Episode-3:バルド・デ・ルカの後悔
妻と娘を二人同時に失い、希望すらもなくしてしまった俺は、その後軍を退くことを決めた。
慕ってくれていた部下や同僚達は、あくまで休職扱いということにしてまたいつでも復帰できるようにと計らってくれたが、その申し出は断った。
有り難い話だし、これまで共に苦難を乗り越えてきた仲間と離れるのは寂しくもあったが、だからこそ、もう一緒にはいられないと思ったんだ。
俺はもう、きっと以前のようには戦えない。
最も守るべきものが失われた今、再び戦場に出ても皆の足を引っ張るだけだろう。
腑抜けと言われようが、俺の手足はもう、俺の自由には動かない。
自分のせいで他人が傷付くところなんて、二度と見たくないんだ。
だから俺は、あの事件をきっかけに、10年以上勤めていたイタリア陸軍を退役し、軍人という肩書きを自主返上した。
最終階級は大尉。
過去のターゲット撃滅人数は53。
特別大きなミスもなく、率いていた小隊も気のいい奴らばかりで、恵まれた軍人生活だった。本当に。
ただ、俺がライフルを手にとることは、二度とないだろう。
「────貴方がバルドさん?
バルド・デ・ルカ、元イタリア陸軍大尉」
軍服を脱いでからは、知人のカー用品店で従業員として雇ってもらうことになった。
店番をしたり、たまにトラックを運転して運送業のようなことをやったり。
内容は、これといった資格や技術がなくとも、ノウハウを学べば誰でも従事できるような簡単な仕事だ。
収入は銃を構えていた頃と比べると随分落ちるが、毎日日が落ちる前には帰れるし、なにより命の危険に曝されることがない。
戦場で過ごしていた頃の、いつどこから敵の攻撃がくるかわからない恐怖も、ない。
ハングリー精神の旺盛な者には少し物足りないかもしれないが、少なくとも今の俺にとっては、この環境は十分過ぎる生活レベルだと思った。
だが、毎日無事に家に帰れるようになっても、もう俺を出迎えてくれる家族はいない。
こんなことになるなら、いっそもっと早いうちから軍を抜けて、普通にサラリーマンでもやっておくんだったと。
今更後悔したところで、募るのは虚しさだけだった。
「オレはミレイシャ・コールマンといいます。シグリムで生まれ育った人間です。
突然伺ってしまって申し訳ない。少し、貴方にお聞きしたいことがあるんです」
そして、事件から半年後のある日。
今や俺一人の城となってしまった静かな我が家に、見知らぬ青年が二人訪ねてきた。
鮮やかな赤毛に端正なルックス、人懐っこそうな雰囲気が印象的な、やや童顔の男と。
グレーのスリーピーススーツをきっちり着こなした、見るからに真面目そうな眼鏡の男。
赤毛の方はコールマンと名乗って握手を求め、眼鏡の方はルエーガーですと挨拶して頭を下げてきた。
見たところ年頃は同じくらいに見えたが、雰囲気はただの友人関係ではなさそうだった。
こんな若いのが二人も、男やもめの詰まらない家に一体何の用だろうか。
俺は二人の顔に覚えがなかったし、コールマンとルエーガーなんて名前も記憶になかった。
故に、彼らが突然俺の元を訪ねてきた理由が、最初は全くわからなかった。
「あまり長居をする気はありませんので、失礼を承知で、単刀直入にお尋ねします。
───バルドさん。半年ほど前に現地で逮捕されたシリアルキラー、グエルリーノ・カンビアニカについて、貴方はどこまでご存知ですか」
コールマンは、俺の窶れた様子にも全く怯むことなく、淡々とそう告げた。
その口ぶりから、彼がグエルリーノについておおまかな情報を把握済みだろうことが窺えた。
奴の最後の被害者が、俺の妻と娘であったということも含めて。
事件後、そのことについて話を聞きにきた奴は大勢いた。
何年も隠れ潜んでいた連続殺人犯が、三年という月日を経てようやく捕まったのだから、当然といえば当然だ。
しかし、俺はそれがいい加減嫌だった。
家族を殺されて間もない内から、あれそれと質問責めをされ、近辺を探られ、ワイドショーのいいネタにされ。
ただ話題にされるだけでも不愉快だったのに、あげくには我が家を観光名所のように扱う番組まで放送される始末。
