頭脳だけを高めていけば、これからも失敗することはない。

このまま順調に、自分はエリート街道を進んでいくものだと、思っていたんだ。



多分、あの頃のおれは、世界というものを無意識に甘く見ていたんだろう。


所詮、少し勉強が得意なだけの、頭でっかちな子供。

教科書の内容はしっかり頭に入っていても、人として大切なことは何一つ身に付いていない。


思い知らされた時には、すっかり泥沼に片足をとられていたというのに。




「───君が黙っていてほしいというなら、私は従うけど……。

でも、いいのかい?隠したところで、いずれは必ずご両親の耳にも入る。

そうなった時、辛いのは羊一君自身なんだよ?」



その後。

大学に通い始めて半年と経たずに、おれは中途退学を決めてクロカワに戻った。


アメリカ在住の両親には何の相談もせず、おれが一人で勝手に決めた。

後ろ盾となってくれていた桂一郎さんにも、このことは他言しないでほしいと頭を下げた。



正直に言ってしまうと、周囲のレベルの高さについていけなくなったのだ。


そもそも、おれみたいな半端者が入学できたのだって、半分は運が良かったからでもあった。

飛び級で受験させてもらえたのも、独学でロボット工学をかじっているというファクターがあったからだし、東間という家名が良い方向に影響した可能性も否めない。



驕っていたつもりはなかった。

けれど、自分でも知らない内に思い上がっていたんだ、おれは。


天才だなんだと言われてその気になって、本当のところ自分が何者であるのか、自分の才能とはいかほどのものであるのか、わかっていなかったんだ。何一つ。


井の中の蛙が大海を知った。

生まれて初めて味わった挫折は、これ以上ないほどの絶望となって目の前に立ちはだり、おれに"等身大の己"というものを思い知らせた。


急に恥ずかしくなって、悔しくて情けなくて引き返した先には、全ての努力が水泡と帰す無が待ち受けているだけだった。




"───とうまくん、いっしょにあそぼうよ"


"だめ。おれはだれともあそばない"


"どうして?サッカーきらい?"


"ちがう。クラスの子とはあそぶなって、おとうさんとおかあさんに言われてるから"



ちょっと勉強ができて、機械いじりが好きな、無知で浅はかな、ただの子供。


自分の正体にようやく焦点が定まった時。

おれは、目の前が真っ暗になった。


おれから頭脳をとったら、なにも残らない。

でも、唯一の取り柄だと思っていたその頭脳にすら、大した価値はなかった。


思えば、おれは今まで一度でも、自分の意思でなにかを選んだことがあっただろうか。

常に人の意見に左右され、両親の教えこそが絶対だと信じ、思考を放棄して、長いものに巻かれるのが最善だと思い込んできた。



自分はなんのために生きているのか。本当はなにがしたいのか。

初めて直面した自分自身への問いは、過去のどんな難問よりも難題に思えた。




「ねえ桂一郎さん。

友達って、どうやったらできるのかな」




おれだって、友達の一人や二人はいたんだ。昔は。

子供の頃は、わざわざ作ろうと思い立たずとも、自然と仲良くなれた相手がいたんだ。


でも、父さんと母さんはそれを許してくれなかった。

おれは特別な子なんだから、付き合う相手も相応の才能がある子じゃなきゃ駄目なんだと言って、誰に対しても難癖をつけて、引き離した。


だから、おれは孤立した。

常に一番であり続けたおれと対等の相手は、両親も納得するような特別な子供は、周りに一人もいなかった。



なのに、あの時のおれはどうして反抗しなかったんだろう。


親の言うことなんて関係ない。

おれがこの子を好きだから、この子と友達でいたいのだと。

根気強く訴えれば、父さんも母さんも理解してくれたかもしれないのに。



馬鹿だ、おれ。

本当に、頭以外、なんにもない餓鬼じゃん。空っぽじゃん。


身動きができない。息ができない。

こんなの、今更父さんと母さんに、なんて言えばいいんだよ。




「羊一くん。焦らなくていいんだ。早く結果を求めようとするな。

君はまだ若い。これからも、何十年と人生は続いていくんだ。

今という時間は、あくまでその途中で、過程に過ぎないんだよ。

失敗でしか学べないこともある。

まだ、世の中わからないことの方が多いと思うけど、とにかく、こういう時はじたばたするしかない。

私も、君も、生きているのだから。

命ある限り、考えることをやめちゃいけない」




なにもかも言いなりで、常に誰かに依存して生きてきた。

それでも、おれには確かに自我がある。

自分の意志で、好きだと思えるものがある。

だから、全部がリセットされて、振り出しに戻った今。

今度は自分で、自分のやりたいようにやってみても、いいんだろうか。



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