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オルクス  作者: 和達譲
Side:THE PAST
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Episode-5:マナ・レインウォーターの離愁


予定時刻を一時間以上過ぎても、チェルシーは約束の場所に現れなかった。

何度電話を掛けてみても、一度も繋がらなかった。


心配になったボクは、念のため断りのメールを送ってから、急いで彼女の住むアパートメントへと向かった。


チェルシーは、なんの連絡もなしに約束をすっぽかすような人じゃない。

だから、きっとなにか良くないことが起きたんだと思って、道すがらもボクの心中は穏やかでいられなかった。



「チェルシー……?ボクだよ。中にいるの?いるなら返事をして!」



以前、ボクだけ特別にと作ってもらった合鍵を用いて部屋に入ると、中には誰もいなかった。

単に寝坊をしただけならまだ気配が残っていそうなものだったが、そんな様子も全くなかった。


一通り辺りを見て回った後は、彼女の居所がわかる手掛かりがないか、寝室を中心に物色した。

人のテリトリーを勝手に荒らすのは気が引けたけど、後で怒られる代わりに"もしも"の事態を回避できるなら、迷ってなんかいられなかった。



すると、綺麗に整頓されたデスクの上に、一枚のルーズリーフが伏せてあるのが目に入った。

拾って裏面を確認してみると、そこには今日の、ボクの誕生日の予定が手書きでびっしりと綴られていた。


どこで昼食をとって、何時にニコと合流して、どのタイミングでボクにプレゼントを渡すか。

何度も書いては消してを繰り返した跡があり、これを完成させるだけでも相当の時間と労力を要しただろうことが窺えた。


手製の予定表の下には、美術館のチケットが三枚隠れていた。

ボクとチェルシーと、それから後で合流する予定のニコの分も合わせて、三人分。

しかもその美術館は、ボクが前に行ってみたいと何気なく話していた場所だった。



チケットに明記されている日付は、まさしく今日。

予定表にも、午後の二時から美術館でニコと待ち合わせと書いてある。


これで、チェルシーが考案したサプライズの内容は判明した。

なのに、肝心のチェルシーの姿がどこにもない。

見慣れた筆跡からは今にも残り香がしそうなほどなのに、見渡せば彼女の影すら過らない。


一体、どこへ消えてしまったというのか。

君は今、どこにいるんだ。チェルシー。


呼び掛けても、ただ自分の声が反響するだけで、いつものような返事は返ってこなかった。



「分かった。巡回中の同僚にも声をかけておくよ。

けどその前に、一回深呼吸。焦る気持ちは分かるけど、周りを良く見て。急を要する時ほど、しっかり足元を確認するんだよ」



仕方なく部屋を出たボクは、ニコに連絡を取って事情を説明し、二人がかりでチェルシーの捜索に当たることにした。


彼女が行きそうな場所、彼女と関係のある人。

とにかく、チェルシーの気配が少しでも感じられそうな場所を、虱潰しに探して回った。


けれど、一日中探しても、彼女を見付けることはとうとう叶わなかった。





「いいかい、マナ。落ち着いて聞くんだ。

質問も怒りも、要求も、君の思いはちゃんと受け止めるし、全て隠さずに答えるから。

今はただ、落ち着いて。僕の声だけに耳を貸すんだよ」




その後。

チェルシーが無惨な遺体となって発見されたらしいと聞かされたのは、それから五日が経ってのことだった。


郊外にある小さな公園で、背の高い遊具に縄を引っ掛けて、首を吊った状態で、彼女は発見されたと。


チェルシーが、自殺。

彼女は自ら死を選び、より確実に死ねる場所を求めて、わざわざそんな遠いところまで足を運んだと。

後になってから、まるで他人事みたいにそう説明された。



チェルシーが、死んだ。

死んだ?死ぬってなんだっけ。

というか、チェルシーは今どこにいるんだよ。会わせてよ。

約束したんだよ。一緒にボクの誕生日をお祝いしてくれるって。

ボクに喜んでほしいからって、チェルシーは内緒で、ボクのために、ずっと。なのに。

チェルシーはボクとの約束を破ったりしない。ボクを傷付けたり、悲しませたりするようなことも絶対しない。

だから、絶対、彼女は、




「……やだ。やだ、やだやだやだ嫌だ!!!

そんなの絶対うそ!その人は絶対違う人だよ、チェルシーじゃない!

もっとちゃんと探してよ!きっと今頃、一人ぼっちで寂しがってるはずだから、ボクに会いたいって言ってるはず、だ、から……」



信じられなかった。信じたくなかった。

チェルシーが死んだ?

不慮の事故でも急な心臓発作とかでもなく、自殺で?首を吊って?