一人にしてほしいのに。
今は、極力誰とも関わりたくないのに。なにも話したくないのに。
傷心の俺を晒し者にするのはやめてくれ。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、時には赤の他人ですら土足で踏み込んでくることもあった。
本心から俺達の不幸を悼んでくれたのは、親しい友人か親族だけだった。
こいつらだって、きっと似たようなものに違いない。
なぜ話題の盛りが過ぎた今になって、遠い国からはるばるこんなところまでやって来たのかは知らないが。
お前達に詳しい話を聞かせてやったところで、二人が生き返ることはないんだ。
全て、もう終わったことなんだから。
「そんなことを聞いてどうする。
見て分かる通り、俺は覇気のない抜作だ。詳しいことを知っていようがいまいが、それを誰かに話してやる義理も気力もないんだよ」
やっぱり、他人なんか家に上げるんじゃなかった。
俺はコールマンからの質問を適当にはぐらかし、悪いがそのコーヒーを飲んだら帰ってくれとぶっきらぼうに告げた。
するとコールマンは、ソファーに腰掛けたまま身を乗り出して、向かい合う俺の目を逸らせまいとこちらを見つめてきた。
「お辛いでしょうが、どうか最後まで聞いてください。
確かにグエルリーノは逮捕され、奴の引き起こした連続殺人には終止符が打たれましたが、それで終いじゃないんですよ、この件は。
決して過去の問題じゃない」
「ああ、だろうな。
あんなことがなければ、今の俺はここまで落ちぶれていない」
「そういう意味じゃありませんよ、バルド。
オレは、奴の逮捕が終点じゃないと言ったんです」
あの日のことをまた思い出すのが、蒸し返されるのが辛くて、俺は何度も二人を追い出そうとしたが、その度にコールマンは食い下がってきた。
それがあまりにしつこかったため、最後には俺も彼の熱意に負けた。
とりあえず、話を聞くだけならと。
嫌々ながらも頷いたんだ。仕方なく。
だが、今になって思えば。
あの時彼らを強引に追い返さなくて、本当に良かった。
二人に出会っていなければ、話を聞いていなければ。
俺はきっと今も、死んだ魚のような目で、額縁の中の写真を見つめているだけだっただろう。
「グエルリーノは最高刑を言い渡され、監獄の中でその生涯を終えるはずだった。けれど、実際はそうはならなかった。
表向きには死ぬまで刑務所暮らしってことになってるが、奴は今もどこかで生きている可能性がある。
少なくとも、檻の中には既にいない」
そこからは、コールマンとルエーガーが二人掛かりで説明してくれた。
罪人島の真相。
凶悪犯の人身売買。
神隠しという名の朧げな噂。
フィグリムニクスの隠された闇。
俄かに信じがたい話ばかりで、俺はまた夢を見ているような気分になった。
「信じられないかもしれないでしょうが、これが現実です。
大多数の警察は真に職務を全うしていますが、中にはそれを隠れ蓑にして悪さを働く者もいる。
重要なのは、誰の言葉に耳を貸すかです」
現地イタリアで逮捕されたグエルリーノは、その後極秘に罪人島へと移送され、競売にかけられた。
最終落札価格は、ドルにしてなんと47万。
狂ったシリアルキラー一人に47万ドルもの大金を叩き、フィグリムニクス在住のとあるブローカーが奴の身柄を引き取ったという。
例のブローカーが、具体的に何の用途でグエルリーノを手に入れたのかは不明。
ただ、それまでにも何度か売られた重罪人を引き取った経歴があることから、経済的にもパイプ的にも相当な大物であることが窺える。
他にも競売に参加しているVIPは多数いるとされるが、その殆どは個人的な利益のために人手を欲しているに過ぎなかった。
一方で、グエルリーノを落札したブローカーは引き取った人数の桁が違った。
その他大勢の輩とは、明らかに目的が異なることが明白なのである。
世界中の名だたる凶悪犯が次々と罪人島へ吸収され、そこから更に篩にかけられた一部が例の仲介業者に買い取られる。
ここまでは、納得はできないが一応理解した。
だったら、その仲介役が転売している先は?