完全に頭の中が真っ白になって、ボクはひたすらニコに向かって訴え続けた。


チェルシーは自殺なんてする子じゃない。こんなの間違いだって。

幼子のように泣き喚きながら、何度も何度も、壊れた機械のようにチェルシーの名前を呼んだ。


でも、その時ふっと目に入ったニコライの顔を見て、彼は嘘を言ってるんじゃないって、わかった。



「ごめん。……ごめん」



力一杯にボクを抱きしめたニコライは、静かに泣きながら謝った。


力を尽くしたけれど、間に合わなかったと。

君の最愛の女性を救ってあげられなくて、すまないと。


その震える声が、きつく背中に回された腕が、冷たい肌が。

彼から伝わってくる全てが、全てを物語っていて。

これは、紛れも無い事実なんだと、思い知らされた。



チェルシーは、死んだんだ。

もう、彼女には会えない。


ようやく実感したと同時に、胸の奥から津波のような熱が一気に込み上げてきて、ボクは生まれて初めて、声を上げて泣いた。



どんなに後悔しても、ボクはもう君に、なにもしてあげられない。なにも伝えられない。


こんなことなら、もっと愛してると言っておけば良かった。

家で寛いでいる暇があったら、例え一時間でも、一分でも、君に会いに行けば良かった。

もっとたくさん、君の側にいればよかった。


あの時ああしていれば、こうしていればと。

今までは特に気にならなかった些細なことも、今となってはとても重要で、大切なことに思えてきて。

ふがいなくて情けなくて、悔しくて、ボクは自分が許せなかった。



チェルシーが自殺をするだなんて、やっぱり信じられなかったけれど。

本当にそれが事実であるなら、きっと彼女は、息絶えるその瞬間まで苦しんだはずだ。


いじめの記憶が、思っていた以上に彼女の体を蝕んでいたのか。

将来を悲観して、なにもかもから逃げ出したくなったのか。

もしくは、ボクの存在が理由か。



彼女は何故、自ら死を選んだのか。

本人に聞くことはもうできない。なにもわからない。


ただ、もうこの世のどこにも、チェルシー・カルメルの存在はないのだという事実だけが、残った。




「マナ。僕は君を愛してる。

昔も、今も。君は僕にとってかけがえのない存在だ。君が僕の、生きる意味だ。

だから、約束して。この先どんなことがあっても、自分の命を粗末に扱わないって。

僕もチェルシーさんも、君の幸せを願ってる。辛いことを言っているのはわかっているよ。でも。

君には、ずっと、生きていてもらいたいんだ」




11月19日。雨天。

チェルシーの死から三ヶ月後の秋。

ボクの育ての父で、最愛の恩師でもある刑事、ニコライ・レインウォーターは、街のショッピングモールで発生した銃乱射事件での名誉の負傷により、殉職した。


その後、本人の遺言により、遺された財産の四分の一を彼の両親が、四分の三をボクが相続した。

彼が一人で暮らしていた家の所有権も、ボクが譲り受けることとなった。


事件の犯人は無事逮捕され、負傷者は何人かあったものの、奇跡的に死者は出ずに済んだという。

ニコライ・レインウォーターという、一人の勇敢な刑事を除いて。



"進路について、学校で話をしたんだろう?どうだった?

……そうか。いや、焦ることはないよ。僕達は僕達のペースでゆっくりやっていこう。

なにかあれば、僕がいるからね"



ニコライはずっと、傷心のボクを励ましてくれていた。

チェルシーを失った悲しみを共有し、共に背負ってくれた。


だから、ボクも。

すぐには癒えることのない深い傷だけれど、その痛みとも上手に付き合っていけるように、ちゃんと前を向いて、これからも生きていかなくちゃって。


辛いのはボクだけじゃない。

だから、もっとしゃんとして、下を向いてばかりいないで、彼女の分までしっかり生きなくちゃって、思うようになったんだ。



"そんな顔をしないで。年齢を重ねることは、本当はいいことなんだから。

あれから数えた年月、と考えたら、とても、辛いけど……。

生きている限り、全部がなくなることはないんだ。君が彼女を忘れない限り、彼女は君の中で生き続けるんだよ。ずっとね"



チェルシーを失ってから迎える誕生日は、とても辛かったけれど。

あの日果たせなかった約束を、彼女の考えてくれたボクの最高の誕生日を、もう一度やり直そうって、ニコが言ってくれたから。


チェルシーの写真を持って、今度こそ、三人で美術館に行って。

一緒にごちそうを食べて、ボクの18歳の誕生日を、改めてお祝いしようって、言ってくれたから。


ボクも、支えてくれる彼のために、大人になっていく自分を拒絶しないって決めたんだ。


なのに。

二回同じ約束をして、二回とも果たされなかった。

この世で最も大切な二人を、ボクは、相次いで失ってしまった。




"ねえニコ"


"なんだい?"


"ボクと一緒にいて、嫌になったことはない?"


"まさか。君の名前を呼ぶために、僕は生まれてきたんだから"




いつか、ボクが大人になったら、一緒に旅行したり、二人でお酒を飲んだりしようねって、話してたんだ。

お世話になった分、お金だって、これから少しずつ返していくはずだった。

ボク達の未来は、予定がいっぱいで忙しそうだねって、ニコ、笑ってた。


なのに、ボク。

いつも自分ばっかり幸せで、まだ、あなたになにも。


嫌だよ、ニコ。いかないで。

ボクを一人にしないでよ。

チェルシーに続いて、あなたまで失ってしまったら、ボクはこれから、どうやって生きたらいいの。






『フェイゼンドニクスには、決して近付いてはいけないよ』




ボクとニコの間には、二人しか知らない秘密があった。



万一、彼の身になにかあった場合。

その時はある場所を探して、ある物を見付けるようにと、昔から言い付けられていた。


彼の家の庭の、ボクが生まれた記念にと植樹されたシンボルツリーの根元。

そこを探れば、ニコがボクにだけ残したメッセージを知ることができる。


口癖のようによくそう言っていた彼は、いつも何かに監視されているように周囲を警戒していた。



まさにその時がやってきた今。

約束のポイントを地中深く掘り起こしてみると、スチール製の小さな箱が現れた。

泥にまみれた蓋を開けてみると、中から一通の文と、一丁の拳銃が出てきた。


拳銃の方は既に弾が抜かれていたため、形だけの代物だったが、手紙にはチェルシーのことが記されていた。



歯の治療痕や、当時身に付けていた服装、DNAなどの一致によりチェルシー本人と断定された遺体は、その後どこへ消えたのか。


諸々の事情によって隠匿された彼女の亡骸は、親族でさえ確認することが許されず。

自殺現場の第一発見者であるという人物も、どこの誰であるのか明かされていない。


まるで、最初から彼女の存在などなかったかのように、何者かが彼女の死の真相を隠したがっているかのように、何人も詳しい経緯を語ることがない。


これらの不明点から次第に疑惑の念を抱いていったニコライは、やがて独自に調査を進めるようになった。

上司や同僚だけでなく、親しい友人達にさえ内密にして。


その過程で、チェルシーが本当は自殺をしたのではないというなんらかの確信を得た彼は、その旨をボクに伝えるためにこうして文を認めた。


そして、死んだ。




"これに目を通しているということは、僕はなんらかの事故という形で死んだことにされたのだろう"。

"だがそれは、恐らく警察上層部による工作だ。

チェルシーさんの死の真相は、パンドラの箱の中にあったんだ"。


"彼女が実は生きているのか、本当に亡くなったのかはわからない。

ただ、自殺をしていないことだけは確かだ"。


"彼女の他にも、謎の死を遂げた若者が何人かいるようだ"。

"ペンシルベニアだけじゃなく、これは国全体の問題。

もしかするとそれ以上に、世界規模の問題かもしれない"。




チェルシーが自殺をするだなんて、どうしても信じられなかった。

けれど、警察が間違いないと言うから、割り出されたデータが確実だと駄目押ししてくるから、納得はできなくても、あの時は飲み込むしかなかった。


でも、その警察自体が疑わしかったら?

裏付けされたデータが虚偽のものであったなら?


そんなこと、夢にも思わなかった。だって。

市民を、国民を、人を守るのが警察だから。

少なくとも彼は、ボクの敬愛するニコライは、確かに人々のために生きた刑事だったから。



自らの死を予感しながら、それでも恐れずに突き進んでいった彼が、確信をもってボクに伝えられた情報は二つ。


チェルシーが突然消えた謎は、彼の名高い島国・フィグリムニクスにあるということ。

時に、世の信頼ある機関こそが、最も疑わしい場合があるということ。


恐ろしいでも、やめておけばよかったでもなく。

きっとこれは遺書になるだろうと知った上で、それでも悔いずにペンをとった彼が、勇気をもって教えてくれた真実はこの二つだけだった。




"下手に首を突っ込めば、君の命も危うい"。

"けど君は、いつかは自力で真相にたどり着いてしまうのだろうから、僕が隠したところで無駄なんだろうね"。


"でも、いいかい、マナ。

フィグリムニクスには、決して近付いてはいけないよ"。

"世の中には、きっと知らない方が幸せなこともある"。



ただ、これは君の人生だから。

これからは君の意志で、君が自由に、君だけの選択をする権利がある。

だから僕は、忠告はするが止めはしないよ。


僕の願いを尊重してくれるなら、どうかこのまま、なにも知らずに穏やかに生きてほしいけれど。

これからどうするかは、君が決めていい。


最後に、これだけは言わせてくれ、マナ。

僕は君に、君達に出会ったことに、後悔したことは一度もないよ。



愛してる。マナ。

永久の絆と幸運を、君に。






『Remember that I love you.』



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