一体どこの何者が、何のために札付きの人材を欲しているというのだろうか。
「僕も、大切な人を神隠しによって奪われました。
事件を裏で操っている連中は、彼らのことをただの歯車の一つとしか見ていないんですよ」
俺達が関わった殺人事件が、芋づる式に世界の陰謀と繋がっているかもしれない。
そんな映画のようなことが、本当に有り得るのか。
二人は俺に協力してほしいと言った。
例のブローカーが過去最高額でグエルリーノを競り落としたのには訳があるはずだと。
つまり、グエルリーノの素性を明らかにすれば、この大規模な人身取引の目的も見えてくるはずだと。
「すまないが、今日のところはもう、帰ってくれ。
君達が生半可な気持ちで動いているわけではない、ということはわかった。だが、残念ながら俺は───。まだ、立ち直れていないんだ。
だから、申し訳ないけど、力にはなれない。
俺自身、グエルリーノについてよく知らないから」
あまりに突拍子のない話に頭が追い付かなかった俺は、その日は二人に帰ってもらうことにした。
申し訳ないが、今の自分では役に立てそうにないからと。
するとコールマンは、気が変わったら連絡をくれと、最後に自分の名刺を残していった。
俺が協力しようとしまいと、自分達は引き続き調査を続けるからと一言添えて。
再び一人になった俺は、毎日朝から晩まで、暇さえあればグエルリーノのことを考えるようになった。
高値で買われたからには、奴にはそれ相応の価値があると認められたことになるのだろう。
ならばその価値とは、一体なんだ。
確かに並みより頭はキレるだろうし、拷問や殺しの才にも長けている。
言いたかないが、確かにある意味では特別な存在かもしれない。
だとしても、あんな殺人以外に取り柄のないサイコパス野郎を、何のために欲しがるというのか。
考えれば考えるほど、様々な憶測が浮かんでは消えて、結局は堂々巡りになった。
神隠し。世界の陰謀?
信憑性はほとんどないし、当初は馬鹿げているとも思った。
しかし、あの二人が嘘をついているようにも見えなかった。
どうする。
もし、それら全てが事実だったとするなら、彼らは今相当ヤバいことに首を突っ込んでいるわけだろ。
ひょっとしたら、どこかで命を落とすかもしれない。
未来ある若者が、汚い大人達の手によって。
それを、俺は黙認するのか。
危うさを感じていながら、俺はあの二人を止めないでいいのか。
「ディーア、グリーゼ。
これから俺がやろうとしていることを知ったら、お前達は怒るだろうか」
正直、世界の陰謀なんて、俺にとってはどうでも良かった。
ただ俺が、俺の周りにいる人達が平和に、幸せに生きられるならそれで良かった。
だが、愛する家族を殺され、それがもっと大きな不幸と連鎖しているかもしれないと分かった今。
俺も他人事とは言っていられなくなった。
中には、罪のない一般人すらも巻き込まれていると彼らは言った。
その一般人の中に、俺の両親や友人や、同僚達が含まれていないとも限らない。
俺にも何かできることがあるなら、やるべきなんじゃないだろうか。
なにより、あんな頼りのない餓鬼二人を、みすみす放ってはおけない。
いい加減覚悟を決めろ、俺。
今更どんなに悔やんだって、やさぐれたって、時間は巻き戻らないんだ。
だったら、今の俺がすべきことはなにか、今考えろ。
「むしろ、俺としてはそのなんとかってブローカーに感謝したいくらいだな」
そうだ。
考え方を変えれば、この手でグエルリーノを始末するチャンスが巡ってきたということでもある。
奴が今どこにいるかはわからない。
だが、今もどこかで生きているというなら、俺がこの手で殺してやる。
必ず見つけ出して、ディーアとグリーゼの仇をとってやる。
暗い家で一人燻っているのは、もうやめだ。
『When shall we meet again?』




